古田彰一 2008年5月16日



緑色の恋

                  
ストーリー 古田彰一
出演 坂東工

「緑色の恋をしようよ」
いつものように、唐突に彼女が言った。
ふたりに運ばれてきた熱々のカレーうどんに、
ちょうど口を付けたときだった。

緑色の恋って、なんだろう。
情熱の赤い恋とか、未成熟な青い恋とかならわかるけど。
僕が話を拾えずに戸惑っていると、
彼女はお構いなく話題を前に進めた。

「キミ、共感覚って、知ってる?」
まただ。B型の彼女はいつも話題がとっ散らかる。
共感覚? 緑色の恋の話はどこへ行った?
「音を聞くと色が見える人や、
何かに触ると匂いを感じる人が、世の中にはいるの。
視覚とか、嗅覚とか、そういった五感が脳の中で交じり合うのね。
そういうのを共感覚って言うんだけど、素敵な体験よね。」

素敵な体験? 大変な体験の間違いだろうと僕は思った。
共感覚についてはテレビで見て知っている。
アルファベットの「A」がいつもオレンジ色に見えるとか、
木琴の「ラ」の音を聞くとハンバーグの匂いがするとか。
それって、案外うんざりするまいにちじゃなかろうか。

「じつは私にも共感覚があるんだ。どんなのか、知りたい?」
なるほど。きっとここで緑色の恋の話につながるのだろう。
どう返事をしようか戸惑っていると、彼女は意表を突く展開に出た。

「キスして」
え、いや、だってここうどん屋だし、という間もなく、
彼女はテーブル越しに乗り出してきて、いきなり唇を重ねた。
やわらかな感触と、カレーの香り。

とつぜん、まわりの世界が緑色に包まれた。
うどん屋の壁は鮮やかな若葉色に染まり、すすけた天井が新緑に彩られる。
店内の喧噪は木々のざわめきに変わり、カレーの匂いすら
草原の風となってふたりをやわらかく包みこんだ。

それは、以前付き合った女の子と、いつも訪れた風景に似ていた。
あったかくて、おだやかで、すべてが癒される、僕が大好きだった場所。
あの子はいま、どうしているんだろう…。

「わたし、唇に触れられると、緑色が見えるの。
キスをすると、緑色の世界に飛ぶの。」
その言葉で、僕は我に返った。たしかに緑色の恋の意味はわかった。
けど、どうして彼女が見ている世界が僕にも見えたのか。
しかも、どうしてそれが昔好きだった子との思い出の風景なのか。

彼女は何事もなかったようにうどんを食べている。
僕は気を落ち着かせるためにコップの水を飲み干すと、
ゆっくりとカレーうどんの残りをすすった。
そのタイミングで、彼女は席を立った。

店の奥に消えたきり、彼女は戻ってこなかった。
僕はすべてを悟ると、ひとり分の支払いを済ませて店を出た。

10万人にひとりの割合で、不思議な共感覚体験を持つ人がいる。
僕は、カレーの味覚で、いつも同じ女の子を感じる。
幻想でも、思い出でもなく、彼女は確かに僕の前に現れる。
そして、僕はいつも緑色の恋におちる。

出演者情報 坂東工

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

一倉宏 2008年5月9日



ハローとグッバイのあいだに
                 
              
ストーリー 一倉宏
出演  片岡孝太郎

あなたと僕がはじめて出会ったのは 僕の誕生日でしたね

ほんとうのことをいえば 僕は よく憶えていないのだけれど
あなたは くりかえし 話してくれた
その朝の 空の青さ 風の匂い 緑の眩しさまで

その日から 僕には なにもかもはじめてのことばかり

あなたとの出会いは 人生でいちばん大きな 運命だと思う
ほかの誰でもありえなかった この世界でただひとり
絶対の運命 といえる女性は ほかにいない

あなたが僕を見つめるたびに 僕はしあわせを憶えた

あのころの僕は わがままなほど あなたを独占しましたね
それを許して 厭いもせず いつも笑顔で
あなたを なにかに喩えるなら 太陽というほかにない

あなたが僕にくれたのは 生きるよろこび そのもの

僕はいつも 叫びたいほどの気持ちだった
目覚めればそこに あなたがいるしあわせ
いない夜のかなしみ そして その肌のぬくもりも

あなたなしでは生きてゆけない 僕だったから

それはなんの大袈裟でもなく あなたについて思ったこと
いつか 壊れるほどに泣いた日を 憶えています
その胸に委ねた この僕の小ささ 悲しそうなあなたの顔

あなたの教えてくれたこと 僕はいつまでも忘れない
美しい歌 心をこめたことば この世界の歩き方
ごはんのおいしさも 読書のたのしさも
そして 誰かを傷つけること 自分の弱さと過ちについて 
  
あなたに会えてよかった あなたがいてよかった

あなたとの出会いは 人生でいちばん大きな 運命に違いない
ほかの誰でもありえなかった この世界でただひとり
あなたがいなければ この僕はいなかった

おかあさん

あなたとの別れのときが とうとう来てしまいました
怖くて想像できなかった別れが ついに
想像しても 覚悟をしても 実感できない別れが

あなたとのさよならは 凍るような夜の果て

ながらく むずかしい病と闘っていたあなたは
突然のように力尽き 戻れない橋を渡っていった
搬送する救急隊の 後を追って走るあいだに
あなたの帰りたかった故郷の街が 天の川のように見えました

さようなら おかあさん 

あなたと僕がはじめて出会ったのは 僕の誕生日でしたね

ほんとうのことをいえば 僕は よく憶えていないのだけれど
あなたは くりかえし 話してくれた
その朝の 空の青さ 風の匂い 緑の眩しさ
その愛の はじまりを

 
出演者情報:片岡孝太郎 5423-5904 シスカンパニー

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

小野田隆雄 2008年5月2日



ヒレアザミの告白

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳        

五月半ばを過ぎると
草も木も、緑の色が深くなります。
そのかわり、雨の日も多くなり、
やがて梅の実が大きくなり、
日本列島は梅雨に入ります。
その頃から、
紫と赤の絵具で描いたような
アザミの花が咲き始めます。

アザミは、ちょっと
かわいい花です。
けれど、この花に
なにげなく手をのばすと、
花についている鋭いトゲに
チクリと刺されます。
その痛さに、思わず指を引っ込め、
おどろいてしまうので、
アザミという名前に
なったそうです。
古い日本語に
「あざむ」という動詞があって、
びっくりする、驚きあきれる、
という意味があります。

私は、ヒレアザミです。
すこし、私のことを話します。
サクラという名前の木はなくて、
ヤマザクラとかソメイヨシノとか
固有名詞があるように、
ほんとうは、アザミという名前の
草はありません。
オニアザミとか、ノアザミという
名前を、それぞれ持っているのです。
理屈っぽく申し上げますと、
キク科アザミ属のナントカアザミ、
それが正しい自己紹介になります。
ところで私は、
ヒレアザミと名乗っていますが、
ほんとうはアザミ属ではないのです。
キク科ヒレアザミ属という、
ちょっと変わり者です。
そのかわり、トゲだけは、
葉にも茎にもいっぱいあります。
ヒレと名づけられたのは、
ちょうど、魚のヒレのように、
トゲがついているからです。
なんだか、恐ろしげな感じが
しますか。すみませんねぇ。
でも、花の色は、
アザミ一族よりも、
きれいなのですよ。
かわいいねぇと、
ずいぶん、昔から
見つめられた。
見つめてくれても、誰も
手をのばしてくれなかった。

でもねぇ、トゲくらいあったって、
いいじゃないの。
なんて、ときどき思うのですよ。
スズランという花は、
ご存知ですね。
君影草、谷間の百合、小さな鐘、
妖精の杯。これはみんな、
スズランお嬢さまのニックネーム。
うらやましいったら、ありゃしない。
そしてさらに、
清純な香りまであるのだから、
愛されるのは、あたりまえ、
なのかも知れません。
だけど、私は知っています。
スズランには毒がある。
だから、北海道の牧場で、
馬たちは、決して、この花を
食べないのです。

五月になりました。
そろそろ、私も
咲き始めようかな
と、思っています。
そして、ほんとうに
心のやさしいひとが、
私のトゲを、
無くしてくれるのを
待っています。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2008年4月25日



「あいうえお」の「あ」と「い」の間に
                    
                                          ストーリー 中山佐知子
   出演 大川泰樹

あいうえおの「あ」と「い」の間はからっぽだ、と
あなたは言う。
ピアノの鍵盤のドとレの間に隙間があるように。

だから僕たちがどんなにロケットを飛ばしても
水星の「す」から金星の「き」までたどり着く前に
光も音もないからぽの宇宙に落込んでしまうのだと
あなたは思っている。

それで、あなたは
あいうえおの「あ」と「い」を僕が語ろうとしても
決して聞こうとはしない。

でも、あなたは知らないだけなんだ。

この宇宙がはじまった最初の光が歌になって
宇宙の隅々まで広がっていることを。
その歌はマイクロウエーブとして観察されているし
絶対零度から3度もあたたかい。

すべての星は
宇宙の歌のなかに浮かんでいる。
水星の「す」と金星の「き」の隙間だって
あたたかい歌で満たされている。
そして、星は星でまた自分の歌を持っているんだ。

多分あなたは知らないだけなんだ。
すべての温度は歌になり
すべての振動は歌になることを。
マイナス130度の木星は木星の歌をうたい
土星の輪っかもひとつの楽譜として
宇宙のメロディの一端を担っていることを。

マイナス210度で凍った窒素も
揺らぐ原子のひと粒も
みんな自分の歌をもっている。

すべての温度は歌になり
すべての振動は歌になる。
あいうえおの「あ」と「い」は
人の体温と鼓動から生まれている。

明日、太陽から風が吹いて
地球の磁気圏をかき鳴らしたら
僕はそのメロディにのせて
「あ」と「い」の歌をうたってあげるよ。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

小野田隆雄 2008年4月18日



深い山で歌を歌った男の話

            
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳        

相撲という格闘技は、
神にささげる儀式として誕生しました。
平安時代、現代の暦で言えば八月の終りに、
帝の御前で、力士が東西に分かれて
相撲をとり、「今年は東の国と西の国と
どちらが豊作になるか」、それをうらなう
大切なまつりごとがあったのです。
ところで、その当時、
まだ、専門の力士はいませんでした。
そのために、四月の下旬になると、
宮廷から全国に使者が派遣され、
力自慢を捜し出し、京に連れてきて
力士にしたのでした。

ある年の四月の終り、
たちばなのよしとみという男が
使者をおおせつかり、
はるか東国にまで、出かけていきました。
彼は陸奥国、現代の福島県で、
力自慢を捜しましたが見つからず、
南隣(みなみどなり)の常陸国、
いまの茨城県に,
いってみようと思いました。

陸奥国から常陸国へと抜ける道に
焼山という名前の
山深い峠がありました。
よしとみは馬に乗り、
四人の部下は歩きながら、
峠道を進みました。
その道はしたたるように
若葉がおおいかぶさり、
はるか見あげると
雲ひとつない青空です。
ときおり、カモシカが
姿をみせるほか、何も動くものはありません。
風もまったく吹きません。
静かです。さびしいほどの静けさに、
よしとみは、歌をうたいたくなりました。
彼は京では評判の、のど自慢だったのです。
常陸歌という、この国の神々を
ことほぐ歌を、彼はうたいました。
筑波嶺の このもかのもに
陰はあれど 君がみかげに
ますかげはなし
筑波山のあちらこちらに、ここちよい
木陰はあるけれど、あなたの尊い御影に
よりそっているのが、最高でございます……
よしとみの声は、透きとおるように
高くひびき、青空に消えてゆきます。
すっかりよい気分になって、
彼は、くり返し くり返し歌いました。
そのときです。
「あな、おもしろ」
明るい大きな声が、山にこだまし、
谷底に、ころげ落ちるように、消えました。
そして、ポーンと手を打つ音。
よしとみは馬をとめ、
部下をふりかえり、尋ねました。
「誰そ?」
けれど、部下たちには、その声そのものが
聞えなかったのです。
よしとみは、急に髪の毛一本一本が太くなる
ような感じがしました。
冷たさが全身を走りました。
彼は、馬をいそがせ、いちもくさんに
峠をくだりました。

ようやくたどりついたその夜の宿で、
たちばなのよしとみは、
ふるえが止まらぬまま眠りましたが、
そのまま目覚めることなく、
死んでしまいました。

されば、と、古い物語の言葉は
続きます。
そのようなひとざと離れた
深い山で、
むやみに美しく歌うものではない。
山の神が、その声をめでて、
自分の世界へ、招きよせてしまうのだと。
はてさて、まことやら、いつわりやら、
今は昔の、遠いおはなしでございます。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

江口順也 2008年4月11日



黒髪の記憶

                      
ストーリー 江口順也
出演  片岡サチ

あなたと、ゆうべ、あんなことになって。

私にしては珍しく、こうして遅くまで朝寝しているのは、
まだ全身が重く、けだるいから。

夢だったり、しないよね?

暗がりのなかで過ごした夜がどこか信じられなくて、
からだのあちこちに尋ねてみる。

両房の胸も、乾いた唇も、あなたと絡めたはずの指からも、返事はない。

まるで一夜の出来事を隠し立てするかのように、
冷たく押し黙っている。

ひとりで考えなさい。何だか、そう突き放されたようだった。

そんなことを思いながら鏡を見ると、
乱れた髪の自分が映る。

あ。

朝の日を受けて、だらしなく光る黒髪だけが、
かけがえのない一晩を記憶していた。

よかった・・・ あなたは確かに、ここにいたんだ。

愛を重ね終え、うち伏せた私の頭を、そっと撫で付けてくれた指使い。
髪が、覚えている。

次はいつ、あんな風に激しく、私の髪をかきやってくれるだろう。

恥ずかしい、私、もう次を期待しているなんて。

あなたの服に焚き染められた香りが、
この部屋に、まだこんなに残っているのに。

乱れているのは、髪よりも、心の方。

めんどくさいですか。こんなふうに待たれるのは。

ほんとはメールしちゃいたい。
ケータイを鳴らして、留守電でもいい。声が聞きたい。

でも今は、平安時代。

女は、待つことしかできないから。
恋しさも、恥ずかしさも、ただ歌にのせて。

黒髪のみだれも知らずうちふせば
まづかきやりし人ぞこひしき

私の名前は、和泉式部。

一千年前の、この国で。

恋をわずらう、ふつうの女。

出演者情報:片岡サチ 03-5423-5904 シスカンパニー

Photo by (c)Tomo.Yun http://www.yunphoto.net

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ