冬の陽炎
ストーリー 安藤たかし
出演 村木仁
その駅の、線路をまたぐ跨線橋(こせんきょう)の窓には、
必ず四、五人の人影があって、
東京とは反対方向の線路の彼方を眺めています。
東京へ向かう電車が姿をみせるのを、見張っているとみせて、
そのじつ人々の目は、さらに遠くの、奥多摩の山並みを眺めているのかもしれません。
そのような、遠くを眺める人の、どこか茫然たる佇まいをしています。
西新宿の会社に勤める川瀬さんも、そのなかのひとりです。
ただし電車がやってきて、ほかの人たちが寒いホームへ降りたのに、
川瀬さんはひとり残っていました。
すこしして、反対方向へ向かう電車がの真下から頭を覗かせたとき、
あわてて、そっちのホームへ駆け降りてゆきました。
川瀬さん、じつは二日連続です。
きのう山並みをみているうち、「東京でないほう行き」に乗ってしまったのです。
そんなこと、はじめてでした。
すると、一駅一駅「なにか」から遠去かるのが、心配でなりませんでした。
電車がいったん乗り換えになる「青梅駅」で、もう限界とばかり降りました。
なのに時計をみると、たかだか三十分しかたっていません。
いったいなにから遠去かったというのだろう。
これから出社しても遅刻ですむくらいです。
わかることは、ひどくドキドキしたことだけ。
癖になりそうだと微かに予感しました。
そうして、きょうです。案の定です。二日連続で「青梅駅」です。
川瀬さんは迷わず、街道の、きのうとおなじレトロな喫茶店に入りました。
店主が、顔を覚えていたらしく、「あ、どうも」とちょっと笑いました。
川瀬さんは「暇なんでアハハハ」と言い訳しました。
コーヒーを頼むと、リュックからノートパソコンを出して、
いつもの、ドラゴンズファンの集まるサイトを開きました。
そこはブログをまとめたページで、川瀬さんも、じぶんのブログを載せているのです。
あゝ今月から、沖縄キャンプがはじまっています。
おとといはフリーバッティング、きのうはシートバッティングでした。
川瀬さんは、CS放送を録画してチェックしています。
贔屓にしている二人の選手が、二人とも気掛かりな出来で、
そのことを書こうと思っていました。
ピッチャーの伊藤と、ショートの堂上(どのうえ)です。
きょうは準規(じゅんき)と直倫(なおみち)について書く、
というタイトルにしました。
ファンにはそれだけで通じます。
書き出しは「準規は相変わらずであった」
「つづけて「ストライクをとる自信が、みるからにない。
私の目には投げることそのものを怯えている、としかみえなかった。
ストライクどころか、球を投げることに汲々としている。
フォアボール、ヒット、フォアボール、ホームランという結果は、
ある意味予想どおりであった。思い出すのは去年のキャンプである。
まったくおなじ成りゆきで、シートバッティング途中で投球を禁止され、
即二軍行きを命じられた。
指令したのは去年のピッチングコーチで今年の新監督、森繁和氏その人である。
準規は去年の経験がトラウマとなり、
突然のイップスを発症したのではないか、と心配している。
きのうはそれほど尋常でないピッチングであった。
意外と評判の良い新監督であり、応援するにやぶさかでないが、
なにか恐ろしいところもあるような男かもしれない」とここまで書いて、
最後の行に「よい意味でも」とつけ加えました。
「よい意味でも、なにか恐ろしいところもあるような男かもしれないてんてん(‥)」
なんだかいつもより疲れたけど、やめると書けなくなるので、
まずいコーヒーをおかわりして、つづけます。
「直倫も相変わらずであった」書き出しはとおなじにしました。
「直倫は美男である。人の良い美男である。
去年苦労してやっととったレギュラーなのに、
ライバルのルーキー京田や、眠い目をして虎視眈々の阿部とニコニコしている。
その笑顔が、いい人丸出しなのだ。
もちろん、打席にそれが出なければ、いい人でいい。出るから問題なのだ。
ライバルの京田と阿部が、抜け目なくヒットをったのに、直倫は中途半端な三振。
どこかまだ本気でないのである。
森新監督は、を意識して「足の速い選手を使う」と公言している。
阿部については去年、代理監督をやったとき、レギュラーの直倫をなぜか外して、
阿部を起用していた。それらはを評価していない、という新監督のメッセージと考えねばなるまい。
直倫よ、笑っている場合ではないのだ」
と書きました。読み返して、もうひとこと、最後につけ加えました。
「私は 心配です」と。
勘定のとき、レジで、店主が、お近くですかとちょっと怪しむ目をしました。
「あっ、あっ、近いですアハハハ」川瀬さんは答えました。
外は冬晴れで、暗い店内から出た川瀬さんは、
道の明るさに、一瞬目眩(めまい)に襲われました。
もうやることはありません。そのことにも目眩がします。
駅前のコンビニで、好物のメロンパンを買いました。
時間があるという言い方は、いまの場合変だよなあと考えながら、
駅の反対側へ行ってみることにしました。
そっちは山の斜面で、急な坂道になっていました。
途中、無人のテニスコートに陽が当たっていました。
桜の木がたくさん植わっていて、
春はきれいなのかなと想像しました。
上まで登ると、グラウンドがひらけていました。
茶色く枯れた、高い樹木たちを背に、野球のネットが立っています。
サッカーのゴールもあって、斜面を利用した観客席が設けられています。
川瀬さんは近くのベンチに座り、コンビニで買ったメロンパンを、
袋からごそごそ出して齧りました。
人っ子ひとりいない広いグラウンドに、尖った透明な光があたっています。
明るすぎます。
川瀬さんは、これからどうしようと思いました。
家へ帰って、早退き(はやびき)してきたよと妻に告げようか。それとも‥
ここより先にも‥「きょう」はつづいてるんだよな。
ふいに線路がみえます。山へ延びています。
明るすぎます。
なにかが行方を隠しています。
メラメラと陽炎がたっています。
陽炎が逃げてゆきます。
川瀬さんは追いかけます。
出演者情報:村木仁 劇団新感線所属
(ヴィレッヂ:http://www.village-artist.jp/)