中山佐知子 2016年2月28日

1602nakayama5

フキノトウを食べたい

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

暦が春になると
川べりに積もった雪に小さな穴ができる。
その穴に手を入れてそっと雪を掻き分けると
フキノトウが見つかった。
芽を出したばかりの固い蕾のフキノトウ。
母はそれを台所に持っていき
茹でて刻んで味噌と突き混ぜて食膳にのぼせた。
そうだ、あのフキノトウを食べたい。

雪の穴が少し大きくなると、耳を近づけてみる。
囁くような水音が聞こえた。
ああ、雪が溶けている。
雪解けは雪の底から始まるのだ。
フキノトウの呼吸が雪を溶かすのだ。
それは景色であり、音楽であり、詩でもあった。
思えば、あのフキノトウをもう一度食べたい。

17歳で船に乗り、大陸に渡って長安の都に来た。
試験に受かって官僚になり、皇帝に仕えた。
長安の都には遥か西からも南からも人と文化が集まってくる。
そこは世界最大の国際都市だった。
まるで竜宮城にいるような数年が過ぎた。
詩人の李白くんと友だちになった。
それにしても、あのフキノトウを食べたい。

ある日、皇帝から帰国のお許しが出た。
しかし日本へ向かう船は嵐に遭って遭難し、
遥かベトナムまで流されてしまった。
詩人の李白くんは私が死んだと思って七言絶句の詩を詠んだ。
3年かかって再び長安の都に帰りついたとき、
皇帝は私の身を案じて
二度と日本に帰ろうとするなとお命じになった。
しかし、あのフキノトウを本当に食べたい。

長安の都に骨を埋めることになっても
あのフキノトウをもう一度食べたい。

皇帝の宴会料理はときとして100に及ぶ。
世界から集まってくる山海の珍味。
そしてエキゾチックなスパイスの数々。
この国の文化は壮大で豪華だ。
この国の人々は春の盛りを愛し、花ならば満開を愛し
満足の上に満足を重ねる。
それでも私はあのフキノトウを食べたい。

凍てつく寒さがほんの少し緩んだ頃に
雪をかき分けて探す、
あの親指の先ほどのちっぽけな春の芽生えを
もう一度手にしてみたい。

天の原、ふりさけ見れば 春日なる…
フキノトウを食べたい。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2016年1月31日

1601nakayama

暗殺者は思った

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

美しい少年だ、と暗殺者は思った。
邪気というものがまったく感じられなかった。
誰かを疑ったり悪く思ったことは一度もなさそうだった。
おそらく一点の濁りもない湖のような心をお持ちなのだろう。

例えば誰かを殺すとき
暗殺者は相手の濁りを狙って刃を振り下ろす。
濁りとは相手に生じた恐怖であり憎しみであった。
相手に自分を憎む気持ちがあれば仕事はやりやすかった。
しかし、濁りのない湖に向かってどんな刃を向ければいいというのか。

暗殺の理由は政治にあった。
少年は南朝の帝だった。
1336年に後醍醐天皇が吉野に逃れて開いた南朝は
100年余りを経たいま、
山の民に守られて吉野の奥に潜んでおられる年若い帝と
その弟の宮がおいでになるだけだったが、
それでも正しいお血筋は南朝にあり
三種の神器のひとつもこちらにあった。
南朝の帝を殺して神器を奪うことは室町幕府の宿願だったのだ。

暗殺者は南朝に味方すると見せかけて一年ほど様子を探った。
木樵しか歩けないような絶壁の杣道を辿り、
急斜面を四つん這いで這い登ると
川が滝となり、渓流には無数の温泉が湧き出る処がある。
そこからさらに登り下りを繰り返すと見えてくる
隠し平という狭い谷に仮の御所を建て
帝はお住まいになっていた。

おそばに仕える人数は少なかった。
険しい山の守りは固く、
万一敵の軍勢が攻め寄せてきても
あたり一帯の村々が砦となって戦うのだ。
狭い谷に大勢がひしめく必要はなかった。
吉野の民は決して裏切らないだろうと暗殺者は思った。
しかし、自分は吉野の民ではない。

そしてあの12月の大雪の日が来た。
暗殺者は仲間とともに雪に紛れて御所を襲った。
帝は急を知って寝巻きのまま刀を手にされた。
美しい少年だ、と暗殺者はふたたび思った。
このときでさえ、湖に濁りはなかった。
しかし不運にも帝の刀が鴨居に突き刺さり
はじめて暗殺者は湖に波が立つのを見た。
それは濁りではなく焦りのようなものだったが、
暗殺者はそのわずかにざわめく波に、静かに刀を差し入れ、
南朝最後の帝の十八歳の生涯を終わらせた。

さて、この暗殺の物語には続きがある。
雪のなかを逃げる暗殺者の一行は三日めに追っ手と遭遇し、
激しい戦いになった。
その戦いのさなか、暗殺者が雪に埋めておいた帝の首は
おびただしい血を噴き上げ、
みずからの居場所をお示しになったという。

南朝の帝のご最期は吉野の伝説となっていまに伝えられるが
その一方で詳細な記録も残されている。
暗殺隊の生き残りが当時の手帳に書き残しているからだ。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2015年12月27日

1512nakayama

街灯の下に

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

街灯の下に占い師が店を出している。
店といっても箱型の小さな机をはさんで
占い師とお客が向き合って座る椅子が2脚あるだけで
机の上にはこれといった道具もなかった。

占い師が得意なのは
小さな不幸のストーリーを考えることだった。

あなたの才能があなた自身をいじめている。
あなたは自分の幸運を他人に分け与える人だ。

占い師はお客の顔をじっと見ながら
口当たりのいい不幸のストーリーを組み立てる。
本気で未来を知りたい人などどこにもいるはずがない。
みんなが欲しがるのは、手軽に持ち運びが出来て
友だちに話してきかせることのできる自分のストーリーだった。

ある晩、占い師のところに奇妙なお客がやってきた。
男か女かも定かでない老人だった。
老人は、自分はトカゲだと名乗った。

自分はこの冬を越せない年寄りのトカゲだ。
だから自分に未来はいらない。
自分が欲しいのは過去だ。
食べて寝て、獲物を追って
天敵から逃げた記憶しかない自分はどんな存在だったのだろうか。
老人のトカゲはそう言うとじっと占い師を見つめた。

占い師はしばらく目を閉じ、やがて口を開いた。
私が捨てられたばかりの子猫だったとき、
おまえはやっぱりトカゲだった。
私は飢えてひと晩草むらで鳴きつづけ、
もう声も出なくなったときにおまえを見つけた。
本能が私の前足を動かし、爪がおまえの腹に食い込んだ。
おまえの肉を食べたとき
私は自分が生きるために獲物を殺す存在であることを知ったのだ。

それでは、と、トカゲは言った。
おまえは私と変わらない。

占い師は話をつづけた。
私はトカゲを殺し、蛙を殺し、バッタを殺した。
それでも長くは生きられなかった。
私は未熟で自分を養うだけの獲物を殺せなかったが、
それでも私は自分が何ものであるかを知り
その生きざまを全うすることができた。
私はおまえに感謝しているし
おまえは自分がどんな存在なのかをとっくに知っている。

それからしばらくして
街灯の灯りも凍てつくような寒い晩に
占い師がいつもの場所に来てみると
トカゲが自分のストーリーを大事そうに抱えて死んでいた。

占い師はというと
いまでも毎晩お客のために不幸のストーリーを作り出している。
未来のある人に幸福なストーリーはいらない。
それはみせびらかすものではないからだ。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2015年11月29日

1511nakayama

ミツバチの地図は花でできている

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

ミツバチの地図は花でできている。
彼らのテリトリーは半径5km。
その先は世界の果てだ。
ミツバチは茶さじ一杯のレンゲの蜜を集めるために
14000の花を訪れる。

フクロウの地図はいつも夜だ。
フクロウの目は人間の100倍も高感度だから
昼間は眩しすぎてどうしようもない。
でも眠っているわけじゃないんだ。
眩しいから目を細めているだけなのさ、と
フクロウは言う。

カタツムリの地図はかなりぼんやりしている。
カタツムリの目は明るいところと暗いところを
うっすらと区別するだけだ。

森に古い大きな木がある。
村の人々は「ご神木」「山の神さま」などと呼んでいる。
キツネは屋根のあるねぐらだと思う。
フクロウにとっては安全な隠れ家。
虫にとっては
食べきれないほどの食料を生産する農園だったり
卵を生むゆりかごだったりする。

フクロウにはミツバチの地図がわからないように
ミツバチにはキツネの地図が理解できない。
だからキツネもフクロウもミツバチも
お互いに相手の地図を欲しがったりはしない。

誰かの地図を欲しがるのは人間だけではないかと思う。
相手をまるごと理解したいといったり
自分を全部わかってもらいたいといって
地図をやりとりしても、
結局は自分の地図しか見ていない。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2015年10月25日

2015nakayama

まず14段の階段を上り

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

まず14段の階段を上り、次にまた14段の階段を上ると
改札のある階に出る。
改札を出て14段の階段を上り、
また14段、次に13段の階段を上る。
それから11段の階段を上がり、12段を上り、
17段を上る。
最後に10段を上って、やっと地上に出る。

この長くて退屈な階段を毎日上って会社へ行く。
ホームから出口までの階段を数えたら118段あった。
クフ王のピラミッドさえ201段だ。
ピラミッド…石を運ぶ奴隷…
しかしピラミッドは最初から201段あったわけではない。
何十年もかけて201段に成長したのだ。
10段とか20段のころはラクだっただろうな。

会社は駅の出口から近いが、
ある日、駅のホームで忘れ物に気づき、
階段を上って会社まで取りに戻り、
また引き返して来たら17分がたっていた。
これで駅から近いと言えるのだろうか。

駅のホームから14段と14段の階段を上って改札を出ると
向かい合わせにパン屋とコンビニとトイレがある。
コンビニには元同僚だった齋藤くんが働いている。
齋藤くんは、4ヶ月ほど前、
つまり夏の暑い盛りに二日酔いで出社しようとしたのだが、
電車を下りて14段上ったところで貧血を起こした。
私はすぐに駅員を呼んだ。
私と駅員は齋藤くんを抱えて改札階までの14段を這い上がったが、

残る90段を思うと暗澹たる気持ちになった。
すると齋藤くんは「俺にかまわず行ってくれ」と言い残して
よろめきながらトイレに去った。
思えばそれが齋藤くんのスーツ姿を見た最後だった。

トイレから出た齋藤くんは
向かいのコンビニの「店員募集」の張紙を見るやいなや
そのまま応募してしまった。
次に齋藤くんを見たときはTシャツ姿でエプロンをかけ
レジの向こうで一杯100円のコーヒーを担当していた。
齋藤くんはいま階段的にはエリートに属して幸せそうだった。
私は相変わらず奴隷のように118段を上り下りして
息を切らせているのに較べ、
齋藤くんはたった28段を口笛吹きながら上下しているのだ。

さて、コンビニの向かいのパン屋には清水さんがいる。
清水さんは入社一日めの通勤で靴のヒールが折れて遅刻をし、
それを叱った上司に辞表をたたきつけたという噂がある。
それもこれも階段のせいだ。
清水さんは改札の前のパン屋で
元上司や同僚が背中をまるめて階段を上がる姿を眺めながら
毎日ほがらかに働いている。

そういえばうちの会社の創立記念日に社長の訓辞があった。
テーマが「階段」だった。
嫌われても罵られても階段はホームと出口を繋ぐために必要だ、
みたいなことをしゃべっていたが
運転手付きの自動車で通勤するやつに
そんなこと言われたくないと評判が非常に悪かった。

それにしても118段は長い。
もう何も考えないで上ろう。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2015年9月27日

1508nakayama

野分情報です

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

それでは野分情報です。
秋の花の色もますます美しくなった昨日から今朝にかけて
激しい野分が吹き荒れました。

光源氏がお住まいの六条院では
ご滞在中の秋好中宮(あきをこのむちゅうぐう)が風の音におびえつつも、
お庭の草花を哀れに思し召され
不安な一夜をお過ごしになりました。

光源氏の長男、夕霧中将は
野分のはじめに父の館を見舞ったところ
御簾を吹き上げた風のおかげで
紫の上のお姿をかいま見ることができました。
夕霧中将は
「ひと晩眠れないほどの美しさだった。
 私もあのような妻を得て幸せになりたい」と
夢を語っています。

なお、和泉式部のもとにはこの夕暮れ
恋人の敦道親王から
うれしいおたよりが届いたもようです。

昨日の昼から次第に勢いを増した野分は
日暮れとともに勢力を増し
都の人々は、大木の枝が折れる音や
屋根瓦の割れる音などにおびえながら一夜を過ごしました。
深夜から未明にかけては断続的な雨も加わり
午前中にはわずかに日が射したものの
空の色は重く、霧に閉ざされています。

さて、この野分の被害ですが
風速は40メートル以上と推定され
建物の損傷、倒壊など風による被害が目立っています。
庭は飛び散った瓦や倒れた垣根で危険な状態です。
歩くときはくれぐれもご注意ください。
死者、行方不明者の報告はまだ届いておりません。
海外渡航の船舶についての報告ですが
天台宗の僧侶寂照さんは無事に中国に到着しています。
宮中式部省の広報によりますと
予定されていた秋草の宴は中止になる見込みです。

つづいて新刊情報です。
紫式部「源氏物語第一部」間もなく刊行。
ご予約はお早めにね。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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