中山佐知子 2009年8月27日



あの人は青い瞳のそばに

                 
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹              

あの人は青い瞳のそばにいる。
それを僕は絵はがきで知った。

絵はがきはイングランドの北の西から届いた。
最後の氷河期の形見として残された500の湖が
もの言わぬ青い瞳のように冷たく静まる場所。
それでも黄色い水仙の花畑は明るく
緑の牧草地はゆるやかにうねり
背後の深い森は神秘的な陰影を与えていたので
夏の休暇を過ごすために訪れる人は多い。

僕は湖のホテルのデッキで
ワーズワースを読むあの人を想像する。
暗記できるほど読みこんでいる古いページを
パラパラとめくりながら
目の前にある風景を賛美した詩人の言葉と実際の風景を
あの人はおそらく念入りに見較べているだろう。

あの人は青い瞳のそばで生まれて死んだ詩人の言葉を
ただ受け入れるのではなく
外科手術のように解析しているだろう。

ただ、それが
あの人のそういう行為がある種の愛情だったのだと
やっと僕にもわかってきたのだ。

あの人は青い瞳のそばにいる。
点在する500の湖を念入りにめぐる時間は
あまりにも長く
だから、あの人はもう帰ってこないのだ。

あの人がこの世からいなくなったと知らされて
数日後に受け取った絵葉書には
確かに山と森と静かな青い湖と緑の牧場が
この世のやさしい景色だけを寄せ集めたような構図で写っていたので
僕はもう、あの人の不在については考えることをやめてしまって
あの人は青い瞳のそばで
青い瞳のそばのホテルのデッキで
ずっと本を読み続けているのだと思うことにした。

ただ残念なのは
あの人はまったく興味がないのだけれど
湖を囲む山々は5億年も昔の地層の隆起から形成されており
カンブリア紀の化石が
たくさん出土するという事実を教えてあげることが
もうできないことだった。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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佐倉康彦 2009年8月20日



同じ窓の下にいたのは
       
                
ストーリー サクラヤスヒコ
出演  片岡サチ        

小雨の中、一時間ほど遅れて
割烹料亭とは名ばかりの、
ただ旧いだけの居酒屋に着いた。
店の一番奥にある座敷の広間、
その手前に置かれた垢抜けない行灯に、
私の通っていた高校の名前を 見つける。
かなり無理をして買った ブランド物のパンプスを、
わざと目立つ場所に置き換える。
地元のどこかのセールで買った
流行遅れの下品なピンヒールや
一度も手入れをしていないであろう
ゴム底の踵が擦り切れた
ビジネスシューズたちの中で、
私のそれだけは別の世界に あるように見えて
少しだけ満足する。

六年ぶりの帰省を考えはじめた夏の走り
唐突に掛かってきた 旧い友人からの電話。
その彼女の声に勧められるがまま、
「そうね、ついでだから」と、
同窓会の出席を、渋々、 承諾する
忙しい都会の女を演じた。
あの頃のクラスメート全員に、
会いたいというわけではない。
逆に、会いたくない人間の方が 多い。
あの頃の私がされたことを
忘れたふりができるほど、
私は諦めがよくはない。
さほど広くない座敷に三十数人ほど、
女の出席者は三割にも満たない。
「田舎でヒマだから 出席率いいんだ」
心の中で、凍るように
ひきつり嘲笑(わら)いながら、
私は、あのひとを探した。

七年前、記憶のいちばん奥の
暗くて硬いところに
塗り込めてしまった
あのひとの顔を探していた。
そんな私を目聡く見つけ
十五年前と変わらない
嬌声(こえ)で 私の名を呼ぶ
件(くだん)の友人。
彼女の声に小さく応え、
隣におずおずと座る。
座が、シラケているわけではないが、
どこか冷たく醒めた匂いが充満した座敷の
上座に 当時の担任教師がいた。
気に入ったコだけを露骨に
依怙贔屓する一方で、
出来ないコに 徹底的して冷淡だった
狐目の体育教師が、
今では、穏やかに温かな笑みを
振りまく好々爺然だ。
そして、 余りに老齢となった
担任の脆い佇まいと
そうなるまでの時間の永さに
今更のようにおののき、
じつは、自分たち自身も、
あの座敷の前に散乱する擦り切れた
靴のごとく 脆く摩滅していることに
気づきはじめているようだった。

会は恙無(つつがな)くお開きとなり、
誰もが覚束ない足取りで、
店の外へと出て行く。
もう、私は「あのひと」を
見つけることができないのかもしれない。
この日の幹事でもある友人は
出席者の忘れ物チェックで座敷に
最後まで残っていた。
その彼女を待って
「二次会、逃げていい?ゴメン…」
そっと呟く私の横で
彼女は俯いたまま、
ゆっくりと顔を上げ遠い目をしながら
独り言のように囁いた。
「七回忌、だよね…」
あまりにも自然に、なんの衒いもなく
彼女の言葉が私の中に染みこんでゆく。

足許にある
かつてのクラスメートたちに
何度も踏みつけられ、
無様な格好で転がる自分のパンプスを、
私は、黙ったまま見つめた。
「これは、私だ」
こんなところにあの頃の私がいた。
「あのひと誰だっけ?」
こちらを盗み見ながらも、
明らかに私に聞こえるように
喋っているのは、
かつて同じクラブで
一緒に絵を描いていた女だった。
「ねえ、あのひと、誰だっけ?」
そう、
私もここでは、「あのひと」なのだ。
きょう、 会うことが適わなかった
「あのひと」のまわりには、
あと数日で、
朱いリコリスの花が、いっぱいに咲く。

出演者情報:片岡サチ 03-5423-5904 シスカンパニー

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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小野田隆雄 2009年8月13日



果樹園のひと
            

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

軽井沢の西、信濃追分駅から
十キロほど北へ入った高原地帯に、
少年の母の果樹園があった。
果樹園から、さらに北の空をみると
くつろいだ牛のように
おおらかな姿をした浅間山が、
いつも白い煙を
たなびかせている。

少年の母は、十九歳のときに
彼女のいとこでもある、銀行づとめの
青年と、東京で結婚した。
少年は、母と父のふるさとである
信濃追分が大好きだった。
それは、小学六年生の、
夏休みのことだった。
もう、来年からは中学生なのだから、
今年は、ちゃんと勉強もしなさいよ。
母にそういわれて、学習帳も
いっぱいかかえて、少年は
信濃追分の駅におりた。
バスの停留所で、
母の果樹園にゆくバスを待っていると、
ひとりの少女に、声をかけられた。
「オオタリンゴ園にいくのは、
 どのバスに、乗るのですか」
少年は、そのリンゴ園が、
彼のゆく村にあることを知っていた。
なぜなら、母の果樹園の隣だから。

少女の家は、横浜にある。
少女のおじさんが、
果樹園の経営をしている。
この夏、両親と
軽井沢まで、避暑にきている。
明日、両親もこちらにくるけれど、
ひとりになりたいので、先に電車で来た。
そういうことを、ガラガラにすいた
バスのなかで、少女が話した。
少年は少女に聞いてみた。
なぜ、彼に道を尋ねたのか、と。
地元の子に見えたから、と少女はいった。
少年は、自分が信濃の少年に
みえたのかと、妙な気持になった。
村に続く道はひどくゆれて、
少女の淡いピンクのワンピースの肩が、
ときおり、少年の半袖のシャツに触れた。

いつもの少年の夏休みは、
川遊びや山遊び中心だったけれど
その夏は、それに、
小さなデートがプラスされた。
果樹園のなかで、少女と会うのである。
彼女は中学一年生だった。
そのことを知ってから、少年には
彼女がずいぶん大人にみえた。
横浜のこと、東京のこと、
中学生のこと。ふたりは、
果樹園のなかを、歩いたり、
セミを追ったりしながら、
そのような話をした。

その日は、風の強い日で
浅間山の上を、ちぎれ雲が
飛び去っていくのが見えた。
ふと、少女は立ちどまり、
果樹園に咲いていた黄色い花を、
茎ごと折って、摘み取った。
「この草は、クサノオーという名前、
 胃ガンの痛み止めになるんだって」
果樹園のおじさんに、教わったと、
少女は、花を見ながら、つぶやく。
それから、ふいに、その花を
少年の白いシャツに押しつける。
茎や葉から、そのエキスが流れて
白いシャツに、しみが出来る。
かすかに、アルカロイドの匂い。
また、風が激しく吹いてくる。
リンゴの木は強くゆれ、
まだ青い果実たちは、葉と触れあって
ガラス細工のような音をたてる。
「ゴメンネ」、と少女がいう。
そのほおを、ひと筋の、涙が流れた。

なぜだか、わからなかった。
次の日から、少女は、いなかった。
少年の記憶も、そこで終った。
遠い昔の、夏の思い出。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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一倉宏 2009年8月6日



僕のブロンドの妹
            

ストーリー 一倉宏
出演 石飛幸治

それは 夢だろうか
ひとはいったい めざめたまま 何年もいつまでも
同じ夢をみることができるのだろうか 

10年がたったいま この話をしても もう 
夢か 嘘か 冗談としか 思われないのだけれど

僕にはかつて ブロンドの長い髪の 青い瞳の 妹がいた
名前を クリスチーヌ という
14才で 158センチの背丈で 突然 僕の世界に現われ
16才で 170センチの背丈で ある日 僕の前を去った

僕が 大学生になった年 
ささやかな翻訳の仕事をしていた母は
再婚するかもしれない してもいいかしら といった
僕の幼い頃に父と別れ 女手ひとつで育ててくれた母が
ちょっと恥ずかしそうに でも嬉しそうにいうからには
どんな異存も あるはずはなかった 

相手はアメリカのひと そのひとも再婚なの
かわいい とてもかわいらしい 娘さんがいるわ
きっと仲よくなれるはず すてきな妹ができるから
それが僕の はじめてにして 唯一の妹
カリフォルニア州 サンタモニカの生まれで
ブロンドの長い髪 青い瞳の クリスチーヌ
彼女は 8月の 真昼の太陽のように明るく笑って
8月の 夕暮れの潮風のようにはにかんで話した

14才で 158センチの背丈で すこしシャイだった
和風ハンバーグと 表参道と 日本のアニメが好きだった
弓道と マイケル・ジャクソンと 日本の憲法が好きだった
パパと 新しいママも好きだけど あなたも好き
アメリカで生まれ育ったけど 日本に来てよかった といった

僕が この人生で まっすぐに見つめられて
「 I LOVE YOU 」とささやかれ キスされたのは
君が はじめてだったよ 
僕の 妹だった クリスチーヌ

あの頃の あの気持ちを 
なんていったらいいのか わからない
僕はわけもわからず 突然 秘密の宝石を渡されたみたいで
これをお前に預けるから 肌身離さず たいせつに護るようにと
厳命された スパイみたいで 

君という 君の瞳のような おおきなサファイアを 
あるいは 別のいいかたをするなら
君という 美しい 危険なピストルを

それから3年が経ち 君は170センチになり
母は なんだか無口になり
まもなく 僕らの新しい家族は 別れた

あれから10年 元気でいますか
ブロンドの 青い瞳の クリスチーヌ

別れの日 成田のロビーで 最後のハグをして
泣いてくれた 僕の妹だった クリスチーヌよ

出演者情報:石飛幸治 スタジオライフ所属 

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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2009年8月(あの人)

8月6日 一倉宏 & 石飛幸治
8月13日 小野田隆雄 & 久世星佳
8月20日 佐倉康彦 & 片岡サチ
8月27日 中山佐知子 & 大川泰樹

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