川野康之 2020年4月5日「ピートの島」

ピートの島                

       ストーリー 川野康之
          出演 地曳豪

スカイ島からグレートブリテン島にフェリーで渡った。
マレーグという小さな港町に着いた。
スコットランド鉄道・西ハイランド線の終点の駅がある町である。
ここから一日に3本だけ、グラスゴーへ行く列車が出る。
駅舎がクローズされていたので、勝手にホームに入ってベンチに座って待った。
潮の香りがしてカモメの声が聞こえた。
駅前に一台二台とクルマが着いては、
荷物を抱えた乗客や見送りの人が降りてくる。
人々は、三々五々ホームの上に上がってきて立ち話をしている。
ディーゼルの列車が入線してきた。

乗客たちが乗り込んで、出発を待った。
私の斜め向かいの席に、一人の青年が座った。
窓を開けて、ホームの見送りの人たちと話をしている。
見送り人の中に青年の父親らしき人がいた。
大声で青年に言葉をかけている。
車内の乗客たちがくすくす笑った。
私にはなかなか聞き取れなかったが、何々はだいじょうぶか、
これこれに気をつけろ、とまるで子供に言うように
こまごまと注意を与えているようだった。
青年は、この田舎町を出て、グラスゴーで学生生活でも始めるのだろうか。
幼さの残る頬を少し赤らめながら父の話にうんうんとうなずいている。
やがて、列車は動き始めた。
父親の姿が後ろへ下がって、カモメと一緒にマレーグ駅のホームに残された。
青年はしばらく窓から父の姿を追っていたが、
見えなくなると、バッグの中から分厚い本を取り出して読み始めた。

列車は徐々にスピードを上げ、
荒れ野と森林が交互に現れる荒涼としたハイランドの風景の中をひた走った。
5時間半の後にはグラスゴーにたどり着くだろう。
途中私がどうしても見たかった景色があった。
ロッホ・ローモンドだ。
フォートウィリアムの駅を過ぎてしばらくしたころ、
黒々とした森の合間から静かな水面が見えた。
列車と併走して湖は何度も見え隠れした。
氷河に削られてできた谷が長い時間をかけて巨大な湖になったのだという。
湖面にはいくつかの黒い島影が見えた。
何万年も前からここにあって、湖のまわりの人々を見てきたのだろうか。
私の頭の中にあのロッホ・ローモンドの歌のメロディが流れていた。
グラスゴーに着くと、乗客たちは都会の顔になった。
列車を降りて駅の人混みに紛れ、灰色の石の街へせわしげに消えていく。
その中に大きなバッグを抱えたあの青年もいた。

スコットランドを離れる日、
私はエディンバラのウイスキーショップで
『ロッホ・ローモンド』という名のモルトウイスキーを見つけた。
聞いたことのない蒸留所だが、何かなつかしい気がして一本買った。
ラベルをよく見るとロッホ・ローモンドの下に『インチモーン』と書いてある。
どういう意味だろう。
日本に帰ってから調べてみたら、
それはローモンド湖に浮かぶ一つの島の名前だった。
古代から周辺住民の燃料源となったピートの島だという。
湖に浮かんでいた黒い島の姿を思い出した。
封を開けると豊かなピートの香りがあふれてきた。
このウイスキーを今から私は飲むのである。



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廣瀬大 2020年2月9日「パンチラ」

「パンチラ」

    ストーリー ストーリー 廣瀬大
       出演 地曵豪

「名前も知らない女学生の下着に、人生を救われたことがある」
小学生相手に、休日は、近所の空手道場で師範を務める、
堅物の親父の口から、
女学生の下着などという言葉が出て、
俺は面食らって親父の顔を見つめた。

この日、俺は大学四年生で、結局どこにも就職先を
見つけることができなかったことを報告しに、
実家に戻っていたのだった。
別に手を抜いていた訳でも、さぼっていた訳でもない。
最悪の就職難と言われた時代に、
俺は真面目に必死に就職活動をしたが働く先は見つからなかった。
「どうするんだ」とか、「なにやってんだ」とか、
そんなことはひとことも言わず親父は語り始めた。

「初めて言うんだけどな。大学時代に、
実は奇妙な新興宗教に片足を突っ込みかけたことがあって」
親父は俺と目を合わせることなく、縁側を眺めた。
下着とか、新興宗教とか、就職先が決まらなかった息子になんの話してんだ。
「最初はちょっとした東洋哲学を学ぶ勉強会だった。
加えて精神統一の仕方とか、それにともなう食事法とかね。
そこからちょっとしたヨガをやったりとか。
空手をやっていたこともあって、以前から座禅とかには興味があったし」
親父は苦笑いをしながら俺を見つめた。

「今、考えると没頭する性格が仇となった。
人間とはなんとも自分に都合のいい生き物だ。
時間を費やせば費やすほど、
その時間はムダではなかった、
そこには意味があったと思いたくなるもので。
その会でトレーニングを重ねるほどに、
彼らの信仰や言っていることにときに矛盾を感じても、
でも、この精神統一の方法は効果的なのではないか、
健康方法としては続けてもいいんじゃないか、
なんて自分に言い聞かせるようになって。
で、その会に参加するようになって一年が経ったころ、
大学のキャンパスで本格的に入信するように
迫られたわけだよ。遂に幹部二人に。
『生きる意味』だとか、『役割がある』だとか、
彼らはそんな言葉を使ってな。
その歳になるまで、そんなに自分が人に求められた
ことなんてなかったし、なんだか、話を聞いているうちに、
やってやろうじゃないか。
辞めたくなれば、そのとき辞めればいいじゃないか。
そんな風に思えてきて。
一度入ったら、絶対に辞められないんだけどな。
で、はい。入ります。やってみます。
と言いそうになったとき、ふと風が吹いたんだよ。

『人生の本質がうんぬんかんぬん』
『悟りがうんぬんかんぬん』
そんなことを話していた幹部二人と私の前を歩いていた
女学生のスカートをその風がめくった。
大仰な言葉を使って、高尚な話をしていたはずの
私たちの目はつい追いかけてしまった。
風のいたずらを。
パンチラを。
滑稽だろ。真面目な話をしてたのに。
私はもうおかしくてね。
笑いが止まらなくなって。
そのときふと、肩の力が抜け、楽に呼吸ができるようになった気がした。
で、冷静になって、入るのをやめることができたんだ。その宗教に。
つまり、あの日、あの名前も知らない女性のパンチラが
私を救ってくれたってわけだよ。
…この話がお前のこれからの人生にどう役立つかはわからないが」

アドバイスなのだか、よくわからないむちゃくちゃな
親父の話を聞いてから、もう15年以上が経つ。
僕は結局、その年、就職先を見つけることはできなかった。
でも、なんとかこうして生きて暮らしている。
親父の話が、当時の俺に役に立ったのかどうかはわからない。
だが、話を聞いて以来、人生に困難が訪れたとき、
俺はあの話を必ず思い出す。
若い真面目な親父の横を風が通り抜ける。
名前も知らない女学生のスカートをめくる。
それをつい追ってしまう親父。
見たことのないはずの滑稽な人間の姿が
はっきりと目に浮かぶ。
そして、俺の肩の力が抜ける。
ふと楽に呼吸ができるようになる。

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大江智之 2020年2月2日「クリぼっちセット」

「クリぼっちセット」

   ストーリー 大江智之
      出演 地曵豪

俺の名前は『大江智之』。
しかし、傍から見れば名などさして重要ではなく、
呼ぶ側の都合で俺は誰にでもなってしまう。

朝起きて顔を洗い、昨日の残り物を温める。
テレビから流れてくる浮かれた星占いが俺の今日最初の名前を告げた。
「今日の最下位はふたご座のみなさま!」
俺は『最下位のふたご座のみなさま』の一人になった。

時間は待ってくれない。
乾いた洗濯物を畳む間もなく、ドアを脚で開け放ち、燃えるゴミと一緒に家を出る。
2分早めてある腕時計を睨みつけながら、駅の階段を滑り降りた。
俺の努力を阻むように、改札機がパンポォーンと高らかに勝利宣言した。
「入れなかったお客様こちらで伺います!」
俺は『入れなかったお客様』になった。

この日の俺は、代わる代わる何度も別な何かになった。
『大江』『大江さん』『若手』『忘年会の幹事』『ご担当者』『みなさま』『組合員』
『Hi! Tomoyuki!』『大江くん』『みんな!』『ご提出がまだの方』…
そのたびに呼ばれた名前の人物を演じ、対応していく。

今日はクリスマスイブだった。
17時を過ぎた頃からだんだんオフィスの人も減ってきて、
特に予定の無い自分もなんとなく早めに上がったほうが良いような気がした。
ぼんやり眺めていたSNSに、ハンバーガーショップの広告が映る。
「クリぼっちセット販売中。自分らしいクリスマスを。」
ああ、ありがたい、今日くらい御飯作らなくても良いんだと思った。
暇な俺に少しでもクリスマスをくれるならと、家から少し離れた駅まで出向いた。
カウンターで「クリぼっちセット」を指差してこれくださいと注文する。
ここでは俺は、『お次にお並びのお客様』だ。

あまり来ない店だが、持ち帰りでとか、レシートは捨てといてくださいとか、
ルーチンのやり取りを上手にこなし、我ながらそつのないお客様になりきった。
脇によけて受け取り順を待っていると、
「112番のお客様ー!」
と店員が声を上げ、隣の『112番のお客様』らしき人が受け取った。
これはもしやと気がついたときにはすでに遅かった。
自分が誰か分からないのだ。
番号の名前が書かれているであろうレシートはすでにゴミ箱の中。
「113番でお待ちのお客様ー!」
自分の後ろにいた『113番でお待ちのお客様』らしき人が動く気配がした。
俺はいったいぜんたい誰なんだ?
自分の名前が分からないことにこれほどまでに恐怖したことはなかった。
「114番のお客様ー!」
周りが手元のレシートを確認している。
「114番の客さまー!!」
誰も動かない。
もしかして俺かもしれない。
しかし、俺だと断定するには証拠が足りな過ぎた。
「クリぼっちセットのお客様―――!!!」
俺だった。

クリスマスイブ。
そんな聖なる夜のラストに俺は、バーガーショップの全員が見守る中、
『クリぼっちセットのお客様』になった。
ネオンで彩られた夜の駅はとても美しかった。
メリークリスマス、俺。

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一倉宏 2020年1月5日「僕はおみくじ」

僕はおみくじ

    ストーリー 一倉宏
       出演 地曵豪

ためらいがちに 手を伸ばし
君は僕を 引き寄せる
それは 偶然が必然になる瞬間
君は すこし驚く 
あっと ちいさな声をあげて

君が望んでいたのは
どんな 僕だっただろう 
ほんとうは
世界でいちばんの 大きな幸運
でなくても
中くらいの幸運 人並みでいいから
あるいは 
ささやかな幸運を 神に祈って
君は 両手を合わせたのだったか

けれども いうまでもないことに

ひとは 思いもよらぬ不運を
引き当ててしまう こともある
それもまた この世の習い
悲しみに出会うことのない人生は
この世には ないから

君を喜ばせる 僕もいれば
心配させ 不安にさせる僕もいる 
それでも わかってほしい
ただ喜ばせるために 僕はいない
そして ただ不安にさせるためだけの
僕もいない ということも

旅行には 行くといい
くれぐれも 盗難には気をつけて

転居も 考えていいだろう
そうすべき理由が あるとすれば

商売は そこそこ 欲を出さずに
相場は リスクを忘れずに

方角は 気分の明るくなる方へ
縁談は 焦らずに待って

ひとつひとつは 君への想い
せいいっぱいの メッセージ

僕は君の 勇気になりたい
僕は君の おみくじだから

そして 待ち人は まだ来ない
それが誰のことかもわからないまま
ずっと待ち続ける 君のために

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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川野康之 2019年11月4日「東口商店街の思い出」

東口商店街の思い出              

       ストーリー 川野康之
          出演 地曳豪

東口を出て踏切を渡ると商店街である。
駅の反対口にスーパーがあるが、家へ帰るのに遠回りになるので、
ちょっとした買い物はここですますことが多い。
食パンとか靴ひもとかオロナインとか、まあちょっとしたものである。
商店街と言っても、50メートルも歩けば店舗はまばらになり、
ありふれた住宅街の景色に紛れていく。
昔は銭湯や煙草屋、洋服屋とか、
もっといろんな店があったような気がするが、
いつの間にか店の数は減ってしまった。
そう言えば本屋もレコード屋もなくなってしまった。
また1軒、店が姿を消したようだ。
歯が抜けたように新しい更地ができていた。
左隣は金物屋、右隣にはクリーニング屋。
間口の広さは両隣と変わらないけれど、
ぽっかりと空いた空間が妙に広く見える。

貴子は足をとめた。
「ここ、何の店だったっけ」
しばらく立ち止まって考えたが、思い出せない。
すぐに思い出しそうなのに、どうしても出てこない。
歩いている人がみなよそよそしい顔をして通り過ぎていく。
何だっけ、何だっけと、貴子は自問しながら歩いた。
結局家に着くまで思い出せなかった。

この町に来てから30年になる。
東口商店街は毎日歩いたものである。
駅向こうにスーパーができるまでは何でもここで買っていた。
夫の浩一と駅で待ち合わせて一緒に夕飯の買い物をしながら帰った。
給料日には酒屋に寄ってワインを一本買った。
安売りのチラシを手に、
幼い和也の手を引いてあの店この店と見て回った。
和也の初めての自転車を買ったのもここだ。
思い出のつまった商店街。
わたしが生きていた場所。
知らない店などあるものか。
それなのに思い出せないのである。
金物屋とクリーニング屋の間にあったはずの店。

薄暗くなった台所で、貴子は明かりもつけずに座っていた。
テーブルの上には買い物かごが置いたままだ。
もうすぐ和也が予備校から帰ってくるはずだ。
そしたら和也に聞いてみよう。
しかし今日に限ってなかなか和也は帰ってこなかった。
夫の浩一の方が先かもしれない。
浩一はいつものように冷蔵庫を開けながら、
当たり前のように教えてくれるだろう。

12時を回っても浩一は帰ってこなかった。
貴子は不安になった。
目を閉じると昼間見た更地の風景が浮かんでくる。
胸の中にぽっかりと穴が空いて、だんだん広がってくるようだ。
その穴に貴子も東口商店街もこの町もみんな飲み込まれていくようだ。
浩一と和也はこのまま帰ってこないかもしれない。
テーブルの上には空っぽの買い物かごが置いてあった。
冷蔵庫の中にビールは1本も入っていない。
貴子は思った。
もしかしたら、
浩一も和也もはじめからいなかったんじゃないだろうか。
わたしはこの町で生きてなんかいなかったんじゃないだろうか。
そんな気がしてきたのである。



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細川美和子 2019年10月20日「花火の火花(リバイバル)」

    ストーリー 細川美和子
      出演 地曵豪

江戸時代になり、戦争がなくなり、
使い道がなくなったとき
武器に使われていた火薬は花火に姿を変えた。
不浄なものを払い、
暗闇を照らす火を打ち上げることで、
厄を祓い、死者を悼む、鎮魂の意味をこめて。
そうやって、日本最古の花火大会である
隅田川花火大会が始まった。

やっと平和になったと思ったら
大飢饉と疫病で多数の死者が出て
人々に絶望が広がっていた時代。
倹約を唱えていた徳川吉宗が
両国川で水神祭を開き、慰霊と悪霊退散を祈り、
二十発の花火を贅沢に打ち上げた。

お盆の送り火や迎え火のように
その火は今まで生きてきた人たちと、
これから生きていく人たちの心を
照らしたんだろう。

今でも日本の各地で、
空襲や災害で亡くなってしまった人たちの
霊を悼むために開催されている花火大会がある。

長岡の大空襲で亡くなった人たちの
霊を弔う花火大会を、ビール片手に
打ち上げの真下から見たときには、
音と火花が同時に降りかかってきて、
煙にまみれ、美しいのか恐ろしいのか、
自分がいまどの場所にいるのか、
一瞬わからなくなった。
世界はなんて紙一重なんだろう。

家族や友達と連れ立って、
屋台でりんご飴を買ってもらい、
ワクワクして見上げるはずの花火大会を
子供の頃からどこかいたたまれないような、
物哀しいような気持ちで過ごしていたのは、
そんな由来を感じ取っていたのかもしれない。
花火大会が終わると、町中が緩んだような
ほっとしたような気配に包まれる。

それでも、今年の夏もまた
花火を観にいくんだろう。
終わってくれたことにどこか、
安心するんだろう。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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