この話は書いてしまうと色褪せてしまうような気がするのだが
それはたぶん私のせいだ。
血肉の部分を書くのが下手なのだろうと思う。
それでも書きたいような、書くのが惜しいような
曖昧な気持ちで書き始めている。
岩崎俊一さんと岩崎亜矢さんに原稿をお願いしたのは
師弟、家族、同僚などの縁ある組み合わせを試みてみたいと
余計なことを考えていたときだった。
父娘という関係で現役コピーライターといえば
私は岩崎俊一さんと亜矢さんしか存じ上げなかったので
さっそくにお話を持ちかけたところ、こころよく引き受けてくださった。
おふたりが家族であることを少し考えて
それらしいというか、ふさわしいテーマを決められる時期まで待って
満を持してお願いしたのだった。
そのテーマは「灯り」だった。今月分がそうだ。
おふたりの原稿を受け取ってびっくりした。
申し合わせたように主人公が同じ年頃の少年で
しかも家出がモチーフになっていた。
おふたりで相談なさったのかしら…
そのあたりのことは知ってしまうとつまらないような気がして
しばらくそっとしておいた。
やがて亜矢さんとキャスティングについてメールでやりとりするうちに
おふたりはまったく相談もしておらず
お互いに相手が何を書いたかまだ知らないということが判明した。
「灯り」という言葉に導かれるイメージを語ろうとするとき
おふたりとも「少年」が「家を出る」ストーリーになっていたのだ。
亜矢さんの少年は子供らしく外に向かおうとし
岩崎さんの少年は内に沈む。
亜矢さんのストーリーはすっきりと染め上げられた1枚の布で
岩崎さんのはさまざまな色の糸を使った織物だった。
岩崎さんの原稿を拝見したとき
子供のころに夕焼けの土手で鉄橋を渡る列車の音が聞こえたことや
世田谷の駅からあまりに遠い家に引っ越したとき
思いがけず始発電車の音が聞こえたこと、
列車のみならず本当にさまざまなことを思い出して
私も主人公の少年と一緒にしばらく沈んでしまった。
それと同時に….と書いて、いま気づいたのだが
この2本の原稿は今週末の2月11日と12日に連続でアップする予定なので
あまり書き募るといわゆるネタバレになってしまう。
ただ私は、岩崎俊一さんと亜矢さんが
灯りを描くために「少年」と「家出」のモチーフを選んだことに
血のつながりというよりは同じ家で長いこと一緒に暮らした重みを感じる。
仲の良い家族もいがみ合う家族も
餃子を食べるときに皿に醤油から入れるかお酢からかというような部分は
同じになのだろうと思うのだが
どんな家族にも同じものを食べ同じ夜を眠った蓄積があって
醤油かお酢かという些細な部分が実はとても重いのではないか、
腕に止まった蚊を追い払うのか叩くのか
人がわざわざ意識しない無邪気な行為が実はいちばん重いのではないかと
そんなことを考えながら
亜矢さんのことを少しうらやましがったりしている(なかやま)