一倉宏 2006年11月10日



1時を過ぎてもう1軒      

                  
ストーリー 一倉宏
出演 マギー

「女は、別れた男の数だけ腕時計を持っている」
 そういう説がある。
 この卓抜な警句をつくったのは、ぼくのともだちだ。

「女はね、別れた男の数だけ腕時計を持ってる」
あの夜、失恋したともだちが繰り返し言うので、
そのたびに納得してやった。

もうそうとう酔ってるな。
傷が深いのは、わかるけど。

「ある日突然、見たことない時計をしてきた彼女に、
 切り出されたわけですよ。
 突然よ! それでさ、わかる? 
 その時計をちらちらっとさ、気にしながら
 じゃ、私行くから、ごめんね。
 だって。つくしょーっ。

 おれがプレゼントした時計がいちばんのお気に入りって。
 いつもいつもその時計をしていたのにねーっ。
 みごとだよ。おみごとっ。」

こういう夜だから。
女性全般をワルモノと言うのもしかたない。
「そうだそうだ、女はそうよ」と相槌を打ちながら、
テーブルの下の携帯で、
「かなり荒れてます。遅くなります」
のメールも打ったりしてた。

ともだちが失恋して、なぐさめるなら、
その夜は、腕時計を見るべきではない。
僕もまた、もう何杯目かのウイスキーを飲みながら、
「だからさ。いい女はいっぱいいるよ。
見返してやれ。おいっ」と言った。

僕も彼女に時計を贈ったことはある。
そんなに高いのじゃないけど。
僕が彼女に時計を贈られたことはない。
なぜなら、
つまり僕は時計が好きで、
欲しかったのはもちろん機械式で、
かなり値の張るものだから。

「いいんだよ。
僕の時計は自分で買うから、お金貯めて」と言ってた。
去年のクリスマスの、数日前のことだった。
売り場で見て来たらしくて
「ほんとに高いんだね」と、泣きだしそうな顔で言った。

うん。
その泣きべそだけで、
僕はもう、おなかいっぱいに、じゅうぶんだから。

*出演者情報 マギー  03-5423-5904 シスカンパニー所属

音楽:ツネオムービープロジェクトhttp://tsuneo.cart.fc2.com/

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山本高史 2006年10月27日



コーヒーのような別れかた
                     

ストーリー 山本高史
出演 ぼくもとさきこ

「コーヒーのような別れかた」という言葉が英語にある。
米語ではない、英語のほうに、だ。
意味は、それまでのどちらかというと楽しかった出来事も
なかったことにしてしまうような別れかた、転じて、台なしにする、
さらには日本語でいう、後ろ足で砂をかけるのニュアンスすらあるらしい。
文字どうり後味の悪いコーヒーへの中傷である。
もちろんそれは前提として、
英国がコーヒーに非常にネガティブな社会だからなのだが、
たとえばこんな小話がある。

「フランス人っていうやつはほんとうにバカだね。
美食だ大胆だ繊細だと口角泡をとばすくせに、
そのおしまいにあんな苦いものを口に入れたら、
ハト食ったのかネズミ食ったのか忘れちまうだろうに」
そして、その点我が聡明な国民は紅茶を飲む、と続けるところが英国人らしい。
もっともこれを引用してフランス人が
「ならばオマエたちこそコーヒーを飲むべきじゃないのかね」
つまりあんなまずいものを忘れるためにと切り返すくだりがあるのだが、
コーヒーの弁護にはなっていない。

このやりとりが「コーヒーのような別れかた」を如実に表すものならば、
なるほどヤツは一杯のニヒリズムかも知れぬ。
事実、英国人には珍しいコーヒー愛好家のミック・ジャガーは
このニヒリズムをむしろ好意的に認識していたらしく、
メロディーメイカー誌のインタヴューにおいて、
政治腐敗のテーマでこの語句を用いている。
彼が,Paint it Brack を書き上げたのはちょうどその頃だ。
だとさ。

中学生の私にそんな作り話を真顔でする叔父は、
その3日後放浪先のタイで食あたりで亡くなった。
近親者は私への最後の話を知りたがったが、教えなかった。
ただ、コーヒーでも飲めばよかったのにと、死者に意地悪なことを考えた。
But,coffee didn’t Paint it Brack.

*出演者情報  ぼくもとさきこ

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児島令子 2006年10月20日



『彼女の出張』
                      

ストーリー 児島令子
出演    大川泰樹

もしもあなたが、
大阪から東京に向かう新幹線の中で、
ペンとノートを手に、
考え事をしている女性を見かけたら、それは彼女かもしれない。

彼女の職業は、女芸人。
最近急にブレイクし、大阪から東京に呼ばれることが多い。
彼女は、それを「出張」と呼ぶ。

彼女は、東京23区内でギャラを稼ぎ、
大阪西税務署で納税している。
東京都知事よりは、大阪府知事に愛されそうな生き方。

彼女は、東京までの2時間半、
出張先で披露するネタを考える。
「こんな感じでいいんじゃないの」
ってやつなら、もうできている。
「これでなくちゃいけないの」
ってやつが、まだでていない。。。。

彼女はまったく、天才なんかじゃない。
だから、考える。

もしもあなたが新幹線の中、
名古屋を過ぎたあたりで、
座席でメイクを直している女性を見かけたら、彼女かもしれない。

電車の中でメイクをするのは、ルール違反。
でも、新幹線の中は例外。隣が空席の場合はもっと例外。
それが、彼女のルールブック。
自分を自分なりにきれいにしておくことと、
いいネタを持参することは、
居心地のいい出張のための条件。

それに、もはや、おかしな顔で面白いより、
美しくて面白い方が、面白い時代なのですよと。

メイクをチェックして、ふたたび、仕事に集中。

もしもあなたが、東京駅に着くまぎわに、
コーヒータイムしている女性を見かけたら、彼女かもしれない。

「お熱くなってますのでお気をつけください」
差し出された車内販売のコーヒーを、彼女は味わう。
いま、ノートに書き込んだばかりの新ネタを見つめながら。

新幹線は必ず行き先に着く。だから彼女は救われる。
東京駅という締め切りに向かって2時間半、
彼女のネタ作りの旅は、コーヒーで締めくくられる。

ダークブラウンの液体とともに彼女が飲み込むのは、
あるときは、小さな達成感。「やったね、これだ」
あるときは、少しの敗北感。「こんなもんかな」

だけど、いずれにせよ、締め切りがあってよかったのだ。

人生は、
さまざまな時間のユニットでできていて、
それぞれに終わりがあるから、
ささやかな何かを成し遂げることができる。

コーヒーを飲み干したとき、
彼女の手からノートが通路にすべりおちた。開いたままの状態で。
見開きいっぱいに、へんなコトバや文章が並んでいる。

まわりの乗客の視線を感じたとき、
彼女はもうひとつ、ネタを思いついた。

「今日、新幹線でネタ考えてたら、コピーライターとまちがわれたんですよ~」

彼女は東京23区内へ消えていった。

*出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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小野田隆雄 2006年10月13日



コーヒー色の思い出

         
ストーリー 小野田隆雄
出演 坂本美雨

まだ風は冷たいけれど、木に咲く花は、少し
ほころび始めていました。
今日、小さな結婚式が小さな街でありました。
昨日までの雨があがって、二階建ての市民会
館は、なんとなくオランダふうに見えるので
した。彼と彼女が、いま、笑いにつつまれて
結婚式場から出てきました。
「しあわせになれよ」
「ケンカしちゃだめよ」
友だちの声に、花嫁は顔をあからめ、花むこ
は元気に手を振り、ふたりは黒ぬりのハイヤ
ーに乗り込みました。これから駅へ、駅から
港へ、港から船に乗って南のしまへ。
眼を閉じて車にゆられながら、花嫁の心に幼
い日の思い出が、浮かんできました。

あの日も雨があがったあとの、花冷えのする
日でした。
「桜が散っているわ」
ちょうど両親が家を留守にして、彼女がひと
り病気の姉の枕元に座っているとき、姉がぽ
つりとそう言いました。
「でも、家には桜の木なんてないわ」
「なくても散っているの、見えるの」
天井を見つめながら、姉が言いました。
新しく張り替えられたばかりの、真白な障子
は閉めきられていました。障子戸の外は廊下、
廊下のガラス戸に春の風が当たって、誰かが
ノックするような音をたてていました。正午
に近い時刻でした。
「コーヒーを飲みたいな、もういちど。あの
ひとと」
姉はそう言うと眼を閉じました。涙がひとす
じ白い頬を伝わって、形の良い唇の所で止ま
りました。
「姉さん」
彼女は姉をのぞき込むようにして、呼んでみ
ました。返事はありませんでした。

花嫁が瞳をあけると、車は海沿いの道を走っ
ていました。海も青く、空も青く澄んでいま
した。
「姉さん、わたし幸福になるからね」
花嫁は、そっとつぶやいてみました。花むこ
は、彼は、花嫁の手を握ったまま、くったく
なく眠っていました。

出演者情報:坂本美雨http://www.miuskmt.com/

 *出演者の所属事務所の許諾が得られないために
  動画をお目にかけることができません。

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一倉宏 2006年10月6日



万葉の孤悲 

                     
ストーリー 一倉宏
出演 一倉宏

いまは もう
オープンカフェで待ち合わせするには
肌寒い季節だろう。

あなたと僕が待ち合わせをしたのは
5年前のちょうどいまごろ。 
神宮前のあの店で。

はじめてだから わかりやすいように
外側のなるべく奥のテーブルと約束して。

だから 20分も遅刻してしまった僕も
すぐにあなたを見つけることができたのだけれど。

いまでも憶えている。
そのとき カーディガンを肩にかけ
本を読んでいた あなたの横顔を。

こんな場面で
若い女性が開いている本は 先入観でいうなら
村上春樹やニューヨーカー短編集などがふさわしい。

けれど あなたがしおりを挿んだその本は
夏目漱石の『草枕』だった。

さらに 僕を驚かせたのは
遅れた失礼をわびると 
さらりと微笑んで あなたが こう答えたこと。

「いいんです。
 私、こういう時間が好きだから。」

男は誰だって 自惚れで肥大して 幻想を甘やかす。
だから あなたは無防備すぎたと いうつもりはない。
あなたが 好きだといったのは
相手が誰であれ 待ち時間に本を読むこと。
その ひとりの時間。

いまでも 青山通りから新宿方面に抜けるとき
あの店の前を通る。

あなたの名誉のためにいえば 
漢字の多い やや昔の小説を読むこと以外は
あなたは若い女性として 特に変わってはいなかった。

ふたりになれば
コーヒーにケーキをつけておかわりし
そして よく笑った。

なにが幻想で なにが幻想ではなかったのか 
ほんとうは いまでもよくわからない。

元気でやっていますか。
僕らは 僕らのあいだにあったなにかを
なかなか飛び越えられなかったね。

このあいだ 昔の日本語について調べていたら
万葉集では 「恋」を 「孤悲(こひ)」
孤独の「孤」に 悲しむの「悲」で 「孤悲(こひ)」
と書いていたことを はじめて知った。
ひとり 悲しむ の「孤悲」か。
恋とは結局 ひとりの時間のことなのか。

いまも カップを片手に ひとり静かに悲しんでいる。
それが 「孤悲」の時間なら 僕もまた 
この時間が どうしようもなく 好きかもしれない。

*出演者情報:一倉宏 http://www.1-kura.com/

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