直川隆久 2014年3月16日

すみれ、散る

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

ときどき行く商店街のうどん屋の主人が、
新しいメニューを試食に来てくれ、とメールをよこしてきた。
ちょうど昼時でもあったので、散歩がてら行ってみることにする。

店に入ると、「ああ、ようお越し」と朗らかな顔で主人が出迎えた。
年齢は50そこそこ。婿養子で、
先代からつづくこのうどん屋を夫婦で切り盛りしている。
先代は80を超えた爺さんで、店にはでず競馬中継を見て過ごす毎日だ。

席に通され、しばし待つ。
昼時だが、ほかに客はない。
「どうぞ」とだされた丼に、予想もしなかった色彩がのっているので、
一瞬ぎくりとする。紫色の花弁が山盛り。
「すみれうどん、て言いまして」と主人が胸を張る。
ほう、なぜまたこんな、その…斬新なメニューを、と水を向けると、
堰を切ったように喋り出す。

「わたしらうどん屋も、新しいことにチャレンジせなあかん思いましてね。
チャレンジせな、生き残れませんがな。
もっとね、若い女性に食べてもらわなならん。
ほんでね、わたし、考えたんです。うどん屋に欠けてるもんは何か。
それはね、はなやぎですわ。はなやぎ」と主人がぐっと顔をこちらへ近づけた。
右のおでこのホクロの毛が見える。

主人は“宝塚”好きということもあり、
女性に間違いなくアピールするマテリアルとして
「すみれ」の発想を得たのだと言う。
すみれの花は実際に吸い物の具にしたりもするらしいので、
あながちでたらめということでもないらしい。

食べてみると、見た目を重視したせいか花を湯通ししていないので、
少々えぐみがある。が、しかし、これはだめだ、というほどでもない。
むしろ野趣があるとも言える。
こういう変わりメニューは、味よりも話の種になるかどうかが大事だ。
存外、いけるかもしれない。

いや、これはなかなかだ、
もしテレビに取り上げられたら若い女性が行列をつくるかもしれませんな、
と述べると主人はほくほくと笑い
「まあまあ、やっとくなはれ」とビールとコップをだしてきた。
ありがたくいただく。
「もしテレビに」以下はあくまで一般論であるので、
でまかせの世辞を言ったつもりはない。

正直に言うと、私は少しく驚いていた。
この国を覆う焦燥感に、である。
巷の讃岐うどん屋のように手打ちにこだわるでもなく、
どちらかといえばふにゃふにゃで主張のないうどんを、
殊更に問題意識なく何十年来売り続けて来た男にまでそういう気を起こさせる、
この国の「なんとなくこのままではいけない感じ」に。
コップのビールがいつもより苦く感じたのは…
舌に残ったすみれのアクのせいだろうか。

一週間ほど仕事でばたばたしたあと、外出時にうどん屋の前を通りがかった。
中をのぞくと、客は誰もいない。
店内の椅子にこしかけ、ぼんやりとテレビを見ていた主人がこちらに気づき、
さえない表情で会釈をした。
店に入り、どうです、新しいうどんの評判は、と訊くと、
主人はかぶりを振って「やめですわ」と答えた。
やめた?なぜ?
「おやっさんがやめえ、言うんです。ええ年してはしゃぐな、て」
店の奥から競馬放送の音が聞こえて来る。
もったいないですな。客には出したのですか。
「ええ、だしました。二人ほど」
どうでした、評判は。
「ええ、まあ…悪なかった、思いますで」と主人が目をそらした。
「けど、おやっさんは…気にいらんかったみたいですな」
話はそれきりになった。わたしは、きつねうどんを注文した。
あいかわらず、腰のないうどんだった。

ひょっとして、先代の爺さんが止めたのは、
婿養子のアイディアが評判を呼ぶのを苦々しく思ったためなのか。
いや、本当に評判が悪かったからなのか。それは今では分からない。
なぜなら、それからほどなくうどん屋は店を閉め、
主人とその家族もこの町から姿を消したからである。
うどん屋は取り壊され、後にはチェーンのセルフうどんの店が建った。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

  


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