レインボーマン
バイト先の居酒屋が閉店することになり、
従業員同士でお別れ会が開かれることになった。
チェーンのほかの店舗に移るメンバーもいたが、
だいたいの人間は明日からまたバイト先探しを始めなければならない。
そんなどんよりした会が一時間ほど進んだ頃だ。
最後の責任を果たすつもりか、チーフのカミヨシが
「よし、こうなったら、みんなで一発芸でしょ」と
余計な音頭をとった。
半沢直樹ネタとあまちゃんネタで
たいがいのメンバーがお茶をにごしたあと、
順番がタシロに回って来た。
タシロ。
バイト仲間でもいちばん、「体が動かない」と評判のタシロ。
しまった、タシロがいること忘れて出し物披露なんて始めてしまった、
と周囲に罪悪感をいだかせるほどのタシロ。
ホールを2時間でクビになり、
その後半年はひたすら皿を洗っていたタシロ。
会場の舞台にひきずりだされたタシロは、
聞きとりにくい声で、
手品をします。
と言った。
《え?あいつ、手品って言った?》
《タシロが?》
無言の声が一斉に上がる。
そんな周囲の不安をよそに、タシロが右の手のひらを前につきだし、
次にそれをぐっとにぎりしめた。
そして、ぱっとひらくと…
手のひらの上に、緑や赤の光が見える。
…虹?
え?なに?
なにやってんの?
皆がざわつく。
いや、あの、手の上の虹、という手品でして。
とタシロが申し訳なさそうに言う。
ちょっとライトが強いと見にくいんですが。
きょとんとした周囲の反応も意に介さずという感じで、
タシロは席にもどった。
さっきのざわめきはたぶん、
タシロがバイトを始めてから周囲に起こした波風の中で
一番大きかったと思う。
だけど、体育会系のバイトメンバーが
自分のブリーフを引き裂くという芸をやりはじめた瞬間、
もう誰もタシロのしたことを覚えていなかった。
帰る人間がちらほら出ると、
歯抜けになった会場はいくつかのグループに集まっていった。
タシロは、一人ぽつんとアイスクリームか何かを食べている。
わたしは、思い切って近づいてみた。
あの、さっきの虹なんだけど。
と声をかけると、タシロは、あ?という顔でわたしを見る。
あれ、もいっぺん見せてくれない?
タシロは、特にもったいをつけるでもなく、
手のひらをにぎり、ひらいた。
確かに、手のひらの上に、小さい虹がかかっている。
これ、どうやってんの?
わかんない。
わかんない?
わかんないんだ。
わかんないことないでしょ、手品なんだったら。
いや、手品じゃないんだ。
タシロがいうのには、この虹は本物で、
小学校くらいから「でる」ようになったそうだ。
でも、どういう仕組みなのかは本人にもわからないらしい。
ただ、緊張するとでやすいらしい。汗が関係してるんだろうか。
なんで手品なんて嘘つくの。
いや、どうせ、信じてもらえないし。説明すんの面倒だし。
人に見せるの久しぶりなの?
うん。まあ、こういう日だから。
みんなにも見る権利あるかなって。
タシロとしては「見せてやった」という意識だったらしい。少し驚く。
ねえ、その虹、さわるとどうなんの?
触ってみたら、とタシロは言って、
もう一度手のひらを握って、開いた。
また、虹。
その上に手をおいてみた。
虹は消えた。
かわりに、タシロのじっとりした手の平の感触がぶつかってきた。
思わず手をひっこめてしまう。
ひっこめながら、やばい、と思った。
さすがに、ちょっと悪いことした気がして、
ごめん、と言いかけてタシロの方を見る。
わたしをじっと見て、タシロは一言言った。
なんでもないよ。別に。
タシロは、それ以上なにも言わず、
会費の2500円をテーブルに置くと、
立ち上がり、そのまま出て行った。
わたし以外、誰もタシロが出て行ったことに気づかなかった。