中山佐知子 2010年2月ライブ



一軒宿の日記            

          ストーリー 中山佐知子
             出演 大川泰樹
                      
目が覚めたら、障子は明るいのにポタポタと雨音が聞こえていました。
雨音というより雫の音です。
2階から見ると、狭い道を隔てた共同浴場の屋根が白く光っていました。

雪、と僕は日記に書いたけれど本当は霜でした。
今朝は大霜です、と宿の女将さんの高い声が
階段を降りる僕の肩に刺さって、
僕は日記のウソを知られたかとうろたえました。

川沿いの一軒宿から見る景色は、その霜の朝を境に一変しました。

葉を落とした落葉樹は小骨のような枝がくっきりと見えてきました。
川も涸れて細い流れの両側には
あばらが浮き出るように大きな石が顔を出しました。

山も川もすべての罪をさらけ出して眠っているようでした。
僕もよく眠っています。
もう何日も眠りつづけています。

あなたがいなくなってから
あなたがこの世界から消えてから
僕ははじめてやすらかな日々を過しています。
あなたのカラダはもう僕を置き去りにすることはなく
あなたの心はどこにも飛んでいかない。

あなたの眼はもう誰も見ることがなく
あなたの手は誰にも触れることはない。
僕はすっかり安心して白いお湯の中で手足を伸ばし、
あなたを忘れる時間さえ持てるほどです。

お湯の湧く川の向こう岸には
石垣を組んで何軒かの家がうずくまり
そばの畑からここ何日か籾殻を焼く煙が登っています。
籾殻はじわじわと蒸し焼きにすると黒い炭になり
燃え過ぎると白い灰になると教わりました。

僕はきっと、いっぺん灰になってしまったんだ。
そして、灰ではないものに再生するために
この一軒宿にやってきて
心のアリバイを日記に書き続けているのだと思います。

籾殻の煙が消えると
西の空だけが不思議と明るく
ものの輪郭が不確かになる夕暮れがやってきます。

僕があなたの首に手をかけたとき大きく開いたあなたの眼
あのときの眼が日記を覗きこむ気配を感じるのも
そんな夕暮れです。

あなたはその眼を、もう一度眠らせてもらいたいですか。

日記の中の僕は
いなくなったあなたを悲しんでいるけれど
日記を書いている僕は、
何度でもあなたの眼を閉ざすことができます。
それほど僕は、あなたの眼を愛しています。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2010年2月20日ライブ



この宇宙に生まれたすべてのものに 

          ストーリー 中山佐知子
             出演 大川泰樹清水理沙

 この宇宙に生まれたすべてのものに刻まれた
 たったひとつの言葉がある。

 会いたい。会いたい。

 だから、ビッグバンがはじまったとたんに
 素粒子と素粒子は出会って陽子と中性子になり
 陽子と中性子が出会って原子核になった。

 原子核は4000度の熱のなかで電子に出会って
 はじめての原子になり
 その原子からこの世のすべてが生まれた。

  会いたい。会いたい。
  酸素は水素と出会って水になり
  炭素と酸素の出会いで二酸化炭素ができた。

  会いたい、会いたい。
  地球に存在した最初の2種類のバクテリアは
  ある日、不思議な出会いをして
  ひとつの細胞で一緒に暮らしはじめた。

 会いたい、会いたい。おまえを食べるために。
 あまりに多くの命が生まれたカンブリア紀は
 ついに生き物が生き物を食べる世界を生み出した。

  会いたい、会いたい。おまえを愛するために
  植物は風に花粉を運ばせて
  目指す相手にたどりつくすべを覚えた。

 会いたい、会いたい

 おまえを憎むために
 17世紀のヨーロッパでは
 4万人の魔女が曳きずりだされて火あぶりになった。

  会いたい、会いたい
  あなたを殺すために。
  1991年、5つの民族と4つの言語をもつ旧ユーゴスラビアでは
  市民が市民を虐殺しあう戦争がはじまった。

会いたい。会いたい

自分がひとりではないことを知るために。

会いたい、会いたい

 生きるために。
 愛して憎んで殺して
 もう一度ひとりになるために。
 そうしてまた会いたい。
 この世のどこかにいる人に。

会いたい

 この言葉はあらゆるものに刻みこまれ
 すべての物質の法則になって宇宙を支配しつづけた。

 だから、会いたい
 この言葉がある限り
僕はおまえを求めずにはいられない

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/
      清水理沙 http://ashley-r-senzatempo.seesaa.net/

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中山佐知子 2010年2月20日ライブ


できれば土に
                
           ストーリー 中山佐知子
              出演 清水理沙

できれば土に埋もれたいと思っている。
壁になりたいと思っている。
できれば息もしたくないけれど
小さな女の子だからどうしてもため息はでてしまう。

なれるものなら透明人間になりたいと思っている。
でも、小さな女の子だから
もとにもどる方法がわからない。

本当は何もしゃべりたくない。
石だから、壁だから、土なのだから。
しゃべろうとすると泣いてしまうから。

心が重くなって固くなって
びしょ濡れになって寒くなって
笑えなくなって、しゃべれなくなって
臆病になって
自分がここにいてもいいのかいけないのか。

みんなの視線と言葉がきっと針のように痛いけど
泣きそうな自分を隠しておくために
凍りついた目を大きく開いている。

どうしてそうなってしまったのか
どうして自分がいまそうなのか
きっかけは5分前でも、
原因は100億光年も彼方にあるから。
どうしてもわからない、わかりたくない。

泣かない小さな女の子はいつもそうして震えている。

年を取った大人はそれを見て
拗ねているとひと言で片付けてしまうけれど
そういう自分の心のなかにも
きっと泣かない小さな女の子がいて
誰にも気づいてもらえないまま凍っている。

誰の心のなかにも泣かない小さな女の子はきっといる。

僕は、そんな小さな女の子の手を取って
あたたかい場所へ連れ出すことのできる
小さな男の子になりたいと思う。

出演者情報:清水理沙 http://ashley-r-senzatempo.seesaa.net/

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中山佐知子 2010年2月20日ライブ



時間のはじまりの岸辺で

          ストーリー 中山佐知子
             出演 大川泰樹

時間のはじまりの岸辺で
過去という名の僕は
未来という名のあなたをさがしていた。

過去という名の僕はまだ住むべき家を持たず
未来という名のあなたはまだ進むべき道がなく
だから、ふたりはここに漂っているしかなかった。

時間のはじまりの岸辺で
僕はあなたの髪の匂いを感じることがあったし
時間のはじまりの岸辺で
あなたの背中と首筋が緩いカーブを描いているのを
思い描くことができた。
そしてその先のほのかな輪郭も僕は知っていたように思う。

たぶんあなたも僕の存在をどこかで確信しているだろう。
僕の爪の形や目の色をもう知っているだろう。
もしかしたら、僕の声が
あなたの耳に届くこともあっただろう。
そう思うだけで、僕のカラダは
少しあたたかくなって眠くなって
この岸辺がとても心地よい場所に思えていたのだ。

時間のはじまりの岸辺にはほかに誰もいなかったから
未来という名のあなたは完全に僕のもので
過去という名の僕は完全にあなたのものだったから
本当はさがす必要などなかったのかもしれない。

けれども、時間のはじまりの岸辺で
前触れもなく出会ってしまった僕たちは
しばらく立ちすくみ
たちすくんだままお互いの顔と躯を目でなぞりあい
それから何歩か前に進んだ。

もう手と手が届く距離だった。
僕たちは利き腕を相手に差し出して
手のひらの親指と人差し指の谷間を
相手の谷間に食い込ませながら
はじめて結び合った。

そのとき
時間のはじまりの岸辺に光と温度があふれ
四つの力とふたつの物質が生まれ
過去という名の僕と未来という名のあなたの
ふたりの手のなかから現在が生まれ
止めようもない時間の流れがはじまった。

宇宙のはじまりであるビッグバンは
だいたい
こんなできごとだったと記憶している。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2010年1月28日



アラスカの雪の上で               
               

ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹  

アラスカの雪の上で僕は生まれた。
僕の母さんはカリブーだった。
だから僕はいまでもきっとカリブーの姿をしているのだと思う。

僕には双子の妹がいた。
カリブーは普通一頭しか子供を生まないからこれは不思議だ。
もしかしたら、僕は生まれてすぐに母を亡くして
そばにいた雌のカリブーを母さんだと思いこんだのかもしれなかった。
双子の妹は僕より何時間かあとに生まれ、
生まれてすぐにオオカミに見つかった。

カリブーの群れにはいつもオオカミがつきまとい
弱ったカリブーや生まれたてのカリブーが狙われる。
僕と母さんは走って逃げることができたのに
妹は僕たちに追いつくことができなかった。

そうして、妹はオオカミに食べられて
オオカミのカラダの一部になったけれど
熊になるカリブーもいる。
人間になるカリブーだってときどきはいる。
オオカミの食べ残しはキツネやコヨーテがきれいにしてくれる。
僕たちはアラスカの、
肉を食らうあらゆる生き物を養っている。

それから、僕たちは草を食べる生き物を養うこともできる。
カリブーのいる土地が豊かなのは
何万年も昔からしたたりつづけたカリブーの血や
ツンドラに層をなして埋もれている毛や骨や角のおかげだ。
その土から草が生え花が咲き
僕たちはその草を食べて命をつなぐ。
カリブーもまたカリブーを食べているのだ。

冬が終わると、僕たちは北の平原をめざして1000キロの旅をする。
アラスカの北極海に面した東には
カリブーが子供を育てる楽園があって
旅の途中で生まれた子供もこれから生まれる子供も
みんな一緒にブルックス山脈を越え、氷の川を渡る。
小さな群れはやがて千頭の群れになり、
1万になり、10万の群れに膨れ上がって平原を埋め尽くす。

僕たちの行く手にはいつもクマやオオカミがいる。
人間は銃を構えて待ち伏せている。
けれども僕たちは生まれ落ちた瞬間から死を恐れることがない。
カリブーにとって自分の死は大きな事件ではなく
夢から夢へジャンプするような出来ごとに過ぎない。
僕たちはアラスカだから。
アラスカのすべてがカリブーなのだから
僕たちはあらゆるものに自分の血と肉を与えながら
頭と角を高く上げて旅をつづける。

やがて夏が来て、ツンドラの凍った土が少しだけ緩むと
ローズマリーやワタスゲ、ポピーやファイヤーウィードが咲いて
楽園は花で埋まる。
その花々もまたカリブーの一部なのだということを
僕は、生まれる前の夢で知っていたと思う。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2009年12月31日



世界一ぜいたくな天文台
               
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹  

世界一ぜいたくな天文台は
エジプトのギザという町にあります。

天文台は地上から見ると三角形
空から見ると正方形に見えるようにつくられています。
高さ147メートル、一辺が230メートルの四角錐です。

4500年の昔、古代エジプトの人々が
その四角錐の天文台を石で築いたとき
まず建物を支える地盤を正しく水平にするための工夫が必要でした。
天文台はあまりに巨大で重かったので
完璧に水平な地盤がなければ傾くことがわかっていたからです。
そこで、岩盤に大きなプールを掘って水を張り
水面から出た部分を削りとる方法が考え出されました。

こうしてできた230m四方の広いプールは
夜になると月も星座も水に映して
プラネタリウムのようでもありました。

やがて水のプラネタリウムの上に組みあげられた石の天文台は
古代エジプト人の知識の象徴でもありましたから
地球の大きさに対比する数字が用いられました。
周囲の長さは地球を一周した距離に、
高さは地球の半径にそれぞれ比例し
その縮尺の43,200分の1という数字も
地球の経度と緯度である360度から導き出されています。
古代エジプトでは地球が丸いことはすでに常識だったのです。

天文台は2トンを越える大きな石を250万個も
隙間なく積み上げた窓のない建物でしたが
北面の壁には32度の傾斜角で空を見上げる溝が外とつながり
北極星がファラオの部屋を照らす光の通路になりました。
それはまるでレンズのない望遠鏡が
たったひとつの星に照準を合わせているかのようでした。

ギザの大ピラミッドは
人々が星を見上げることからはじまったエジプト古代文明の遺産であり
死者のための世界一ぜいたくな天文台です。
その天文台から星を眺めるたったひとりの観察者として
死んだファラオが埋葬された頃は
北極星はいまの北極星ではなく
竜という名の星座に輝くトゥバンという星でした。

あれから…..
北極星でさえ移動する長い時間が過ぎ去ったいま
我々に多くの知識を与えてくれた星空を
みんな忘れてはいないでしょうか。
星々と星座の名前を忘れてはいないでしょうか。

2010年1月1日の夜
北の空に身を伏せている竜の星座をさがしてください。
新しい年を告げる流星群を見ることができます。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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