小野田隆雄 2010年6月13日



ケシの花

ストーリー 小野田隆雄
出演  坂東工    

一年で、いちばん昼間(ひるま)の長い日を、
夏至(げし)と言う。その日は、毎年(まいとし)、
六月下旬に訪れる。そしてまた、
六月の下旬になると、ケシの花が散り、
そのあとに青い実が出来る。
この青い実から、麻薬のアヘンは作られる。
ケシの花は美しい。けれど、
花を見るためであっても、栽培することは
法律で禁じられている。
ただし、自由に栽培できた時代もあって、
その名残(なごり)で、いまも、古い村や町で、
ひっそりと咲いていることがある。
赤や白やむらさきや、
その花は、ヒナゲシよりも、大人びている。
四枚の花びらは、朝に咲き、夕べには散ってしまう。

ところで私は、その花を写真で見る以外、
長い間、見る機会にめぐまれなかった。
「菜の花畑に入日(いりひ)薄(うす)れ、
見わたす山の端(は)、霞(かすみ)深し」
この二行で始まる、
文部省唱歌(しょうか)「朧月夜(おぼろづきよ)」の詞(し)を作ったのは、
高野辰之(たかのたつゆき)である。
彼は、明治九年に、
長野県下水内郡(しもみのちぐん)永田村(ながたむら)に誕生した。
その地には、いま、彼の記念館が建っている。
私は、自分の生れ育った北関東の風景が
この歌に登場する風景に、
どこか似ていると、いつも、思っていた。
彼の、この歌が好きだった。
その高野辰之の、晩年に住んでいた家(いえ)が、
野沢温泉村(のざわおんせんむら)に、残っていると知ったのは、
二十年ほど前の六月下旬だった。
たまたま、その日、長野市で、
広告関係の小さな集まりがあり、
その席で、教えてもらったのである。
その家を訪れるために
長野電鉄の野沢温泉駅で、
下車したのだと思う。
けれど、もしかすると、JR飯山線の
戸狩野沢(とがりのざわ)温泉駅であったかもしれない。
ともかく、梅雨(つゆ)の合(あ)い間(ま)の午後の、
日射しのまぶしい日だった。

私は刈り取られた麦畑のあいだに
曲がりくねって続く道を、
はるか丘の上にあると教(おそ)わった
彼の家をめざして、
歩いたことを、記憶している。
ようやく、たどりついた家は、
つつましい瓦屋根(かわらやね)の平屋(ひらや)建(だ)てだった。
低い生垣(いけがき)をめぐらした小さな門(もん)に、
「高野辰之(たかのたつゆき) 晩年(ばんねん)の家(いえ)」と墨筆(ぼくひつ)で書かれた
めだたない看板がついているだけで、
見学はお断り、のようだった。
庭に面した部屋の、
雪見(ゆきみ)障子(しょうじ)のガラス窓から、
ほのかに室内が望まれた。
畳(たたみ)の上に置かれた白いベッドに
おじいさんが寝ている。
病(やまい)にふせっているらしく
酸素吸入器を使用して、眠っていた。
高野家にゆかりある人なのだろう。
のぞき見したことに、私はなんとなく、
ごめんなさいと思った。そして、
帰ろうとして、視線を動かした時、
庭の片隅に、赤い花が咲いているのを見た。
私は生垣に沿って、その花に近づいた。
その花は、初めて見るケシの花だった。
思いがけない女性に、出会ったようなときめき。
静かに、ケシの花は笑っているようだった。

帰り道、ゆっくりと丘の道をくだりながら、
南から西に、一面に広がる
刈り取られた麦畑の風景は
もしもいま、春の夕暮れで、
菜の花がどこまでも咲いていたら、
そのまま、「朧月夜」の風景になると思った。
そして、故郷(ふるさと)を離れて、東京に行った、
高野辰之の、はるか遠い時代の青春を想像した。
赤い花のような恋も、あったのだろうか。
いつか、そのことを調べてみよう。
太陽が少しずつ、西に傾き始めていた。
メモしておいた、長野行きの
列車の時刻を見るために、
私は、手帳を取り出した。
そして、その六月下旬の日付の横に
青いインキで小さく、夏至(げし)と、
印刷されているのに気づいた。

出演者情報:坂東工 http://blog.livedoor.jp/bandomusha/

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一倉宏 2010年6月6日

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みなさまの夏

ストーリー 一倉宏
出演 松澤一之

夏がくる
お嬢様の夏がくる
白いレースのパラソルをくるくるまわして
お嬢様の夏は お嬢サマー

王様の夏がくる
大きな銀の器に山盛りのかき氷 シロップは7色の全部かけ
王様の夏は 王サマー

お母様の夏がくる
たらいの井戸水で冷やしたスイカをさっくり割った
お母様を思い出す お母サマー

たなばた様の夏がくる
仙台にも阿佐ヶ谷にも福生にも 夏休み前の幼稚園にも
色とりどりの願いが揺れる たなばたサマー

雷様の夏がくる
どんな夏フェスの どんなバンドの爆裂ロックもかなわない
雷様の夏は 泣く子も黙る 雷サマー

上様の夏がくる
暑気払いのビヤガーデン きょうの日付で 宛名は
上様で きょうは社長に ごちそうサマー

おつかれさまの夏がくる
休日の 海へと続く道は 行きも帰りも大渋滞
やれやれ おたがいさまの夏 おつかれサマー

おてんとさまの夏がくる
だけどやっぱり夏はうれしい お出かけせずにいられない
おてんとさまの夏 おてんとサマー

お客様の夏がくる
そりゃもう書き入れ時だよ 海の家も 山の売店も
ラーメンも アイスキャンデーも とうもろこしも
お客様の押し寄せる夏は 様 サマーだね

おかげさまの夏がくる
ありがたい こうしてして無事に夏を迎えられるのも
おかげさまの夏 おかげサマー

おばあさまの夏がくる
おばあさまは100歳 はじめての夏は大正元年
今年は100回めの夏 お元気で おばあサマー

けれど どなた様かが亡くなった夏もくる 
お気の毒サマー ご愁傷サマー

そして お星様の夏がくる
ペルセウス座流星群 それはちょうどお盆の頃
0時を過ぎる頃 流れ星降る お星サマー

どこにいるのか 私の星の王子様
またどこかの星で やさしいわがままを言って 
道草してるのね 私の星の王子サマー

夏がくる 
もうすぐくる 
すぐサマー

みなさまの夏がくる

おまちどおさまの夏 
おまちどおサマー 

出演者情報 松澤一之 5423-5904 シスカンパニー

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動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


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中山佐知子 2010年5月30日



地平線はいつも砂の彼方に

ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

地平線はいつも砂の彼方にあった。
東の地平線に押し出されるようにして太陽が姿を見せると
砂の温度はじりじりと上がり
しまいには駱駝さえ歩みを止める熱さになる。
だからこの季節にシルクロードを行く旅人は
真昼の太陽が西の地平線に傾くまでテントで暑さを避け
夕陽を背負って旅をつづけるのだった。

砂漠を縁取って点在するオアシスとオアシスの長い距離には
運のいい旅人と駱駝がかろうじて死なない間隔で
泉が見つかった。
モホライの泉、塩味。
ポプラの泉、ちょろちょろと滴るだけの水。
駱駝の泉、塩味。
僕は案内人が教えてくれる泉の名前と水の味を
日記に書きとめるようになった。

天山(てんざん)山脈の雪解け水を腹いっぱい吸い込んだタクラマカンが
ほんの少しだけ旅人に分け与える水は
たいがい塩分を含み、濁ってもいた。
砂漠は人を嫌っているのだろうか。
この塩辛い水は砂漠へ足を踏み入れた人間への警告なのだろうか。
それでも何日も水を与えられずに歩かされていた駱駝は
大喜びで集まってきたし、
人もその水を飲むしかなかった。

砂漠は天気や太陽の角度によってその色を変える。
明けがた灰色だった砂の山は
日が登るにつれて霞のような青みがかった色になり、
オリーブ油のような黄色、駱駝の毛の色、オレンジの皮の色にも変化した。
ときには煤を溶かしたようにどんよりするときもあった。
夕暮れはいつも金色に染まり
その黄金の海を漕ぎ渡る船のように駱駝の隊列が進んでいった。

桜蘭を出て20日ほど過ぎた夕暮れ、
僕たちは三日月の形をした大きな砂の山脈と
その谷間にかくまわれる三日月の湖を見た。
山は金色に輝き,湖は青く澄みわたっていた。
鳴砂の山と三日月の湖だ、と案内人が言った。

大河さえ砂に追われて100キロ先へ逃げていく砂漠において
この小さな湖はひとつの場所で悠久のときを踏みとどまっていた。
岸辺の柳は葉を揺らし、七つの星と呼ばれる草が生え
ナツメの花の香りもあたりに満ちていた。
三千年の間、砂は湖を埋めることがなく
湖は水を枯らすことはなかった。
また溢れて砂を押し流すこともなかった。

僕は山の名前と湖の名前を日記に書きとめたけれど
そのあとにつづく言葉がなかった。
相容れないはずの水と砂が
お互いを尊重しあってたたずむ奇跡のような姿を
言いあらわす言葉が僕にはなかった。

ただ僕は、砂の地平線を眺めつづけた旅を思った。
砂漠は僕を殺さなかった。
砂漠は塩気を含んだ水の試練を与えるが
その試練こそ人が生残る手段であり
乾いた砂と人が共存するバランスそのものだったのだ。

西の水平線に夕陽が沈むと東の空に月が浮かんだ。
僕は砂漠の色と砂漠の意思を書きとめるために日記を取り出し
ページの間にはさまっていた砂を払い落とした。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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山本高史 2010年5月23日



地平線。

ストーリー 山本高史
出演 毬谷友子

つまらないわね、地平線。
いいよ、広大だよ、感動するよ、って聞いてたのよ。
だから、地平線という「ブツ」があると思ってたの。
その「ブツ」が私に何か素晴らしい体験をさせてくれる。
「ブツ」じゃないのね、線なのね、まあ、線ってついてるけど、
まさか線だけとはね。

でね、私これ、線ですらないと思うの。
空があって地面があって、それでその継ぎ目が結果的に線になってるだけでしょ?
神様は積極的にそこに線を引こうと思ったんじゃないと思うの。
神様は空と地面をつくってそこで気が済んでどこか次の場所に行っちゃって、
それを見た人間が、お、空だ、お、地面だ、おいおいあそこに線だべ、
フムフムなるほど線に見えるだべ、っていきさつだったと思うの。
地球黎明期のこぼれ話。

ま、成り立ちはどうであれ、とりあえずコヤツは線である、としましょ。
でね、線、おもしろい?線に感動する?
感動するって言ってたお友達、もともとセンスのない人だなと思ってたんだけど、
パープルにブルー合わせたりね、あの人の感覚こそ感動ね。
「街で暮らしてたら一生出逢えないから!」って涙目で言ってたけど、
出逢えるわよ、って言うか、描けるわよ、私。線だもん。
ちょっと気がついたことがあるので逆に教えてあげたいんだけど、
地平線がある=(イコール)何もない、ということなのね。
シャネルも、ヴィトンもないし、ディーン&デルーカもマクドナルドもない。
あらま、後ろ側も地平線。
シャネルも、ヴィトンもないし、ディーン&デルーカもマクドナルドもない。
あの人、こんなことも言ってたわ。
「地平線を眺めながら、その向こうに何があるか思いを馳せるんだ」
それを聞いたときの私の想像力によると、
まず地平線という恐ろしく感動的な「ブツ」があり、
地平線の手前からはその先は見えないが、
そこについてるドアを開けて向こうに行くと、
あらまこんなところに「ほにゃらら」が!ってことだったのよ。
あの人には何が見えたか聞かなかったけど、
今の私にはコーラの自動販売機くらいしか思い浮かばないわ。

ケータイ、圏外じゃない。i-phoneだから?
タクシー呼べないじゃない。さっき返さなきゃよかった。
この際だからバスでもいいわよ。バス停はどこ?バス停「地平線前」。

出演者情報:毬谷友子 J.CLIP http://www.j-clip.co.jp/

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動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


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小山佳奈 2010年5月16日



「地平線の向こう側、あるいは、そのこちら側」

ストーリー 小山佳奈
出演 三坂知絵子

私は
あんたたちより顔もいいし 
あんたたちより頭もいいし
あんたたちよりスタイルもいいし

だからあんたたちがたかだか教科書見せてくれないくらいで
私はあんたたちを恨んだりもしないし泣いたりもしない

私の教科書は「ニューホライズン」
あんたたちの教科書は「サンシャイン」

だから何?

窓の外にはバカみたく葉を生い茂らせる木々と
バカみたくはしゃいでる校庭の男子たちと
そんな男子を見てもっとバカみたくはしゃいでる女子たち

それを見てる私もバカみたい
今日も英語の授業はたんたんと進んでいく
何ページなのかもとうにわからないけど

隣の女の子は妹に似ている
いつも周りに取り入ってへらへら生きてる妹
私はこんどの学校でもうまくやってる妹が
正直にくくてたまらない

音読する順番がまわってくる
でも私には教科書がないから読めない

せっかく「わたなべ」って名字に変わったのに
わ行マジックもこれで終わり
たしかに新学期になって1カ月もたてば
名簿だって一巡する

ほんの少し離れたところからやってきただけなのに
ほんの少し「ありがと」のイントネーションが違うだけなのに

あぁあゲームセットノーサイド
こんなことならサボればよかった
この街に来なきゃよかった
お父さんについていけばよかった

「私はいじめられています」

立ち上がろうとしたその瞬間
すっと隣から差し出されたのは
いっぱい線が引いてある
27ページ目のサンシャインだった

「3行目」

隣の子はまっすぐ前を向いてそう言ったきり
こちらを見向きもしない

私は言われるがまま必死で読んだ
ケンだかマイクだかが今度の週末のパーティーに女の子を誘おうとしてるみたいな
そんなどうでもいい英文を必死で読んだ

気づいたら授業は何事もなかったように進んでいた
あぶら汗でにじんだ手のひらには
自分で立てた爪のあとがくっきり残る
窓の外には青葉が太陽に遊ばれて影を揺らしている

“ニューホライズン”から“サンシャイン”
新しい地平線からやっと日が出ました

って アハハ 私 サムい

そして私は無性に言いたくなった

「ありがと」

隣の子は見向きもせず言った

「へんなイントネーション」

出演者情報:三坂知絵子 http://www.studio-2-neo.com/

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


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小野田隆雄 2010年5月9日

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ホライズン

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

地平線のことを英語ではホライズンと言う。

水平線のこともホライズンと言う。
「ですから、ザ・サン・ライジズ・

アバブ・ザ・ホライズン。

という文章は、この一行だけでは、

太陽が地平線に昇ってくるのか、

水平線に昇ってくるのか、

ほんとうはわかりません。」

五月の中旬、よく晴れた風のある日。

月曜日の午後の、英語の授業。

いつも黒いスーツを着て

ちょっと謎めいて美しい人、

英語の松島めぐみ先生が、

よくとおる声で話している。

「でも、ここに書いてあるのは、

スコットランドの草原のお話ですから、

このホライズンは、地平線ですね」

そして、この声を聞きながら、宮下順子は

いつのまにか、眠ってしまった。

太平洋に向かって砂浜が続く、

茨城県の大洗(おおあらい)海岸にほど近い、小さな町で、
順子は、この春、中学二年生になった。

その日、学校が終って、その帰り道、

順子は、ひとり歩いている。
町の北側を、海に向かって流れる川の

土手の上にまっすぐ続く、

ソメイヨシノの桜並木の道である。

桜並木は、すっかり葉桜になって

その葉陰から、風が吹くたび、

パラパラ、パラパラ、

ちいさなソメイヨシノのサクランボが

落ちてくる。でも、このサクランボを

たわむれに口に含んだりすると、

びっくりするほど苦い。

そのことに彼女が気づいたのは、

小学二年生の頃だった。
桜並木を歩きながら、順子は思った。

「水平線と地平線が同じ言葉だなんて

なぜなんだろう。

小さな島に生まれ、一生そこに住む人は、

水平線しか知らないのかな。

大きな大陸の真(ま)ん中(なか)に生まれ、

ずーっと、そこに生きる人は、

地平線しか知らないのかな。

この町では、いつも太陽は、
水平線に昇り、地平線に沈むのに。」

そんなことを、順子は思った。

はるか遠い草原(そうげん)の地平線から

恋する男が裸(はだか)馬(うま)に乗って、走ってくる。

草原のこちら側から、恋する若い女が

やはり裸馬に乗って、

若い男に向かって走っていく。

そして、誰もいない草原で

ふたりは馬の上で抱き合い、

そのまま、抱き合ったまま、草原に落ちる。

そうやって、チンギスハーンの国では、

愛を誓いあったそうだ。

そういう話を、

東京で大学の先生をしている

母の弟にあたるおじさんが、

今年のお正月にお酒に酔って、

大きな声で話してくれた。

「まあ、子供のまえで」、と

母に言われながら。


真紅(まっか)な太陽が地平線に沈む。

その光の中で、抱き合っているふたり。
桜並木が終り、海に近づくあたり、
川には長い橋がかかっている。

橋の向こうに広がる海の色は、

そろそろ深い色に沈み始めて、

カモメが白く飛んでいる。

その橋の上に、海に向かって立っている、

ひとりの女性の姿があった。

黒いスーツの、その後姿に、

もしかしたら、松島先生かなと思った。

海をみつめているのだろうか。それとも、

誰かを待っているのだろうか。

そのとき、順子は、

そこに太陽が沈むはずはないのに、

水平線の空のあたりが、

真紅(まっか)に染まっていくのを見た。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


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