中山佐知子 2017年8月27日

nakayama1708

天の川

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

むかし天武天皇が壬申の乱の戦に勝利したことを感謝し、
吉野の奥の山の麓に社を建てた。
社には伊勢の荒祭宮の瀬織津姫を祀り
その社の名を天安河(あまのやすのかわ)の宮と申し上げた。
すると付近を流れる熊野川の源流は天ノ川(てんのかわ)と呼ばれ、
ここに地上の天の川が出現したのである。

天ノ川(てんのかわ)は深い谷を穿って蛇行し、
地表に湧く泉の水、崖から落ちる滝の水を集めて流れた。
人が住まない秘境であり、聖地であるゆえに
水は一度も人の手が触れたことがなく
これ以上ない清浄な水だった。
天安河の宮の瀬織津姫は水の神であり、
穢れを祓い浄める神だったのである。

吉野から熊野に至る大峰山脈の稜線を
龍の背中を渡るようにして歩く修行者たちは
この土地に来ては
夏冬変わらぬ水温10°Cの湧き水で身を浄めた。

やがて修行者のための宿ができ、村になった。
空海が籠り、道長が参詣し、西行は歌を詠み、
南朝の帝が隠れ住んだ。
たどり着くだけでも容易ではない山奥のそのまた奥の天ノ川は、
不思議とそのときどきの権力宗教と結びつく。

なぜだろうと考えたことがある。
天武天皇は再起をはかってこの地へ来た。
道長は政権争いの渦中にあった。
西行は世を捨てて生まれ変わった。
もしかして、この水はリセットの水なのか。

夜空を横切る天の川を盥の水に映して眺めれば
盥の大きさの宇宙ができる。
地上の天の川、天ノ川(てんのかわ)は盥に映した宇宙、
縮小された宇宙。
だから人はその川の水で禊ぎをおこないリセットをしたのか。

それを思うとき、1000年の昔の科学の暗がりの
美しさと心地よさに触れた気がする。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2017年7月23日

170723naka

あかあかや

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

コロコロとかわいい鳴き声がカジカ、
それに較べると
ヒグラシは歯ぎしりだと茶店のおばちゃんがかわいい声で言う。

ここは京都の北西にある山の中だが
名所といわれる三つの寺があるおかげで
谷川に沿った道には足を休める茶店があるし、
鮎を食べさせる料理屋もある。

湿気がまとわりつくような暑い日で
茶店でラムネを飲んでもちっとも涼しくならないが
川から聞こえるカジカの声が
わずかな風を呼んでいるように思える。

あのお寺さんは、と、おばちゃんは
いちばん小さな寺の噂をはじめた。
前の住職さんが亡くなって、
後継ぎの住職さんは副業で学校の先生してはって
それから明け六つの鐘の鳴る時間が遅うなりました。

なるほど。
名所の寺とはいえ近ごろの事情というものがあるようだった。

ところで、「あかあかや」って知ってますか、と
おばちゃんに尋ねてみた。
おばちゃんは、カジカみたいな歌どっしゃろと言って
明恵(みょうえ)上人の歌を詠じてくれた。
 あかあかや あかあかあかや あかあかや
 あかあかあかや あかあかや月

なるほど。
おばちゃんのかわいい声で
「あかあかや」と同じ音の繰り返しを読むと
カジカのように聞こえなくもない。

「あかあかや」の歌を詠んだ明恵上人は
このあたりでも観光客が多い寺の開祖で、
その寺のおかげで商売をする茶店ならば
有名な歌のひとつも覚えて客の相手をするのだろうと思った。

 あかあかや あかあかあかや あかあかや
 あかあかあかや あかあかや月

そういえば「あかあかや」の寺ができた頃の日本の家は
屋根と床と柱のみで壁というものがなかった。
暑さも寒さも光も風も、
カジカの声もそのまま受け入れる家だった。
居ながらにして月の明るさを知ることもできた。

日本人はいつの頃から
夜になると雨戸を閉めて玄関に鍵をかけ
月の光を締め出すようになったのだろう。
この国の人間の弱体化がわかったつもりになった。
自分も含めての話だ。

コロコロとカジカが鳴いて
カナカナとヒグラシが唱和する。
山は日暮れが早い。

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中山佐知子 2017年6月25日

hb

ホビットカレンダー

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

ホビットのカレンダーは毎年同じだ。
360日を12で割ってひと月を30日とする。
そして、6月と7月の間にライズという曜日のない日を3日加え、
12月と1月の間にユールの日を2日加える。
すると1年は365日になる。
閏年も心配はいらない。
ライズの日を1日増やすだけでいい。
すると、一年は毎年同じ曜日ではじまり、
同じ曜日で終わる。
ホビットの村では、たぶん
毎年カレンダーを買い替えたりしないのだろう。
もしかしたら先祖伝来のお値打ちカレンダーがあるかもしれない。

ホビットは曜日も古くから伝わる名前を使う。
週のはじめは「星の日」
これは我々のカレンダーの土曜日に当たる。
それから太陽の日、月の日、木の日、
天の日、海の日、高き日。
週の終わりの金曜日は午後から休みになり、
夜には宴が開かれたらしい。
ちなみにホビットは一日6回食事をする。

さて、このカレンダーに基づいた記録によると
ホビットの村のフロド・バギンズと庭師のサムワイズ・ギャムジーは
第三紀の3018年の9月23日村を出発した。
彼らはエルフの谷の領主エルロンドの助言を受け、
仲間を集めて指輪を火の山に投じるために再び旅に出るが
その出発は第三紀の3018年12月25日だった。
ホビットにクリスマスはなく、
年末年始にかけてユールの祭が行われていた。

なお、苦難の旅をつづけたフロドとサムによって
指輪が火の山の火口に投じられたのは
それから3か月後、
第三紀の3019年3月25日のことだった。

なお、同じ年のライズの中日に
指輪戦争の指揮官であり
再統一されたふたつの国の初代の王となったアラゴルンは
エルロンドの娘アルウェンと結婚したことが記録されている。

やがてアラゴルンはフロド・バギンズの誕生日である
ホビットカレンダーの9月25日を指輪の日として祝日に定めた。

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*ホビットカレンダーの正解
 1年を365日とする。1ヶ月を30日とする。
 30日×12ヶ月=360日にどの月にも属さないユールの2日とライズの3日を加える。
 365日のうち364日を曜日のある日とする。1年を52週+1日とし
 +1日を曜日のない日とする。
 曜日のない日はライズの中日、つまり夏至の日である。

 

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中山佐知子 2017年5月28日

1705nakayama

目が覚めたら窓の外が

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

目が覚めたら窓の外が妙に静かだった。
人の声がしない。車の音もない。
近くに病院があるせいで頻繁に通る救急車のサイレンも
今朝はちっとも聞こえてこない。

ああ、静かだ。平和だ。
二度寝をしようとしたら
妙な男が目の前にあらわれた。

どこから入ったと問う私に男はボタンを渡して
おごそかに言った。
 「これは世界を救うボタンだ。
  いつでもその気になったときに押すがよい」
なんだそりゃ。
寝惚け眼で首をかしげていたら
 「いやなに、ちょっとした実験です」と
さっきとは違った口調で言い足して男は消えた。
だから、何なんだ、これは。

コーヒーを淹れる前に玄関の鍵をチェックした。
鍵は閉まっていた。窓の鍵も閉まっていた。
窓から下を見ると、広々とした道路に車は一台もなく、
歩道に人もいなかった。
テレビをつけるとライブカメラのような風景が映り
音楽だけが流れてきた。
なるほど、この世界から人が消えたのだと思った。
あの男は別にして。 
数日後、男はまたやってきた。
寂しくないかと尋ねるので、寂しくないと答えた。
実際、人がいない世界は快適だった。
他人がいないので軋轢というものがない。
私というただひとりの人類を保存するために
世界は機能していたので
お金を払わずに店から食料を持ち帰り
お金を払わずに衣類を手に入れた。
何の不自由もなかった。むしろ自由だった。
騒音がないので小鳥の声がよく聞こえる。
シジュウカラがピースピースと鳴くことを初めて知った。
なんて素晴らしい生活だろう。
すると男は寂しげに肩を落として去って行った。

数週間後、また男がやってきた。
悩んでいるのかと尋ねるので
悩んでいないと答えた。
他人のいない快適な生活に何の悩みがあるだろう。
すると男は首をかしげながら去って行った。

男はそれからもちょくちょくやってきた。
来ると質問をする。
「寂しくないか」「退屈しないか」「誰かに会いたくないか」
しかし、お茶を出すと飲むようになった。
あるとき酒を出したらおそるおそる口をつけ、
それからは頻繁に飲むようになった。
飲むと質問が愚痴っぽくなる。
「どうして寂しくないんだ」
「人は一人で暮らせるのものなのか」
「やりたいことは何もないのか」
やがてそんな男を、私は面白いと思うようになった。
男はボタンのことにひと言も触れないが
私がそれを押すタイミングを待っていることに間違いはなかった。
問題は私に全くその気がないことだ。
私は完璧にいまの状態に満足していた。

ある日、私は男に尋ねてみた。
君は人が神と呼んでいた存在なのか?
もしそうだとしたら、神とはそういう存在なのだ。
男は酔っぱらった目で私を見るとゆっくりうなづいて言った。
人が世界を作り、神はそれを味わう。
それから呂律の怪しい口調で私に尋ねた。
お前は世界から人が消えた理由を知りたくないのか。
お前は世界を救いたくないのか。
ボタンを持つ人間として選ばれた理由を知りたくないか。

私は世界なんぞ救いたくない。
道路の真ん中でも端でも自由に歩いて
時間に縛られず道端の草を眺める暮らしが気に入っている。
面倒なことが何もない毎日が気に入っている。
もしかして、生きているというよりは
天国にいるのではないかと思えるいまの状態が気に入っている。
ときどき酔っぱらいにくるこの男も気に入っている。

そう答えると、神を名乗る男は
ますます呂律の回らない口調でぼやきはじめた。
新しい歴史はひとりの男とひとりの神からはじまるのだろうか。
神が世界をつくり、人がそれを味わうことになってしまったら
自分はどうすればいいのか。

幸いそんなことは私の知ったことではなかった。

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中山佐知子 2017年4月23日

nakayama1704

菜の花

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

彼の故郷は菜の花の産地だった。
油をとるための菜の花はアブラナという別名があり
春になると菜の花畑は一面の黄色になった。

彼は故郷を出るときにその思い出を封じた。
そして、自分の未来に向かって着々と準備をはじめた。

彼は僧侶だった。
浄土宗の末端に籍があった。
故郷を捨てたときに出家したという説がある。
また、子供の頃から寺に預けられたという口伝もある。
父は裕福な農家の主だったが、母はその家の奉公人で、
彼は必要とされない子供だった。
しかし、寺にいたからこそ
読み書き学問を習うこともできたし、
旅に出れば各地の寺が便宜をはかってくれることもあった。
彼はそれを十分に利用した。

それから彼は画家でもあった。
誰に学んだということもなかったようだが
彼の描く絵は金になった。
彼は絵を生活の糧を得るための手段と考えていた。

彼の志はわずか十七文字の言葉と音にあった。
五七五の俳句の世界である。
そのために彼は若くして江戸に出てある人の弟子になった。

ところが七年ほど修行をしたところで師匠が亡くなった。
これはいまでいうならば、
やっと仕事ができるようになったところで社長が死に、
会社が消滅したようなものである。
彼は考えた挙句、江戸を捨て旅の僧になった。
自分の拠り所をいったんリセットしたのである。
わずか十七文字に森羅万象を詠み込む俳句の修行は
己の欲望を制し、目と耳を研ぎ澄ますことからはじまる。
彼は芭蕉の足跡をたどり東北を旅しながら自分を鍛えた。

27歳から10年、彼は旅を続けた。
最後に木曽路を通って京へ上り、
何年もかけて寺をめぐり歩いた。
京都の寺には、屏風の絵、襖の絵、そして壁画が数多くあり
彼はそれを見て歩いたのだ。
やがて彼は池大雅と並ぶ絵の大家になるが
そのための修行も怠りはしなかったのである。

それから彼は丹後へ行った。
丹後は風光明媚な明るい土地で、亡き母の故郷でもあった。
彼はそこで友人の寺に滞在し、
三年半の滞在中に30点を超える絵を描いている。
京都で学んだことを自分の筆で試してみたかったのだろう。

さて、そうこうしているうちに彼は42歳になっていた。
表舞台に出ようと思った。
彼はその創作活動の本拠地を京都に定め、
与謝蕪村と名乗って、俳諧師としてデビューを果たした。
関西の文化人ネットワークにもうまく食い込み、
俳句の人脈を使って
裕福な商人や地方の素封家に絵を売ることもできた。
金持ちにはならなかったが、食うに困ることもなかったし、
何よりも彼の名声は万人の知るところとなった。

50歳も半ばを過ぎて、蕪村は菜の花の句を作るようになった。
一度も帰ったことのない、
また人にも語ったことのない彼の故郷は大阪の淀川のそばで、
春になると一面に咲く菜の花が故郷の景色だった。

菜の花や 月は東に 日は西に

太陽と月と菜の花しかない、
それを見ている自分さえ消滅しているようなこの句ができたとき
蕪村は故郷を許していたのだろうか。
菜の花の故郷を出て、菜の花の句を詠むまでに
30年近い月日が流れていた。

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中山佐知子 2017年3月26日

nakayama1703

かぎろひ

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

奈良盆地の南東に広がる安騎野は野原ではなく
四方を山に囲まれた丘陵地帯だった。
木の枝を切り払い、草をかき分けて山道をたどり
やっと行き着くような土地だが
神武天皇以来の聖域で
春には毎年宮中の行事として狩りが行われ、
男は鹿を追って角を集め、女は薬草を摘んだ。

ところがいまは雪が舞っている。
草も枯れ、緑などどこにもない。
しかもこの狩りの人数を率いるのは
わずか10歳の少年だった。

少年はこの国の皇太子で
やがて祖母から位を譲り受け王になることが約束されていた。
祖母の息子だった少年の父は
28歳で王位につくことなく死んでしまった。
少年が成長するまでの間、
祖母は女帝として国を治める決心をし
宮中の儀式を定め、法律を整備するなどして
やがて少年が統治するこの国の近代化につとめていた。

わずか10歳の孫を雪降る丘にやって一夜をすごさせたのは
女帝の意志だった。
壬申の乱と呼ばれる戦いのとき
まだ若かった女帝は幼い息子の手を引いてこの丘を逃げた。
その思い出の土地に11
あのときの息子と同じ年頃になった孫を行かせることは
たぶん、死んだ息子とその跡継ぎの孫を
一体化させる儀式のようなものだったのだろう。

雪がやんだ。
東の空が赤く燃えたち、西の山の端に月が沈もうとしている。
お供のひとりだった柿本人麿はその様子を歌に詠んだ。
 東の野に炎の立つ見えて返り見すれば月傾きぬ

「かぎろひ」は漢字で陽炎と同じ字を書くが、
それを「かぎろひ」と読むと
太陽が昇る前の東の空が赤く染まる様子をいう。

やがて太陽が昇る。
月はまだ西の空にある。
そんな現象は満月の翌日に起こる。
たとえば奈良県だと4月12日、
5時29分に昇る太陽と6時9分に沈む月を
同時に見ることができるはずだ。

 東の野に炎の立つ見えて返り見すれば月傾きぬ

太陽の東と月の西の間で、柿本人麿は幻を見た。
やがて王となるべき少年とその父が
馬を並べて丘を行く姿だった。
少年は14歳で即位し王となったが24歳で死に
また7歳の息子が残された。

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