伝説のトンネル掘り
ストーリー 福里真一
出演 瀬川亮
私の父の名前は、山田伝兵衛。その業界では、
「伝説のトンネル掘り」と呼ばれている。
彼は、その生涯に、三〇本以上のトンネル工事にかかわった。
彼の理論は、若い頃から、明快だった。
「そこにトンネルがない時、人々は山の向こうには行けない。
そこにトンネルがあれば、人々は山の向こうに行ける。
な、トンネルって、すごいだろ」
それは、子供だった私の目から見ても、少し明快すぎるようだった。
「でも、トンネルができるまでは、人々は山のこちら側で、
けっこう満足して暮らしてたんでしょ。
山の向こうになんて行きたくない人だって、いたんじゃないかな」
その私の疑問に対する答えもまた、明快だった。
「人間というのは、そういう生き物じゃないんだ。
おまえはまだ子供だからわからないかもしれないが、
人の一生というのは、いま自分がいる場所から、
ちがう場所に移動したいと願ったり、
それを実行したりすることの連続で成り立っているものなんだ。
だから、トンネルを喜ばない人なんて、いないんだよ」
父の自信に満ちた言葉を前に、私は、うなずくしかなかった。
その頃、私たち家族は、父がつくったトンネルが完成すると、
休みをとっては、そのトンネルをくぐりに出かけた。
ある時は電車で、ある時は車で、またある時は歩いて、
私たちは、父のトンネルをくぐった。
日本には無数の山があり、
父が掘るべきトンネルもまた、無数にあるようだった。
父と私の関係がギクシャクしはじめたのは、私が大学に入った頃からだった。
私が、山岳部に入部したことについて、父は、過剰なまでに反応した。
「木を切るために山に登る。それは、わかる。
山菜やなんかを採るために山に登る。それも、わかる。
でも、ただ山に登って、そして、下りてくるだけなんて、
おれには理解できないな」
私は、答える。
「そんなに難しく考える必要ないだろ。山の上って、気持ちがいいんだよ。
空気もきれいだし」
何度かの、かみ合わない言葉の応酬の後で、
父は、それまで見たこともない恐い顔で、言った。
「おれは、命がけで、トンネルを掘ってる」
それは事実だった。父はその時までに、右手の小指を切断していたし、
左脚も、少しびっこをひいていた。
「おれが、命がけでトンネルを掘った、その山の上で、
おまえは、ヤッホーなんて、叫べるのか?」
私は、ぐっと踏みこたえた。
「お父さんがトンネルを掘った山には、絶対に登らない。
それに、いまどきの山岳部は、ヤッホーなんて、言わないよ」
私がそう言うと、父はもう、何も言わなかった。
父はその後も、何本ものトンネルを掘ったし、
私はごく普通の会社に就職し、サラリーマンになってからも、
時々休みをとっては、山登りを続けた。
なぜ、山に登るのか。それは、自分でも、よくわからなかった。
ただ、一つの山に登り終えてしばらく経つと、
また必ず、次の山に登りたくなった。
でも、どの山に登った時も、決して、ヤッホーとは、叫ばなかった。
父と私は、次第に疎遠になり、
何年も顔を合わせない時期もあったが、
それが、お互いの年齢や生活環境からくる、自然な流れだったのか、
それとも、やはりどこかにわだかまりがあったのか、
それは、私にもわからない。
ただ、驚くほどのスピードで、月日は過ぎていった。
今年の春、私は、父を、入院先の病院に見舞いに行った。
父を見るのは、三年ぶりだった。
「伝説のトンネル掘り」と呼ばれた迫力は、そこかしこに、
まだちゃんと残っていた。
ただ、意識がないだけだ。
私は、眠る父に向って、話しかけた。
「こんどおれ、春の人事異動で、子会社の社長になったんだ。
で、その会社なんだけど、ここだけの話し、
親会社が税金対策のためにつくった、トンネル会社なんだ。
…おれもとうとう、トンネル関係の仕事に、ついちゃったよ」
私がそう言うと、父がニヤリと笑った、
…気がした。
(おわり)