あけみさんのTシャツ
俺は画家になる。
あの1977年の夏。そう思っていた。
学校の美術部なんか、しょうがない。
絵を描くのに、先輩後輩とかなんにも関係ない。
高校1年から、地元の画家のアトリエに通った。
画家っていうのは変人が多いけれど、
その先生は鮫に狂っていた。
絵のモチーフは、釣り上げられて、のた打ちまわる鮫ばかり。
でも、血しぶきが飛び、生臭そうな絵はあまり人気がなかった。
生活のために先生は、女性のヌードを描いて売ったり、
俺のような生徒から月謝をとっていた。
アトリエは自由なのが気に入っていた。
先生は放任主義で、
放課後や日曜に、行きたいだけ行って、好きなだけ描いた。
夏休みになって、東京から大学生のあけみさんがアトリエに来た。
ヌードモデルのアルバイトをするためだった。
あけみさんは体にぴったりの派手なTシャツをよく着ていた。
サイケデリックな
レインボウの柄が複雑に入り組んで、
まるで七色の液体が流れているように、
ぬるぬる動いて見えた。
あけみさんの内蔵も、
こんなふうに動いているのだろうか。
あけみさんを描きたい、描きたい、描きたい。
けれど、あけみさんは先生が雇ったモデルだった。
夏休みの終わりが近づいていた。
ある日、いつもより早くアトリエに行くと、
グレーのガウンを羽織って休憩中のあけみさんが、
ナイフで梨をむいていた。
俺は本心をぶつけてみた。
「あけみさん」
「ん?」
「あけみさんをすごく描きたい。お願いします」
あけみさんはナイフを止め、
まっすぐ俺を見て言った。
「お金はあるの? モデル料」
「あまり、ないです」
「お金がいるの。わたし」
いくらだろう、と俺は考えていた。
結局、あけみさんは後払いの2万円で許してくれた。
それから5日間ほど、
先生のためのモデルの時間が終わってから、
あけみさんは、ぼくにじっと見つめられることになった。
夕方になると、西日が射して
すこしオレンジがかるあけみさん。
うまく描けたかどうかはわからない。
でも、描きたくて描きたくてしかたないものを描けている、
という全能感を生まれて初めて知った。
無我夢中で、すごくきれいな時間に感じた。
「ここのバイトが終わったらね、成田に行くんだ」
あけみさんの言葉の意味は、
16歳の俺でもすぐわかった。
あけみさんは、成田空港建設の反対運動に行った。
警察や機動隊との激しい闘争の中に行った。
あけみさんはいなくなり、
俺はただの野次馬になった。
テレビニュースが映す、
反対派学生のデモ、集会、逮捕連行される映像。
そのテレビ画面の中に、あのサイケデリックな
レインボウ柄のTシャツが映らないか、
目を凝らしているだけだった。
出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/