「地図」
NAVIが当たり前になって、
ドライブはつまらなくなったと思う。
なぜって、迷うことがなくなったから。
あわてて地図を開くことが、なくなったから。
私が20代のころ、デートと言えばドライブだった。
私が望んだわけじゃない。男たちが勝手に決めていた。
クルマのない男はデートをする資格がないと、
勝手に決めていた。
まったく、バブルってやつは。
あのころはNAVIがなかった。
だから男たちは、道に詳しくなければいけなかった。
正確に言うと、男たちが勝手にそう決めていた。
地図に頼らず運転する男がカッコイイと、勝手に信じていた。
まったく、男ってやつは。
あのころ助手席に座らされていた私は
「あ、迷ったな」という瞬間が好きだった。
その時、運転する男の顔を盗み見るのが好きだった。
意地の悪い女と言われれば、確かにそうかもしれない。
迷ったことを私に悟られぬように、平静を装う男。
でも脂汗をかいている男。
ごめんね、ごめんねと繰り返し、地図を取り出す男。
必死にページをめくる男。
どうせ意地の悪い女だと開き直った上で言ってしまえば、
それは、男の度量が試される瞬間だった。
慌ててつけ加えるけれど、
迷った時にオタオタするから度量が小さい、というわけではない。
もっと、そもそもの話だ。
「道に詳しい男が女をエスコートするのだ!」という考え方が
小さいのだ。
デートとは、そんなものではないだろう。
そんなにつまらないものではないだろう。
互いに好意を持った男女が、
または好意を持つ可能性を秘めた男女が、
ともにいる時間を楽しむこと。それがデートだろう。
誓って言うが、私は、
男に楽しませてもらおう!なんて思ったことは一度もない。
いっしょに楽しもうと思っていた。いつだって。
ドライブで迷ったら、迷ったことを楽しみたかった。
いっしょに地図を見て
こっちだ、いやこっちじゃない?と話したかった。
迷わないことに必死になる男より、
迷ったことをいっしょに楽しもうとする男が好きだった。
そして、あのころ、そんな男は驚くほど少なかった。
その数少ない男が今、私の隣で運転をしている。
数年前に新車を買い、すすめられるままにNAVIをつけた。
彼も「便利だね」などと言っている。確かにそうだ。
しかし、何だか物足りない。
上品な女の声に導かれ、迷わず、間違わず、常に正しく到着する。
そうだ。この車にしてから、私は地図を見ていない。
「今日はNAVI使うの、やめない?」
私は夫に言ってみる。彼はきょとんとして私を見つめる。
そしてこう言った。
「そうだな、久しぶりに迷うか」
よかった、この男はまだ大丈夫だ。
私はダッシュボードから地図をとり出し、ひざに置いた。
出演者情報:平間美貴 03-5456-3388 ヘリンボーン所属