中山佐知子 2021年6月27日「びしょびしょ」

びしょびしょ

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

雨が降っていた。
雨は嫌いだった、
もともとはそうでなかった。
この寺に来てからだった。

彼は都の西の寺の責任者だった。
この都には寺はふたつしかない。
西の寺と東の寺だ。
西の寺には全国の寺を統括する責任が与えられ、
いわば役所も兼ねていた。
東の寺は真言宗の道場になっており
空海がこれを預かっていた。
西の寺と東の寺の間には
朱雀大路という巨大な道路が南北に延びており、
当時は北の突き当たりに
ミカドがお住まいの御所があった。

彼は西の寺が嫌いだった。
東の寺とそう離れてもいないのに
ここは水はけが異常に悪かった。
襖や障子はじめじめと湿気を吸って膨れていた。
大事な経典や書物を乾いた状態に保つのもむづかしかった。

大雨が降るとすぐに道も庭も家も水浸しになり、
その水がなかなか退かなかった。
不衛生だった。
あたり一帯で病気が蔓延した。
寺でも悪い咳をする僧侶が何人もいた。

びしょびしょに耐えかねて
東へ逃げていく住民が増えた。
寺のまわりは荒廃が目立つようになった。

彼は雨が嫌いだった。
ことに梅雨の時期が嫌いだった。

奇跡のように雨が少ない年があった。
寺では久々に書物の虫干しをした。
虫に喰われた穴を、紙と糊で修復する、
その糊にカビが生えないことがうれしかった。

雨のない年は数年続き、
やがてミカドから使いが来た。
田畑の作物が実らなくなったので
雨乞いの祈祷をせよとの命令だった。
「いやだ」と彼は思ったが
命令とあればいたしかたなかった。
寺に祭壇を築いて
申し訳程度の雨をパラパラと降らせてやった。

ところがミカドはそれに飽き足らず
東の寺の空海にも雨乞いをお命じになった。

うんざりだ、と彼は思った。
あいつは容赦なく雨を降らせるだろう。
川も池も井戸も水が溢れるだろう。
いっとき洪水になっても田畑は生き返るだろう。
しかし都のこちら側、西半分では
その水が乾かず、またびしょびしょになる。

そんなことを考えているうちに、雨になった。
雨が降ってきた。
彼は本当に雨が嫌いだ。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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