中山佐知子 2015年8月23日

1508nakayama

日本が輸出した介護型アンドロイドが

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

日本が輸出した介護型アンドロイドが
海外の、ことに英語圏で
次々と故障する原因がサラダにあるという事実について
発表いたします。

アンドロイドの注意書きとして
食べ物や飲み物を与えないことは
もちろん明記されています。
それなのになぜアンドロイドはサラダを食べてしまうのか。
それはアンドロイドの雇い主が
食べるようにすすめるからです。
アンドロイドは。ことに介護型のアンドロイドは
雇い主に逆らわないようプログラムされています。

しかし、アンドロイドの雇い主は
なぜアンドロイドに向かって
「サラダをどうぞ」と言ってしまうのでしょう。
そして、なぜサラダなのでしょうか。

まず、なぜサラダかを考えたいと思います。
たとえばひとり暮らしの老婦人が
夕食にオムレツとサラダを食べるとします。
オムレツはひとつがひとり分ですから
アンドロイドは、「どうぞ」と言われても丁重に断りつづけます。
雇い主の所有物を奪わないプログラムが
ストップをかけるからです。
しかしサラダは取り分けるのが基本ですから
奪うことにはならない。
ここにサラダの落とし穴があります。

次にアンドロイド自身の問題です。
ホスピタリティを必要とする医師や看護師は
「you・あなた」という主語のかわりに
「we・わたしたち」を使います。
介護型アンドロイドの言語も同じようにプログラムされています。
アンドロイドは老婦人の食卓にサラダをお出しするときに
「あなたはサラダを召し上がってください」ではなく
「私たちはサラダをいただきましょうね」と言います。
老婦人は思わずその言葉を繰り返します。
「私たちはサラダをいただきましょうね」

このひと言によってアンドロイドはサラダを食べ
故障してしまうのです。

対策としては
言語プログラムからホスピタリティを抜く、
または自己防衛を強化するなどのアイデアは出ていますが
いずれにしろ多少感じの悪いアンドロイドになることは否めず、
委員会としてもアタマの痛い問題をかかえております。
では発表を終わります。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2015年7月26日

1507nakayama

僕はトマトを食べなかった

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

僕はトマトを食べなかった。
彼女はトマトしか食べなかった。
だから、一緒にサラダを食べるにはいい組み合わせだった。

僕はレモンとバジルの利いたドレッシングが好きで
それは彼女も同じだった。
だからひとつのサラダボウルに
彼女のトマトと僕のセロリが仲良く同居するのは
まったく差し支えがなかった。

彼女は毎日サラダをつくった。
僕の好きなセロリとアスパラガスにトマトが加わると
明るく陽気な色彩になった。

彼女はときどき僕にトマトを食べさせようとする。
トマトを食べないとカラダの酸化が進むというのが
彼女の言い分だった。
酸化はつまり老化のことで、
僕たちの星に生まれたものは
有害な酸素を呼吸しながら生きて
酸素のせいで病気になり、酸素のせいで年を取って死ぬ。

問題は酸素なのよ、と彼女は言う。
だからトマトを食べなくては、と言う。

その通りだった。問題は酸素だ。
しかし、トマトとは逆の意味だった。
この船には広い居住空間があり
一生かかっても食べきれないほどの食料が積まれているが
酸素にやや問題があった。
つまり、現在は予備の酸素発生装置を使っているという
危機的状況にあり、
老化以前の生存の問題に直面しながら
次の星の港へ全速力で向かっている最中だったのだ。

トマトを食べなさい、と、今朝も彼女は僕に言う。
僕は何も答えずにセロリを食べ、トマトを残した。

どうして僕たちのカラダは
酸素のせいで年を取って死ぬのだろう。
そのくせ、酸素を呼吸しないと生きられないのはなぜだろう。
そして、予備の酸素発生装置はどこまで持つのだろう。

次の港へ向かって全速力で飛びながら
僕は酸素にこだわりつづけ
彼女はトマトにこだわりつづけている。
今朝のドレッシングはゴルゴンゾーラチーズの味がした。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2015年6月28日

1506nakayama

シチリア島は一年365日

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

シチリア島は一年365日のうち360日が晴天の島だが
オリーブの木はこんな乾いた気候と仲良しで
ところによっては千年も長生きをする。
千年も昔といえば、島はイスラムの領土だった。
当時のイスラムは世界の先進国で
新しい農業技術が持ち込まれ、ヨーロッパにない果物が実った。
政治はシンプルで、税金は公平だった。
いい時代に生まれたとオリーブの木は思っただろう。

それからバイキングの末裔がやってきてシチリア王国を築いた。
彼らは少なくとも文化や言語、宗教に関しては寛容だった。
彼らはフランス語をしゃべっていたが
ギリシャ語もアラビア語も国の言葉と認めた。
しかし100年もするとお家騒動が起こり
ドイツの皇帝がシチリア王になった。

13世紀にはフランスとスペイン、イタリアが
シチリアをめぐって争った。
問題は、たぶんここから先だ。
シチリアは、ピンボールのように争いのなかで転がりつづけ、
搾取された。

オリーブの木にとってご領主さまが誰でも関係なかったが
それはオリーブの世話をする村人にとっても同じことだった。
どのご領主さまも年貢には厳しかったし、
過酷な取り立て人がやってきては
払えないと木を伐られたり家畜を殺されたりもした。
しかし、その取り立て人が年貢のピンハネで財を蓄え、
村のボスにのし上がると、
こんどはご領主さまに逆らって実質的な権力を握った。
これがシチリアのマフィアのはじまりだそうだ。

19世紀の終わり頃、
シチリアはイタリアに併合されたが
貧しくて学校へ行けない子供らは
イタリア語をしゃべれず、読み書きもできず、
手っ取り早い出世を夢見てマフィアに身を投じた。

ゴッドファーザーⅡには
主人公が両親と兄を殺したシチリアのマフィアに
復讐をするシーンがあるが、
そのとき主人公の表向きの商売はオリーブオイルの輸入業者だった。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2015年5月31日

1505nakayama2

クチベニが死んだ

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

クチベニが死んだ。
死んだ仲間は
たいがいこのあたりの浜辺に打ち上げられるが
クチベニは小さいし、目立たないから
誰も気づいてやれないかもしれない。

クチベニは外から見ると
爪の先くらいの白いちっぽけな貝だった。
固くて分厚い殻に閉じこもっていた。
艶も模様もない、ただ白いだけの制服を着て
しっかり口を閉じて生きてきたのだと思う。

クチベニを見ていると
僕は修道院のシスターを思い出すことがあった。
人生に多くを望まず
海の底で生きるために食べ、食べるために生きていたに違いない。
誰かにかまわれることがほとんどなかったし
たぶん死ぬときもひとりで死んだのだろう。

死んだクチベニの残した貝殻は
ぐるぐると波に遊ばれ、砂浜に運ばれる。
そして、それを拾った人が気づくのは
貝の内側にすっと引かれた赤い紅の色だ。

生きているときは決して見せなかった口紅の色。
表からは決して見えなかった色。

女は自分にしか見えない
もうひとつの顔を持っていると気づいたのは
その赤い色を見つけたときだったが、
赤という色の鮮やかさを知ったのも同じときだった。

 
出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2015年4月26日

1504nakayama

夜行特急こぶし号   

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

夜行特急こぶし号に乗って
斎藤さんは土曜の夜にやってきた。
9時55分に東京を出て
11時13分に秩父に着く夜行の特急は
リュックを背負ったハイカーの乗客が多く
朝まで列車に泊まることもできた。
そうして朝いちばんのバスで山へ向かうのだ。

春から秋までの週末、
夜行特急こぶし号で秩父に来ては山を歩く齋藤さんを
ぜひにと言ってうちに泊めるようにしたのは母だった。
齋藤さんが来る日、
母は以前のように台所で忙しくはたらき
僕はそんな母を見るのが好きだった。

夜行特急こぶし号で齋藤さんが来る夜は
柱時計が12時を打つまで
僕はときどき目を覚まして下の音に耳を澄ませた。
カラッと控えめな音で玄関が開く。
ああ、齋藤さんが来たと思うと、それから後はぐっすり眠れた。
齋藤さんは父がいなくなった我が家に安心を運ぶ人だった。

翌朝、僕が起きるころ
斎藤さんはたいがい母がつくったお弁当を持って
出かけてしまっているのだが、
天気予報がはずれて雨になったときだけは
三人一緒にお昼を食べることができた。
僕は齋藤さんとご飯を食べるのが大好きで
日曜日は雨になれといつも願った。

よく晴れた日曜日、僕たちのお昼ご飯は
斎藤さんのお弁当と同じものだった。
胡麻のかかったおむすびや海苔巻き、
きんぴら牛蒡に卵焼き。
春にはうす味で炊いたタケノコに木の芽が乗っていた。

母と僕は窓を開けて、庭を眺めながら
いつもよりゆっくりと静かにそれを食べた。
それは食事というよりも祈りの時間のようだった。

ある年の春、
庭のこぶしが白い花をつけていた夕暮れに
斎藤さんが父の遺体を発見したという知らせがあった。
知らせてきたのは父が所属していた救助隊だった。
父は滝壺に転落したハイカーを救助に向かう
ヘリコプターの墜落で命を失った4人のひとりだった。
それは新聞にも大きく報道された事件で
転落者ひとり、救助隊4人、
そして取材中の報道記者とカメラマンが死んでいる。

父と一緒に救助のヘリコプターに乗っていた斎藤さんは
ひとりだけ遺体が見つからない父を
2年間さがしつづけていたのだった。

知らせを受けた母は湿った声で
お父さんが帰ってくると言った。
斎藤さんは、と僕がたずねると
斎藤さんも帰って来るに決まってるでしょと
エプロンで涙を拭いた。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2015年3月29日

1503nakayama

ひと文字の神さま

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

ひと文字の神さまがいた。
「さ」という名前の神さまだった。

ひと文字の神さまは
長い名前の神さまが生まれる前から山にいて
生き物を増やし、
木の実草の実を実らせてくれていた。

人が山を降りて土地を耕し
作物を育てることを覚えたとき
ひと文字の神さまは
みんなの願いを聞き入れて
ときどき里に降りて来るようになった。
「さ」という名前の神さまが降りてくるから
この現象を「さおり」と呼んだ。

山から里に降りた神さまは
自分の座る場所をさがした。
ちょうど花を咲かせている木があった。
「さ」という名前の神さまはその木に宿った。
神の座る場所は「クラ」と呼ばれる。
「さ」の神が宿る「クラ」で「さくら」
こうして木の名前が決まった。
サクラの花は農作業をはじめる時期を教え
また豊作を占った。

神さまが山から降りてくると
サクラの花が咲く。
冬ごもりが終わって人々が田んぼで働きはじめる。
田植えをする女は「さおとめ」
植える苗は「さ苗」
おっとその前に、
ひと文字の神さまに飲み物と食べ物を捧げて、
そのおさがりを自分たちで食べる儀式があった。
神さまが口をつけたものだから
「さけ」そして「さかな」
飲み物にも食べ物にも
神さまの「さ」という名前をいただいている。

この国の歴史がはじまる以前のほの暗い時代には
ひと文字の神さまがいた。
「さ」という名前の神さまだった。

やがて長い名前の神さまと
それを操る人間がこの国を支配するようになって
ひと文字の神さまは忘れられたように思えるが
それでも毎年、春には桜が咲き
咲いた桜の下で我々は
「さ」のつくものを飲んでは食べ
浮かれて騒ぐのだ。

みなさん、今年も楽しいお花見を

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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