永野弥生 2024年11月17日「時をかけるメモ」

「時をかけるメモ」 

    ストーリー 永野弥生
       出演 阿部祥子

祖母が残した本を読み終えても、
その謎は解けなかった。

本の間に栞のように挟んであったメモに書かれていた
「こいしぐれに」という平仮名の走り書き。

まずは本の内容に関するメモなのではないかと思い、
注意深く読んだが、それらしい記述はなかった。

最後の「に」を助詞と捉えると、
「恋時雨」という演歌のタイトルのような言葉が
浮き彫りになる。

名詞と捉えると、味を濃いめにつけた「しぐれ煮」、
つまり「濃いしぐれ煮」という意味にとれる。

だいたいなぜ漢字を使わなかったのだ。
祖母は、ふつう平仮名で書きそうな言葉でさえ
漢字で書く人だったではないか。
「お手紙ありがとう」の「ありがとう」がいつも漢字だった。
おばあちゃん子だった私は、何かにつけて
よく祖母に手紙を書いていた。
子どもの私相手に、容赦なく漢字を多用した手紙を送ってくる
おおらかさが、今思えば彼女らしい。
おかげで「ありがとう」の語源が「有り難し」だと知り、
後に私はクラスで一番国語が得意な子どもとなった。

今さら、漢字でないことを悔やんでも
始まらないので「恋時雨」に思いを馳せてみる。

ググってみると「恋時雨」という曲は
いくつもあった。演歌のイメージが強かったが、
私が知ってる人気グループの曲も2008年に出ていた。
ありえないとは思いつつ、まだ祖母が健在の頃の曲ではあるので、
その失恋ソングを口ずさむ祖母を想像してみた。
そういえば、一緒に温泉に行ったとき、
旅館のカラオケルームで、年齢に似合わない当時のアイドルの曲を歌って、
驚かされたのを思い出した。祖母は70歳までスナックをやっていたので、
そう不思議なことではないのかもしれない。

それにしても、最後の一文字の「に」は何なんだ。

客がリクエストした曲名をメモったのだろうか?
「ママ、次は恋時雨にしようかな」と言われ、
思わず「こいしぐれに」とメモる可能性はゼロではないかもしれない。
ただ、そのメモが本の間に挟まるまでのストーリーが見えてこない。

おしどり夫婦だったと聞く祖父のために
濃いめのしぐれ煮をつくろうと思い、
買い物メモ的に書いたものかもしれない。
そう言えば、息子である父が「高血圧は親父譲り」と言っていたから、
祖父は味の濃いものが好物だったのかもしれない。
祖父の健康を気遣いつつも、たまには好物を食べさせてあげたいと
台所に立つ祖母を想像してみた。

漁師だった祖父は暗いうちに起きる生活だったから、
祖母は、遅めに帰宅した夜、大好きな読書をしながら
祖父が起きるのを待ったかもしれない。
買い物メモを本の間に挟んだのも自然な流れに思えた。

ドラマでもなかなか描かれないような、
すれちがい生活を送っていたふたりが、
おしどり夫婦と呼ばれるまでの人生の道のりに思いを馳せた。

日の出を待たない朝食の時間が
ふたりにとって、何よりも幸福な時間だったのかもしれない。

なんとなく、たどり着きたい推論にたどり着いた気がして、
ふと窓の外をみると、さっきまで降ったり止んだりを繰り返していた
小雨が止んで空が明るくなっていた。



出演者情報:阿部祥子  連絡先ヘリンボーン https://www.herringbone.co.jp/

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佐藤充 2024年11月10日「雪虫」

雪虫

    ストーリー 佐藤充
       出演 大川泰樹

中学時代の家庭科の時間。
栄養バランスのいい献立を考えて、
それを調理実習の時間につくることになっていた。

多くの男子はバランスなど考えずに食べたいものを書いて、
野菜も入れなさいなどと先生に注意を受けていた。

それを聞いて僕はハンバーグや生姜焼きだったら、
ハンバーグには玉ねぎが、生姜焼きには生姜が入っている。
これはギリギリいけるのではと思っているときだった。

隣の女子が何を書いているのか覗いてみた。
見た瞬間にくらくらしたのを覚えている。
そこには『カロリーメイト』とだけ書いていた。

正しくて、面白くて、新しい。
調理実習であるという固定概念に
邪魔されていない自由な発想だった。

『カロリーメイト』はバランス栄養食だし、
部活をやっている僕はいつも食べていた。
こんな身近にあるのに気づくことができなかった。

どんな顔をしてこんなことを書いているのかと
見てみると凛と澄ました顔をしていた。

澄ましたまま席を立ち上がり、
『カロリーメイト』とだけ書いた献立表を先生に見せる。

先生は一瞬困惑した表情をして、
彼女に何かを言っている。

「今回は調理実習だから調理できるものじゃないとね」
的なことを言っているように見える。

彼女は表情を変えずに席に戻り、
僕の献立表を一瞥する。

ハンバーグには玉ねぎが、
生姜焼きには生姜が入っているから、
これで野菜も摂取できるとか
つまらないことを考えているんだね、
と言われているような気分だった。

敗北にも似た感情だった。

それがマスイだった。

マスイは変わっているやつだった。
別々の高校になったがよく遊んだ。

一緒にいるときによく言っていたのが、
「悲しいから遊びたくない」だった。

聞くと、
「今日が終わることを考えると悲しくなる」
と言う。

なんだ、それ。かっこいい。

喜怒哀楽のなかで1番かっこいい感情は悲しみだ。
北海道の田舎の高校生の僕にはそう思えた。

喜ぶのも怒るのも楽しいもすこしバカっぽい。
悲しむのはどこか哀愁をともなってかっこいい。

だから悲しいと言う理由で、いつも遊ぶのを断られた。

そのたびに僕は「また遊べばいいよ」と、
断られても毎日のようにマスイの家に遊びに行っていた。

10月。
北海道の高校では修学旅行の季節である。
マスイは修学旅行に行かなかった。
理由を聞くと家で猫といっしょにいる方が楽しいから、と。

くらくらした。
雪虫が飛んでいた。

雪虫とは白い綿毛のついた小さな虫である。
北海道では10月に雪虫が飛ぶ。
大量に発生する雪虫はすべてを白で覆い尽くす。

家を、学校を、帰り道によく行くセイコーマートを、
1時間に1本しか来ないバスを、軒下で干された大根を、
枯れた落ち葉を、電柱の錆びた歯医者の広告を、
身体を、頭を、ぜんぶ真っ白にする。

雪虫はやがて時雨に変わる。
そして時雨は雪に変わる。

こうして冬がやってくる。



出演者情報:
大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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小野田隆雄 2024年10月27日「昭和時代」

昭和時代

   ストーリー 小野田隆雄
      出演 久世星佳

鳥取県から岡山県まで、
中国山脈を越えて走るJRの列車がある。
岡本京子が、この列車に鳥取県の米子駅から乗ったのは
10月上旬、秋晴れの朝だった。
彼女は文化服装学院の三年生。
ファッションデザイナーにはなれなくても、
その方面で働きたいと思っていた。
この列車に乗りたかったのには、ささやかな理由がある。
高校時代に好きだった、井上靖の「高原」という詩の舞台が、
中国山脈がつくる高原地帯の村だったのである。
その高原を吹き過ぎる風の匂いに、京子は触れてみたかった。

列車は大山という名前の、姿の美しい山をめぐるように走り、
やがて峠を越え、岡山県に入っていく。
その列車を京子は、新見の駅で途中下車した。
車窓から見えた遠くの村が、彼女を誘っているように思えたので。

駅前の町並みを抜けると、遠くの村へ続く道は、
雑木林と草原のあいだを、曲がりくねって続いている。
雑木林にはシラカバも混じり、草原の主役はススキだった。

やがて道は広場のような場所に出る。
村の入り口だろうか。
そこから先は、道の両側に畑が続き、あちらこちらに農家も見える。
その道を、京子は歩き始める。
空は青く、風も吹かない。誰もいない。
静かだった。そろそろ正午になるだろうか。

そのとき京子は、一軒の農家の庭先が、あざやかに赤く、
太陽に反射しているように見えた。

京子は近づき、低い垣根の前に立ち、農家の広い庭を見た。
そこには三枚の「むしろ」が並んでいた。
「むしろ」は収穫が終わったあとの稲の葉や茎を編みあげてつくる、
古くからある敷物である。「たたみ」の原型かもしれない。
その三枚の「むしろ」の上に5センチほどの、あざやかに赤い草の果実が、
童話に出てくる小人たちの赤い帽子をそのまま細長くしたような形をして
びっしりと並んでいる。
赤い帽子たちが太陽の光を吸っている姿に京子は見とれていた。

そのときすこし風が吹いた。
すると小人たちはハミングするように、「むしろ」の上で、
カサコソカサコソゆれ始めた。

それは無意識の行動だった。
京子はスーツケースから、小型のラジオカセットを取り出すと、
スイッチを入れた。
ビートルズが低く聞こえてくる。
京子は気分が高まると、ジョン・レノンを聴きたくなる。
「イン・マイ・ライフ、僕も好きですよ」
突然、今日子の背後で男性の声がした。

「あれは?なんですか?」
思わず今日子は、その男性に尋ねた。
男性は二十代の後半だろうか。
古びたジージャンの肩にショルダーバッグ。
小さな旅の途中なのかもしれない。
彼が言った。
「あれは、とても辛いトウガラシ。
 あのように太陽で日干しにしたら市場に出します。
 ナナイロトウガラシの材料です。」
そのようにていねいに話すと、
彼は京子に軽く会釈をしてからその農家に入っていった。
「ただいまあ」と言いながら。

あれから一年後、
京子は大学を卒業して、青山のブティックに就職した。
先輩のアクセサリーデザイナーの資料捜しが、仕事の大半だった。
数年後、ブティックの経理を担当していた税理士の川上高志と結婚し、
長女が生まれたので退職した。

短い彼女のデザイナー時代に、ひとつだけ商品化された企画があった。
カジュアルなファッションを楽しむとき、
胸元を飾るアクセサリーとして、野菜の果実をデザインしたのである。
トウガラシ、トウモロコシ、キュウリ、ナス。
そのブローチが、彼女の退職したあとに、ちょっと評判になった。

あのデザインを考えるとき、京子は思い浮かべていた。
結婚を約束した高志が、ジージャンを着て、
その胸に小人の赤い帽子をつけているのを。

遠い村で、京子が出会った風景は
すべて記憶のなかに溶け込んでしまった。
幼稚園に長女を送っていくとき、
いつもジョン・レノンをハミングしている。
けれどそのことに、京子は気づいていない。



出演者情報:久世星佳 http://www.kuze-seika.com/

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佐藤充 2024年10月20日「唐辛子とホルモン」

唐辛子とホルモン

    ストーリー 佐藤充
       出演 地曳豪

東京に妹と甥っ子と母親が来たので、
焼肉をご馳走することにした。

最近どう?のノリで甥っ子が
「50メートル何秒?」と聞いてくる。
「今だったら10秒以上かな」と答えると、
「おそ。おれ7秒」と噛んでぐちゃぐちゃになった
ストローでリンゴジュースを飲みながら言う。

「でも昔は6秒台だった」と答えると、
「すげ」と甥っ子は尊敬の眼差しで見てくれる。

甥っ子は妹の子供で、
僕が高校生のときに生まれた。

人生ゲームだったら、
ぼくはルーレットを回しても1しか出ない。
牛歩のようなスピードで駒を進めている。
妹は常に10が出て人生を進めている。
バツ3で、また結婚しようとしている。

いつだったか電通に勤める知り合いから連絡がきた。

「いま、お前のお姉ちゃんと合コンしている」と。
「僕に姉なんていませんよ」と返信すると、
「ほんと?この人だよ」と1枚の写真が送られてくる。
そこに映るのは妹だった。

どうやら合コンで出身地の話題になり、
旭川だと自称姉の妹が答えると、
電通の人が「だったら佐藤のこと知ってる?」と言うと、
「それ弟です」と答えたらしい。

確かに人生という意味では妹は大先輩である。
思うと家族のなかでのヒエラルキーで僕は最下層に位置している。

もちろん理由もなくそのような扱いは受けない。

学生時代に留年したことを隠して、
就活には車の免許が必要だから
免許取得するためのお金を貸してくれと嘘をつき、
借りたお金で海外に2ヶ月くらい行き音信不通になり、
帰国する際に無一文になったのでまたお金を無心したりした。
親がダメだったら妹にもお金を貸してくれと連絡をした。

そのようなことすると妹も姉を名乗るようになる。
慕ってくれるのは甥っ子だけだった。

サッカーのリフティングができる。
そのままボールを公園の木より高く蹴り上げられる。
パソコンの文字を素早く打てる。
ゲームセンターのワニワニパニックでワニを逃さずにハンマーで叩ける。
飛行機にひとりで乗っていろんな海外に行ける。
地元の駅前から実家まで何も見ずに歩いて帰ってこられる。
割り箸を片手でパキッと折れる。
ロケット花火を手に持ってできる。
実家のテレビをNetflixが見られるようにしてくれる。
サウナと水風呂に長く入っていられる。

甥っ子はどれだけ僕がすごいのかを妹や親に語る。
すると決まって「わかってない」「人を見る目がない」
「騙されるんじゃないよ」などと甥っ子は責め立てられる。

甥っ子は悪くない。ぼくが悪い。

目の前にある七輪の上のホルモンがそろそろ食べごろになっている。

「この唐辛子あるでしょ」
「うん」
「これだけで食べると辛いけど、
ホルモンと一緒に食べたらぜんぜん辛くないからやってみな」
「ほんとだ、すげぇ」

甥っ子はまた妹や親から注意を受けている。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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名雪祐平 2024年10月13日「走れ唐辛子」

走れ唐辛子

ストーリー 名雪祐平
出演 阿部祥子

ここ、いいバーだねぇ。
ちょっと酔ったついでに、白状しようかな。
会ったばかりの男の人に、恥ずかしいけどさ。

わたし、刺青あるんだ。
ううん、小さいよ。燃えるような赤いやつ。
唐辛子の刺青なの。

綺麗でかわいいんだけど、
ファッションのタトゥーじゃないつもり。
わたしには、誇りだから。

ふふ、こんな話されても困る?
でも、わたしを知ってもらうには、
刺青の話がいちばんって思ったんだ。
からだのどこかは、まだ秘密。あとでね。

なんで唐辛子? って思うよね。

わたし、郵便配達員なんだ。
いま10人に1人くらいかな、女の配達員。

ホンダの赤いスーパーカブに乗ってて、
ある朝、局から5台一列で出発したのね。
その瞬間、感じたの。
アッ、似てるって。

ほら、見たことあるでしょ。
インドカレー屋さんのメニューに付いてる
唐辛子マーク。
激辛のカシミールカレーなら唐辛子5つとか、
甘口のバターチキンカレーなら唐辛子1つとか、
あのマーク。

その朝、赤いバイク5台が唐辛子5つだぁ、
って見えたの。激辛だぁ、って。
朝っぱらから楽しくなっちゃった。へん?

もう気づいたと思うけど、
わたし、郵便配達、大好きで。

お手紙届けたり、申請書類届けるのだって、
誰かの人生に関係してるんじゃないかな。
そのラストワンマイルを走るアンカーが
わたしなんだって責任もってる。

そういう郵便配達の誇りって、
目に見えないでしょ。
刺青なら、しるしとして見えるし、
だったら、毎日配達する相棒のバイク、
唐辛子しかないって思ったの。

でも、ただ刺青するんじゃおもしろくないでしょ。
条件を考えたんだ。

一生懸命配達してると、
ありがとうって声をかけてくれたり、
飲み物やお菓子をくれたりする人がいて、
ささやなことが、すっごくうれしいの。

そうはいっても二言三言のやりとりだから、
下の名前で呼んでもらうほど近づけるって、
あまりなくて。

あ、わたしの名前、ナオなんだけど、
配達先で、もしナオって呼ばれたら
唐辛子1つ、刺青してオッケー。
そういうルールにしたわけ。

がんばったなぁ、がんばった。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬって、わたしだもん。

配達担当エリアに、
チバさんという若いご夫婦の家があってね。
共働きだったんじゃないかな。いつも留守で。
赤ちゃんができてからは、ママが抱っこして
ときどき受けとってくれるようになったの。

わたしも赤ちゃん見てニヤニヤしちゃうから、
自然に話しかけてもらう仲になったんだ。

チバさんに配達するたびに、わたしも、
たわいもない話したり、冗談ぽくグチったり、
赤ちゃんにおどけてみたりして。

でもベタベタするのも仕事上よくないし、
1分もいないから、
ナオって名前まで呼ばれることは……なかった。

しばらくたって、赤ちゃんが1歳になるころにね、
チバさんが初めてこう言ってくれたの。

「ナオさん、わたし仕事に復帰するね。
子育てつらかった時もあったけど、
ナオさんが来てくれると、いつのまにか笑ってた。
ほんとうにありがとね。
あまり会えなくなるけど、
お仕事がんばってね。からだに気をつけてね」

わたし、肩が震えてたと思う。
うれしくて、かなしくて、うれしくて。

つぎの休みに、唐辛子の刺青を彫ったんだ。
いまもまだ、その唐辛子1つしかないの。
まだまだ甘口なわたし。バターチキンなわたしです。

赤い赤い唐辛子。傷口みたいに美しいんだよ。
からだのどこかは、口では教えない。
探してみる?



出演者情報:阿部祥子  連絡先ヘリンボーン https://www.herringbone.co.jp/

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山中貴裕 2024年10月6日「指の系譜」

指の系譜

ストーリー 山中貴裕
出演 大川泰樹

青い唐辛子のようなちいさな指で
一生懸命に鼻くそをほじっている少年の私を見ながら祖父は、
「ほじってもええけど、それ食べたらしょっぱいでえ」と
ニヤリと笑った。
家族の誰ともほとんど話をしない祖父だったが、
孫である私には、時折そんなふうに
こっそりコミュニケーションをとってきた。
祖父から漂ってくる煙草の匂いは、
間違いなく、私にとって大人の匂いだった。

6人兄弟の5番目として生まれた祖父は、
家が貧しかったため、小学校を卒業するとすぐ
「口減らし」のために親戚の家に養子に出されたが、
無口で愛想が悪い子どもだったため、
養父や養母に可愛がってもらえなかった。
祖父がたまたま学校を早退して早く家に帰ると、
養父と養母が内緒ですき焼きを食べている場面に出くわしたことも
あったという。
肉が貴重な戦時中、きっと育ちざかりの祖父も
喉から手が出るほど食べたかっただろうに。

そんな切ない暮らしに耐えかねたのか、
自暴自棄になったのか、それとも本気でそう思ったのか、
「戦死した兄貴たちの敵討ちに行く」と言って
祖父は、赤紙もきていないのにみずから望んで戦争に行った。
16歳の志願兵。
今なら高校一年生の男の子である。
飛行機乗りになりたかったが足の裏が偏平足だったのが原因で不合格となり、
九州の飛行場で整備兵として働いた祖父はそこで終戦を迎えた。
ふるさとへ帰る兵士で満員の貨物列車が広島駅で停車したとき、
焼けただれてすべてが破壊された街のむこうに
青い海が輝いていたという。

「もしも飛行機乗りになれてたら神風特攻隊に選ばれて死ねたかもしれんなあ」
という言葉を、一度だけ祖父から聞いた日があった。
「じいちゃんが死んでたら僕は生まれてないね」と私が返すと、
祖父はニンマリとほほ笑んで「お前は賢いなあ」と頭をなでた。
私が広告屋になったとき誰よりも喜んでくれた、祖父。
じつは絵を描いたり文章を書いたりするのが好きだった、祖父。

戦争中のケガが原因で、祖父の右手の人差し指は、半分欠けていた。



出演者情報:
大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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