直川隆久 2012年7月31日

奇 跡  

             ストーリー 直川隆久
                出演 大川泰樹

「おい。どうしてる。飲みに行かないか」
1年の時間を費やした作品が某新人賞選考に漏れ、
腐っていた俺を気遣ってか、
小林が電話をかけてきた。
「お前のおごりならな」
「誘ったんだから、そのつもりだよ」
小林とは大学の文芸サークル以来のつきあいだが、二人の人生は全く違う。
かたや、出す本がことごとく10万部を超え、才能、金、
そればかりか性格のよさまで持ち合わせた人気作家。
かたや、アルバイトと書き飛ばし仕事で糊口をしのぎながら、
小説家(という肩書き)への夢捨てきれず、
もがき書いては落選を繰り返す売文屋。
小林を前にすると嫉妬を初め様々な黒い感情が
脳内に浸み出してくるので、
断ろうとも思ったが、
作品執筆のためアルバイトをやめた反動で財布はからっぽ。
俺はひとまず小林を思いやりのある万札と考え、
黙ってついて行くことにした。

小林に連れられて来たのは銀座のバーだった。
もとより銀座は詳しくないが、この店は、
ある程度銀座に通った人間でも見逃しそうなせまい路地の奥、
そのまた地下にあった。
重い木のドアを開ける。
天井からぶらさがった骨董品めいたランプの光が、
タバコの煙でやわらかくにじんでいる。
カウンターの向こうにいたバーテンの男性は、
いらっしゃいませと言うかわりに軽く頭を下げた。
年は70くらいか。
だが、背筋はまっすぐにのび、整った白髪が美しい。
カウンターは年代もので、手ずれで渋い光沢を放っている。
メニューも、すべて手書き。紙が黄ばんでいるが、
それもまた味わい深い。
小林の野郎、さすがに、いい店で飲んでいやがる。
毎月どれぐらい印税が入るのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
注文したカクテルは、どれも憎たらしいまでにうまかった。
特にブラッディメアリーは、
今まで飲んだものの中では、ダントツだ。
この際、飲めるだけ飲んでやろう。
どうせおごりだ、とメニューをひっくり返して見ていると、
妙なものを見つけた。
リストの一番後ろのメニューが、黒く塗りつぶされている。
これはなんだと尋ねると、小林は、余計なものをみつけたな、
という顔をした。
俺がもう一度尋ねると、ちょっとあたりをうかがって、声をひそめた。
「それか。それは…いわくつきのカクテルでな。販売中止なんだ。
俺も飲んだことない」
「いわく?なんだ、そりゃ」
「いやあ」と小林はさらに声を潜め「このカクテルを、頼んだ人間は、みな…
まあ、妙な話なんだけど」
「なんだよ」
「大成功するらしいんだ」
「大成功?」
「そう。成功して、すごい金が転がりこんでくる。例外なしに」
「おいおい」俺の声は独りでに大きくなった。
「霊感商法の店か、ここは。勘弁しろよ」
「馬鹿。何言って――」
と、そこで小林の携帯が鳴った。
小林はすまんと手でゼスチャーしながら、表に出ていった。
編集者か、女か。どっちにしろ羨ましいことだ。

「そのカクテルですか」
と今まで無言だったバーテンダー氏が、急に声をかけてきた。
意外にしわがれた声をしている。
「ええ。俺の連れがいわくつきなんて事言ってましたが…ほんとですか」
バーテンダー氏は、やれやれといった顔で
「そうなのです。このカクテルを頼まれた方はどうしたものか、
 時を置かずして幸運に見舞われるのです。
 経営なさっている会社が急成長したり、
 長年下積みだった音楽家の方が大ヒットをだされたり…」
バーテンダー氏は、俺も知っている作曲家の名をあげた。
「じゃあ、縁起のいいカクテルじゃありませんか。
 名物にしてもいいのに、なんでやめちまったんですか」
「いえ、やめたわけではないんですが、妙にそれだけが評判になって
 物見高いお客様が増えても…。
 静かに召し上がりたい方のご迷惑になるといけませんので」
だが、無いと言われると、飲んでみたくなるのが人情だ。
俺は、少し食い下がってみた。
「いま、やめたわけではない、とおっしゃいましたね。
 ということは、ださないこともない、と」
「ええ。いや」とバーテンダー氏は目をそらした。気になる。
「どうすれば飲めるんです?」
そのとき、バーテンダー氏の目に今までとは違う光が宿った。
彼は俺にこう訊いた。
「何か、このカクテルが気になられる理由が…おありですか?」
腹の底まで見透かすような目だった。
だが、それと同時に、この人なら俺の気持ちをわかってくれそうな、
そんな優しい目でもあった。カクテルの酔いも手伝ってか、
俺はなんだか胸のもやもやを全部はきだしたい気分になってしまった。
安いギャラへの愚痴。同世代で成功しているやつへの嫉妬。
状況を変えられない自分へのいら立ち。等等等等。
初対面の人間によくそこまでという内容だが、
話しだすと感情が堰を切ったようにあふれ、止まらない。
バーテンダー氏は最後まで聞きおわったあと、
静かにうなずき、こう続けた。
「あなたは、どんな小説をお書きになりたいのです」

改めて問われると、一瞬言葉につまったが、それでも俺は、
酔った頭でなんとか弁舌をふるった。
「ぐ、具体的には、わかりません。
 それをずっと探しているともいえますが…
 うん、そう…なにか人間が、かぶっている、
 嘘っぱちの皮をひっぱがしたいというか…
 そういう作品が書きたい。そういう作品でゆ、有名になって
 …世の中を見返してやりたい、というような…」
俺が話し終わると、バーテンダー氏は
「このカクテルは、あなたのような方に、飲んでいただくべきだと思います」
と言った。
「え」
「ご自分の作品で、世の中を見返したい。と、そう心からお思いなら――」

バーテンダー氏は、メニューの、黒く塗りつぶされた所を指差した。
俺は、うなずいた。魅入られたように。
バーテンダー氏は、にこりと微笑んだ。

彼は、冷蔵庫からいくつかの瓶をとりだし、シェーカーを振るった。
カクテルグラスに注がれたそれは、
さっき飲んだブラッディメアリーよりもさらに深く濃い赤だった。
まるで本当の血でつくったような。
「そういえば、そのカクテル。…なんていう名前なんですか」
「ベリート」とバーテンダー氏はゆっくりと口にした。
そのあと、ヘブライ語で“契約”という意味だ、と続けたような気がする。
俺は、それを飲んだ。辛いような、甘いような、不可思議な味。
グラスの中身が空になるとバーテンダー氏が、
小さく、おめでとうございますと言った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

入り口のドアがばたんと開いたかと思うと小林が入ってきた。
「やあ。すまん。『新文芸』の編集者は、話が長くて…」と席についた小林は、
イスを俺のほうへ寄せて「さっきの続き。このカクテルのいわれ」と話し始めた。
今さら聞く必要もない気がしたが、
カクテルを飲んだことを説明するのも面倒なので、
小林が話すに任せる。
「これを頼んだ人はみな成功する。というところまでは話したな」
「ああ」
「ところが、これには続きがあって」
「ふん?」
「気味悪い話だけど、その人達、大体3年以内に、変死するんだ。
 工事現場のクレーンが倒れて下敷きになったり、
 体中に悪性の腫瘍ができたり…
 マスターもああいう人だから、気にしてね。
 これ以上妙な噂がたつのもアレなんで、欠番商品にしたと――」
足元の床がぐにゃりと沈みこんだような感覚をおぼえ、
俺はバーテンダー氏のほうを振り向いた。
できあがったカクテルの味見をしている、その舌の先が、
蛇のそれのように二つに分かれているのが見えた。

…悪魔?

そうか、そういうことか。
俺は、どうやら、“まずい”契約をかわしてしまったらしい。
一体どうなる?頭がパニックを起こしそうになったそのとき――

ある小説の構想が…今まで誰も読んだことがないだろう、
“究極の小説”の構想が、頭の中に稲妻のように立ち現れた。
完全にオリジナルであり、かつ、人類史レベルの普遍性をもつ、
圧倒的な物語のプロットがそこにあった。
そして次の瞬間、プロットは具体的な言葉をまとい、
ストーリーとなった。
ショッキングな冒頭から、読む人すべての心を震わせずにはおかない
ラストの結語にいたるまで、すべての言葉が、
微塵のあいまいさもなく俺の目の前に広がった。
悲しみ、怒り、快楽、苦痛、卑しさ、崇高さ。人間の本質、
そのすべてが描きつくされていた。

すばらしい。すばらしい。
俺はそう繰り返し、涙を流していた。
こんな完璧な作品に、生きてる間に出会えるなんて。
しかもそれを、俺が。この俺が書けるなんて。
こんな小説が書けるのなら、なんだってくれてやる。
そう、魂だって――

バーテンダー氏が、俺のほうを見ているのに気付いた。
その表情からあふれていたものは、まぎれもなく――「慈愛」だった。   

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2012年7月29日

ひとつめの太陽が沈むころ

              ストーリー 中山佐知子
                 出演 地曵豪

ひとつめの太陽が沈むころ
トラディショナルなマティーニを頼んだ。
バーテンダーは300種類のマティーニをつくり分ける技術を
プログラミングされているが、客はいつも僕ひとりだ。

ふたつめの太陽が沈むころ
出鱈目なマティーニの名前を言ってみた。
アップルマティーニ
りんごサワーの味がするマティーニが出てきた。
それじゃあ、アップルパイマティーニ
こんどはカルバドスの香りのするマティーニだった。
この違いの意味がわからない。
バーテンダーは会話をプログラミングされていないので
説明は一切なしだ。

みっつめの太陽が沈むころ
「ウィンストン・チャーチルのマティーニ」をオーダーした。
すると、即座にジンのストレートがカウンターに置かれ
ベルモットの瓶が右斜め横に並んだ。
150年前の政治家がベルモットを横目で睨みながらジンを飲んだという話は
歴史の時間に学んだことがある。
侵略や革命や戦争が教科書から消えて以来
歴史は過去のファッションやグルメのことになってしまっている。
チャーチルはマティーニを飲む以外に何をやったんだろう。

よっつめの太陽が沈むころ
また出鱈目に「アポロ13号マティーニ」と言ってみた。
出てきたマティーニは粉末ジュースの味がした。
宇宙開発黎明期の初期型飲料が使われているらしかった。
もう二度と頼まないぞ、と思った。

いつつめの太陽が沈むころ
僕はどれだけ飲んだのかわからなくなっていた。
実を言うと、いまいくつめの太陽が沈んでいるのかも定かではなかった。
この星は18個の小さな太陽が出たり入ったりしているので
まぶしい昼も闇に沈む夜もなく、
一日中夕暮れのようにぼんやりとしている。
体内時計はとっくに壊れ、カレンダーも思い出せないが
予約した迎えの船が来るのはまだ何ヶ月も先だということだけは
チケットのタイマーが知らせてくれている。

僕が六つめだと思っている太陽が沈むころ
バーテンダーに時間をたずねたら
黒いオリーブの入ったミッドナイトマティーニをつくってくれた。
僕は今日も何も書くことがない。
お天気さえ最初に「晴れ」と書いたきりだ。
ここでは雨も降らず、風も吹かず、災害もなく季節もない。

この星に入植した開拓者たちは
苦労の末に去ったのではなく、退屈の果てにこの星を捨てたのだ。
彼らのストーリーは三行で終わる。
「ここに来た、ここで暮らした。ここから去った」

すでにいくつめだかわからなくなった太陽が沈むころ
僕はジャーナリストマティーニを飲んでいた。
むかし東京の外国人記者クラブの遺跡から
165本のジンと5本のベルモットの空き瓶が発掘され、
その33対1の比率で混ぜ合わせたドライマティーニを
ジャーナリストマティーニと呼ぶようになったのだ。

ジャーナリストはドラマがあればそれを書けるが
退屈を描くのは不可能だ。
だから僕は一行も書けずに毎日酔っぱらっている。
誰もいなくなった星にひとりで来て
なすすべもなく酔っぱらっている。

僕はジャーナリストマティーニを飲みながら
もし自分が小説家だったら
この退屈を書くことがでるだろうかと考えた。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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吉岡虎太郎 2012年7月22日

「カクテルにしとけばよかった」 

             ストーリー:吉岡虎太郎
                出演:前田剛

いかにも真面目そうな新入社員だった。
青白い肌、銀縁眼鏡、
案の定、酒もほとんど飲めないらしく、
女の子が飲むような薄いカクテルを
舐めるようにちびちびと飲んでいる。
これじゃ、酒豪の田中さんの部下は
きついだろうなと同情した。

この日の客は3人。
田中さんはこのバーの常連の商社マンで、40代。
週に3度はやって来る。
Nさんは、田中さんの会社の元先輩で、
50そこそこか。今は独立して、
田中さんのお得意先となっている。
そして、顔に「ゆとり世代」と
書いてあるような新人くん。

ビールから始まり、ワインの瓶が空き、
ウィスキーが注がれる。
先輩と、先輩の先輩でしかも得意先と
カウンターに並ばされた新人くんは、
飲めない上に、緊張してしまい、
この店に来てからほとんど一言も発していない。

「Nさん、リオのカーニバルで全裸になったの
覚えてます?俺、あれこそ大和魂だと思ったよ」
「わははははは」
「お前だって、サンパウロで銃を向けられた時、
突っ張りでふっ飛ばしたじゃないか」
「わははははは」

歴戦の強わ者たち二人を前にして、
新人くんにはただうなずくか、
感嘆の声を漏らすしか術がない。
私がチェイサーの水を注ぎ足すと、
新人くんは一気にゴクゴクと飲み干した。

「Nさん、そろそろ日本酒いきますか。
この店いいの置いてるんですよ」

「さ、君も一緒に飲もう。商社マン魂に乾杯だ」
そうNさんに言われたからには仕方なく、
新人くんもきゅ~っと一気に飲み干した。
そして、二杯、三杯…。

田中さんが新人くんの肩を叩いて、
「お前も黙ってばっかいないで、
Nさんにいろいろ聞いて勉強しろよ。
Nさんは海外経験も豊富でフランクな人なんだから、
何言ったって怒ったりなんかしないぞ」
と言い残してトイレに向かった。

Nさんは、くつろぐように椅子を座りなおすと、
振り返って背後の窓の外を見つめ、しばし沈黙した。
その目に映っていたのは、都会の夜景ではなく、
ぎらぎらと照りつけるサンパウロの太陽か、
リオの海に沈むまっ赤な夕陽だったかもしれない。

その時、Nさんの股間を何かが素早く撫で上げた。

(小島よしおっぽいアップテンポな打楽器系の曲)

「うぇ~い、もっといっちゃいましょうよ~!
 グラス、空いてるじゃないですかぁ~。」

新人くんが立ち上がって、奇妙なダンスを踊りながら、
Nさんの股間をリズミカルに撫で上げている。

「うぇ~い、飲み、たりませんよ~!
もっともっと、いっちゃいましょうよ~!」

半笑いで首をぐらぐらと不気味に揺らしながら、
新人くんは、何度も何度も
Nさんの股間を執拗に撫で上げる。
突然の出来事に、Nさんは無抵抗になすがままだ。
さすがの私も言葉を失った。

「うぇ~い、もっと飲みましょうよ~!」

♪~(ふたたび静かなジャズに戻る)

トイレのドアが空き、田中さんが姿を見せると、
新人くんは何事もなかったかのように
元の席に戻っていた。
「あ、あのさあ田中、今日はちょっと飲みすぎた。
 悪いけど、失礼するよ」
「え、もうちょっとくらい…」
田中さんの言葉をさえぎるように、
Nさんは足早に店を出た。

何事が起こったのか分からない田中さん。
ふたたびうつむいて黙り込む新人くん。

あ~あ、カクテルにしとけばよかったのに
…私は心の中でつぶやいた。

      
出演者情報:前田剛 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

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佐倉康彦 2012年7月15日

ナイトゲーム

    ストーリー 佐倉康彦
       出演 岩本幸子

東京の夜は、
明け透けている。
遠慮がない。
水銀灯や
メタルハライドの光の束は、
見せなくてもいいものまで
見せつける。
そして、
見たくもないものを
目の当たりにして、
途方に暮れる。
自然光の下なら、
誰にも気づかれず
隠しおおせるはずの
わたしのそれも、
今夜、曝かれる。
それは、
あのひとのそれも
たぶん同時に
曝かれる、ということ。
約束の時間は、
もう、とうに過ぎていた。
久しぶりのスタジアム。
ゲートの入り口で
わたしはあのひとを
待っている。
切れかかった蛍光灯が、
気の早い秋の虫のように
耳障りな濁った音を立てながら
わたしの姿を不規則に、
冷たく、曖昧に、照らす。
国際Aマッチの
ホイッスルが鳴って
随分と経つ。
ほんの十数メートル先の
7万人近い大歓声が、
とても、とても遠い。
今、ピッチの選手たちを
照らしている
スタジアムの光線なら
わたしのそれも、
あのひとのそれも
隠せるのではないかと思った。
色も性質も違う
いくつかの光を
組み合わせた
カクテル光線のもとなら、
まだ、
あのひとといることが
できるかもしれないと、
思っていた。
顔を上気させた観客たちが
ゲートから吐き出されてくる。
そんな群れの流れに
わたしも紛れ込む。
あのひとは、来なかった。
試合の熱を、
そのまま帯びた観客たちの
人いきれに
猥雑に蹂躙されながら、
わたしは、
タイムパーキングに流れ着く。
そして、
クルマの中に怖ず怖ずと
逃げ込む。
こんな裏路地にある
パーキングを照らす
心許ない光にも
わたしのそれは
どうしようもなく
炙り出されてしまうから。
西に向かう
わたしのクルマは、
じきに、
東京を引き剥がすだろう。
長い長いトンネルの中で、
わたしは、
少しだけ安堵する。
あのひとに
曝かれずに済んだ
わたしのそれは、
トンネルの中に溢れる
ナトリウム灯の、
オレンジ色の光に
塗り込められて、
見ることはできない。
わたしの汚れきった
塵や芥を
浮かび上がらせることなく、
わたしの輪郭だけを
捉え続ける光。
人の目は、
こんな色を
強く感じるように
できているんだ。
強く、感じる。
それは、
何か他のものを排除する、
ということなのかもしれない。
あのひと、という
何か他のもの。
「トンネルの中のライトは、
紫外線波長が少ないから
虫も寄ってくることはないの」
少し前に、
そんなことを
あのひとから聞いたことを
思い出した。
きっとあのひとも、
わたしを
追ってくることはない。
あのひとと…
あの女とふたりで行った
湖の近くにある旧いホテルの
あのバーは、
まだ、開いているだろうか。
女同士の、
長いお別れには、
下品で甘ったるい
ライム・コーディアルで
つくったショートがいいと
思っている。_

出演者情報:岩本幸子 劇団イキウメ http://www.ikiume.jp/index.html

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川野康之 2012年7月8日

カントクと神さま

            ストーリー 川野康之
               出演 仁科 貴

死んでしまった。
うかつだった。
いつか死ぬのはしかたがないことだが、
まさかこんな死に方をするとは思わなかった。

500円の焼肉弁当を買って、おつりの500円玉を落とし、
コロコロと道路に転がって行くのを追っかけた。
そこにトラックが走ってきたのである。

泥がついた焼肉弁当をぶら下げて、私は雲の階段を昇ってきた。

腹が減っていた。
死んでも空腹は感じるようだ。

天国とはどんな場所だろうと思っていた。
まさかこんなだとは想像もしてなかった。

カウンターがあって、椅子が5つほど並んでいる。
カウンターの向こうには痩せた男がいて、皿を拭いている。

どう見てもバーであるが、私はなぜここが天国だとわかったのだろう。
皿を拭いている男が神さまだとわかったのは、
男がその皿を(よく見ると皿ではなく輪っかだったが)
自分の頭の上10センチのところに浮かべてこっちを見たからだ。

「なにしまひょ」
神さまはなぜか関西弁だった。

「とりあえずハイボール」
つい私は言った。

言ってからすぐ後悔した。
神さまに対する一言めとしてこの言葉は果たして適切だったのだろうか。
初対面なのだからもう少し挨拶のしかたがあったのではあるまいか。
のちのち、最近の新入りは挨拶一つできないと言われるのではないか。
私はうじうじと気をもんだ。
死んでもこんなことに気を使っている自分が少し情けないような気がした。

神さまは私の前にハイボールを置いた。
泡がプチプチと弾けて、グラスの表面を水滴が滑り落ちた。

喉が渇いていた。
一口飲んだ。
冷たい泡が、舌の上を、それから喉をプチプチしながら通って行った。
神さまが私の顔を見つめている。

「どうや?」
「おいしい」
「そやろ!」
神さまが言った。
「500円」

私は自分の右手の中を見た。
命と引き換えに拾った500円玉が少し変形してそこにあった。

金を金庫にしまうと、神さまは紙切れとペンをよこした。
紙切れには「リクエスト」と書いてある。
カラオケをリクエストする紙とよく似ていた。

何をリクエストするのだろう。
しばらくもじもじしていると、神さまが言った。

「誰か会いたい人がおるんちゃう?」
「会いたい人って…?」
「一人だけやで。サービスや。その紙に書いてリクエストし」
「死んだ人でも会えるんですか?」
神さまが呆れた顔をした。
「あたりまえや。ここは天国やで。死んだ人しかいてへんがな」
「誰でもいいんですか?」
「ジョン・レノンでも尾崎豊でもボブ・ディランでも誰でもオーケーや」

そう言いながら神さまは両手でギターを弾くしぐさをした。
きっとロックが好きなんだ。
(でもボブ・ディランはまだ死んでなかったと思う。)

私は考えた。
誰に会いたいだろう。
ちょっと考えてから、カントクの名前を書いた。
10年前に突然死んでしまったカントクの名前を。

神さまはその名前を見てちょっと黙り、
それから壁の受話器を取って誰かに電話した。

ほどなくドアがあいて、カントクが入ってきた。
きっとここではみんなヒマなんだと思う。

「なんだお前か」
まったく変わっていない。
なつかしかった。
カントクは私の隣に座ると、私のハイボールのグラスを勝手に取って飲んだ。

「なんか持ってきたか」
「・・・」
「なんかあるだろ、明太子とか」
「すみません、急だったもんで」
「それは何だ?」

カントクが目ざとく見つけたのは、カウンターの上に置いた私の焼肉弁当だ。

「よこせ」
うまそうに最後まで食べた。

食べ終わってから、神さまにハイボールを注文した。
「こいつにも一杯やってくれ」
私の分も頼んでくれた。

「1000円」
神さまは私にむかって手を差し出した。
「もうお金ないんですけど」
「しょうがないなあ、つけにしとくわ」

「神さまのくせにキッチリしてるなあ」
と言ったら、神さまは怪訝な顔をした。
「神さま?ぼくが?」
「違うんですか?」

神さまはぷっと吹き出した。
「ちゃうちゃう。ぼくは神さまとちゃうよー。
神さまは、」
そう言ってカントクのほうをちらっと見た。
「え、カントク?まさか!?」
「知らんかったん?
その人、神さまやで。ずっと前からそうやったんや。この天国に来る前から」
私はびっくりしてカントクを振り返った。
カントクはもうそこにはいなかった。

出演者情報:仁科貴 03-3478-3780 MMP

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小野田隆雄 2012年7月1日

ミモザ
      ストーリー 小野田隆雄       
         出演 水下きよし

タンブラーに、氷を2~3個入れる。
そこにウォッカを、適量注ぐ。
そしてオレンジジュースを、その上から満たす。
最後にゆっくり、マドラーでかきまわす。
こうして、スクリュードライバーと呼ばれる
カクテルが出来あがる。
さわやかで甘い口あたり。
けれど、飲み過ぎるとこわい。
アルコール度数は、高いカクテルである。
60年代のアメリカでは、
マダムキラーのカクテルと呼ばれた。
スクリュードライバーのベースはウォッカであるが、
ベースをジンに変えると
オレンジ・ブロッサムと呼ばれるカクテルになる。
また、ベースをシャンパンに変えると、
ミモザと呼ばれる、マイルドなカクテルになる。

30代の終り、まだ会社員であった頃、
ロスアンゼルス空港から、夕刻にJALに乗った。
撮影の帰りのひとり旅、エコノミークラスだった。
飛行機で長時間、移動する時は、
たいがいウイスキーの水割りを飲む。
そしてクラシックかジャズを聞きながら眠る。
メロディだけで言葉がなく、
音楽として抽象性の高いことが、
頭をぼんやりさせ、眠りに誘ってくれる。
ところが、あの日、ロスからの帰りの飛行機では
ひどく、くたびれていて、
やさしいアルコール飲料が欲しくなった。
その時、ミモザを思い出した。
その判断は間違っていなかったと思うのだが、
乗務員に飲みものをオーダーする時、
私はミスを犯した。
ウォッカのミニボトルと、オレンジジュースと、
氷の入ったグラスと、水を注文したのである。
この素材で作れるのは、スクリュードライバーである。
食事の後、私はミモザを作って飲んだつもりで、
スクリュードライバーを飲んだ。
おいしかった。
もちろん私は、自分のミスに気づいていない。
私は、早いピッチで、たっぷり二杯分を飲んだ。
早いテンポで睡魔が襲ってきた。
眠る前に、顔を洗おうと思った。
お手洗いが空いているのを確認して、席を立った。
ところが、飛行機の後方部にあるお手洗いに行ってみると、
すべて、ふさがっていた。
そして、淡いオレンジ色のブラウスを着た、
髪の毛が銀色の年老いた外国人の女性が、
お手洗いの通路に立っていた。
彼女が私に言った。
「ドアがあかない。入りたいのにドアがあかないの」
私は単語をつなぎ合わせるようにして、言った。
「いまは、ふさがっています。待ちましょう」
けれど老婦人は、ブラウスの両手を広げて、私に言う。
「入れないの。困ったわ。プリーズ、ヘルプミー」
そしてヘルプを繰り返す。ヘルプ、ヘルプ。
私は、なんだか足元がふらふらしてきた。
老婦人のブラウスの色が、
カクテルのミモザの色と、正確に言えば、
ミモザのつもりで飲んでいた
スクリュードライバーの色と、同じであることも、
ますます気分を混乱させた。
眼の前が、暗くなってきた。
そのうち飛行機が大きく揺れた。私は倒れた。
ほんとうは飛行機が揺れたのではなく、
私が貧血症状を起して、気を失ったのである。
気がつくと、
エコノミークラスの空いているシートを、
いくつか倒した上に寝かされていた。
額には、冷たいタオルが乗せられている。
女性の乗務員が、私の鼻の上に手をかざして、
「あっ、大丈夫。息をしている」と、言った。
その声を聞きながら、自分がミモザではなく
大量のスクリュードライバーを
飲んでしまったことに、やっと気づいた。

ふと、私は思った。
「あの老婦人は、無事にお手洗いに入れたのかな。
いや、まてよ、ほんとうに彼女は、
存在したのかな。もしかしたら、
昔、マダムキラーと呼ばれたカクテルに、
気まぐれに、復讐されたのかもしれないぞ。」
眼の前に、黄色いブラウスがひらひらして、
私は、また眼を閉じた。
            

出演者情報:水下きよし 花組芝居 http://hanagumi.ne.jp/

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