たんぽぽ婆さん
近所に怖そうな婆さんが引っ越してきたのは
僕が小学校のときだった。
爺さんはおらず、婆さんと婆さんの娘と
ふたりきりだった。
何をして食べているのか分からないし。
婆さんは気が強く、押しも強く、
子供たちもよく叱られたが
娘さんは婆さんに似ない優しげな人で
話しかけると明るい声で受け答えをしてくれた。
引っ越して来て1年ほどたったころ、
娘さんの縁が決まってお婿さんがきた。
婆さんの家で質素な婚礼があった。
窓からのぞいた花嫁の顔はきれいだったし、
お婿さんもがっしりしたよさそうな人だと母は喜んだ。
婆さんもこれで楽隠居だとみんな思っていた。
ところが
婚礼から三月もしないうちに娘さんが亡くなってしまった。
あまりに急なことでびっくりしたのと気の毒なのとで
子供たちもしばらくはイタズラをやめたほどだったし。
ご近所も遠巻きに心配していた。
お婿さんはしばらくいたが、
四十九日が終ると肩を落とした姿で元の家に帰っていった。
婆さんはひとりになってしまった。
さて、それからだった。
頼みの綱の娘夫婦を失った婆さんは
隠居などしていられなかった。
朝は早くから箱車を押して竹輪や蒲鉾を売り歩き、
夕方になると銭湯の前にたこ焼きの屋台を出した。
さすがの強い気も折れて、愛想がよくなり、
夜はときどきうちのお風呂をもらいに来るようになった。
みんなが婆さんのことを「たーばー」と呼ぶようになったのも
その頃だ。
「たーばー」はたんぽぽの「た」と
「ばあさん」の「ば」の組み合わせだと聞いたが
決して野の花にたとえられるような婆さんではなかったので
なんでたんぽぽなんだ?と僕は不思議だった。
朝、僕がまだ寝床にいる時間から
婆さんは車を押して竹輪を売り歩き
僕が学校から帰る頃にはたこ焼きを焼いていた。
竹輪の車にもたこ焼きの屋台にも鈴がつけてあって
チリンチリンと大きな音で鳴った。
その音を聞くと、母は財布を持って玄関を出て行った。
春の運動会が近づいたころ
生徒は運動場の芝生の雑草を抜くことになった。
メヒシバやチドメグサに混じって黄色いタンポポがあった。
タンポポは黄色い花と緑の葉っぱの下に
とんでもなく長い根っこがあり、
とても全部掘ることはできなかった。
途中で切れてしまったタンポポを
僕たちは「ちっ!」と言いながら集めて捨てた。
残った根っこがまたタンポポになる。
タンポポってすげーと思った。
運動会の日、たんぽぽ婆さんは
学校にたこ焼きの屋台を曳いてきた。
人だかりがして大繁盛の屋台の下に
僕たちが抜くのを諦めたタンポポが黄色い花を咲かせていた。
出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属