砂漠にて
茫漠たる砂の海を、もう何日歩きづめだろうか。
地平線を目でなぞり、集落はないかと探す。
と、視界の端に、地表から立ち上がる直線を見た気がして、ぎょっとする。
私はナップザックから双眼鏡を取り出す。
直線、すなわち構造物。
そんなものが、まだこの世に存在しているのか。あらゆる都市が壊滅し、
人間のほとんどが死に絶えたこの世に。
もう一度双眼鏡をのぞく…棒の上に、赤い光と…その横には、緑の光。
信号だ。
――信号?
この砂漠の真ん中に?
何ヶ月ぶりかで人工物を見た。
なぜそんなものがあるのか、それはわからないがしかし…
誰かが、何らかの目的で設置したことは確かだろう。
私の目は人間の影を求めて動くが、人間はおろかハゲタカ一羽飛んでいない。
それにしても――砂漠に立つ信号なんて、
まだ文明があった時代には滑稽に思えただろう。
だが今は!
この赤い光はなんと心に温かいことか!
私は魅入られたように、その信号に向かって歩を進める。
交通規制!
なんて懐かしい響き!
方向も変化もなく、ただただひろがる砂。砂。砂。
その無意味さに、私はもう耐えられなくなりそうだったのだ。
意味、目標、方向づけ、ルール。
そういったものがなければ心の平安がえられない。
やはり私は都市に適応した生物だったのだと痛感する。
そのとき、ぐらりと足元の地面が揺れた。
信号の下の地面が小山のように盛り上がり、
象の皮膚のような質感の巨大な肉の塊が姿を見せた。
そのてっぺんから信号が生えている。
私の足元に直径10メールばかりの黒い穴がぼかりと空いた。
足の下の砂が、奔流のように、その穴に流れ落ちて行く。
しまった…
そうか――この信号は、いわばチョウチンアンコウのチョウチン――
誘引突起だったのか。
スナクジラとかいう化け物の噂を、ずいぶん昔、聞いたのを思い出す。
私は、地すべりのような砂の流れと一緒に、
その得体の知れない生き物の口に飲み込まれてゆく。
文明消滅後の人間心理まで利用するとは、
自然の叡智というやつはまったくはかりしれない――
出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/