古居利康 2010年12月19日



本日のスープ

ストーリー 古居利康
出演 山田キヌヲ

今日の本日のスープはなんですか?と訊いたら、「小指のスープです」と返ってきた。
え?コユビのスープ?という言葉をのみこんで、小指のわけがない、小海老でしょ、と、
早とちりのじぶんをひそかにたしなめて、「あ、それください」と注文する。ほんとに
コユビのスープが出てきたら、こわいけどワクワクする。どこかの、だれかの、細くて
長い小指でこしらえた、うつくしいスープ。

 しかしまぁ、今日の本日のスープ、って、日本語としてどうなんだろう。じぶんで言っ
ておきながらそう思う。本日イコール今日というより当日、と考えれば、昨日の本日も
明日の本日もありうるのか。本日のスープ。本日の気持ち。本日のわたし。本日のわた
しの小指。てのひらを上に向けて小指と小指をくっつけてみると、わたしの場合、左の
小指があきらかにすこぉし短い。爪が途中で途切れて扁平なかたちなのだが、先っぽは
ふつうに円くなっているし、右左、並べてみないと気がつかないていどの短さだ。無意
識のうちに、それとなく左手を隠すようなしぐさをすることもあるらしいが、それも
ひとに指摘されてはじめて知った。

 幼稚園のとき、なにか大きなものが、ダン!と倒れてきて、小指の先がつぶれた。も
のごころつく、はるか以前のできごとだから記憶にはないが、そのように聞いて育って
きた。輪郭のぼんやりした幼い日々が過ぎ、やがて春を思う年頃になったとき、じぶん
のからだのほんのわずかな欠損に気づく。けれど、小指の先の、それこそ小さな問題は、
睫毛の長さや髪の毛の光沢、毎日ひりひりと変化する胸のふくらみや肌のなめらかさと
いった、少女にとっての小さな大問題ほどには、気にしてこなかった。
 
 本人すら忘れているくらいなのだから、たいしたことではないし、小指それ自体や手
そのもの、あるいは腕ぜんたいを喪ったひとだって世の中にはいるんだから、それに比
べれば、わたしの小指は決して深刻とは言えない。だけど、せめて理由だけは知ってお
きたい、といつも思う。なぜ小指の先っぽがこうなっているのか、幼いころ何があった
のか、わたしの上に倒れてきた大きなものって何だったのか。そもそも、なぜ小指の先
だけだったのか。なにかから逃げようとして、小指だけが逃げおくれて、なんてことが
ありうるだろうか。逃げるとき、人間は手から逃げないだろうか。じぶんの胸のうちに
おさめておくには、どうにもやっかいなそれやこれやの疑念を、あるとき、母にぶつけ
たことがある。ところが、覚えていないと母は言う。そんなことがあったっけ…。とぼ
けるでも隠すでもないようすで、母はあっけなく残酷に、そう言ったのだった。

 じゃあ、この指はなんなの? もともとこのかたちで生まれてきたの? というのが、
わたしの言い分だ。幼稚園のとき、なにか大きなものが倒れてきて、小指の先をつぶし
た。そう教えてくれたのは、母でなければ父なのか。まさか、わたし自身が勝手にこし
らえたストーリー、なんて思ってないでしょう?

 ずいぶん待ったような、あっという間のような、微妙に狂った時間の感覚のなかを、
本日のスープがやってくる。湯気が立っている。いい匂いだけが先に届いて、やっと現
実に引き戻される。お皿の中身は、まだ見えない。どうしよう、ほんとうに小指のスー
プだったら。

出演者情報:山田キヌヲ 03-5728-6966 株式会社ノックアウト所属

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