名雪祐平 2024年10月13日「走れ唐辛子」

走れ唐辛子

ストーリー 名雪祐平
出演 阿部祥子

ここ、いいバーだねぇ。
ちょっと酔ったついでに、白状しようかな。
会ったばかりの男の人に、恥ずかしいけどさ。

わたし、刺青あるんだ。
ううん、小さいよ。燃えるような赤いやつ。
唐辛子の刺青なの。

綺麗でかわいいんだけど、
ファッションのタトゥーじゃないつもり。
わたしには、誇りだから。

ふふ、こんな話されても困る?
でも、わたしを知ってもらうには、
刺青の話がいちばんって思ったんだ。
からだのどこかは、まだ秘密。あとでね。

なんで唐辛子? って思うよね。

わたし、郵便配達員なんだ。
いま10人に1人くらいかな、女の配達員。

ホンダの赤いスーパーカブに乗ってて、
ある朝、局から5台一列で出発したのね。
その瞬間、感じたの。
アッ、似てるって。

ほら、見たことあるでしょ。
インドカレー屋さんのメニューに付いてる
唐辛子マーク。
激辛のカシミールカレーなら唐辛子5つとか、
甘口のバターチキンカレーなら唐辛子1つとか、
あのマーク。

その朝、赤いバイク5台が唐辛子5つだぁ、
って見えたの。激辛だぁ、って。
朝っぱらから楽しくなっちゃった。へん?

もう気づいたと思うけど、
わたし、郵便配達、大好きで。

お手紙届けたり、申請書類届けるのだって、
誰かの人生に関係してるんじゃないかな。
そのラストワンマイルを走るアンカーが
わたしなんだって責任もってる。

そういう郵便配達の誇りって、
目に見えないでしょ。
刺青なら、しるしとして見えるし、
だったら、毎日配達する相棒のバイク、
唐辛子しかないって思ったの。

でも、ただ刺青するんじゃおもしろくないでしょ。
条件を考えたんだ。

一生懸命配達してると、
ありがとうって声をかけてくれたり、
飲み物やお菓子をくれたりする人がいて、
ささやなことが、すっごくうれしいの。

そうはいっても二言三言のやりとりだから、
下の名前で呼んでもらうほど近づけるって、
あまりなくて。

あ、わたしの名前、ナオなんだけど、
配達先で、もしナオって呼ばれたら
唐辛子1つ、刺青してオッケー。
そういうルールにしたわけ。

がんばったなぁ、がんばった。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬって、わたしだもん。

配達担当エリアに、
チバさんという若いご夫婦の家があってね。
共働きだったんじゃないかな。いつも留守で。
赤ちゃんができてからは、ママが抱っこして
ときどき受けとってくれるようになったの。

わたしも赤ちゃん見てニヤニヤしちゃうから、
自然に話しかけてもらう仲になったんだ。

チバさんに配達するたびに、わたしも、
たわいもない話したり、冗談ぽくグチったり、
赤ちゃんにおどけてみたりして。

でもベタベタするのも仕事上よくないし、
1分もいないから、
ナオって名前まで呼ばれることは……なかった。

しばらくたって、赤ちゃんが1歳になるころにね、
チバさんが初めてこう言ってくれたの。

「ナオさん、わたし仕事に復帰するね。
子育てつらかった時もあったけど、
ナオさんが来てくれると、いつのまにか笑ってた。
ほんとうにありがとね。
あまり会えなくなるけど、
お仕事がんばってね。からだに気をつけてね」

わたし、肩が震えてたと思う。
うれしくて、かなしくて、うれしくて。

つぎの休みに、唐辛子の刺青を彫ったんだ。
いまもまだ、その唐辛子1つしかないの。
まだまだ甘口なわたし。バターチキンなわたしです。

赤い赤い唐辛子。傷口みたいに美しいんだよ。
からだのどこかは、口では教えない。
探してみる?



出演者情報:阿部祥子  連絡先ヘリンボーン https://www.herringbone.co.jp/

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川野康之 2022年4月24日「『肉の長谷川』のコロッケパン」

『肉の長谷川』のコロッケパン

ストーリー 川野康之
   出演 阿部祥子

私の家は肉屋だった。
駅から社宅の並ぶ団地へと向かう道の途中に
『肉の長谷川』の看板はあった。
地味な場所だが、夕方には仕事帰りの人がぞろぞろと店の前を通る。
その時間を狙って父と母はコロッケを揚げた。
立ちのぼるコロッケの匂いに誘われてお客が入ってくると
すかさずカレー用の肉や、
給料日の頃だったらすき焼きの肉を売り込むのである。
夕方は稼ぎ時なので、私と弟はいつも二人きりで夕食を食べていた。
おかずは売れ残りのコロッケである。
私は毎日コロッケでもとくに不満はなかったが、
弟はたまに父と母には聞こえないように
「またコロッケかよ」とつぶやくことがあった。
家にはまだテレビがなかった。
食べ終わると二人はそれぞれ読みかけの本や漫画に戻った。
今からは想像もつかないが、
その頃の私は病弱で、時々熱を出して学校を休んでいた。
学校を休んだ日には、岡本くんがプリントと給食のパンを届けてくれる。
それを私は楽しみにしていた。
岡本くんが帰った後、
家の中には岡本くんが運んできた外の匂いとパンが残った。

グリム童話に出てくるヘンゼルとグレーテルのきょうだいは、
遠い森に連れて行かれる時、
ポケットの中に入れたパンをすこしずつちぎっては道に落として歩いた。
それは家に帰るための道しるべだったのだけど、
ぜんぶ小鳥たちに食べられてしまい、ヘンゼルたちは帰れなくなるのだ。
この話は怖いけど、なぜか私をわくわくさせるお気に入りの話だった。
いつかは私も、父や母に隠れてポケットにパンを入れて
遠くへ出かけるだろう。
その時いっしょに行くのは、弟よ、お前ではない。岡本くんだ。
その日が来るのを私は心の中で待ち望んでいた。

岡本くんのパンは父がぜんぶ食べた。
パンにコロッケをはさんで、
ビールを飲みながら食べているのを見た時には、
少し残念な気持ちがした。
毎日は何事もなく過ぎていった。
私と弟はコロッケを食べ続け、私は頑丈な娘に育った。
学校を休むことはめったになくなり、
岡本くんがパンを持ってきてくれることもなくなった。
『肉の長谷川』の棚にコロッケパンが並ぶようになったのは
いつ頃からだっただろうか。
たぶん家にテレビが来たのと同じ頃だったと思う。



出演者情報:阿部祥子  連絡先ヘリンボーン https://www.herringbone.co.jp/

録音:字引康太

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