「ハルさんの替え歌」
ぼくが時々顔を出すスナックに、
ハルさんというおじさんがいる。
ハルさんはハルさんのくせに春が嫌いだ。
花粉も、桜も、花見も「いけすかない」と言う。
「梅はどうですか?」と聞いてみたことがある。
「わざわざ見に行ったりはしないけど、
梅干しと梅ねりは好きだな」と彼は言った。
ハルさんは若い頃、ばりばりの営業マンだったらしい。
銀座や六本木での接待も多かったという。
「あの頃は本当にタクシーがつかまらなかった」という話を
何度も聞かされた。「毎回それ言いますよね」と
ぼくが言うと、ハルさんはグラスの中の氷を
カラカラと鳴らした。
ハルさんは歌がうまい。ばりばり時代は先輩や
お客さんから「おい、ハル! なんか歌え!」と
よく言われたらしい。そんなときは
「では、今日もハルソングを」と言い
分厚いソングブックをめくっていたそうだ。
あの分厚いの、ちょっとした鈍器だったな。
春一番 春なのに
春だったね 春よ、来い
ハルさんは、それらの歌を1番はそのまま歌い、
2番からは「春」という歌詞を「悪」に置き換えた。
もうすぐ悪ですね 悪なのにお別れですか?
あゝ あれは悪だったね 悪よ、遠き悪よ
ハルさんは言った。
「ほら、春ってさ、少し悪いやつだろ?」
たしかに春には暖かさの陰に底知れぬ冷たさがある。
出会いと別れ、期待と落胆、満開と散り散り。
ある春の日。けっこう酔っ払っていたぼくは
ハルさんの真似をしてワルソングを歌ってみた。
変な空気になった。ママの「いぇい!」という
合いの手と拍手がさびしく響き、当のハルさんは
にんまりしながら氷を指で回していた。
ぼくはマイク越しに言った。
「おい、ハル! なんか歌え!」
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出演者情報:遠藤守哉(フリー)