中山佐知子 2018年3月11日

セーヌ川のある島で

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

21歳のボードレールが
その島のアンジュー通り17番地に落ち着き
「悪の華」を執筆したのは1842年のことだった。

1858年になると
のちに大作家になるエミール・ゾラが島の学校に通いはじめた。
ゾラはそのとき18歳だった。
ゾラの親友だったポール・セザンヌも
やがてアンジュー通り15番地に住むようになった。

1912年、ベチュヌ通り36番地には
物理学者のマリー・キュリーが娘たちと引越してきた。
二度めのノーベル賞を受賞した翌年のことだった。

彫刻家カミーユ・クローデルのアトリエは
ブルボン通り19番地にあった。
クローデルは類い稀な美貌と才能に恵まれていたが
ロダンとの愛情問題に悩み
1913年には家族によって精神病院に送られた。

1931年、探偵小説「メグレ警部」で成功をおさめたシムノンが
アンジュー河岸に浮かべた船で大騒ぎの祝賀会を開いた。
そのすぐそばのローザン館には
1948年にフランスを訪問したエリザベス女王が滞在している。

オルレアン通りの16番地には
映画監督のロジェ・バディムと
女優のブリジット・バルドーが一緒に住み、
さらに無名時代のマーロン・ブランドが居候をしていた。

ジョルジュ・ポンピドー元大統領は
ベチュヌ通り24番地の貴族の館を改造した賃貸アパートに住み、
1974年にそこで亡くなった。
同じアパートには
ノーベル文学賞のフランソワ・モーリアックも住んでいた。

2013年、歌手のジョルジュ・ムスタキが79歳で亡くなると、
彼が住んでいた島のアパートには
「ジョルジュ・ムスタキ通り」というプレートが掛けられた。
ムスタキは20代の頃から半世紀以上も島の住民だった。

その島はセーヌ川に浮かんでいる。
地図で見るとパリのほぼ真ん中にあり、名前をサン・ルイ島という。
島を貫くいちばん長い道路でも540mしかない。
エミール・ゾラがこの島に来た頃は1万人の住民がいたが、
金持ちの外国人が由緒ある建物を買い取っては
別宅にしてしまうので
いまでは4分の1の住民しか残っていない。

それでも島には学校があり、教会があり、商店があり、
医者もいるから不自由がない。
生粋の島民はパリを外国だと思っているから
滅多に橋を渡って島の外に出ない。

1924年、サン・ルイ島は住民による独立宣言をしたが、
未だに国連に認められてはいないようだ。



出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/


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