佐藤充 2024年10月20日「唐辛子とホルモン」

唐辛子とホルモン

    ストーリー 佐藤充
       出演 地曳豪

東京に妹と甥っ子と母親が来たので、
焼肉をご馳走することにした。

最近どう?のノリで甥っ子が
「50メートル何秒?」と聞いてくる。
「今だったら10秒以上かな」と答えると、
「おそ。おれ7秒」と噛んでぐちゃぐちゃになった
ストローでリンゴジュースを飲みながら言う。

「でも昔は6秒台だった」と答えると、
「すげ」と甥っ子は尊敬の眼差しで見てくれる。

甥っ子は妹の子供で、
僕が高校生のときに生まれた。

人生ゲームだったら、
ぼくはルーレットを回しても1しか出ない。
牛歩のようなスピードで駒を進めている。
妹は常に10が出て人生を進めている。
バツ3で、また結婚しようとしている。

いつだったか電通に勤める知り合いから連絡がきた。

「いま、お前のお姉ちゃんと合コンしている」と。
「僕に姉なんていませんよ」と返信すると、
「ほんと?この人だよ」と1枚の写真が送られてくる。
そこに映るのは妹だった。

どうやら合コンで出身地の話題になり、
旭川だと自称姉の妹が答えると、
電通の人が「だったら佐藤のこと知ってる?」と言うと、
「それ弟です」と答えたらしい。

確かに人生という意味では妹は大先輩である。
思うと家族のなかでのヒエラルキーで僕は最下層に位置している。

もちろん理由もなくそのような扱いは受けない。

学生時代に留年したことを隠して、
就活には車の免許が必要だから
免許取得するためのお金を貸してくれと嘘をつき、
借りたお金で海外に2ヶ月くらい行き音信不通になり、
帰国する際に無一文になったのでまたお金を無心したりした。
親がダメだったら妹にもお金を貸してくれと連絡をした。

そのようなことすると妹も姉を名乗るようになる。
慕ってくれるのは甥っ子だけだった。

サッカーのリフティングができる。
そのままボールを公園の木より高く蹴り上げられる。
パソコンの文字を素早く打てる。
ゲームセンターのワニワニパニックでワニを逃さずにハンマーで叩ける。
飛行機にひとりで乗っていろんな海外に行ける。
地元の駅前から実家まで何も見ずに歩いて帰ってこられる。
割り箸を片手でパキッと折れる。
ロケット花火を手に持ってできる。
実家のテレビをNetflixが見られるようにしてくれる。
サウナと水風呂に長く入っていられる。

甥っ子はどれだけ僕がすごいのかを妹や親に語る。
すると決まって「わかってない」「人を見る目がない」
「騙されるんじゃないよ」などと甥っ子は責め立てられる。

甥っ子は悪くない。ぼくが悪い。

目の前にある七輪の上のホルモンがそろそろ食べごろになっている。

「この唐辛子あるでしょ」
「うん」
「これだけで食べると辛いけど、
ホルモンと一緒に食べたらぜんぜん辛くないからやってみな」
「ほんとだ、すげぇ」

甥っ子はまた妹や親から注意を受けている。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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佐藤充 2024年6月30日「痛いし滑るし濡れるし寒いし恥ずかしい」

痛いし滑るし濡れるし寒いし恥ずかしい。

    ストーリー 佐藤充
       出演 地曳豪

「1000円。1000円でいいよ」

東京ではもう春で、北海道の旭川ではまだ冬の頃だった。

路面沿いの雪は車の排気ガスで黒く、
電柱の下の雪は犬のおしっこで黄色くなっている。
カラスが飲食店の前に置かれたゴミ袋を漁っている。
もうそろそろ朝になる。

旭川のサンロクと呼ばれる飲み屋街でも、
この時間はタクシーなど走っていない。

ザクザクと音を立てて歩道を歩く。

昼間に降った雨のおかげで車道は
スケートリンクのようにツルツルになっている。
赤や青の信号機の光を反射している。

小さなころ、勢いつけて滑って下校していたのを思い出した。
ツーっと足を前後させバランスを取ってうまいこと滑るのだ。
誰もいないし、車道を滑って帰ろうかなと思ったときだった。
車が走ってきて、僕の近くで止まった。

車の窓を開けて母親くらいの年齢の女性が
「1000円。1000円でいいよ」と言う。

いきなりのことでなんのことかよくわからず、
車道でスケートをしようとした後ろめたさのせいか
お金を取られるのかと思ったが、違った。
車は白タクだった。

「家どこなの」と聞かれたので、自宅のある地域の名前を言うと
ちょうど女性もその辺りに住んでいるので
ついでだからと送ってくれることになった。

この時間はタクシーもいないでしょ、
歩いて帰るつもりだったのかい、
仕事はなにをしているの、
など他愛もない会話をした。

窓の外ではまた雨が降り始めてきた。

「あ、ここです」と知らない人の家の前でおろしてもらった。
女性に1000円を払い車が角を曲がるのを見送ってからまた歩きだす。
ここから自宅までは歩いて20分くらいだ。

ここでおろしてもらったのには理由がある。
自宅までの間に急勾配のくだり坂があるのだ。

そこを滑りたかった。
1度勢いつけて滑り出したら50メートルくらいは
止まらず滑っていける計算があった。

やってみた。
すぐに転んだ。
全身が濡れた。
無理だった。

頭から足までびしょびしょだ。

計算では50メートルは滑っていける予定だったが、
3メートルも滑ることができずに転んだだけじゃなく、
転ばないようにと無理な姿勢で身体に力を入れたときに、
股関節あたりの筋肉も痛めた感覚がある。

うまく立ち上がれない。
痛む股関節のおかげで力もうまく入らない。
痛いし滑るし濡れるし寒いし恥ずかしい。

計算外だった。
あの頃の自分と体幹が違う。
今の身体を計算に入れていなかった。

あと残り47メートル近くのくだり坂は、
お尻をついて滑っていくことにした。
冷たい水がパンツを通り越してお尻まで濡らして気持ちが悪い。
くだり坂が終わってからが大変だった。

今度はさらにそこから30メートルほどの急なのぼり坂があるのだ。

四つん這いになり匍匐前進をするように進む。
痛いのか冷たいのか感覚もない。恥も外聞もない。

まだ家にも着きそうにない。

路面沿いの雪は車の排気ガスで黒く、
電柱の下の雪は犬のおしっこで黄色くなっている。
スケートリンクのように凍り濡れた路面は、
赤や青の信号機の光を反射している。

反射した光を切り裂くように這って進む。

カラスが鳴いている。

もう朝になる。

.
出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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古川裕也 2024年5月19日「彼は彼女を。彼女は彼を。」

彼は彼女を。彼女は彼を。

         ストーリー 古川裕也
            出演 地曳豪

彼女は、今、ジョナサン・スイフト精神病院にいる。
3歳の頃から集めている、飛行機雲のコレクションの展示会を
ジョナサン・スイフト市民ホールで催したいと、
ジョナサン・スイフト市役所に申しこんだためだ。
彼女によれば、飛行機雲が現れ、形が完成した瞬間にライフルで撃ち落とす。
地上に落ちてきた飛行機雲をその場で血抜きして冷凍保存。
これがいちばんきれいに雲をコレクションする方法だという。
そうして集めた飛行機雲は全部で868個。
いちばん古いのが、ハノイで採集された全長50メートルにもおよぶ
あかね色の飛行機雲。
いちばん新しいのが、ナパヴァレーで採集された渦巻き型の飛行機雲だ。

残念ながら、この話を信じた市役所職員はいなかった。
心神喪失かどうかの判断に絶対的基準はない。
ひとつの決定的行為によってではなく、
たいていの場合、絶対ではないが疑わしい行為の積み重ねによって判断される。
狂気のマイレージのようなものだ。
ジョナサン・スイフト市役所職員は職務に忠実なことに、
ジョナサン・スイフト精神病院に通報した。
彼女の場合、これが既に、3度目の入院で、
今回の主治医はミッシェル・フーコー先生だった。
先生は、必ずしも心神喪失とは言い切れないが少し入院して様子を見ましょう。
と言いながら、カルテにははっきり、心神喪失と書き込んだ。

彼は彼女を見舞いにやってきた。朝晩欠かさずに。
彼女の夫は、要するにハリソン・フォードのような顔で、
たいていの人に好意を抱かせる種類の人間だった。
その彼に、彼女はひどくつらくあたった。
“あのナブラチロワとかいう女とまだつきあってるのね”とか、
“わたしに無断でなぜポルシェ968を買ったのか”とか、
“歯医者の受付のチャスラフスカとできてるのを知らないとでも思ってるの”とか、
内容は他愛ないのだけれど、
それが、彼の髪の毛を引っ張りながら病院の庭を3周しながらとなると、
良し悪しは別として、確かに人目についた。
言うまでもないことだが、
彼には彼女に対する愛はまったく残っていなかった。
彼は今、全知全能を傾けて膨大な量の浮気をしていた。

去年の夏、彼女は空に向ってライフルを乱射していた。
彼女としては、飛行機雲を撃とうとしているつもりだが、
傍目にはどう見ても、飛行機を撃ち落とそうとしているようにしか見えなかった。
居合わせたジョナサン・スイフト市役所職員の通報により、
すぐジョナサン・スイフト病院に入院した。
それが彼女にとって最初の入院だった。
見舞いに来た夫には、“5年前に一度別れたジークリンデとかいう女と
またつきあいはじめたでしょ”と罵声を浴びせた。
そのときの主治医はロラン・バルト先生だった。
先生は、必ずしも心神喪失とは言い切れないが少し入院して様子を見ましょう。
と言いながら、カルテにははっきり、心神喪失と書き込んだ。

今年はじめ。ルキノ・ヴィスコンティ航空でミラノに行くとき、
彼女は、飛行機雲を素手で獲ろうとして
旅客機の窓をハンマーで叩き割っているところを取り押さえられ、
そのままジョナサン・スイフト病院に入院した。
見舞いにやってきた彼に、“あなたが今夢中なブリュンヒルデとかいう女は
そもそも男なのよ”と言い放ってから殴りつけた。
そのときの主治医は、フェリックス・ガタリ先生だった。
先生は、必ずしも心神喪失とは言い切れないが少し入院して様子を見ましょう。
と言いながら、カルテには、はっきり、心神喪失と書き込んだ。

この国の行き過ぎた福祉政策のおかげで、
ジョナサン・スイフト精神病院では極めて快適な暮らしを送ることができた。
3食とも明らかに彼女のふだんの食生活よりも豪華かつヘルシーだった。
そこには、無限の時間と完全な自由があった。
そもそも精神病院では、自分がなりたいと思う人間になることができる。
医者に向かって、ファッキンと言いたければ言えばいいし、
セクシーなインターンの前でいきなり裸になってもかまわない。
正常だとここにいられないわけだし。

彼女が、2週間ほどの入院と半年くらいのふつうの生活とを
繰り返していることは、
町中のひとは、もう、おおよそ知っていた。
そろそろだわ、と、彼女は思った。

やっぱり日曜がいい。それも午後2時くらい。
みんなが集まるジョナサン・スイフト広場。
彼女は彼と腕をくんで歩く。まるで、ほんとは仲がいいかのように。
知った顔がたくさんいる。
みんな彼女を見かけると少し不安そうな表情を浮かべた後、会釈を交わす。
今日は大丈夫そうだ、と思いながら。
そのとき、彼女は、“あ。飛行機雲”と叫び、銃を取り出す。
それを空には向けず、そのまま、彼の方へ向ける。
すぐ、撃つ。再び、撃つ。もう一回、撃つ。
まるで、広場にいるみんなに見せるかのように、
なんだか説明的なゆったりとした動きで。
誰が殺し、誰が殺されたか、みんな知っている。
けれど、誰も、その殺人者を捕まえることはできない。
罪に問うことはできない。

心神喪失は、数字だ。
彼女は、2週間ずつ過去3度精神病院に入っていたことがある。
心神喪失は、多数決だ。
ジョナサン・スイフト裁判所が精神鑑定を依頼するのは、
ミッシェル・フーコー医師。ロラン・バルト医師。
フェリックス・ガタリ医師の3人。

彼女は、微笑んだ。銃を持ったまま。
これから、1年くらい、大好きなジョナサン・スイフト病院で暮らせる。
たまった本を読もう。好きなだけ音楽を聴こう。
彼女には、無限の時間がある。何をしてもいい自由がある。
それは、愛する彼と引き換えに、手に入れたものなのだ。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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佐藤充 2024年4月21日「心が躍る」

心が踊る

    ストーリー 佐藤充
       出演 地曳豪

1週間働いたあとのお酒がこれだけしみるなら、
10年働いたあとのお酒はどれだけしみるのだろう。

想像する。心が踊る。

大学を卒業し、
今の会社に勤めて10年目になる。
1か月休暇を取ることにした。

心身の不調や育休や転職でもなく、
1か月休暇を取ると仕事関係の人たちに伝える。

過去に例がなく困惑させたが、
予想に反してみんな快く送りだしてくれた。
案外言ってみるものだなと思う。

この文章はタイのチェンマイで書いている。
数日前にいたラオスより涼しくて過ごしやすい。

毎日昼ごろに起きる。
ごはんを食べて散歩をする。
宿に戻り水浴びをして昼寝をする。
起きたら夕陽が見える場所へ移動する。
場所はなるべく風が気持ちいい外がいい。

ビール瓶を片手に橙色に染まる空を眺める。
どこの国のどの街にいても同じだ。

夕陽を見ながらビールを飲む。
この休暇で気づいたことがある。
一口目は必ず「ぷは〜」と言ってしまう。
そして一口目が1番うまい。しみる。
このための10年だった気がしてくる。

「とは言え〜」と「逆に〜」が頻繁に飛び交い、
右も左も上も下もわからなくなり、
平衡感覚が鍛えられる打ち合わせ。

上司に言わないから悩みなどあれば自由に教えてほしい、
と人事に言われたので素直に答えたら、
上司に筒抜けでC査定だった1年目。

深夜の撮影で近所の公民館のトイレを借りたら、
何者かに外から鍵をかけられセコムが作動し、
パトカーが何台もきたロケ撮影。

25時間ぶっ通しで続いた打ち合わせのときは、
心のなかでサライが流れていた。

2000人以上社員がいるのに20代のCMプランナーが自分1人で、
毎日が文化祭準備期間だった時期もあった。

あれもこれもこのためにあったのかもしれない。

ビールがうまい。
ビールの銘柄はその国のものと決めている。
ラオスではビアラオ。
タイではチャーンだ。

東南アジアのビールは薄いのでごくごく飲める。
ついつい飲みすぎてしまう。

もしかしたらなぜビールばかり飲むんだ。
ビール以外のお酒もあるじゃないか。
私はビールが飲めないからビールの話ばかりされたら不愉快だ。
という有難いご意見もあるかもしれない。

この10年で視聴者からの有難いご意見や、
SNSのどこの誰だかわからない声にも答えるようになった。

なので丁寧にお答えさせてもらう。
ビール以外の例えばカクテルだと甘すぎたり、
ハイボールだと炭酸が弱すぎたりなど、
当たり外れが多いのです。
その点でビールは間違いないのです。

夕陽がチェンマイの山の裏に沈みかける。
ピンクとブルーの混ざったクリーム色の空を
空港から離陸した飛行機が飛んでいく。
肌に触れる風が気持ちいい。
ビールがすすむ。

オレはこんなに忙しいのに
お前はなにをのんきにビールを飲んでいるんだ。
聞いているだけでイライラして不愉快だ。
若いうちはたくさん働け。
という有難いご意見もあるかもしれない。

この10年で視聴者からの有難いご意見や、
SNSのどこの誰だかわからない声にも答えるようになったのだ。

なので丁寧にお答えさせていただきます。
ほんとその通りです。
ぼくもこんな日々を1か月もしていたら、
社会復帰できるか不安です。
帰国後はしっかり労働させていただきます。
有難いご意見ありがとうございます。

気づくと夕陽は完全にしずんでいた。

代わりにチェンマイの空に
爪が浮かんでいる。

爪が空に浮いているはずないだろ、
というご意見ありがとうございます。
爪みたいな形をした三日月でした。

今夜もよく飲んだ。
足元に気をつけながら、
宿に戻って伸びた爪でも切ろう。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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佐藤充 2023年11月26日「希望岬にて」

希望峰にて

    ストーリー 佐藤充
       出演 地曳豪

この1ヶ月で2度死ぬかと思ったことがある。

ナミビアでレンタカーを借りて走っているときだった。
ナミビアは現地の言葉で「何もない土地」を意味する。
世界で最も人口密度が低い国だ。

見渡す限り地平線。
人も車もいない。
いくら走っても変わらない景色。

その変わらない景色は
いくら走っても止まっているように錯覚させた。

車は100キロを超え、120キロ、150キロとどんどんスピードを上げていく。
すると突然野生のジャッカルが目の前に飛び出してきた。
避けようとすると轍にハンドルをとられる。

車は大きく傾く。
景色がスローモーションになる。
内臓が口から飛び出そうだ。
数メートル先には崖がある。

ここで人生が終わるのだろうか。

このアフリカ卒業旅行から帰国したら、
来月から僕は社会人になる。
まだ働いたことがない。

親に借りたお金を返せていない。
出世払いでと散々言い続けて借りてきたのだ。

「あちらのお客様から」といい感じのバーで
お酒をご馳走したこともない。
社会人になったら絶対にやろうと思っていた。

よくわからないけど港区あたりでやっていそうな
酒池肉林のパーティーみたいなものにもまだ参加したことがない。

崖から落ちたら、死ぬ。
止まってくれ、止まってくれ、止まってくれ。
願いが通じたのか、車はギリギリのところで止まる。

死ぬかと思った。
これが1度目だ。

そして、2度目。

ナミビアでレンタカーを借りて走っているときだった。

みなさんすでにご存知のように、
変わらない景色に車は知らずのうちにスピードが出る。

同乗していた誰かが言った。
「右にヌーだ!」

不意なヌーに意識とハンドルをとられる。

今回は道がジャンプ台のようになっていて、
車はスキージャンプのように勢いよく空中に放り出された。

何日かぶりの内臓が宙に浮く感覚。
何日かぶりのスローモーションの景色。

今度はヌーか。
流れゆく景色のなかで思う。

誰にも言ってこなかったけど、
社会人になったら親を海外旅行に連れていこうと思っています。

コンビニで買い物したら毎回小銭はすべて募金しています。

トイレを使用したらトイレットペーパーは三角折りにしています。

スマホを落としたときは、
スマホに「落としてごめん」と言っています。

雨の日に階段を歩くときは、
傘の先端がぶつからないように後ろの人に気をつけて歩いています。

元気がない友人がいたら何も言わずに飲みに誘っています。

小学校から高校卒業するまで朝晩かかさず犬の散歩もしていました。

トンボが雨で羽を濡らして飛べなくなっていたのを
家に持ち帰りドライヤーで乾かしてあげたこともあります。

「つゆだく」と注文していたのに、
「つゆぬき」できても何も言わずに牛丼を食べています。

封筒に入った10万円を拾ったとき、
ちゃんと交番に届けました。

誰もやりたがらなくて、
だからといってジャンケンで負けた人がやると先生が不機嫌になるので、
やりたいふりして学級委員長に立候補したこともあります。

空中に投げ出された車は、
地面に強く叩きつけられながらも
奇跡的に無事に止まった。

そして今、
南アフリカはケープタウンの希望峰にいる。

英語では「Cape of Good Hope」

2度死にかけた僕の目の前には、
大西洋とインド洋の水平線と
希望が広がっている。

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佐藤充 2023年10月15日「インシャアッラー」

インシャアッラー

    ストーリー 佐藤充
       出演 地曳豪

「何を考えているのかわからない」

中学時代から9年お付き合いさせていただいていた女性に言われた。

「いや、ほんとに何も考えてないだけなんだよ」と答えると、
だとしたらそれはそれであり得ないことだと怒られた。

ボーッとしている。

だからなのか、存在に気づかれないことも多々ある。

まず自動ドアは感知してくれない。
虎ノ門ヒルズの自動ドアに感知されず、自力で開けたことがある。

撮影場所をまわるロケバスの中で
「やばい!置いてきた!」とプロデューサーが焦っていたこともある。
もちろん僕はロケバスに乗っていた。

大学時代の友人数人と遊んでいるときも行方不明になったと騒がれた。

吉野家の店員にも忘れられる。

シリアの国境で入国審査中にバスに置いていかれたこともある。
たまたまバックパックは背負っていたから、
バスに残していた読みかけの宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の文庫本だけ失った。

無事にシリアに入国し、
バスとフェリーでヨルダンとエジプトをまわったが、
カイロで全ての荷物を盗まれてしまった。
もちろんパスポートも荷物の中だ。
何もかも失ってどうやって帰国しよう…と宿に戻って考えていたら
世界一周中の日本人夫婦に出会った。

ふたりは「これで何か食べて」とお金と、
「私たちは読まないから」と一冊の文庫本をくれた。

それは僕が1ヶ月前にシリアの国境で
バスのなかに置いてきてしまった宮沢賢治の
『銀河鉄道の夜』だった。

「これ僕のです」と言うと2人は不思議そうな顔をしていた。

聞くとその夫婦はシリアのダマスカスで現地の人にもらったのだと言う。

こんなことがあるんだなと思った。
全てを失ったと思ったら、奇跡のように本だけが戻ってきた。

「インシャアッラーだね」とふたりは笑っていた。

アラビア語で「インシャアッラー」とは、
「神のみが知る」という意味。

現地の人たちに何かを聞いてもすぐに「インシャアッラー」と言われる。

最初は曖昧で無責任な言葉だと思っていたが、
考えてみれば思い通りにうまくいくことなんてなかなかない。
その代わりに神さまは小さな奇跡を用意してくれるのだろう。

カイロの日本大使館でパスポートを再発行してもらい、
日本へ帰る飛行機に乗ったら機内食で食中毒になった。
一刻も早く家に帰りたい。
しかし、家の鍵がなかった。
「銀河鉄道の夜」以外の荷物は全て盗まれていた。
僕は後払いの約束で鍵屋さんを呼んだ。

到着した鍵屋さんは僕の姿が不憫すぎたのか、
お金はいらないと鍵を開けて帰っていった。

もしかしたら奇跡みたいな出来事は、
ボーッとして隙のある人間の周囲に起こりやすいのかもしれない。

落ち着いてから世界一周中のふたりにお礼のメールをした。
これからアルプス山脈のモンブラン周辺をトレッキングするらしい。

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出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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