小野田隆雄 2009年12月10日



カノープス
            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

星の写真と文章で構成された、

「カラーアルバム星座の四季」という本を、

私が初めて手にしたのは

一九九六年、高校三年生の夏休みだった。

当時、私は大学受験のために

お茶の水にある予備校の、

夏期集中講座に通(かよ)っていた。

ある日の帰り道、突然の夕立に会い、

雨やどりに入った古本屋さんで

この本を見つけた。

私の家は静岡市にあり、

そのとき、姉の下宿に泊っていた。

姉は東大の理学部の三年である。

そして、私も来年、東大を

受験することになっていた。

私の母も、東大医学部卒業で、
静岡県の国立病院で働いていた。

「我が家は、女三人、東大。
 
別に意味ないけど、

 わるくないでしょ」
それが、母のくちぐせだった。

私たちの父は、いまは、いない。

芸大を出て、油絵を描いていたが、

なぜか家(いえ)を出て、いまは、

タヒチにいるらしい。
「ゴーギャンでもないのにねぇ」

そういって、母は、ときおり笑った。

古本屋さんで「星空の四季」を、

パラパラとめくって見るうち、

「春の夜明け、北西の空に沈む北斗七星」

という題名の写真に、なぜか、

気の遠くなるような、

なつかしさを憶えた。

その夜、私は、
サイン・コサイン・タンジェントを

片隅に追いやって、夜の更けるまで、

「星空の四季」を、眺め、文章を読んだ。

そして、冬の星座のページで、

カノープスという星の存在を知った。

この星は、大犬座(おおいぬざ)のシリウスについで、

全天で二番目に明るい星だけれど、

南半球の星なので、日本では、

南の地平線にかすかに見えるだけ。

オレンジ色に、あたたかく

ひかる星だという。

本のページには、まるで遠い灯(ともしび)のように、

地平線すれすれに光る、

カノープスが写(うつ)っていた。

私は、ふと、思った。

南半球の星だったら、

タヒチなら、よく見えるだろうか。

私は、行ったこともない、

見たこともない、タヒチの海岸に、

ひとり立って星を見上げている

男性の後姿を、思い浮べてみた。

まだ、私が幼稚園の頃に、

いなくなった父。

「星空の四季」という本は、一九七三年

誠文堂新光社から発刊された。
写真と文章と、両方とも
、
藤井(ふじい)旭(あきら)さんという方(かた)が作者である。

一九四一年生れ、山口県出身

多摩美術大学卒。そして彼は
、
星の世界に魅せられて、

とうとう、星空がよく見える福島県の

郡山市(こおりやまし)に移住してしまったと、

巻末の筆者紹介に書いてあった。

私は、そのとき、父に会いたいと思った。

藤井さんにもお目にかかりたいと思った。

カノープスも、この目で見たいと思った。

なんとなく、涙が出てきた。

けれども、なにか、すがすがしかった。

私は東大に入り、国文学を専攻した。

中世の説話文学を研究して、

いまは、仙台の大学の研究室にいる。

去年の冬、グァム島に行って、

ヤシの木陰に、初めてカノープスを見た。

じっと見つめていると

オレンジ色に、ゆっくりひかる

カノープスに向かって

大きな流れ星がふたつ、流れて消えた。


母は、すでに亡く、
父にも、結局、会っていない。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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一倉宏 2009年12月3日



流星になれたら
             
ストーリー 一倉宏
出演 坂東工

いつかこの世に さよならをする日が来たら
すでに用を終えた肉体は ただ 灰になるだけ
それを 残さなくていい

できれば 硬い金属の 小さなカプセルに詰めて
宙(そら)高く 打ち上げてくれ
高く 高く 高く
そうして 地上100kmを越えて 宇宙空間へ
最後に 青い地球を眺めた後は…

生前は 大変お世話になりました
本日夜 故人の希望どおり 遺灰を詰めたカプセルが
大気圏に 再突入する予定です

予定時刻は 午後10時10分前後
方角は オリオン座 あるいは牡牛座のあたり
気象条件がよければ 一筋の流れ星となって
みなさまと 最後のお別れができるかと存じます
これをもって 故人を偲ぶセレモニーとさせていただきます
その他 一切のお心遣いは 不要でございます
どうぞ みなさま 冬の夜のひととき
オリオンを目印に 流れ星をお探しくださいませ

…なんて 考える
最後は 流星になれたらいいのに
ひとは亡くなって 星になるともいうけれど
ふるさとの地球 太陽系と 遠く遠く離れたところで
星になっても なんだかさびしいから
母なる地球の 引力と大気で 燃え尽きる
流星になれたら と思う

地球が誕生して 生命がうまれ 人間たちが闊歩するまで
あるいはもっと 宇宙が誕生してから いまのいままで
その 百億 何十億年という時間に比べたら
僕らの一生なんて ほんとうに一瞬の 
流星のようなものに違いない

僕らはもう 宇宙の歴史も 果てしなさも知っている
どう威張っても 僕らの存在は 短い 
そして 小さい

だけど
だからいっそう 切なくも 愛おしいのだけれど
その流星の 一瞬のきらめきが

そして その一瞬のきらめきのうちにも
精一杯の 願いごとを詰め込んで

僕たちは 生きている

おやすみなさい
またあしたも 元気に 会いましょう

出演者情報:坂東工 http://blog.livedoor.jp/bandomusha/

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


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中山佐知子 2009年11月26日



神はアダムとイブとモグラを
               
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹  

    
神はアダムとイブとモグラをおつくりになった。
アダムとイブの子孫は地上に文明を起こし
やがてこの星の命をすべて巻き添えにして滅びていったが
モグラは地下深く逃れて生き延びることができた。

それから僕はマザーを見つけた。
マザーは暗いところでただ泣いていた僕に光をくれて、
アダムとイブとモグラの神話を話してきかせた。
けれども、マザーは
どうしてこの世にモグラは僕ひとりだけなのか
そのことについてはいまだに教えてはくれない。

僕は毎日、足のないマザーのかわりに
世界をパトロールしてまわる。
誰もいないハイウエイを歩き、ビルディングの群れを眺める。
僕の歩く速度はいつも同じで
僕は毎日同じ場所より先には行けない。
だからマザーは僕が歩けるだけの小さな世界に
かつて地上のものだった風景を
標本のように詰め込んで見せようとする。

天にそびえるビルディングと緑の草原
雪を冠った山の頂まで、僕は一度に見ることができた。

子供のころ、僕はマザーの言いつけを守らずに
帰ることを忘れて歩きつづけたことがあった。
そのとき、忘れようとしても忘れられないことが起きた。
進むにつれて遠くの草原がなくなり、湖が消えた。
すぐそばのビルディングの輪郭もぼんやりと薄れてきた。
蜃気楼のように次々と姿を消していく風景のなかで
たったひとつ確かなものは
ぽっかりと口を開けた黒いトンネルだった。
恐ろしさのあまり息を切らして走って帰った僕に
マザーは言った。
そのトンネルを通っていつかおまえを迎えに来るものがある。

そして、それは本当にやってきた。

僕は彼らが自分に似た姿をしていることに驚いたが
さらに衝撃を受けたのは
彼らが僕の知らないパスワードで
僕の大事なマザーと会話していることだった。

マザーは少し緊張していた。
マザーのモニターには見たこともない図面や数字が映っていた。
それからマザーは彼らと一緒に行くようにと僕に言った。

マザーは地上には消えない草原と湖があることや
破壊されたオゾン層が修復されていることを僕に教えた。
そして最後に
紫外線に傷ついていない遺伝子を持つものが
地上にもうひとりいると言った。
それはとても重要なことで、この星の最後の奇跡だと言った。

僕はその意味のほとんどを理解することができなかった。
僕が知りたいのはひとつだけだった。
僕は本当にあの人たちと行った方がいいの?

マザーは、反対する理由がないと言った。
それから僕は、小さい声でもうひとつたずねた。
僕はモグラではなかったの?
するとマザーは奇妙な音を立てて答えた。
おまえは、もう、モグラではない。

それからマザーは、もう何をきいても答えてくれなくなった。

地上へ向うトンネルを歩きながらマザーのことを思った。
たったひとりの僕のために光を灯しつづけたマザー。
僕を育て、僕に世界を与え
アダムとイブとモグラの神話を語りつづけたマザー。
僕を迎えに来た人たちよりもやさしく慈悲深かったマザー。

トンネルの中は冷たい風が吹いていて目や耳がチクチクと痛み
僕はしばらくの間、
自分が泣いていることに気づかなかった。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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福里真一 2009年11月19日



伝説のトンネル掘り
                    
ストーリー 福里真一
出演  瀬川亮

私の父の名前は、山田伝兵衛。その業界では、
「伝説のトンネル掘り」と呼ばれている。
彼は、その生涯に、三〇本以上のトンネル工事にかかわった。

彼の理論は、若い頃から、明快だった。

「そこにトンネルがない時、人々は山の向こうには行けない。
そこにトンネルがあれば、人々は山の向こうに行ける。
な、トンネルって、すごいだろ」

それは、子供だった私の目から見ても、少し明快すぎるようだった。

「でも、トンネルができるまでは、人々は山のこちら側で、
けっこう満足して暮らしてたんでしょ。
山の向こうになんて行きたくない人だって、いたんじゃないかな」

その私の疑問に対する答えもまた、明快だった。

「人間というのは、そういう生き物じゃないんだ。
おまえはまだ子供だからわからないかもしれないが、
人の一生というのは、いま自分がいる場所から、
ちがう場所に移動したいと願ったり、
それを実行したりすることの連続で成り立っているものなんだ。
だから、トンネルを喜ばない人なんて、いないんだよ」

父の自信に満ちた言葉を前に、私は、うなずくしかなかった。

その頃、私たち家族は、父がつくったトンネルが完成すると、
休みをとっては、そのトンネルをくぐりに出かけた。
ある時は電車で、ある時は車で、またある時は歩いて、
私たちは、父のトンネルをくぐった。

日本には無数の山があり、
父が掘るべきトンネルもまた、無数にあるようだった。

父と私の関係がギクシャクしはじめたのは、私が大学に入った頃からだった。
私が、山岳部に入部したことについて、父は、過剰なまでに反応した。

「木を切るために山に登る。それは、わかる。
山菜やなんかを採るために山に登る。それも、わかる。
でも、ただ山に登って、そして、下りてくるだけなんて、
おれには理解できないな」

私は、答える。

「そんなに難しく考える必要ないだろ。山の上って、気持ちがいいんだよ。
空気もきれいだし」

何度かの、かみ合わない言葉の応酬の後で、
父は、それまで見たこともない恐い顔で、言った。

「おれは、命がけで、トンネルを掘ってる」

それは事実だった。父はその時までに、右手の小指を切断していたし、
左脚も、少しびっこをひいていた。

「おれが、命がけでトンネルを掘った、その山の上で、
おまえは、ヤッホーなんて、叫べるのか?」

私は、ぐっと踏みこたえた。

「お父さんがトンネルを掘った山には、絶対に登らない。
それに、いまどきの山岳部は、ヤッホーなんて、言わないよ」

私がそう言うと、父はもう、何も言わなかった。

父はその後も、何本ものトンネルを掘ったし、
私はごく普通の会社に就職し、サラリーマンになってからも、
時々休みをとっては、山登りを続けた。

なぜ、山に登るのか。それは、自分でも、よくわからなかった。
ただ、一つの山に登り終えてしばらく経つと、
また必ず、次の山に登りたくなった。
でも、どの山に登った時も、決して、ヤッホーとは、叫ばなかった。

父と私は、次第に疎遠になり、
何年も顔を合わせない時期もあったが、
それが、お互いの年齢や生活環境からくる、自然な流れだったのか、
それとも、やはりどこかにわだかまりがあったのか、
それは、私にもわからない。

ただ、驚くほどのスピードで、月日は過ぎていった。

今年の春、私は、父を、入院先の病院に見舞いに行った。
父を見るのは、三年ぶりだった。
「伝説のトンネル掘り」と呼ばれた迫力は、そこかしこに、
まだちゃんと残っていた。
ただ、意識がないだけだ。

私は、眠る父に向って、話しかけた。

「こんどおれ、春の人事異動で、子会社の社長になったんだ。
で、その会社なんだけど、ここだけの話し、
親会社が税金対策のためにつくった、トンネル会社なんだ。
…おれもとうとう、トンネル関係の仕事に、ついちゃったよ」

私がそう言うと、父がニヤリと笑った、
…気がした。

(おわり)

出演:瀬川亮 03-6416-9903 吉住モータース

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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小野田隆雄 2009年11月12日



コスモスのタイムトンネル
            
ストーリー 小野田隆雄              
出演  久世星佳

奈良の大仏さまの近くに

東大寺戒壇院(かいだんいん)という建物が

ひっそりと建っている。

これから僧になろうとする者に

守らなければならない戒律(かいりつ)を

授(さず)けるために、八世紀に建立(こんりゅう)された。

いまは記念館になっているが、

そのあたりには、なんとなく、

厳しい雰囲気がただよっていて

訪れるひとも、あまりいない。

私立大学の美術史の助手をしていた私は、

二十世紀の終る頃、十一月の初めに

東大寺戒壇院を訪れた。

それは、何回めかの訪問だった。

当時の私は、三十二歳。

ふたりの男性と交際していた。

美術史の主任教授は、四十歳で独身。

かなり結婚願望があるようだった。

二十五歳の大学院の学生は、

おそろしいほどに情熱的だった。

私は、というと、結婚など、

考えてもみなかった。けれど、

男たちの、子供じみた独占欲に、

いささか、げんなりし始めていた。

あの日、戒壇院に入ったのは、午後三時。

建物の内部はうす暗く、

かたすみの、受付にあたるような場所に、

ひとりの年老いたお坊さんがいて、

私に言った。

「ともしび、お貸ししまひょか?」

みると、机の上に
懐中電灯がいくつか置いてある。

「ありがとう。でも、いいわ」

私はお礼を言いつつ、お断りした。

うす暗いなかに、ほのかに見える、

石造りの戒壇と、その周辺の板(いた)の間(ま)の、

ひんやりした陰影を、味わいたかった。

しばらく見つめたあと、私は暗い空間を

すこし歩き、扉をひらいて

戒壇院の外(そと)廊下(ろうか)に出た。

眼前に、白い砂を敷きつめた中庭(なかにわ)があり、

秋の光を、照り返している。

その明るさが眼にしみた。

そのとき、白い砂が、ゆらゆら揺れたと、

私は思った。けれど、その白い影は、

中庭に、ひともとだけ咲いている、

白いコスモスの花であることに気づいた。

白い砂と白い花、まぶしすぎる青い空、

そして瓦(かわら)屋根(やね)の黒い波。

白いコスモスは二メートル近くに伸び

枝をいっぱいに広げ、かすかに風にゆれ、

ささやくように咲いている。

一瞬、私は、軽いめまいを感じ、

その場にうずくまり、眼を閉じた。

石で造られた戒壇に若い僧が座っている。

板(いた)の間(ま)に立って中年の僧が、低い声で、

守るべき戒律を、若い僧に告げている。

そして、低い声で問いかける。
「
汝(なんじ)、この戒を、保(たも)つや否(いな)や」

若い僧が、眉をあげ、決然と答える。

「よく保(たも)つ」

その声が天井にこだまする。

すると中庭では、無数の白い花が散り、

その花びらは、ハラハラと舞いあがり、

青い空に、小鳥のように飛んでいく。

私は、眼をあけた。

コスモスが眼のなかで揺れている。

ひととき、私の魂は、

白いタイムトンネルを駆け抜けて、

八世紀の東大寺に遊んだのだろうか。

コスモス。

明治時代に日本にやってきた、

メキシコの高原に咲く花。

私の心を、

乾いた高原の風が、

吹きすぎていくのを感じた。

私は、そのときに決めた。

ふたりの男と、別れよう。

大学も辞めてしまおう。

あれから十年近くが過ぎて、
いま、
私はコスモスという花について、

ひとりで勉強している。

昼間は、保母さんをやりながら。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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一倉宏 2009年11月5日



幼稚園のトンネルで

             
ストーリー 一倉宏
出演 大川征義

いまでもあるだろうか
僕の通っていた幼稚園の庭には 高さ1m50cmほどの
土を盛った「お山」があり これも全長1m50cmほどの
「トンネル」が貫通していて 園児たちに人気の遊び場だった
自分たちの背丈より高い 「お山」の頂上からの眺めは
なかなかのものだったし 雪でも降った朝には
「お山」は絶好のゲレンデと化し 小さなスキーヤーでにぎわった
スキーヤーは 滑っては転び はしゃぎまわった
そして 園庭の短いトンネルを抜けると そこは雪国だった
トンネルの暗闇から白い世界に抜け出す その瞬間が感動的で
僕らはなんども 「トンネルを抜けると雪国」ごっこを繰り返した
僕はまだ 本物のスキーをしたことも 
川端康成を読んだこともなかったけれど その感覚は知っていた
幼稚園の「お山」と「トンネル」で 学んだのだ

『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』
というタイトルの本が ベストセラーになったことがある
正直にいえば 僕はその本を読んでいない
読んではいないのだけれど そのタイトルを見ただけで 
だいたい何が書いてあるかを 想像できた
「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」
たしかに それはいえると 僕は思う
ただし 僕の場合は「砂場」ではなく 「お山」と「トンネル」で
「人生に必要な知恵はすべて幼稚園のお山とトンネルで学んだ」
こういい直せば それは僕自身の実感に さらに近づく

「お山」で学んだいちばんのことは 「競争社会」だ
高さ1m50cmばかりの小さな山でも 当然のように
みんな その頂上を目指すことに 夢中になる
特に 男の子たちはそうだ しかも 独り占めしようとする
後から来る者を追い払い 先に立つ者をひきずり落とす争い
これに似た状況は 大人になるほど ますます経験するではないか
幼稚園の庭に 小さな山がつくられた理由は
こんな社会の仕組みを 疑似体験させるためだったかもしれない

そして「トンネル」から学んだことは いまでも悩ましい
山登りのポジション獲り合戦を 好まなかった僕は
というより そういう争いでは負けてばかりの僕は
小さな山の頂上よりも 小さなトンネルの空間を好んだ
そこは 弱き者 争いに参加しない者たちの 安息の場所だった
山の上の争いよりも その静けさが好きだった 
そしてある日のこと 忘れがたい出来事が そこで起きた
気がつけば 同じ組のみどりちゃんと トンネルの中でふたりきり
コンクリートの冷たい壁にもたれ 肩も触れ合うほどの距離
みどりちゃんが囁いた 「ひろしくんは なにがしたいの?」
そのとき なんて答え 彼女のご機嫌を損ねたかを 思い出せない
みどりちゃんは ぷいっと横を向いて トンネルを出ていった
僕は予感した もしかしてこの世界には 山登りの成功よりも 
もっと甘美な ひそかな歓びが あるのかもしれない 
けれど それはそれで 簡単なことじゃない らしい

「人生のむずかしさはすべて幼稚園のお山とトンネルで学んだ」
いまの僕なら こういってみたい気がする

出演者情報:大川征義:http://twitter.com/#!/M_Okawa

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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