中山佐知子 2010年11月28日

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次男の一房くん

               
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

森本一房くんは次男として生まれた。
責任ある長男に較べると、
次男の一房くんはなにごとも「まあいいか」でのほほんとしていた。

一房くんのお父さんは加藤清正の家来で名高い武将だった。
豊臣秀吉が朝鮮に攻め入ったときは清政に従って従軍し
装甲車で敵の城を壊しまくって一番乗りを果たしたこともある。
お兄ちゃんの一友くんも武闘派で知られており
天草一揆では手柄を立てて褒美をもらっている。
それにひきかえ一房くんは賞罰なし、履歴書に書くことがなにもない。
でもまあいいか、と、一房くんは思っていた。

やがて加藤清正が死んだ。
次の年にはお父さんも死んでしまった。
人間五十年というあたりで死んだのだから、まあいいか、と
一房くんは考えた。
でも、困ったことがひとつあった。
新しい殿さまは若すぎて家来がちっとも言うことをきかない。
なんだか政治がもめている。面倒くさい。
でもまあいいか、いやよくない。
居心地の悪い熊本はもういいか、長崎の平戸藩に転職しよう。

一房くんが転職した長崎には国際的な港があった。
日本はまだ鎖国をしていなかったので
白い大きな帆を張った貿易船が遠い国をめざして船出する。
その船に、冬のはじめの季節風に乗ってカンボジアに向う船に
一房くんが乗り込んだのは1631年のことだった。

なんでそんなことを思いついたのだろう。
まあいいか。
お釈迦さまの祇園精舎へ行こうだなんて、無謀なことだぞ。
まあいいか。

1632年の正月のころ、一房くんはアンコールワットにいた。
カンボジアの密林をかきわけてやっとたどりついたのは
惜しいことに祇園精舎ではなく
アンコールワットというヒンズー教のお寺だった。
まわりの彫刻を見ても仏教とは極端に違っていた。
ラーマーヤナにマハーバーラタ、魔王と戦う猿の軍団….
縦に見ても横に見てもお釈迦さまとは何のかかわりもなさそうだった。
でも、まあいいか。
せっかく来たんだから、まあいいか。

一房くんはまわりに居並ぶ異教の神々にも臆することなく
アンコールワットの柱にわざわざハシゴをかけて落書きをした。

それから200年以上のときを経て
フランスの博物学者アンリ・ムーオという人が
アンコールワットにたどりついた。
「密林に眠る遺跡をヨーロッパ人が発見」と世界中が大騒ぎになったけど
でも、実はそのとき、
アンコールワットの真ん中あたり、幅40センチの柱には
一房くんの落書きが、ぬけぬけと残っていたのだ。

まあいいかの一房くんは、
いまではアンコールワットに落書きをしたサムライとして
歴史に名をとどめている。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2010年10月31日

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熊野はもともと根の国であり

ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

熊野はもともと根の国であり
天地(あめつち)がはじまって以来の大いなる力を封じていた。
幾重にもかさなる山々と太古の深い森に隔てられ
都からわざわざ近づこうとするものは難渋を極めたし
熊野から出ようとするものはさらに難儀な道が待ち構えていた。
ここに行って帰ることは
いったん死んで生き返ることを意味しており
それ以外のものにとって熊野への道は閉ざされたままだった。

しかし、平安中期の帝、宇多(うだ)天皇は
譲位の後に熊野御幸(ごこう)を決行され
この尊いかたの御幸(みゆき)によって
ここに都と熊野を結ぶ道が開けてしまったのである。

熊野に封じられた力は原始の力であり
善悪の判断をせずに暴れるものであった。
道が通じたことによってこれが都に及ぶようなことになれば
高度に管理された都の神々はひとたまりもなかった。

さて、都から熊野へいたる道は熊野古道と呼ばれ
淀川の河口近くに端を発する。
摂津から和泉の国の湧き水に沿って南へ下り
紀の国で中央構造線を越えていくつもの川を渡る。
距離にしておよそ300kmの道のところどころには
多くの神社が守りについていた。

その神社のひとつ、阿倍野の安倍王子神社は
淀川から数えて5番めの神社であり
熊野神社の使いである三本足の烏を祀っていた。
境内に八体の穀物の神と三体の水の神がおわし
そびえ立つ何本ものご神木にはそれぞれに木霊の神が宿っていた。

これら阿倍野の神々は
ある日、夢うつつに野山をさまよう若い陰陽師を見て
穀物の神の使いである白狐を妻に与えた。
狐の妻はほどなく身籠り、神々の膝元で男子を出産する。

その子は水の神から天と地を読み解く知恵を授かり
木霊の神からはこの世のものならぬものを見る視力を与えられた。
それから、子供は母を見た。
母はもう人の姿をしていなかった。
母は一匹の狐だった。
狐はそれを知って行方をくらましてしまった。

「はるあきら」と名付けられたその子供は
自分の持てる力のせいで母を失ったことを忘れなかった。
力は制御すべきものであり
制御しない力が災いをもたらすことをはじめから学んでいた。

はるあきらは父のあとを継いで陰陽師になった。
それは日本史上最強の魔術師、安倍晴明の誕生だった。
陰陽師阿倍晴明はやがて熊野におもむき
帝を悩ますさわがしいものを岩屋に封じ込めたと伝えられている。

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中山佐知子 2010年9月26日

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右手と左手

ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

右手と左手はなかなか顔を合わせることがない。
右手が包丁を持つとき、左手は玉葱を押さえている。
右手が鉛筆を持つときは、左手はノートの上にある。

顔を洗うときは横並び。
電車の中ではどちらかがつり革を握り
もう一方が本を開く。

キーボードを叩くときは
お互いにずっと下を向いたままだ。
そういえば今日は一度も顔を見ていない、と
左手は思う。

「Very Annie Mary」という映画のタイトルの
Annieという綴りが左手は好きだ。
左手が耳を澄ますと
自分が打つキーボードのAとeの音にはさまって
右手のnとiの音が聞こえる。
それが好きだ。

ピアノならバッハのインベンション1番
あるいは8番。
左手は右手が弾いたばかりのメロディを追いかけて走り
いつの間にか追いついてしまう。
それがとても好きだ。

右手と左手はなかなか顔を合わせるときがない。
腕組みのときは互い違い。
重なり合うときもどちらかが背中を向けている。
でも、右手は左手とぴったりくっついて
左手に背中をあたためてもらうのが好きだ。

右手と左手はなかなか顔を合わせることがない。
だから、右手と左手は
お互いに言うべき言葉を忘れている。

けれど、やがてその瞬間がやってくる。
右手と左手が
何も持たず、何の役目も負わずに
祈りの形に向き合って
双子のように同じ体温を確かめ合う、そのときに
右手と左手は、沈黙のなかから
たったひとつの言葉を見つけ出す。

ありがとう

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中山佐知子 2010年7月25日



夜鴉

ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

夜鴉はゴイサギだということを僕は図鑑で知った。
祖母のいる田舎の家で蛍を追っていると
暗闇の向こうで奇妙な声が聞こえることがあった。
祖母はそれを夜鴉という鳥だと僕に教え
僕はその不吉な名前におびえた。

夜鴉はゴイサギだ。
知ってしまえば怖がる理由もないと父は言って
僕に鳥の図鑑をくれた。

僕はその年の夏休みのほとんどを祖母の家で暮らしていた。
父は仕事で忙しかったし
母はなめらかな皮膚と黒い髪を持っていたけれど
この星の人ではなく
あきらかに去年より凶暴だった。

小学校の学年が上がるに連れて母は僕を攻撃するようになっていた。
学校で国語や理科の時間を終えて
放課後に鉄棒を3回ほどまわって家に帰ると
水を一杯飲まないうちに母の手が僕をつかんだ。
頭を撫でるかわりに髪をひっぱり
抱き寄せるかわりに突き飛ばし、平手で打った。
理不尽な言葉を吐き出しては投げつけてきた。

僕は母に打たれる原因がどうしてもわからなかった。
どんな僕になったら母の攻撃が止むのかがわからなかった。
母の暴力は日課になり、僕を痛めつけた。
母は僕の敵だった。
敵だと思うことで、僕は自分を強くしていられた。

それでももしかしたら、と僕は考えたことがある。
母の生まれた星ではこうして子供をかわいがるのかもしれない。
それから、あわててそんな考えをやめた。
敵の事情を知ることは自分を弱くすることになる。
宇宙人の図鑑がどこにもなくてよかった。

僕が小学生だったその年の夏
さらさらと流れる川の音を伴奏に
朝は鳥が鳴き、昼間は虫の声が聞こえ
夜は蛍が飛ぶ単純な時間の区切りのなかで
僕は久しぶりに子供らしい日々を過ごしていた。
電話さえ滅多に鳴ることがなかった。

そこに父が来た。
父は、母が星に帰ることになったと僕に言った。
数日後、母が来た。
母は僕の知らない人たちと一緒に来て
僕を見るなり飛びかかろうとした。
それからむりやりクルマに乗せられて
おおんおおんという奇妙な鳴き声をあげながら去って行った。

その晩、僕が蛍を見に行くと田圃に夜鴉がいた。
図鑑によると夜鴉はゴイサギで、
ゴイサギは灰色の翼をたたんで田圃の杭に止まっていた。
近づいても逃げようとせず、片方の目で僕を長い間にらみ
それから、勝ち誇った声で一度だけ鳴くと
バサバサと大きな羽音を残して暗い空に飛んだ。

ゴイサギはやっぱり夜鴉だと僕は思った。
図鑑でどれだけ知識を得ても
どんな名前で呼んでも夜鴉はやっぱり夜鴉で
夜鴉の目は最後に母を見た僕の目に似ている気がした。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2010年6月27日

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ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

それは馬であり、竜でなければならなかった。
なぜなら馬は湧き出す泉から生まれたものであり
その水は竜が治めるものだったから。

またそれは白い馬でなくてはならなかった。
ケルトの白馬は夏至のシンボルであり、
月の女神リーアノンは白い馬で死者を運ぶから。

ブリテン島の南西に位置する砦には
族長と同じほど重要な役目を負った人間がふたりいた。
ひとりは神に仕え、神の言葉を聴いた。
もうひとりは歌い手で
一族の歴史や系図を記憶し竪琴の調べにのせて歌った。
文字の記録を残さない人々にとって
歌い手の存在は重要だった。

戦いがはじまると
ひとりは勝利を祈るために戦士たちと行動を共にした。
もうひとりは勝利の様子を語りつぎ、歌うために
やはり馬に乗って砦を出て行くのだった。

この土地の6月は野原も森もいい香りがする。
キンポウゲやクローバーの香りに誘われるのか
ツバメがときどき地上すれすれに飛ぶ。
空高くひばりの声も聞こえる。
ひばりは誰に向って歌うのだろう。
そして、戦いに敗れ見捨てられた砦で
ひとり生残った歌い手は何をすればいいのだろう。
ここにはもう、歌を聴く人もなく
一族の歴史は途絶え、新しい歌が生まれることもない。

けれども
ここにはケルトの一族が住み一族の歌があった。
何世代も語り継いだ歌をこの土地に記さねばならない。
土地を開き、種を撒き、刈り取り
優れた馬と勇敢な戦士を育ててきた一族は
たとえ滅亡しても魂はこの土地を訪れるだろう。
そのときのために歌をしるさねばならない。
そしてその歌は千年も二千年も残るものでなくてはならない。

こうして、文字を持たない歌い手がつくった最後の歌は
緑の丘に描いた大きな絵として残された。
それは南へ向って飛ぶ白い馬であり、竜でもあった。

3000年のときを隔て、
イギリスのアフィントンの丘でこれを見る人々は首をかしげる。
全長100メートルを超えるその巨大な絵は
竜でない証拠に4本の長い足を持ち
馬でない証拠にその足を空に向けている。

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中山佐知子 2010年6月26日ライブ



百億にひとつの孤独

          ストーリー 中山佐知子
             出演 大川泰樹
                   

夕日の色がなぜ寂しいのか
ときどき僕は考えることがあります。
それはきっと
七つの色の仲間を置き去りにして
たったひとり、あまりにも遠くに来てしまったのが
夕日の色だからです。

それから僕は光について考えます。
この世で最初の光と、その影について考えます。

光あれと誰かが言ったとき
影については何も語らなかった…
けれども影はどうしたって存在しています。
宇宙のはじまりの光がお互いに衝突しあって
はじめての物質ともいうべき素粒子が生まれたとき
その素粒子の影である反素粒子も生まれてしまったからです。

光の素粒子と影の反素粒子は
お互いの相手にめぐり会うことができたとき
プラスとマイナスが打ち消し合うように
消えていくことができました。

ときどき僕はその幸福を思います。
運命の相手と出会った瞬間に消えてしまうことができたら
一緒に消えることができたら
孤独というものはこの世になく
そもそもこの世というものすらない安らかな無の世界です。

けれども、百億にたったひとつ
めぐり会う相手のいない孤独な素粒子がいました。
いつまでたっても消えることのできない素粒子は
孤独をかかえたまま集まって寄り添い
その集まりからこの宇宙のすべてが形づくられていったのです。
集まっても寄り添っても寂しいのは
人も草も木も、ひと粒の砂も
もともと孤独から生まれているからだと僕は思います。
だから僕たちはひとりひとりが
冷たい石のような孤独を
抱きしめても決してあたたまらない孤独をかかえたまま
最後まで生きていかなければなりません。

あなたはひとりでなくてもひとりです。
そして僕もひとりです。

赤い大きな夕日がもうすぐ沈むと
あの親しみ深い夜がやってきます。
僕たちはその夜のなかで一緒に、そして別々に
自分の寂しさを味わいつくしましょう。

孤独こそすべてのはじまりであり
孤独でないものは何も生み出すことはありません。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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