マドリードの冬の寒さは
マドリードの冬の寒さは東京と変わらない。
そこから63キロ離れたロブレド・デ・チャベラは
山と山にはさまれて標高が高く空気はもっと冷たい。
この牧歌的な町の面積は軽井沢の3分の2くらいで
住民は4000人。軽井沢の5分の1だ。
ちゃんと数えて較べているわけではないが
あたたかい家に暮らす人間の数よりは
吹きさらしの山や森に棲む野ウサギやキツネの数が
圧倒的に多い。
この町にNASAが宇宙と交信するための追跡ステーションが存在するのは
湿度が低い高原地帯であることや
なにしろ人が少ないので、邪魔になる電波の発生源も少ないという
恵まれた条件がそなわっているからで
追跡ステーションの巨大な5つのアンテナは
たえず宇宙からの声に耳をすませている。
そのアンテナのひとつが、
牡牛座の方向から聞こえるかすかな声をキャッチしたのは
2003年1月のことだった。
それは出力わずか8ワットの電波に乗って
太陽系の果てから11時間かけてやってきた。
パイオニア10号だ。
ステーションは静かな興奮につつまれた。
1972年に打ち上げられた惑星探査機パイオニア10号は
もともと2年足らずの寿命で設計されていた。
それが、30年後のいまでもこうして電波が届く。
時速5万キロで太陽系の外へ漂流しながら
パイオニア10号はまだ生きている。
NASAの技術者たちは口笛で犬を呼ぶように
ときおり強力な電波で呼びかけてはその奇跡を確かめていた。
2000年8月、2001年4月、2002年3月、
パイオニア10号は呼びかけに答えた。
それは小さなニュースになった。
2002年の7月になると通信能力は限界まで弱り、
たとえ返事が聞こえても
意味のある言葉を聞き取ることはできなかったが
しかしそれでも
太陽系を去ろうとするパイオニア10号の声を
最後まで追う努力はつづけられていた。
2003年1月、
マドリードから63km離れたロブレド・デ・チャベラの寒空から
パラボラアンテナが拾い出した声は
もう何を言っているのかわからないかすかな声だったが
パイオニア10号が122億km離れた地球に
自分のアンテナを向けて振り返ったことを意味していた。
言葉はわからなくても、どんなにかすかなつぶやきでも
声が届くことの重大さを、世界はそのとき知ったのだと思う。
それがパイオニア10号の最後の挨拶になった。
2003年1月22日の山も森も寝静まった静かな晚だった。
その翌月
2003年2月にNASAはもう一度呼びかけを実行したが返事はなく
パイオニア10号との交信は途絶えたと発表した。
けれどそれから3年後の2006年3月、
NASAはいま一度パイオニア10号に交信のこころみをしている。
3月といえば
マドリードから63km離れたロブレド・デ・チャベラでは
コウノトリがアフリカから渡ってきて巣づくりをはじめる。
コウノトリは鳴き声を持たず
ただクチバシをカタカタと鳴らして信号を送るそうだ。
出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/