中山佐知子 2019年9月29日「コロンブスの手紙」

コロンブスの手紙

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

2010年のことだった。
ある稀覯本の専門家がバチカン図書館収蔵の
コロンブスの手紙を見て首をかしげた。
「これは本物だろうか?」

ここで言うコロンブスの手紙とは
1493年に新大陸から帰ったコロンブスが
スペインの国王と女王に出したものだ。
手紙はもともとスペイン語で書かれていたが、
次の航海の資金集めに役立てるために
ラテン語に翻訳し、15部の印刷物をつくって
ヨーロッパ各国の宮廷に送ったその一通を
バチカン図書館が所蔵していたのである。

複製とはいえ500年以上も昔の貴重な資料で
誰でも自由に手に取れるものではなかった。
誰が、いつ、すり替えたのだろう。
そして巧妙な偽物をこしらえたのは誰だろう。
何年にもわたる調査が続いた。

2018年、アメリカのコレクターの遺産の中から
それは発見された。
コレクターは2004年にコロンブスの手紙を
87万5千ドルで買い取っていたそうだ。
コロンブスの手紙はバチカンに返還されたが、
盗難品を返すのは当然のこととはいえ、
亡くなった夫の形見であり、
しかも100万ドル以上の価値に跳ね上がっている手紙の返却は
未亡人にとってつらいものであったろうと思われた。

さて、この事件が解決を見る前の2016年、
アメリカ合衆国の議会図書館からコロンブスの手紙が
フィレンツェのリッカルディアーナ図書館に返還された。
またコロンブスか?またコロンブスだった。
バチカンと同じ2010年に偽物説が浮上して
これもまた数年にわたる調査の結果、
本物はニューヨークの書店が入手し、
オークションにかけられ、
最終的にアメリカ合衆国議会図書館に寄付されていたことが
判明したのだ。

さらにあまり大きなニュースにはならなかったが、
バチカンと同じ2018年、アメリカ合衆国政府は
バルセロナのカタルーニャ図書館に
コロンブスの手紙を返還している。

コロンブスの手紙はなぜ盗まれるのだろう。
なぜコロンブスなのだろう。

完全なオリジナル、つまりコロンブス直筆のスペイン語の手紙は
現在ニューヨーク公共図書館にあるらしい。
我々が手に取ることもできない貴重な文献には謎が多く、
「ある」とは言い切れないので「あるらしい」と言っておく。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2019年8月25日「18時20分に出た火は」

18時20分に出た火は

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

18時20分に出た火は屋根に広がり
19時53分には高さ96メートルの塔の先端が
炎に呑み込まれて崩れ落ちた。
リラの花咲く春のパリでの出来事だ。
火が出たのは800年の歴史を持つ
ノートルダム大聖堂だった。

20時8分、屋根が焼け落ちた。
20時42分、太陽が沈むと
骨格だけになった屋根が炎にライトアップされ
その全貌をさらした。

消火活動は火事の拡大を阻止することと
文化財の保護に限らざるを得なかった。
たとえば空中消火の手段を使って空から何トンもの水を落とすと
建物全体が崩落しかねないからだ。
消防車の他に消防船も出動し、
建物の強さと水圧を計算しながらセーヌ川の水をかけていた。

火事の火は赤く、ときにはオレンジに輝き
またピンクや紫になった。
炎のありとあらゆる色が集まったかのようだった。
それは爆撃のようでもあり、花火のようにも見えた。

集まって火事を見守る市民の中から最初の歌声が聞こえた。
ボーイソプラノだった。
歌詞からアヴェマリアという言葉が聞き取れた。
そうだ、この大聖堂の名前はノートル・ダム。
その意味は我らが貴婦人という
聖母マリアをあらわす言葉だと気づいた。
歌はやがて大勢のコーラスになった。
指揮をする人とともに歌うコーラス隊もあらわれた。
祈っていた人も泣いていた人も
いっとき歌に加わった。
パリはこうして燃え上がる聖母マリアを見守っていた。

火災発生からおよそ9時間経った午前3時半、
火事はほぼおさまったと発表があった。

中心部の屋根は燃えてしまったが
正面の部分と北の塔は残り
文化財のほとんどが無事と報道された。
燃えた屋根の30メートル下で飼育されていた
18万匹のミツバチも
火事のときはうまく退避したらしく
無事に巣箱に戻った。

あのとき市民がうたった歌のなかで
ひとつだけ聞き覚えがある歌があった。
フランスの修道士が作曲した教会音楽で
聖母マリアを祝福する歌だった。
その歌の最後は
「アーメンアーメン、ハレルヤ」と
いつも通り締めくくられている。

火事が消えた朝、夜明け前から鳥が賑やかに鳴いた。
やがてバラ色の夜明けが来ても
放水はまだ続いていた。
             

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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細川美和子 2019年8月11日「花火の火花」

「花火の火花」

    ストーリー 細川美和子
      出演 大川泰樹

江戸時代になり、戦争がなくなり、
使い道がなくなったとき
武器に使われていた火薬は花火に姿を変えた。
不浄なものを払い、
暗闇を照らす火を打ち上げることで、
厄を祓い、死者を悼む、鎮魂の意味をこめて。
そうやって、日本最古の花火大会である
隅田川花火大会が始まった。

やっと平和になったと思ったら
大飢饉と疫病で多数の死者が出て
人々に絶望が広がっていた時代。
倹約を唱えていた徳川吉宗が
両国川で水神祭を開き、慰霊と悪霊退散を祈り、
二十発の花火を贅沢に打ち上げた。

お盆の送り火や迎え火のように
その火は今まで生きてきた人たちと、
これから生きていく人たちの心を
照らしたんだろう。

今でも日本の各地で、
空襲や災害で亡くなってしまった人たちの
霊を悼むために開催されている花火大会がある。

長岡の大空襲で亡くなった人たちの
霊を弔う花火大会を、ビール片手に
打ち上げの真下から見たときには、
音と火花が同時に降りかかってきて、
煙にまみれ、美しいのか恐ろしいのか、
自分がいまどの場所にいるのか、
一瞬わからなくなった。
世界はなんて紙一重なんだろう。

家族や友達と連れ立って、
屋台でりんご飴を買ってもらい、
ワクワクして見上げるはずの花火大会を
子供の頃からどこかいたたまれないような、
物哀しいような気持ちで過ごしていたのは、
そんな由来を感じ取っていたのかもしれない。
花火大会が終わると、町中が緩んだような
ほっとしたような気配に包まれる。

それでも、今年の夏もまた
花火を観にいくんだろう。
終わってくれたことにどこか、
安心するんだろう。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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井田万樹子 2019年7月7日 「生ゴミを放置すると実際に起こる現象を教えてください」

「生ゴミを放置すると実際に起こる現象を教えてください」

     ストーリー 井田万樹子
        出演 大川泰樹(回答)・遠藤守哉(質問)

【質問です】
台所の生ゴミは、最大何日そのままにしておけますか?
先週から帰省しているのですが、台所のシンクに
生ゴミを放置したまま家を出て来てしまいました。
私は虫が大嫌いなのですが、どうすればいいでしょうか?
    M〜442-15 愛についての二重奏
【お答えします】 
今頃あなたの台所のシンクでは雑菌が繁殖し、
シンクに溜まった水の中で有機化合物が生まれています。
原始的生命の誕生です。
微生物たちは朝も夜も細胞分裂を繰り返し、
中には光合成を始めるものもいるでしょう。
もし貴方の台所の日当たりが良ければ、
台所は緑でいっぱいになっているかもしれません。
帰宅したら、まず葉っぱをちぎってマヨネーズをかけて、
サラダにして食べてみてはいかがですか?

【ご回答ありがとうございます】
お礼の返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。
実は、ますます怖くなってしまい、まだ家に帰ることができません。
あれから7ケ月が経とうとしています。
言い忘れましたが、生ゴミの中身は
クリスマスケーキ、ローストチキンの残りなどです。
もうすぐ本格的な夏がやって来ます。
私はこの先、どうすればいいでしょうか?
    M〜442-15 愛についての二重奏
【お答えします】
それでは、家に帰るのをもう少し待たれてはいかがでしょう?
もう少しすれば、魚類が出現するはずです。
シンクから水しぶきを上げて魚が飛び跳ねる音が聞こえてきたら、
玄関のドアを開けましょう。
新鮮な魚ですので、やはりお刺身でいただくのがいいかと思いますが、
さばくのが苦手ということであれば、
両生類の誕生まで待ってもいいかもしれません。
両生類なら、自分からお鍋に入ってくれるかもしれませんから。
トカゲの味噌焼き、カエルのムニエルなんてのもいいですね。

【質問です】
度々のご回答ありがとうございます。
待っていても不安が増すばかりなので、
意を決して帰宅することにしました。
今、玄関のドアまで来ています。
ですが、どうも妙な音が聞こえてきます。
魚が飛び跳ねる音ではないようです。もっと大きな音です。
私の台所は、一体どんなことになっているのでしょう?
    M〜442-15 愛についての二重奏
【お答えします】
まずいことになりました。
恐竜の出現です。
おそらく冷蔵庫や家具を破壊しているのでしょう。
こうなったら、彼らが絶滅するまで待つしかありません。
でも、落胆しないでください。
もう少し待てば、人類が誕生します。
ある日突然、玄関の扉が開いて、「こんにちは」なんて
素敵なご夫婦が貴方にお茶を入れてくれるかもしれませんよ。
その日が来るまで気長に待ちましょう。

出演者情報:大川泰樹(フリー) ・遠藤守哉(フリー)

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安藤隆 2019年6月2日「Y字路の、行かなかったほうの道での物語」

Y字路の、行かなかったほうの道での物語

   ストーリー 安藤隆
     出演 大川泰樹

 午後になると太る男は長靴をはいて石畳
の通りを突きあたりまで突進する。突端には
大多摩川の船着き場があり、近ごろ絶滅が叫
ばれるタマガワクジラ見物用のちいさなボー
トが数隻繋留されている。
 船着き場の記念写真屋が「クジラがジャ
ンプするぞー、撮るならいまだぞー」と勧誘
している。太る男は記念写真屋に見つからな
いように三角の立て看板に幾枚も貼ってある
見本の記念写真を眺めようと近づく。小嶋弓
の面影を追いかける太る男はとうとう船着き
場の記念写真に辿り着いたのだ。川をバック
に屈託なく笑うジーパンの娘は、記念写真屋
の腕を疑わせるピンボケだが、たしかに貧乏
旅行の若き小嶋弓に違いない。そこで太る男
は毎日のように古びた写真を眺めにくるので
ある。だが記念写真屋は太る男が大嫌い。な
ぜなら太る男は太った体で看板を覆って自慢
の見本写真をまるごと見えなくしてしまうか
らだ。怒ると甲高い中国語で怒鳴りながら追
いかけてくるので、船着き場の突端の階段ま
で逃げるものの、体重を制止しきれずに二段
あるいは三段、水中へつづく階段に足を突っ
こんでしまうのが常だ。
 ちいさな土産物店や食堂が隙間なく並ぶ
石畳の通りは影のような人々が行き交い賑わ
っている。常にほうほうのていの太る男が通
りの脇のドブ川で長靴をジュポジュポさせて
濁った水を吐き出していると、あたりをいつ
ものように静かな霧雨が覆いはじめる。仄白
い闇となって閉ざす。それを合図のように白
いカーテンをつまんで忘不了小吃店(おもい
でしょくどう)の客引き少女月紅(ユエホン)
がみじかい睫毛でウインクする。「月」とい
う字に「紅」と書くユエホンは貧しい育ちの
少女特有の大きな目をしている。
 太る男はいそいそとボウモアと生牡蠣を
注文する。月紅(ユエホン)はボウモアを白
酎(パイチュウ)用のちいさな歪みグラスに
そそぐ。生牡蠣は水餃子用のどんぶりに放り
こむ。今日もあれを言ってもらうのだ。
 心得た月紅(ユエホン)は太る男好みの
棒読みで言った。「ボウモアって、ストレー
トのほうが甘くて飲みやすいですよね」
 すると太る男は熱心にこたえた。「あっ、
ほんとだ、ボウモアはストレートのほうが甘
くて飲みやすいや!」
 海老色のボックスシートは背もたれが高
いので、月紅(ユエホン)はすばやく太る男
の太った指をとってスカートの中へみちびく。
少女らしい三日月のほんのさわりへ。

 くしゃみがつづけて七回でたのは、どこぞ
山の上ホテルのバーで太る男の噂をしてでも
いるのか。
 「太る男さんってまだY字路にいて何してら
っしゃるんでしょう」
「太ってんじゃねえの、あはははは」

 「あんたは日本人かね」
 石畳の通りの赤と青のアメリカ柄のテン
トの下、「豚の脳のスープ専門店」の店主で
ある中国人の父親が太る男に尋ねる。
 「そうそうそうそうそう! そう!」
 太る男は愛想よく答えてスープに浮かん
だ豚の脳を噛まずに呑みこむ。店主の横に利
発そうな長男が座って、わるい日本人を睨ん
でいる

出演者情報:大川泰樹(フリー)

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磯島拓矢 2019年5月5日「駅」

「駅」

    ストーリー 磯島拓矢
       出演 大川泰樹

電車で初恋の人と再会する。
そんなことは今や少女漫画でも起こらない、なんて言ったら
少女漫画家に怒られるだろうか。
しかし、思いがけない人との再会はある。

その日僕は、大学時代のサークルの後輩と再会した。
僕は外回りの途中で、ボーっと座席にもたれていた。
目の前にはカップルらしき男女が座っている。
男は居眠りをしている。女は中づり広告を見ている。
その女の人と目が合った。
「あっ」という顔をされた僕は、「え?」と思い、
1秒後に記憶がつながった。
いたいた。サークルの一つ下だ。
名前は、名前は・・・思い出せない。
つき合っていたわけではない。好きだったわけではない。
ただただ、同じサークルにいて、
時々コンパをして、時々テニスをしただけだ。
だからと言って、名前を忘れていいわけではないのだが。

目の前の彼女は、親しみを込めて頭を下げてくれる。
僕も下げる。
何だっけ?名前は何だっけ?
焦りが顔に出ていないことを祈る。
彼女は微笑み、僕を見る。
「久しぶりだね」という気持ちを込めて、僕はうなずく。
彼女もうなずく。
しかし名前は、相変わらず出てこない。

車内に次の駅の名がアナウンスされる。
彼女が男を起こす。僕はその駅で降りたことはない。
目をこすりながら男が起きる。立ち上がる。
電車にブレーキがかかり、少しよろけて彼女につかまる。彼女が支える。
僕はそんな様子を眺めていた。
電車が止まる。男はドアへ向かう。彼女が続く。
彼女は僕の方を振り返り、男の背中を指さしながら、
唇をゆっくり3回動かした。僕はそれを読み取った。
「だ・ん・な」
もう一度頭を下げて人妻は降りて行った。

もう一度言うけれど、
彼女とつき合っていたわけではない。好きだったわけでもない。
でも、僕はこの再会に感謝した。
「だ・ん・な」
唇から読み取ったメッセージは、なぜか僕を微笑ませる。

一度も下りたことのないその駅は、
ちょっと大切な駅になった。

出演者情報:大川泰樹(フリー)

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