安藤隆 2020年9月6日「月とコロナ」

月のコロナ

   ストーリー 安藤隆
     出演 大川泰樹

 新型コロナでまっすぐ帰る口実ができてよ
かった。太る男は会社帰り、そう思った。電
車は混んでいた。みんなまっすぐ帰れてうれ
しいんだとなんとなく感じる。
 地元駅の改札を出る。商店街もない線路沿
いにコンビニがある。弁当を買おうと向かっ
たら隣の食堂の立て看板が目についた。こと
しの年明けにいっぺん入ったことがある店だ。
うすら寒くだだっ広かった。事務所みたいだ
った。その店に寄る気になったのは、そのと
きのがら空きの印象が強かったせいだ。コロ
ナの心配がなさそうだった。
 名前はパナマ食堂。そうだった。パナマ料
理? と思ったら焼き魚とかカキフライの店
だった。聞いてみると四十代くらいの店主が
ブラジルへ行ったことがあると言った。パナ
マの答えになってないと思ったけどべつによ
い。料理はどちらかといえばうまくなかった。
それも入る気になった理由だ。太る男は清潔
で料理がふつうの店を信用する。
 扉をあけると思いがけずうるさい笑い声。
左隅の四人席からだった。コロナ対策のカー
テンの衝立がしてあった。家族らしい。この
ままきびすを返すべきと思ったが太る男は入
った。二人席には中年と不美人な女のアベッ
クがいてこちらもすこぶる笑ったりしている。
家族に対抗しているのだろうか。太る男は調
理場前のちいさいカウンターへ向かった。主
人のほかに女店員がきょうはいてカウンター
へ座らせたい気配をみせたから。三つの真ん
なかの椅子にバッテンを書いた紙が置いてあ
る。奥の椅子で日本酒を飲んでいた男が嫌な
目つきをした。座って後ろを見たら、もうひ
とつあるついたての陰の四人席が空いていた。
そっちへ移ろうと思ったが太る男は動かなか
った。四人席にズルして移るなよと目つきの
嫌な男が監視している気がした。
 太る男は鯖の味噌煮定食を注文した。飲む
気はなかったが、お飲み物はと店の女に言わ
れてビールを頼んだ。カウンターに座るなら
酒飲めよと目つきの嫌な男が観察している気
がした。
「このオヤジさあ、ま〜だ飲む気だよ」「お
い、ケーキはごはん食べてからだろ」おばさ
んの声が傍若無人におおきい。太る男は一度
外したマスクをした。四人席に四人以上いる
のはまちがいない。目つきの嫌な男が「マス
クはむだだよ」と主人に喋っていた。「ほん
とは何十万人いるかわかんねえよ」「そうな
んですかね」と主人が答えていた。「だった
ら外しちゃお」太る男が唐突に会話に入った。
目つきの嫌な男はちょっとびっくりしたよう
だった。
 そこへ料理がきた。ここは鯖の味噌煮がい
ちばんうめえ、と目つきの嫌な男がぼそっと
言っていた。ビールどうします? 店の女に
きかれてビールはいいやと太る男は妙に明る
く答えた。日本酒にするかな。
「おんなじ医者が毎日おんなじこと言いに出
てきやがって」「いいアルバイトですよね」
目つきの嫌な男は主人とコロナの話をしてい
た。太る男もときどきそこへ入った。「話し
てもうつらないけど、笑うとうつるっていう
ね」そう言うと目つきの嫌な男がはじめて太
る男を見た。二人ともあわてて目線をはずし
た。家族は変わらず大声で話している。おば
さんは二人いたんだ。「先生にもう一本、常
温で」と主人が言っていた。先生? と太る
男は思ったがべつによい。
 帰り、病院まで出るとあとは一本道。右手
は広い原っぱで向こうに国営公園の森が鬱蒼
とこもっている。大きな月が浮かんでいる。
八月の満月の月曜日。みていたら月の輪郭が
ふと揺れた。うつったんだと太る男はわかっ
た。原っぱの先のラブホテルの前をゆっくり
走る車がいる。入るのかなと見張っていたら
入った。

出演者情報:大川泰樹(フリー)

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川野康之 2020年8月30日「私の夏休み」

私の夏休み

    ストーリー 川野康之
       出演 大川泰樹

津軽鉄道のKという駅を降りると、
空気の中に木の切りくずの匂いがした。
ふり返ると津軽の山々がすぐそこに見えた。
この空気は山の中で作られたのだろうか。
どこかに製材所でもあるのだろうか。
駅前だというのに人の姿は少なかった。
まだ八月なのにもう秋の気配があった。
津軽三味線の音が聞こえてきた。
電信柱にスピーカーがくくりつけられていた。
あちこちで鳴っていた。
さびしい町である。ここに来たことを私は後悔し始めていた。
遅い夏休みが取れたので、
ふと思い立って東京から列車を乗り継いで来たのである。
この町はDという小説家が生まれた土地である。
生家が記念館となって残されている。
それを見たら帰ろうと思った。
駅からまっすぐに伸びた道を歩いてきて左に折れると、
津軽三味線の音は聞こえなくなった。
向こうに赤い屋根の大きな家が見えてきた。
それがDの家だろうとすぐにわかった。
Dの父はこのあたりの大地主だった。
長い煉瓦塀の先に玄関があった。
入ったところは広い土間である。
靴を脱いで板の間から上がった。
仏間があって、居間があって、座敷。階段を登ると、
いくつもの立派な部屋。
ここで多くの人が暮らしていたのだ。
今はもう誰もいない。
家に帰れなかった作家の気持ちを思った。

駅へもどる道の途中に一軒の喫茶店があった。
扉に手書きの軽食のメニューが貼ってあった。
中に入ってカウンターに座り食事を頼んだ。
夫婦二人だけでやっている店だった。
食べ終わると奥さんがコーヒーを出してくれた。
「斜陽館に行かれたんですか?」
私はうなずいた。
「うちもけっこう古いんですよ」
その店は家の一部を改築したものであった。
カウンターの奥から母屋に上がれるようになっていた。
奥さんは一部屋ずつ私に見せてくれた。
これが座敷、仏間、二階へ上がって、
これが客間、これが物置。古い屏風をわざわざ出して見せてくれた。
廊下の窓から津軽の山が見えた。奥さんも一緒に山を見ていた。
帰る時に、奥さんが言った。
「東京に私の弟がいるんですよ。あなたと同じぐらいの歳の。
もう何年も会ってないけど」
ご主人が黙って聞いていた。
「また来ます」
「なんか弟が来てくれたみたいで」
それは私に言ったのか、それとも自分の夫に言ったのか。
外に出ると午後の光がまぶしかった。
この町にもう寄るところはないと思った。
駅に向かって歩いた。
いつだったかこんな道を歩いたことがあるような気がした。
角を曲がると津軽三味線の音が聞こえてきた。
八月なのに空気はひんやりとしてもう秋の気配が漂っていた。
北国の夏は短い。
木の切りくずの匂いがした。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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いわたじゅんぺい 2020年8月23日「かんな 2020夏」

かんな2020夏

     ストーリー いわたじゅんぺい
       出演 齋藤陽介

かんなは5歳になった。
夏の生まれなので、
夏は好きなのだろう。
朝から機嫌よく
「どはどりんくのど〜」
と歌っている。

好きな食べ物は
桃のグミと鮭の皮。
特技は白目。
アイドルだったら
100点の答えである。

そんな娘に、この前、
「好きなものってなに?」
と聞いたら、

「ねこちゃんと
 わんちゃんと
 あと、」

と数秒考える間が空いて、

「がりがりくん」

と教えてくれた。
こういうのは心理テストだと
3つ目が本音と言うけど、
わかりやすくその通りだと思われる。
ガリガリ君さすがです。
ねこちゃんとわんちゃんは
かわいい私を演出する小道具でしかない。
すまんな、ねこちゃんとわんちゃん。

セルフプロデュースといえば、
この前の七夕のとき、
家の短冊には

かわいいきらきらのくつがほしい

とか

かわいいわんぴーすがほしい

とか

かわいいうさぎさんのぬいぐるみがほしい

などと物欲の権化のような願い事を
短冊がある限り量産していたのだが、
保育園の短冊には、

うさぎさんをやさしくよしよしできますように

と書いていた。

そんなスイートな願望、
家では聞いたことない。
セルフプロデュースがうまい。
というか、外面がいい。
女子とはおそろしい生き物である。

物欲もすごいが、
お金への執着もすごい。

正月にお年玉をあげたら、
次の日も朝から
「またおかねもらいたい」
と、もはやお年玉ではなくて、
ただ金が欲しいと言ってくる。
欲望がピュアすぎる。

最近では必要のない床掃除など、
押し売りのようなお手伝いをして
「おかねとかないの?」
とポケットに手を突っ込んでくる始末。
手口がタチの悪いヤクザ、
あるいは一人で完結する美人局である。

良く言えば純粋な、
普通に言えば
ドライな性格である。

この前
保育園に迎えに行った時も、
遠くから
「かんなちゃんばいばーい」
という声が聞こえたので
「お友達が手を振ってるよ。あれは誰?」
と聞くと
「あれはこうとくんのようだよ」
と冷めた感じで教えてくれた。
「〜のようだよ」なんて
大人びた言い方どこで覚えるのだろう。

そんなこまっしゃくれた娘だが、
学習に関しては
まったくもってやる気がない。

この前は看板を見ながら
「これは えいごだから よめないなあ」
と言っていたが、
平仮名も読めない。

とはいえ
読めないなりに
少しずつ覚えてはいて、

「『か』のつくものは何があるかな?」

と聞いたら、
一生懸命考えながら、
答えてくれたのだが、

「からす」
「かめ」
「か、か、か・・」

「からみ!」

と3つ目が「からみ」だった。
もうちょっとポピュラーな
「か」があるんじゃないだろうかと思ったが、
本人は満足そうだったので
ほめておいた。

買い物ごっこをした時は、
店員役の娘が

「おかいけいは れしーとでよろしいですか?」

と聞いてきた。
惜しい。
お会計はレシートではなく、カードだ。
でも惜しいので訂正はしない。

ちなみに買い物ごっこの時に娘が

「おみせのなまえは かいものまーけっとにしよう!」

と言っていた。
買い物マーケット。
なかなかセンスのいいネーミングだ。
父は感心した。
大人になるとなかなか思いつかない視点である。

ままごと的なことも好きな娘だが、
最近は工作がお気に入りだ。

保育園で
トイレットペーパーの芯を
タテに半分に切ってつなげて、
ボールを転がす装置をつくったのが
楽しかったらしく、
それの大きなものを
つくりたいと言い出した。
と言っても、
トイレットペーパーの芯のストックが
家にあるわけもない。

ないものはないと言っても
聞く耳を持たない娘は、
ひとしきりごねた挙句、
「ぱぱ といれで うんちしてきなさい!」
と言い出して
父をトイレに連れていき、
監禁した。

ドアの外で、
「たくさん といれっとぺーぱー つかってね!」
と言っていたが、
父が娘の期待に応えることはなかった。
こうやって父の信頼は失われていく。

その後
トイレットペーパーの芯は
集められ続け、
現在25本たまっているが、
もう当初のような熱はなく、
洗面所の片隅に放置されている。

一時は
折り紙の3つの角を1点で止めてつくる
サンダルづくりに夢中になっていた。

大きめの折り紙でつくれば
娘の足なら履けるので、
それを履いて見せにきた。

かんたんなのに、
なかなかよくできていて、
どこかの高級ブランドが
牛革でつくれば
それなりの値で売れそうである。

かわいいね、とほめたら
気を良くしたのか、
家にある折り紙を全部
サンダルにしていた。
娘はほめると図に乗る。

あと、これは
工作ではないのだが、
鼻水が出るからと
鼻に詰めていたティッシュを取り出したものを、
「たけのこのさとだよ」
と見せてくれた。

あとは
プリンセスが好きで、
絵を見せながら
解説してくれる。
僕は全く詳しくないので、
ほーほー、と
感心しながら聞いているのだが、
その中におやゆび姫がいて、
娘もおやゆび姫は
知らなかったらしく、

「おやゆびひめは
 おやゆびをたべるの?」

と聞かれた。
娘は気づいていないかもしれないが、
昔話の主人公が
食べるものでネーミングされる
システムはない。
白雪姫は白雪を食べないし、
人魚姫は人魚を食べないし、
オーロラ姫はオーロラを食べない。
どうしてそういう発想に至ったのか。
謎である。

外での遊びだと、
最近は自転車の練習をしているのだが、
スタートの時の掛け声が

「いくわよー
 うーばー
 いーつ!」

自転車といえばウーバーイーツ。
そんな時代を彼女は生きている。

家に帰れば手を洗う。
保育園で手を洗う時に歌う
手洗いの歌を習って来たのだが、
歌うことに一生懸命で、
手洗いがおろそかになっていた。
大抵のことは
大人の思惑通りに運ばない。
大人の想像力の限界である。

手洗いついでに
トイレの話もしておくと、
娘はうんちの時、
便座の上で
手も足も開いて
壁に突っ張る。

わかりやすく言うと、
武士の「士」の字の体勢である。

そうしていないと便座に落ちて
しまうからだと言う。
多分落ちることはないと思うが
おもしろいのでそのままにしている。

と、まあ、いろいろあるが、
娘はすくすくと成長している。

いままで
「たまげに」としか言えなかった
「たまねぎ」を
「たまねぎ」と言いなおすように
なるくらいに成長してしまった。

成長するというのは、
さびしいものである。
永遠なんてないことを
父は娘の成長で知る。

でもまだホッチキスは
「ぽちきす」
と言う。
紙芝居は
「かみしがい」
紫は英語で
「ぺいぽー」

ぽちきす。
かみしがい。
ぺいぽー。

それはもう
永遠に誰にも直されずに
そのまま
大人になってほしいなあと
父は願っている。



出演者情報:齋藤陽介 03-5456-3388 ヘリンボーン所属





かんな 2019冬:http://www.01-radio.com/tcs/archives/31528
かんな 2019夏:http://www.01-radio.com/tcs/archives/31025
かんな 2018秋 http://www.01-radio.com/tcs/archives/30559
かんな 2018春:http://www.01-radio.com/tcs/archives/30242
かんな 2017夏:http://www.01-radio.com/tcs/archives/29355
かんな:http://www.01-radio.com/tcs/archives/28077

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直川隆久 2020年8月16日「北村の流儀」

北村の流儀

        ストーリー 直川隆久        
           出演 大川泰樹

ドアが開き始めるそのときには、すでに片方の脚は踏み込んだ状態でいたい。
だから、相手が…まだ顔も見せないその相手が、ドアの裏側へ接近する気配を、
北村は全身を感覚器官にして待ち構える。
ドアノブに、見えない手がかかり、ひねられる。
扉が動く0.1秒前に、北村は右足を踏み出す。

右手の平の上には、小包が載っている。

ドアが20センチほど開く。
その隙間から、警戒心に満ちた相手の視線がこちらに射られる。
さっき北村がインタホン越しで名乗った所属組織ははたして真実なのか、
という疑念。
とがった視線は、突きささるべき場所を求めて、一瞬さまよう。

北村は「郵便局」と書かれた胸元の名札を視線の先端に触れさせる。
そしてその瞬間――荷物を持った右手はドアの前に残しつつ、
上体をするりと左側に回転させ、ドアと正対しないポジションに流す。
受け止め、同時に受け流す…ドアを開けた相手に安堵を与えながら、
その負のエネルギーをこちら側に撃ち込ませないために、
そして、次の動作へ最小の時間で移るために、北村が編み出した所作であった。

相手がサインをするためのペンを…
筆記具の共用を警戒して自前のボールペンを握りしめているのを…
北村は口惜しい思いで眺める。
「あ、サイン要りませんのでー」と改めて言葉を発しなければいけないからだ。
それだけ、対面状態で吐き出す空気が増える。
インタホン越しの時点で「郵便局です。ポストに入らないお荷物おもちしました。
サイン要りません、お渡しだけで」と最後まで言わせてくれればよいのだ。
なのに皆「ポストに入らないお荷物」まで聞いたところでインタホンを切り、
あたふたとペンを探しに行ってしまう。

受け渡しという、この不可避の接触に要する時間をどれだけ短く、
優雅にできるか。それが北村の関心事であった。
最初は、「感染回避」のためだった。
だが、何百回となく同じことを繰り返すうちに、
当初の実務的な目的は徐々に意味を失い、
いつしか様式美そのものの―労働の中における美学と洗練の―追求という
目的が純化されていった。

受取人の手が、荷物に触れるか触れないか、ぎりぎりのラインで、手を離す。
早すぎても、遅すぎてもいけない。
優雅に。
あくまで優雅に。
ソロを舞うダンサーが、たまさか舞台端(ぶたいばな)まで進み、
最前列の客席に、しなやかな肉体の躍動の残り香を、
ひとしずく置いて去るかのように――

小包がそのすべての重量を受取人の手の上に移動させたとき、
北村の体はすでに回転を終え、
自分が運転してきたトラックに向かって歩き出す態勢になっている。
荷札に視線を落とし、送り主の名と荷物の内容を確認した荷受人が
再び視線を上げるころには、
北村は「ありがとうございましたー」の「たー」を言い終えている。
最後の「たー」をひときわ大きく発声しながら。

北村には、厳に自らに戒めていることがある。
それは「荷受人からの、ねぎらいの言葉を期待してはならない」ということだ。
期待すれば、その期待が裏切られたとき、心は微細な傷を負う。
ひとつひとつは紙の縁で肌をなぜるような傷であっても、
幾度となく同じところを擦過(さっか)されるうち、
あるときぱっくりと口を開いて、血を噴き出すことがあるかもしれない。

だから、北村は荷受人に背を見せながら大きな声を出す。
大きな声を出せば、礼を言われたかどうかはそもそもわからない。

荷受人が「あ、マスクつけるの忘れてた。ま、いいか」などと独り言を漏らしているとき、
すでに北村はトラックの運転席に着き、エンジンを再点火している。
アクセルを踏み込む頃には、荷受人は再び家の中に戻り、
荷物を開封するハサミの在り処に意識は上書きされる。

北村に関する記憶は何も残らない。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

 

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中村直史 2020年8月9日「鼻ドア人」

「鼻ドア人」

   ストーリー 中村直史
      出演 遠藤守哉

アフリカ南西部の小さな共和国で、
まだ幼い男児が、母親に連れられて病院を訪れていた。
今日はどうしましたか?と尋ねる医師に、母はこう言った。

「今から私がくしゃみをしますので、息子の鼻を見ていてください。」

そしてくしゃみを一つした。
子どもの鼻を覗き込んでいた医師は、目を疑った。
母親がくしゃみをした瞬間、いや、正確には、
くしゃみをするほんの直前に、その子の鼻の穴が閉じたのだ。

「・・・もう一度、いいですか?」と医師が言った。

くしゃみをする母。すると子どもの鼻の両方の穴が瞬時に閉じる。
一瞬のことでわかりづらいのだが、よく見ていると、
鼻の穴の入り口の皮膚が瞬時に伸びて、自動ドアのように、
鼻の入り口に蓋をしていた。

「鼻の穴に・・・ドアがある」医師はつぶやいた。

時を遡ること数年前。
世界は、重篤な肺炎を引き起こすウィルスの蔓延に悩まされていた。
そんな時に、奇抜な発明をすることで有名な日本のDrシゲマツ氏が発表したのが
「スーパー鼻ふさぎゴム」だった。

空気は通すが、ウィルスなどの微小の粒子は通さない特殊加工をほどこした
シリコンゴムを鼻の中に押し込み、
ウィルスの侵入をシャットアウトするという画期的なものだった。

けれど「スーパー鼻ふさぎゴム」が広まることはなかった。
なにせ息苦しいのだ。
空気を通すとはいうものの、息をするには強い力が必要で、
Drシゲマツ氏は「慣れます」の一点張りだったが、
なかなか慣れることは難しかった。

ウイルスに感染しないようにと、
満員電車の中で「スーパー鼻ふさぎゴム」を装着していた人が
がんばって息をしていたら、ゴムが勢いよく鼻から飛び出し、
その様子があまりに可笑しくて、本人もまわりの人も腹をかかえて笑ってしまい、
密集の中で爆笑が連鎖したため、
クラスター感染が発生するという事態まで起こった。

こうして「スーパー鼻ふさぎゴム」は、世の中に定着することなく
存在を忘れられていったかに見えた。

しかし、海外のとある国で、この日本の奇妙な発明品に
一生忘れない衝撃を受けた人物がいた。
再生医療の専門家であったその博士は、皮膚や臓器など
あらゆる人間の器官に変化するIPS細胞の研究を続けていたが、
彼のひそかなテーマは、IPS細胞を、
「人間がそもそも持っていない新しい器官」へ変化させ、
人類を進化させることだった。
そしてもし、その新たな器官が、
人類をこの蔓延するウイルスから守るものだとしたら?
それこそが、新たな人類の進化した姿になるはず。
考え続けていたことのヒントが、日本の変な発明品にあったのだ。

博士は叫んだ。「人類は、鼻を閉じなければならない」

博士は、細胞が、人間の鼻の穴をふさぐものへと変化するための「司令」を
細胞の中に書き込んだ。危険な瞬間を察知し、穴をふさぐメカニズムは、
獲物を捕らえる際、一瞬にして目が硬い膜で保護される
サメの目の司令系統を参考にした。

そうして完成した細胞を欲しがる国は、もちろん、たくさんあった。
ウイルス感染の増加を止められずにいた国々の政府だ。

経済をとめることなく、密かにウイルスの蔓延を止めたい国々の思惑。
そして、人類という種を進化させたいと願った科学者の思惑。
重なって生まれたのが、鼻に自動でしまるドアを持つ「鼻ドア人」だった。

突然変異と自然淘汰で起こる進化ではない、
人類の手による人類の進化が始まった瞬間だった。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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古居利康 2020年8月2日「ちょうつがいの恋」

ちょうつがいの恋   

   ストーリー 古居 利康
      出演 遠藤守哉

もうずいぶん長いこと
ちょうつがいをやっております。
ドアの横の角にはりついて
もっぱら開け閉めをやります。
閉まっているときは見えなくなる、
そんなはかない身の上ですけれども、
わたくしがいなければドアは開かないし、
閉まらない。ささやかな矜持だけは
もちあわせております。

円滑に開くのも、
確実に閉まるのも、あたりまえ。
あたりまえをあたりまえにする、
静かななりわいですが、
時々、こころにさざ波が立つことも
ないわけではありません。

わたくしの位置から
斜め右を見下ろしたところに、
赤い郵便受けがありました。
そのフタに住んでいる金色のちょうつがい。
まばゆい光を放っていました。
わたくしども重いドアのちょうつがいの、
武骨なつくりとちがって、
なんとも華奢なからだつき。
ついつい見とれて、開け閉めをおろそかに
することもありました。
恋をしたちょうつがいは、ネジがゆるむのです。

ところが、赤い郵便受けのちょうつがいは
地面近くにおかれた黄色い牛乳受けの
鉄のちょうつがいに恋をしていたのです。
黙々と働く、無口な青年でした。
飾りのついた金色と、質素な黒い鉄。
正反対なのにお似合いのふたりは
やがて子をなします。
母親似の、金色の女の子でした。

それからどれくらい経ったでしょう。
わたくしがネジを固く締めなおし、
数えきれないくらいたくさん
ドアの開け閉めを繰り返すうちに、
黄色い牛乳箱の黒いちょうつがいが
失踪しました。
門の扉の真鍮のちょうつがいと
駆け落ちしたのでした。

「牛乳箱には荷が重すぎたのか。
赤い郵便受けの金色の女なんて」
「こんどは似た者同士かもしれないね」
「ふたりは文字どおり番いになって、
いっしょに飛んでいってしまった」
「この世のすべてのちょうつがいは
かつて蝶だったから」
「恋をしたちょうつがいは
蝶にもどれるってほんと?」

あることないこと人は噂しました。
金色のちょうつがいは
みるかげもなく錆びついて、
開けるたびに軋むようになって、
やがてお払い箱になりました。

長いことドアのちょうつがいを
やっておりますと、
いろんなできごとの出入りを
いやでも見ることになります。
こころを開けて閉めて。
あたりまえのことを
あたりまえにつづけることの
うつくしさと残酷さ。

それからしばらくして
赤い郵便受けに
新しいちょうつがいがやってきました。
いつか見たような、
まばゆいばかりの金色。
あらかじめ備わった優美さ。
捨てられたあのちょうつがいの
忘れ形見にちがいありません。

そう気づいたとき、
こころのネジが
すでにゆるみはじめています。
わたくしはときどき
わからなくなるのです。
ここは出口なのか、入り口なのか。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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