中山佐知子 2014年2月23日

山の野いちごは6月に実る

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

山の野いちごは6月に実る。
雪も消えて新緑の時期だ。
土の下からはネマガリタケが顔を出しているから
まだ食べ物の不自由はない。

母熊は手のひらで野いちごを潰しては
太陽にかざして乾かしている。
これは半年も先の冬眠の非常食のようなもので
冬眠中の熊は野いちごと蜂蜜がこびりついた手を
ときどき舐めながら冬を過ごすのだという。
熊にとって野いちごは命の糧であり
野いちごの季節は、命をつなぐ祭りのようなものだ。
食べものの乏しくなる夏を前に
山は、こんなに赤く美しく養分に富んだ果実を熊に与える。
2歳になった小熊も親にならって
夢中で野いちごを食べている。

熊は冬眠中に雄と雌一頭づつの子供を生む。
いつ生むのかたずねてみると
秋山郷のマタギは、おおかた節分の頃だろうと答えた。

いまは禁止されているが、
昔は冬眠中の熊を撃つ猟がさかんだった。
穴にこもる熊を撃つので穴熊猟と呼ばれた。
ところが、何十年も熊を撃ってきたマタギでも
腹に子が入っている熊を撃ったことがない。
話にも聞いたことがない。
死んだ熊の解体は何百と見て、
熊のカラダを知り尽くしているマタギでも
腹の子を見たことがないという。

マタギにとって山は神であり、熊は山の王である。
山の王の子供を身ごもった母熊は
撃たれて死ぬとき、
子供の姿を見せないようにするのだろうか。
妊娠中の熊は人の気配を察知すると
みずから流産して腹の子を食べると信じるマタギもいる。

山の6月、野いちごが実ると
母熊は子供を野いちごが実る谷へ連れて来る。
ころころと幼い小熊でも山の作法は知っており
野いちごの木の枝を折ったり踏み荒らしたりすることはない。
人間のように、根ごと引き抜いて持ち去ることもしない。
丁寧に実だけを取って食べている。

野いちごの実は赤くて甘い。
その野いちごの祭りのさなかに、2歳の子を連れた母親は
夢中で食べる子供を残してその場を立ち去る。
熊がこうして子供を自立させることを
マタギの言葉で「いちご落とし」というそうだ。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2014年1月26日

秋山郷のマタギは

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

秋山郷のマタギは秋田に端を発する。
秋田の北にあるマタギの集落から山また山を越え
1000km近い旅をするマタギのひとりが
秋山郷のある家に婿入りをした。
200年近い昔のことだった。

すると秋田から
婿入りしたマタギをたずねてきた男があった。
男はマタギの息子だと名乗った。
息子も秋山郷の家に婿入りをし
これによって秋山郷にマタギの血脈が生まれ、
同時にマタギの道具、マタギの言葉、
マタギのしきたりも伝わったのだった。

秋山郷は山また山に囲まれ、熊やウサギ
昔はカモシカなどの獲物が多かったが
村の人々は山の斜面を耕しては
粟や稗をつくって暮らしていた。
山の獣を殺すことがあっても
それは畑を荒らす害獣として罠を仕掛けた結果だったので
狩猟のプロであるマタギが村に住み着くのは
大いに歓迎されたに違いなかった。

さて、秋田のマタギの息子から数えて三代めに
山田文五郎という人があった。
生まれついてのマタギと誰もが言う人で
熊を撃つ名人だったが
大正三年の大雨のとき山から鉄砲水がきて家を流され
新しい家を建てるための借金をすることになった。

借金を頼まれた人は文五郎にたずねた。
「貸してもいいが、どうやって返す」
文五郎は、猟で返すと答え、
その冬から雪を押し分けて毎日山へ入った。
そうして1年もしない間に
借りた金の倍も稼いでしまったのである。

粟や稗で食うや食わずの暮らしをしている人々は
驚きの目でそれを眺め、
やがて文五郎の弟子になる人があらわれはじめた。

マタギは本来山を神と崇め、
山の王である熊に尊敬と愛情を抱いている。
だから自分が暮らせるだけの獲物を獲ったら銃を置く。
しかし、その冬
文五郎は借金を返すためにいつもの何倍も獲物を撃った。
山の神さまはマタギの天才にそれを許したのだろうか。
秋山郷の人々がマタギの文化を習うようになったのは
この事件がきっかけといえるからだ。

秋山郷では猟のために山に入ることを
「山をさわぐ」という。
山の神さまのお膝元を荒らしているという考えだ。
山さわぎをして熊を仕留めるとこれを村まで曳いてきて、
一片の肉も無駄にすることなく解体する。
村人が集まり、熊まつりが行われる。
人々は祝いを述べ、熊の内臓の汁をふるまわれる。
山の神さまには餅をまつって祈りを捧げる。

マタギは獲物を苦しませて殺してはいけない。
それが山の神さまへの礼儀なのだという。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2013年12月29日

10月の秋山郷は

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

10月の秋山郷は青い宝石のような空が広がっていた。
その宝石の下に赤や黄色の紅葉があった。

秋山郷は、新潟県と長野県にまたがる山里で、
頂上に湿原をいただく苗場山と
ノコギリの歯のような厳しい姿の鳥甲山にはさまれた谷間に
現在では13の集落が散らばっている。

なぜこんな土地に人が住み着いたのかわからない。
平地はほとんどなく、一年の半分は雪に埋もれている。
山の急斜面の木を伐って、粟や稗、蕎麦や大豆を育ててはいるが
食料が足りたことはなく、飢饉の年は多くの餓死者がでて
集落がまるごと滅びることさえあった。

北越雪譜を書いた鈴木牧之が秋山郷を旅したのは1828年のことで、
宿がないので民家に頼み込んで宿泊を重ねていた。
どの集落にも米がなく、人々は粟や稗や栃の実を食い
木の皮を煮出したような渋茶を飲んでいる。
持って行った米を渡しても炊きかたを知らないし
お茶はとても飲めたものではない。
どこの家でも寝るときになると着の身着のままごろりと横になる。
布団というものもないから、夜が寒くて寝られない

そんな愚痴をこまかく書き連ねながら旅をつづけていた三日め、
女に会った。
そこは和山という集落で、女は昼食のために立ち寄った家にいた。
集落といっても5軒の家がまばらに点在するだけで
その一軒に上がって火を借り、お湯をもらって
持参の焼き米を流し込むだけの昼食である。

女は年のころ三十前後、
髪は無造作に結わえただけで
膝までしかない丈足らずの着物を着ており
その着物さえ綻びて白い肌がのぞくような身なりだったが
美しさは雨に濡れて匂い立つ芍薬のように思えた。

もしもあなたが、と
牧之は女に言わずにはおられない。
もしもあなたがこの紅葉のような錦に身を包み
髪には玉の簪を飾れば
妃の位を望んでもおかしくはないでしょう。

しかし女は自分の姿を見ることさえできない。
鏡というものを持つ女は秋山郷全体で5人しかいない。
女は外からの人も滅多に来ない深山幽谷に生まれ
その美しさを誰にも知られることなく
この山中で年を取り朽ち果ててしまうのだ。

それがわかっていてもできることはなにもない。
女に心を動かしてもどうすることもできない。
それでも鈴木牧之の秋山記行には女との出会いが詳しく描かれ
我々はいまそれを読んで、
秘境秋山郷の美しい人を想像することができる。

鈴木牧之の秋山記行から9年めに女は死んだ。
天保の大飢饉の最後の年だった。
和山の集落にあった5軒の家ではほとんどの人が餓死してしまい
生き残ったのはわずかに男女ひとりづつだけだったという。

それにしても、匂い立つ芍薬にたとえられた女が飢えて死ぬとき
どんな姿を見せたのだろう。
山の芍薬は身を投げるような姿で白い花びらを散らす。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2013年11月24日

湖をみっつ越えて

       ストーリー 中山佐知子
          出演 高田聖子

湖をみっつ越えて、虹の息の根を止めに行った。

ひとつめの湖は腕組みをして座る人の形をしていた。
ただし、肩から上がなかった。
肩から上は何キロも先にあった。
頭の形をした小さな湖だ。
胴体とは、血管のような細い川でかろうじてつながっていた。

頭の湖の先には心臓の形の大きな湖があった。
三つの湖は、首を切られ、内臓を突き出された水の死体だった。
しかし一本の川が最後の血管のようにそれぞれをつないでいる。
湖の息は、まだ止まっていないのかもしれなかった。

三つの湖は、この島国のふたつの陸地が繫がった
縫い目の部分にあった。
巨大な水が東と西の山脈に押しつぶされたのだ。

東と西の大陸の縫い目にはいつも虹がかかっていた。
虹は蝶番(ちょうつがい)のように、或いはホッチキスの針のように
ふたつの陸をつなぎ止めていた。
その虹の根は、湖の北の山にあった。
三つの湖を越えて虹の根元にたどりついた。

虹の根を断ち切れば
この陸は再び東と西に別れるだろう。
三つの湖はつながって、
巨大な水の王国があらわれるだろう。
山は地滑りを起こし、
いくつもの町と村が水底に沈むかわりに
さがしていた男の死体が浮かんでくるだろう。

100万人の命とその営みを沈めても
ひと目会いたい男のために
私はいま刀を振り上げる。

出演者情報:高田聖子 株式会社ヴィレッヂ所属 http://village-artist.jp/index.html

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2013年10月27日

私はいろはが嫌いです。

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

私は「いろは」が嫌いです。

すみません。
いきなりこんなことを言う私は「あいうえお」です。
私は「あいうえお」、あちらは「いろは」または「いろは歌」
いつもとは限りませんが、なぜあちらだけ「いろは歌」と
「歌」までつけて呼ばれるのか、
ちょっと癪にさわります。

ひとりで由緒あり気な雰囲気を漂わせているのも
嫌いです。
由緒っていっても七五調になっているだけのことです。
七五七五の繰り返しです。

色は匂えど 散りぬるを
わが世誰そ 常ならむ

ほらね、七五七五でしょう。
ま、それだけのことです。
ついでにお教えしますとね、
これ、今様っていう歌の形式を踏んでいるんです。
文字数だけですよ、曲がついているわけじゃない。
あくまでも、形だけ。

今様というのは、平安時代の流行歌です。
白拍子という遊び女、まあ遊女ですね、
その遊女が舞いながらうたっていた歌なんです。
遊女は男のいでたちをしていまして
今様は、いわば美少年に扮した美少女が歌い踊る流行歌、
きゃーきゃー人気は出そうですが
どこにも由緒など感じられません。

そういえば、「いろは」は弘法大師がつくったという
無謀な意見が広まったこともあるようですが
さきほどの今様の形式を考えると
200年くらいは時代が合わないですからね、
そんな意見に耳を貸してはいけません。

さて、その由緒も何もない「いろは」と
同じころに生まれたのが「あいうえお」です。
みなさん、「あいうえお」は
明治とか昭和だと思っていたでしょうけど、それは大間違い。
古い文献にはじめてあらわれるのも、
「いろは」と「あいうえお」は同じ11世紀。
厳密に言わせていただけば、
「あいうえお」が50年ばかり古いです。

呼び名だって単なる「あいうえお」じゃなかった。
「五音(ごいん)」とか「五十聯音(いつらのこゑ)」とか
「仮名反(かながえし)とか
古い時代はいい名前がたくさんありました。

しかし、過去の栄光にこだわることはありません。
「あいうえお」は
日本語の平仮名を学ぶとき、たいへん優れた機能を発揮します。
日本語が日本語である限り、いつも新しい「あいうえお」
時代を超えて役に立つ「あいうえお」
これからもよろしくお願いしますね。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2013年9月29日

屋根

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

茅葺き屋根のふるさとで
春になったらススキを焼いた。
ススキの原っぱを焼いた。
野焼き、火入れ、その土地土地で呼びかたは違うが
茅葺き屋根の茅は山里ならススキのことで
姿の良いススキが育つための野焼きは
雪が溶けた最初の祭りのような、村中総出の行事だった。

ススキの原に火が入ると
早くに芽を出していた草や灌木が焼ける。
去年の枯れ草に生み付けられたカマキリの卵も
名前を知っている花も、虫も、たぶんネズミも
野焼きは地上にあるものをすべて灰にする。

この殺戮でススキの原を守るのは
いつの時代の知恵だろう。
野焼きをしなくなったススキの原は
何年もしないうちに藪になるのを
僕はいくつも見てきている。

ある年の春、火がおさまったススキの原に
焼け焦げたイタチの死骸を見つけた。
これほど火の勢いが強くても、
地中深く眠るススキには何の影響もなく
まだ焦げた色の残る焼け野原にツンツンと緑の葉を伸ばし、
夏には大人の背丈より高く育つ。

ススキの原のススキは美しいと思う。
土手のススキのように曲がったり折れたりせず、
何の心配もなく暮らしている人のような素直さで
長い茎を空に向かって真っ直ぐ立てている。
僕はその姿を見るたびに
茅葺き屋根のきっぱりとした直線を思った。

そしてある風の強い晩に
月明かりのススキの原を見たことがある。
風にちぎれたススキの穂がキラキラと上空を舞い
その下には海原にも似たまるいうねりがあった。
僕はそのときはじめて
茅葺き屋根のやさしい丸い曲線の秘密を見たと思った。

ススキの刈り取りは
山の紅葉が散るころにはじまる。

去年葺き替えたアラキダさんの屋根は
6000束のススキを使った。
トラックで運べば4トントラック20台分だが
昔はトラックがなかったので
遠くから運ばなくても済むように、
どこのでも村のなかにススキの原っぱがあった。
春の野焼きも、秋の刈り取りも
屋根を葺くのも、みんな村の共同の仕事だった。

茅葺きの屋根は呼吸をしている。
夏は暑さを締め出し、冬はぬくもりを抱きかかえてくれる。

茅葺き屋根の下にいると、外の騒音が聞こえない。
小さな声も聞き取れる静かな家では
そういえば大声を出す人がいなかった。

茅葺きの断熱、保温、通気、吸音
どれをとっても、これほどの優れた屋根を
現代の材料と技術でつくることができないのは
その家のある土地の生きた材料を
使わなくなったからではないかと思うことがある。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

  

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ