西島知宏 2011年1月23日

「あるウサギの一生」

         ストーリー 西島知宏
            出演 坂東工

2011年1月5日、
ウサギ年になってからの初出社はいきなり徹夜だった。
厳密には1月6日の朝、僕は着替えるためだけの帰路で、
運命的な出会いをする。

彼女はまさにウサギのように白い肌を
ふわふわのタートルネックの袖から覗かせ、
大きなトートバッグを膝の上にちょこんとのせていた。
ウィキペディアに“お嬢様”という項目があるなら、
彼女の写真を載せるべきだ、それほど僕にとって理想的な容姿を持った
色白で透き通るような女性だった。

この路線のどこかに、
彼女の職場があるのだろうか。
幼稚園の先生でもしているのだろうか。
僕は彼女を直視しないまでも
頭の中を想像でいっぱいにしていた。

その日の夜、毎日つけている日記に僕は、冗談まじりにこう記した。
“ウサギ年にウサギの彼女と出会う”

それから、徹夜で朝帰りする時は決まって
その電車を使うようにした。

彼女はいつも、同じ電車の同じ車両にいた。

その年のある春の日。彼女はいつもの電車でめずらしく居眠りしていた。
彼女の居眠りはトートバックを持つ手の圧力を弱らせ、
電車の揺れの拍子にバックを床に落下させた。

少し離れた所からそれを見ていた僕は、
彼女が落としたバッグの中から飛び出した“あるモノ”を
俄に信じる事ができなかった。

どうしてこんなものが?

その日の日記にはこう記した。“何かの見間違いだ”

次の徹夜の朝も、その次の徹夜の朝も、
いつも通りの変わらない彼女を見かけた。

僕は次第に、あの日見たモノは本当に何かの間違いだったと
信じるようになった。

夏が過ぎ、秋が過ぎ、季節は彼女と出会ってから1年目の冬を
迎えていた。

そんなある日、彼女は殺された。

僕はそのニュースをラーメン屋で流れていた昼のワイドショーで見た。
その日から会社を数日休む事になった。

美女が殺されたというニュースは、
マスコミの格好のネタになり、
連日各局は報道合戦を繰り広げる事となった。
そして次第に世の中に事件の詳細が明らかになっていった。

僕が見ていた朝の彼女は通勤なんかではなく、仕事帰りだった。

そして、あの日バッグから飛び出したモノは見間違いなんかじゃなく、
やはりガーターベルトだった。

ニュースキャスターはこうも伝えた。
彼女は会員のみを相手にする売春宿で働いており、
その店のウリは質の高い女性の容姿と、
彼女達が着ているバニーガールとガーターベルトの衣装だった、と。

僕は、消失感とともに間近に迫ったウサギ年の終わりを感じていた。
ウサギ年に出会ったウサギのように真っ白い彼女との終わりを。

その年の最後のニュースで、ニュースキャスターは新たな事件の情報を伝えた。
犯人は被害者ともみ合った際、利き手に凶器のナイフで傷を負っている可能性が高い、と。

僕は、そのニュースを見終えると、コンビニで買って来た年越し用の
カッブソバにお湯を入れ、利き手じゃない方の手ですすった。

そして、その年最後の日記にこう記した。

「僕だけのウサギにしたかった。」

出演者情報:坂東工 http://www.takumibando.com/

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋

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神谷幸之助 2010年7月18日

hotaru.jpg

ぶ~ん

ストーリー 神谷幸之助
出演  坂東工

あー、ハエがうざい。

ここ、ニュージーランドでは
毎日、大量のハエとの闘いだ。
こっちのジョークに
「口を開けてるとハエが入るから、食事中は口を閉じなさい」
なんてのがあるくらい。

だからといっても
きょうは異常に多すぎる。
これも温暖化のせいなのかなあ。

ハエで思い出したけれど
きのう見た
「ヒカリキノコバエ」の赤ちゃん、きれいだったなあ。
ヒカリキノコバエの幼虫は真っ暗な洞窟の天井に住んでいる。

そして、カラダから粘液を出すんだ。
粘液は長いものでは30cm以上も、たらーりと下にたらす。
その粘液が暗闇で、ポアアって青白く光る。
それは洞窟の中に銀河ができたような、幻想的な宇宙。
この粘液の正体は、
日本の蛍の発光成分とおなじ。
日本人は、ヒカリキノコバエを通称「土ホタル」って呼ぶ。

だけどその美しい光は、おそろしい罠なんだ。

光にうっとりした虫をおびき寄せ、粘液でとらえ
身動きできなくして、ポリポリ食べるんだ。
成虫になるまで半年から一年もかかる。
そして、

成虫には、なんと「口」がない。

口そのものを持っていない。

ひたすら交尾をし、産卵を終え、
エネルギーを使い果たし、数日間の短い一生を終える。
ただ生まれて子孫を残すだけのシンプルな生きもの・・・。

あー、しかしこのハエの多さは気が狂いそうだ。
うわーって叫びたいけれど声が、・・出ない。

声が・・・出ない?
NA:
「ここからふたつのエンディングをお楽しみください。
 まず、エンディング/タイプAをどうぞ」

声が出ない?

そうか出せないはずだ。
このたくさんのハエは、
ぼくという「死体」に、たかっていたんだ。
ぼくはいつどうやって死んだんだろう。
ま、いまさらどうでもいいか。

そんなことより
あー、ハエがむかつく。
ぼくを食べるな。

NA:
「次のエンディング/タイプBをお楽しみください。」

声が出ない?

声がでなくてあたりまえ。
だって
ぼくはヒカリキノコバエの成虫。
もともと「口」というものがないんだ。
だいじょうぶ。
口がないから、人にはかみつけない。

そんなことより
交尾して一生を楽しまなくちゃ。

それ、交尾、交尾♪

出演者情報:坂東工 http://blog.livedoor.jp/bandomusha/

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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一倉宏 2010年6月26日ライブ


ちいさなトラネコの肉球は  (〜 NEW VERSION 〜)

                  一倉宏

(大) おとこ   

  ちいさなトラネコの肉球は
  ゴールキーパーの黒いグローブのようで
  転がるボールをみごとにセーブする

  ナイスなやつだ

  ちいさなオスのトラネコは
  タマタマの先っちょの毛も黒い

(聖) おんなのこ  

  すてきななまえをもっているのに
  おんなのこは もうひとつのなまえを
  じぶんにつけたりします

(坂) しょっき  

  食器洗い機があって洗濯機のない
  ぼくの独身生活を きみは笑いころげた
  だって 
  食器はコインランドリーで洗えないんだぜ?

  いまでも 食器洗いは嫌いだ
  洗濯しながらマンガを読むのが好きだ

(聖) まくら  

  じぶんの においがする

(大) たおる  

  いちばんしていい贅沢は バスタオルだ
  真っ白で大きくてふかふかの バスタオル
  この幸福感のねだんは あんがい安い

  だけど 
  おなかをすかせたアフリカのこどもたちへの募金
  きょう ポケットに手を入れかけて やめた

(聖) ぽんちょ  

まだ さゆうのあしを じょうずにうごかせない
このこのために

せかいは へいわでなければならない

(板) じーんず

  たまにムカツクこともあるけれど
  世界は おおむねオッケーだと思う
  とくに よく晴れた日なら

  友だちが
  おまえ ユウウツって漢字で書けるか と聞く
  書けるわけないだろ

(聖) ばっぐ  

  がーん しまった 携帯わすれた
  わすれなぐさは 春の季語

  わたし
  なんでこんなこと憶えてるんだろう?

(大) くつ  

  
  あるく あるく あるく
  あるく あるく あるく あるく
  とまる あるく あるく あるく

  あるくのが好きだ  


(聖) すかーと

  こどもが 眠る
  ときどき トラネコも眠る

  わたしも すこし眠る

  特技 すこしだけ眠って元気をだす

(坂) とけい

(聖) とけい

(大) とけい

    6月26日の日没になります。
    本日はありがとうございました。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP
      坂東工 http://blog.livedoor.jp/bandomusha/
      高田聖子 Village所属 http://www.village-artist.jp/

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神谷幸之助 2010年6月26日ライブ



渚にて。

        ストーリー 神谷幸之助
           出演 坂東工高田聖子

子犬に激しく吠えられて、ビックリして目が覚めた。
一緒に午睡をしていた彼女も悲鳴をあげた。
牧羊犬のボーダーコリーだ。
羊に吠えるように、僕らにまとわりつく。
誰のペットなんだよ。

地元の人が多いこの小さなビーチは、
昨日、都会から来た僕らに、冷たかった。
話しかけても誰も答えてくれない。
時々目が合って、愛想良く微笑んでも
すぐかわされた。

のどが乾いて
「すみません、ビールください」って、海の家でお願いしても
「なめんなよ!」って叫んでも。
全員に無視された。

ぼくらは、孤独だった。
閉鎖的なビーチ。

だから
僕は彼女とふたりで、
海で遊ぶしかなかった。

彼女は、泳ぎが得意ではなく、むしろ金槌だった。
水を怖がって、海には入ろうとしなかった。
それを無理矢理ゴムボートに乗せて沖に引っ張って行き
キャーキャー騒ぐ彼女と笑いあった。
ビーチのみんなに冷たくされても、
けっこう楽しかった。

それはビーチに戻ってきて
雲に隠れていた
太陽の強烈な陽射しが戻ってきた時のことだった。

(女性)「ここからふたつのエンディングをお楽しみください。
    まず、エンディング/タイプAをどうぞ」

太陽の強烈な陽射しが戻ってきた時のことだった。

僕の彼女に影がないことに気がついたのは。

え、どういうこと?

そして、僕にも影はなかった。

体を動かしたり、手を振っても
影はない、てか、できなかった。

その瞬間すべてが瓦解し、すべてが理解できた。

思いだした。
昨日、僕と彼女はこのビーチで
彼女を沖につれだしたとき溺れ、
それを助けようとした僕も溺れたんだ。

ライフガードにビーチまで上げてもらったけど。
人工呼吸をしてくれたんだけれど。
だめだった。

僕と彼女は、死んだ。

ビーチのみんなが冷たかったのではない。
みんなに、僕らは見えなかった。

犬だけが、僕らのに気づいたんだ。
ぼくらの「存在」を知っているのは、キミだけだったんだね。
ありがとう。

(女性)「次のエンディング/タイプBをお楽しみください。」

太陽の強烈な陽射しが戻ってきた時のことだった。

影があるのは、僕と彼女だけ。

そのほかこのビーチにいる全員に影がないことに気がついた

あのおじさんも、あのビキニの娘にも、この小さな子にも。

そこは、死の国だったんだ。
死者たちの海水浴。

犬は、この死のビーチの番犬。
こう吠えていたんだ。

「こっちに来ては行けない。出て行け!」

*番組の音声はこちらでお聴きいただけます
http://www.01-radio.com/tcs/archives/12468

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一倉宏 2010年6月26日ライブ



万葉の孤悲 

ストーリー 一倉宏
出演 坂東工

いまは もう
オープンカフェで待ち合わせするには
肌寒い季節だろう。

あなたと僕が待ち合わせをしたのは
5年前のちょうどいまごろ。 
神宮前のあの店で。

はじめてだから わかりやすいように
外側のなるべく奥のテーブルと約束して。

だから 20分も遅刻してしまった僕も
すぐにあなたを見つけることができたのだけれど。

いまでも憶えている。
そのとき カーディガンを肩にかけ
本を読んでいた あなたの横顔を。

こんな場面で
若い女性が開いている本は 先入観でいうなら
村上春樹やニューヨーカー短編集などがふさわしい。

けれど あなたがしおりを挿んだその本は
夏目漱石の『草枕』だった。

さらに 僕を驚かせたのは
遅れた失礼をわびると 
さらりと微笑んで あなたが こう答えたこと。

「いいんです。
 私、こういう時間が好きだから。」

男は誰だって 自惚れで肥大して 幻想を甘やかす。
だから あなたは無防備すぎたと いうつもりはない。
あなたが 好きだといったのは
相手が誰であれ 待ち時間に本を読むこと。
その ひとりの時間。

いまでも 青山通りから新宿方面に抜けるとき
あの店の前を通る。

あなたの名誉のためにいえば 
漢字の多い やや昔の小説を読むこと以外は
あなたは若い女性として 特に変わってはいなかった。

ふたりになれば
コーヒーにケーキをつけておかわりし
そして よく笑った。

なにが幻想で なにが幻想ではなかったのか 
ほんとうは いまでもよくわからない。

元気でやっていますか。
僕らは 僕らのあいだにあったなにかを
なかなか飛び越えられなかったね。

このあいだ 昔の日本語について調べていたら
万葉集では 「恋」を 「孤悲(こひ)」
孤独の「孤」に 悲しむの「悲」で 「孤悲(こひ)」
と書いていたことを はじめて知った。
ひとり 悲しむ の「孤悲」か。
恋とは結局 ひとりの時間のことなのか。

いまも カップを片手に ひとり静かに悲しんでいる。
それが 「孤悲」の時間なら 僕もまた 
この時間が どうしようもなく 好きかもしれない。

出演者情報:坂東工 http://www.takumibando.com/

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小野田隆雄 2010年6月26日ライブ



追憶

ストーリー 小野田隆雄
出演 坂東工

ヨウシュヤマゴボウは、
いつも、ひとり。
群れたり、仲間を集めたりしない。
いつも、ひともと、高くのびて
大きな葉を茂らせて、枝を広げ、
小さな白い花をいっぱいつける。
花が散ると、黒に近い紫色の実を
山ブドウのように実らせる。
昔、子供たちは、この紫色の実を、
色水遊びの材料にした。

ヨウシュヤマゴボウの白い花が、 
サラサラと散り始めると、
夏が盛りになってくる。
そう、その頃になると
江の島電鉄の小さな車両は
潮の香りに満ちてくる。

白い麻のスーツに
コンビの靴をはき、
大きな水瓜をぶらさげて

三浦半島の油壺のおじさんが、鎌倉の
雪の下の、僕たちの家にやってくるのは
そういう季節だった。
「やあ、太郎くん、
大きくなったねえ。いくつになったの」
太郎と言うのは、僕の名前である。
両親が四十歳を過ぎて
ひょっこり、生まれた、
ひとりっこである。あの頃、
小学生になったばかりだった。

おじさんは、父のいちばん上の兄で
銀行の重役だったけれど、
定年退職すると
三浦半島に引っ込んで、
お百姓さんになってしまった。
おじさんは、ひとりだった。
いつも、おしゃれだった。

「あれは、たしか
東京オリンピックの年だったねえ。
兄さんが、定年になったのは」

いつだったか、母が言っていた。

「兄さんは、女性のお友だちが多くてね。
それで忙しくて、とうとう結婚するひまが
無かったんだって。
なぜ、お百姓さんになったんですか、
ってね、聞いたことがあるの。
そしたらね、そりゃあ、あなた、
野菜はかわいい。文句をいいませんから。
だって」

僕は、おぼろにおぼえている。
せみしぐれが降ってくる、
昼さがりの縁側の、籐椅子に腰をかけて、
おじさんと父が、
ビールを飲んでいた風景を。

おじさん 「おーい、よしこさん。
 水瓜は、まだ、冷えませんか」

父 「でも、兄さん、三浦の水瓜って、
 どうも、あまり、甘くありませんな」

おじさん 「喜三郎(きさぶろう)、おまえねえ。
 水瓜なんてえものは、青くさい位が、
 ちょうどいいのさ。そういうものさ」

よしこ、というのは母。喜三郎と
いうのは父。おじさんは、
喜太朗という名前だった。

あの頃から、何年が過ぎ去ったのだろう。
父も母も、おじさんも、もういない。
僕は、ぼーっと夢みたいに生きて、
ほそぼそと、イタリア語のほん訳を
して生活している。
雪ノ下の家は手離して、
東京の白金(しろかね)のマンションにひとり。
ついこのあいだ、五十(ごじゅう)も過ぎて……

こうして、机にほおづえをついていると、
マンションの窓から、
入道雲が見える。
ああ、今年も夏になるんだなあ。
鎌倉に行ってみようか。
大町(おおまち)のお寺にある、三人のお墓に行ってみようか。
小さな丸い御影(みかげ)石が三個、
芝生に並んでいるお墓の上に、
きっと今年も、大きなヨウシュヤマゴボウが、
涼しい影を作っているのだろう。
その草の陰に、ちょっとだけ僕も、
休ませてもらおうかな。

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