1873年の夏
1873年の夏、私はドイツの商船ロベルトソン号に乗っていた。
船は中国の福建省からオーストラリアに向かっており
その航路はひと言でいうならば「風まかせ」だった。
船長のエドヴァルドは夜な夜な星を眺めては
金星の輝きに感動するロマンティストだったので
たぶん風のささやきに耳を傾けたのだろう。
しかし、「風まかせ」は要するに迷走だった。
船はたびたび進路を変えた挙げ句、ついに台風に遭遇してしまったのだ。
船長のエドはドン・キホーテもかくばかりと暴風雨に挑んだ挙げ句
波を頭からかぶり、甲板に叩きつけられた。
起き上がったエドの顔は前歯が3本折れて上あごを貫いていた。
赤い髭には白い小さなものがぶら下がっていたが
よく見るとそれも折れた歯だった。
乗組員のひとりは波にさらわれて嵐の海に消えたし
もうひとりは足の骨を折って動けなくなっていた。
幸いにして船長のエドも他の男どもも
この船で唯一の女性である私を労働力とは見なしておらず
嵐の甲板に出てロープを結べと命じられることはなかったが
それは女性に対する敬意というよりは
彼らが頻繁に口にする悪態や雑言を私に聞かれないためだった。
船の被害は甚大だった。
マストが折れ舵も失った船はただ波に翻弄されていた。
すでに膝のあたりまで水に浸かっていたし
沈没を恐れて救命ボートを下ろそうとした乗組員は
手をはさまれて怪我をし、
肝心のボートも横波を受けて壊れてしまった。
船長のエドをはじめとする男どもは罰当たりな悪態をつきまくった。
そうして船は2日間荒れた海を漂い
ついにはミヤーク島の珊瑚礁に乗り上げて座礁した。
しかし我々にはまだ神のご加護があった。
すぐ近くにイギリスの軍艦カーリュー号がいたのだ。
船長のエドは神に感謝の祈りを捧げながら救助を待ちに待った。
しかし、カーリュー号のボートは高波に阻まれ
我々の救助をあっさり断念してしまった。
我々は希望もなく取り残された。
船長のエドは神をも恐れぬ呪いの言葉を吐きつづけた。
他の男どもも船長に習った。
それをカーリュー号が聞いたら大砲をこちらに向けるに違いなかった。
大砲を食らって沈むにしろ波に砕かれるにしろ
海の藻屑となるときが迫ったいま
私は神の御前で証言するためにすべての罵詈雑言を記憶にとどめた。
そのとき、ミヤーク島の浜辺にぽっと炎の色が見えた。
島の原住民が我々のために火を焚いてくれたのだ。
その焚火はひと晩中明るく輝き、
助ける意志のあることを我々に告げた。
船長のエドは歯の欠けた口で再び感謝の祈りを捧げたが
それは間違っていると思った。
ジパングのはずれの小島で原住民の助けを待つときは
彼らの神に感謝すべきではないだろうか。
夜が明けると、高波を突いて小舟がやってきた。
小舟には黄色い顔の原住民が乗っており
彼らは親切にも我々8名を救助したばかりか
手荷物や非常食、積み荷の一部も運び出してくれた。
ミヤーク島の浜辺に着いたとき
消え残った焚き火のまわりに黄色い人々の笑顔があった。
その笑顔は確かに我々の無事を喜んでくれていた。
ここ数日、暴力のような嵐と暴力のような言葉のなかで暮らしてきた私は
焚き火と笑顔がたとえようもなく美しいものに見えた。