一倉宏 2016年1月3日

ichikura1601

 
 詩を書くときは

     ストーリー 一倉宏
        出演 一倉宏

 4年前から スマホにしたんだ
 だから スケジュールも この中にある
 便利なもんだね その クラウドとかいうやつは

 パソコンだって 使えるさ
 近頃では プレゼンも こいつでするし
 できれば表計算 あれは 見たくないけど
 最近 老眼というやつも 進んだもので

 しかし あのワープロは 最低だな 
 いちいち 細かいし センス悪いし
 なにかと おせっかいだし

 おい! なに 勝手に大文字にしてんだよ!
 アルファベットだからって 勝手に直すな!
 中学の英語の先生 じゃあるまいし
 勝手に 箇条書きにしたりもするし

 ビジネスのことしか考えてない
 自由と 美しさについて 考えない
 
 だいたい 漢字にルビが振れないって
 ところからして 日本語ワープロとして 失格

 え? 振れるの ルビが?
 あ このボタン…… 大文字のAの上に 
 小文字のabcが乗ったアイコン?
 知らなかった……

 いちども使ったことない いろんなパーツ
 表も グラフも なんとかアートも

 それにしても
 いちばん最後にある 「校閲」って文字
 いやだなあ 監視されているみたいで
 そのうち 検閲まで しだすんじゃないかと

 ただ 文字が書ければ よかったんだ
 ちゃんと ことばが 書けるのなら

 もちろん 表やグラフや 箇条書きや数式が
 たいせつな仕事も あるだろう 
 それがビジネスで それが合理性で
 それが 世界標準 だといわれても

 そうだ
 せめて これからは
 ちゃんと じぶんの字で 書こう
 なにかことばが 浮かんだときは 
 ポケットから手帳を出して 字を書こう
 

出演者情報:一倉宏 http://1-kura.com/

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一倉宏さんの自作自演(2016年1月の収録記➁)

ichikura

2016年1月3日のTokyo Copywriters’ Streetは
一倉宏さんの自作自演です。
前回は夏に「トマトのひびき」という原稿を
自作自演なさいまして
それがと〜ってもよかったんです。
キレイだったんですよ。
その「キレイ」というのが「キレイな水」というときの
「キレイ」みたいな感じでしょうか。
美しいというより、不純物のない清々しさといいますか、
淡々とお読みになっているのですが、
それがとってもよくて、私は大好きでした。

そして今回はと言いますと、
ちょっと狙いました、一倉さん。
「表現をしよう」となさいました。野心というのかな。
で、どうなったかというと、明日には公開しますので
お聴きくださいね。

上の写真は収録が終わって納会の準備を待つ一倉さんです(なかやま)

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6月の一倉宏さんの後姿(2015年7月分の収録記)

ichikura

一倉宏さんはときどき自作自演をなさいますが
このときも久しぶりの自作自演でした。
このときの自作自演は大好きだったなあ。
なんていうんだろう、本当によかったなあ。

落ち着いて、ゆっくり読んでくださって
もくろみのない素直な読みかたで。
うう〜、あんまりよかったんでyoutubeをここに貼ってしまおう。

原稿を読みたい人はこちらへどうぞ。
http://www.01-radio.com/tcs/archives/27253

一倉さん、また読みにきてくださいね。

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一倉宏 2015年7月12日

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 トマトのひびき
       ストーリー 一倉宏
          出演 一倉宏

「詩は音楽を嫉妬する」
といった 国文学の先生がいる 

「すべての芸術は音楽を嫉妬する」
といった ニーチェのことばもあった

詩は 遠いむかし 音楽と結婚していたらしいが
文字という 独身生活の便利さを手に入れて

別れてしまった その相手を
ときどき 無性に恋しがるのだろう

ことばは 文字となって 音を離れ
音楽と別れて 美しさを 失った

ことばは それ自身で 美しい
ということはない 音楽のように

そんなことはない たとえば
「さくら」ということばは 美しいじゃないか

というひとが いるかもしれない
たしかに そのひびきは 美しくも思えるけれど

それは 「さくら」の花 だからじゃないのか
「あの客 さくらじゃないか」の「さくら」でなく

「つばき」の花も 美しいけれど
「だえき」と同類の「つばき」もある 

ちょっと アクセントは違うけれど
「花」ではない 「鼻」の下に それはある

「ことばは それ自身で いいも わるいもない
ただ つづけかたによって 詩になるだけだ」

といいきった むかしのひともいる
日本の古典文学では 神様みたいな 藤原定家だ

「のぞみ」も 「めぐみ」も 美しいことば
だとしたら 「えぐみ」は どうなんだろう

太陽の「めぐみ」 「トマト」はどうか
上から読んでも 下から読んでも

「トマト は トマト」 かわいいひびき
なんて やっぱり いいそうだけど

ほんとうに そうか そのひびきは
「にんじん」や 「しいたけ」より 美しいか

「ごぼう」は どうかな 
「だいこん」は どうなんだろう

「トマト」が 大の苦手の 遠藤くんは
そのことばを聞いただけで ぞっとするという

そういうことも あるんだ
ぼくは 「芽キャベツ」が嫌いなんだ

 

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一倉宏 2015年1月4日

1401ichikura

最後のシリウス

         ストーリー 一倉宏
            出演 大川泰樹

星空とは呼べない
東京の夜空にも
まだ オリオンはいる
シリウスはある

ときに こいぬも姿を現し
おおいぬも 
おうしも
ふたごも手をつないで
かすかに
その姿を 見せることも
まだ ないわけではない
この 東京の夜空は

これから
どうなってゆくのだろう

いまは まだ見える
ぎょしゃの カペラも
おうしの アルデバランも
いつか 姿を消して

ふたごの宝石 ポルックスも
こいぬの瞳 プロキオンも
そして あのシリウスも
この夜空から 消えて
いなくなるとき

この 地球という
ちっぽけな星は
どうなってゆくのだろう

4年前の
あの日から
ネオンサインが消え
街灯が消え
東京の夜空に

ふたたび
姿を現した
あの星座は
あの星たちは

どうなるのだろう

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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一倉宏・上田知華 歌曲集「枕草子」リリース記念コンサート

歌曲集『枕草子』完成記念コンサート開催決定!
上田知華+一倉宏による新訳で誕生した歌曲『枕草子』初演!
清少納言のモダンな感性を語り、感じるコンサート

日時:2014年5月26日(月)
会場:サントリーホール/ブルーローズ
   http://www.suntory.co.jp/suntoryhall/

出演:メゾソプラノ 波多野睦美
   ソプラノ 鈴木美紀子
   ピアノ 兼松衆
   チェロ 武澤秀平
   語り 清水理沙
   お話 一倉宏、アーサー・ビナード

チケット料金:
6,000円(全席指定・税込) ※CD付チケット8,500円

お問合せ:ムジカキアラ 03-5739-1739 info@musicachiara.com
     http://www.musicachiara.com/

主催:ムジカキアラ
企画制作:C U E Entertainment
協力:一倉広告制作所

協賛:積水ハウス

*チケットはイープラスでも販売しております。
 イープラスの販売期間は22日(木)18時までです。
 http://eplus.jp/sys/T1U14P002118736P0050001

*曲集の抜粋を10分ほど、こちらからお楽しみいただけます。
 https://www.youtube.com/watch?v=WHnIVwVYDgk

<歌曲集「枕草子」・ライナーノーツ>

 上田知華さんから、ポップスとクラシックの垣根を越えて日本語
の「歌」をつくりたいというお誘いを受けたとき、その可能性はど
こにあるのかと考えあぐねました。現在、最も親しまれている「歌」
=ポップスは、ほとんどがラブソングです。ラブソングには、老若
男女を問わない普遍的な共感と昂揚があります。それはそれで故の
あることであり、ポップスとは文字通り大衆性に深く根ざしたもの
だけに、その種の共感と昂揚に匹敵するのは至難の技に思えました。
けれど、ラブソングだけが「歌」なのだろうか。私たちにとって普
遍的な、生の感動はほかに、どこにあるのか。それを考えたはじめ
たとき、思い浮かんだのが清少納言の『枕草子』でした。
 たとえば、季節の移ろい、男女の仲に留まらぬ様々な人間関係、
衣食住の暮らしのディテール。美しいもの、愛しいもの、憧れるも
の、嫌いなもの、忘れがたいもの。それは、詩でも物語でもないけ
れど、きらめく生の讃歌でした。目の前にあるほどに印象的に、触
れられそうなほど具象的に、一人の女性によって千年の時を越えて
書き残されたそのことばの輝きは、奇跡と呼ぶしかありません。
 彼女はオシャレでした。コーディネイトが大切と喝破しました。
ファッションにもステーショナリーにもこだわりました。センスに
は自信がありました。そしてモダンでした。新しいもの、渡来のも
のに魅かれました。粗野や粗暴が大嫌いでした。いまのダサいに通
じます。自然と風土について綴り、草花や鳥や虫や、そのマイ・フ
ェバリットをリストに、ひとつひとつの名を書き留めました。吹き
過ぎる嵐の痕跡や真冬の寒さまでも賛美しました。いまのことばで
言えばエコロジーやスローライフ、生物の多様性。それがどんなに
豊かであるか。幼きもの、汚れなきもの、繊細なものたちを愛しま
した。この世界の、生命の、細部に宿る神を知っていました。
 清少納言の精神は現代にも生きています。快活にして美的、そし
て女性的なるものとして。これは単なるレトリックではありません。
世界的に「COOL」と評価される文化と風俗の先端にも、たとえば
宮崎駿作品のヒロイン像にも、清少納言的感受性、想像力、小さき
ものたちへの愛情が脈打っていると思われてなりません。
 この歌曲集では『枕草子』の任意の段をもとに、現代日本語とし
て通じる「翻訳」を試みたつもりです。段によってはほぼ原文のま
まを移植していますが、多くはエッセンスを拾うようにして「詞」
編んでいます。なるべく作詞者の創作を加えることなく、原作者
である清少納言が「もしも、その思いを現代の歌に編むとしたら」
という想像のもとに書き写しました。描写のディテールや息づかい
を大切に扱うよう努めました。もとより、それも虚構であり恣意の
作業であるに違いありません。叶うなら、清少納言そのひとがタイ
ムマシンに乗って訪ねてきてくれて、どのような表情でこれを聴い
てくれるかを知りたいと思うばかりです。

                       一倉 宏

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