上田浩和 2015年5月3日

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金田

      ストーリー 上田浩和
         出演 平間美貴
             

野球の神様は最低だ。
私の顔を、野球選手の顔に変えてしまった。
5年前。30歳の誕生日に、江川卓の顔にされたのが最初だった。
それ以来、誕生日が来る度に私の顔は更新されている。
31のときには、掛布。掛布雅之。
ここまで言えば、野球好きの方なら察しがつくと思うが、
私の年齢とその選手の背番号は一致している。
32のときには、元ジャイアンツの助っ人外国人だったグラッデン。
そして33のときには、ご存知ミスタープロ野球長嶋茂雄である。
長嶋の背番号と言えば3だが、
監督になってからは33を背負っている。
どの年齢のときも、つまりどの顔になったときも、
最初は鏡を見るのも嫌だったが、
次第に折り合いをつけて楽しめるようになっていった。
長嶋の顔のときの私の人気は凄まじかった。
首から下は普通のOLで中身も30過ぎのそのへんの女と
一緒なのに、顔が長嶋茂雄というだけで、
毎日のように写真と握手とサインを求められた。

だから、去年の3月、34歳の誕生日を迎えた瞬間、
金田正一の顔になってからの周りの反応には正直、
ずいぶんと落胆した。
金田正一。
その背番号34は、読売ジャイアンツの永久欠番となっている。
言わずと知れた400勝投手である。
でも、その400という数字が、
金田の足かせになっていると私は思う。
100勝達成できればたいしたもの。
200勝できれば、あんたはすごい。
ほんとすごいよというわけで名球会入りという誉れをいただける。
どんなに名のある投手でも、
200勝に手が届かないまま引退していった人は数知れない。
そんな現在のプロ野球界において、
400勝はあまりにもかけ離れた数字だ。
そのせいか、みんな変な勘ぐりをする。
金田が活躍した時代のバッティングのレベルが
低かったおかげじゃないのかと。
私の顔を金田だと認めた人たちの半分は、
「すごいねえ」と上辺だけのすごいねえを
残してどこかに立ち去った。
そしてもう半分の人たちは、
400勝の自慢話ばかりする面倒なおじさんと
私のことを思っているようで、
なかなか近寄ってこようとはしなかった。
握手も写真も求められない。
長嶋だったときと比べたら、私の周りには人が少なすぎた。
金田正一のせいにはしたくないが、寂しかった。
つまらなかった。長嶋だった頃に戻りたかった。

そんな心の隙をつかれた。
ある日、久しぶりに「サインください」と言われたのが嬉しくて、
いいよーとか言いながら私はつい、
さらさらさらっと金田正一とサインしてしまったのだった。
そこが連帯保証人の欄だとも気付かずに。
その翌日から、私は家に閉じこもるようになった。
マンションの部屋の玄関を、
二人の若い取り立て屋がひっきりなしにどんどん叩いた。
「金田さん、いるんでしょ。金があるのは名字だけですか」
私は、毎日毎日、寝室のベッドの上で両耳を手でふさぎながら、
彼らが帰るのを待った。ひと月ほどそうしていた。
その日も、彼らはやってきた。
どんどんどんどん。金田さん、いるんでしょ!
私は、ひとつ深呼吸をすると、思いきって玄関を開けた。
そして言った。
「あの、私、松井ですけど」
その時の彼らの驚いた顔は、今でもはっきり覚えている。

2015年3月26日。
35歳の誕生日に、私は松井秀喜の顔になった。
背番号55の印象が強い松井だが、
現役最後に所属していたタンパベイ・レイズでは35をつけていた。
松井選手の大ファンだった私にとって、
それは、最低な野球の神様がしてくれた最高の計らいだった。

東京丸の内で、薄いピンクの女性用の制服を着た小柄な
松井秀喜を見かけたら、それが私です。
雑誌の付録の小さなトートバックを持っていることが多いです。
どうぞ気軽に話しかけてください。
気軽に握手します。写真も好きなだけ撮ってください。
ただし、サインはお断りする場合がございます。

出演者情報:平間美貴 03-5456-3388 ヘリンボーン所属


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