中山佐知子 2021年5月23日「ポスト」

ポスト

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

あれから2年になる。
鶴子さんはポストの前を通りかかるとき
あのときの手紙を思い出して鎖骨のあたりに痛みをおぼえることがある。
届いたのか届かなかったのか、それもわからない。
「返事はいりません」なんて書かなければよかったと
後悔することもたまにはある。

手紙は鶴子さんがはじめて書いたラブレターだったが、
鶴子さんはそれを書き上げてから毎日読み直し、
恥ずかしいと思うところを全部消して
無味乾燥に仕上げてしまったので
もし相手が読んでいたとしても何が何やらわからなかっただろう。
鶴子さんは夏の夕方にその手紙をポストに入れた。
ポストは昔の丸いポストで、
昭和25年くらいからここに立っていると聞いたことがある。
鶴子さんがそのポストに手を合わせ
手紙を入れたその晩の9時過ぎに火事が起こった。

火事は鶴子さんが働く串カツの店の斜め向かいあたりが火元のようだった。
火は狭い路地の奥から出たので、
最初はどこがどのくらい燃えているのかもわからなかった。
消防車は20台ほど来たが、
火事の間口が狭いので数台を除いてはやたらと水をかけることもできず、
傍目には何もしないでただ待機しているように見えた。
煙だけだからボヤだろうと思われた火事はやがて火柱を吹上げ
ひと晩中くすぶり続けた。
火は前後左右に燃え広がり、
やがて鶴子さんが手紙を入れたポストに迫った。

鶴子さんは串カツ屋の女将さんと並んで
ひと晩中火事を見ていた。
「女将さん」と鶴子さんは声をかけた。
「ポストって石でしょうか、鉄でしょうか。」
「あんたはおかしな子やなあ」と言って
女将さんのこわばった顔が少し笑った。
夏の夜が明けてさらに時間が過ぎ、火事はやっと消えた。
通勤のために道を通る人が
びっくりした顔で足を止めて写真を撮っていた。
ポストは焼けなかったが、そばに寄ると熱気があった。
ポストは石なのか、鉄なのか。
中の手紙や葉書はどうなっているのか、
鶴子さんにはわからなかった。
これも運というものだろうと思った。

鶴子さんは今でも串カツ屋で働いている。
去年、たったひとりの身内だった祖母を看取るために辞めようとしたが
女将さんは鶴子さんが戻ってくるまで待っていると言ってくれた。
なんだかんだいっても私は恵まれている、と鶴子さんは思う。
ただ、あのポストを見ると、ときどき思い出すことがあるだけだ。
2年前の手紙の返事は、結局来なかった。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2021年4月25日「春」

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

まだ冷たい地面から
最初の青草の一本が顔を出すと
硬く張り詰めていた空気が少しだけ緩む。

その緩んだ空気を持ち上げるように
土が動いたかと思うと
早起きの蟻が冬眠から覚めて動きはじめる。

太陽が顔を出している時間がだんだん長くなって
早咲きの木の花が咲く。

春の最初の雷が鳴って雨が降る。
地面を覆った枯葉の中からたくさんの緑が見える。

ハコベの白い花が咲く。
紫のケマンソウ、黄色いノゲシ、母子草。
スミレ、カラスノエンドウ、ヤマブキソウ。
庭で蜥蜴を見かけるようになる。
蜥蜴は真っ白に咲きそろった二輪草の茂みへ逃げた。

ヤマシャクヤクの蕾が大きくなっている。
その上にレンギョウが黄色の花弁を散らしている。

春は祭りに似ている。
躊躇なく目覚めて動き、
惜しげもなく咲いて、
いっときの賑わいを楽しみ
すぐに散ってしまう。

どうして咲いてしまうのだろう。
どうして咲いて、散ってしまうのだろう。

冷たい土の下で命を守ってじっとしているときは
「生きる」という目的に向かって生きているのに、
春になるといつの間にかそれがねじ曲げられ、
みんなが、みんなで
死ぬことに向かって生きるようになる。

どうして咲いてしまうのだろう。

じっとしていれば、
生きることに向かって生きられる。
死んだとしても
生きることに向かって死ぬのであって
死ぬ目的を達成するために死ぬのではない。

それでも春が来る。
それでも春が来るとちょっといい気分になってしまう。
春は恐ろしい。
これは春の罠だと思う。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2021年3月28日「歩幅」

歩幅

   ストーリー 中山佐知子
      出演 遠藤守哉

歩幅が狭くなった。

理由はわかるような気がする。
家にいる時間が長過ぎるのだ。
家の中を大きな歩幅で歩いていると、敷居を踏む、
ドアノブに上着をひっかける、
トイレへ行こうとしてトイレのドアを行き過ぎる。
挙げ句の果てに足音がうるさいとも言われる。
そんなことを繰り返すうちに
歩幅が自宅サイズになってしまったのだろう。

そういえば、ここしばらく一生懸命に歩くということがない。
仕事はほとんど自宅のパソコンでことが済むし、
歩くといえばせいぜい買い物か散歩だ。
道端に咲いているタンポポ や
もうすぐ咲きそうな母子草を眺めながら
だらだらと歩くのがいけないのだろうか。
人が二本の足で歩くようになって
もう700万年にもなるというのに、
たった一年で歩く機能が退化するとは情けない。
なんとかしなければ。
それにはまず「歩く」ことへの意識を高めることが大事だ。

まず、家の廊下を歩いてみた。
重心は完全に後ろ足で、体重の乗らない足が前に出ている。
足音を立てないために着地は足の裏全体で行い、
その足が完全に着地してから後ろ足が床を離れ、
体重が前に移動する。
静かだし、安定感は抜群だが、
歩幅は狭くなるし、あまり早くは歩けない。
歩幅を広げようとちょっとだけ腰を落としてみると
子供の頃にやった「抜き足さし足」にそっくりだった。
家の中はもしかしたら、
歩くのに適していないのかもしれない。

次に外に出て歩いた。
会社へ行くときのように、前を見て真剣に歩いた。
後ろ足が地面を蹴り、前に出した足は体重を乗せて着地する。
体重を受け止めるのはカカトという小さな面積だ。
その衝撃がなかなか手強い。
床ならさぞ大きな音を立てるだろう。
足の裏は着地と同時に次の動きに入るので安定が悪い。
重心が足の裏に戻ってこない。
意識したことがなかったが、二足歩行はわりと危険だ。
そう考えると、
人が歩いているのは偉大なことのような気がした。

雪国では滑らないように膝を曲げ、
山道は小さい歩幅で。
田んぼでは足の裏全体を使って、人は歩く。
たくさん歩きかたを持っている人は
どんな場所でも自由自在に対処できる。

歩くことは生きること。
ふとそんな気がした。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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中山佐知子 2021年1月24日「こよみ」

こよみ

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

古代エジプトでは、一年のはじまりが夏至の日だった。
その日は、シリウスが夜明け前の東の空に輝き
シリウスに導かれて太陽が昇った。
ひと月を30日、一年を12ヶ月と5日とするこの暦は
クレオパトラとシーザーの出会いによって
ローマに伝わり、現代の暦に発展する。

イスラムでは一年のはじまりは春分の日で
太陽が沈むときに新しい一日がはじまる。
一方、古代マヤ文明では一日の始まりは夜明けだ。
マヤには260日と365日のふたつの暦があり、
ふたつを掛け合わせると52年になった。
52年は当時の人間の一生に相当した。

ユダヤの暦は天地創造を紀元とする。
それは西暦に直すと紀元前3761年で、
今年はユダヤ暦の5782年に当たるらしい。

昔の日本の暦は太陰暦を基本にしていた。
太陰暦は月の暦なので、
毎月15日は満月、1日は必ず新月だった。
明治になるまで日本人は毎年、
月が出ない元旦を迎えていた。

暦はもっとも古い科学であり、テクノロジーだ。
暦は社会の基盤になる情報だ。
それを知りつつ、
やはりわたしはひとつの問いを抱き続けている。

人はなぜ暦をつくったのだろう。
暦がなくても季節の移ろいはわかるし、
一年の循環もわかる。
人は何のために暦をつくったのだろう。
記録か、それとも予測か。
忘れるためか、思い出すためか、未来を見出すためか。
人は暦をつくり、暦に支配されてはいないだろうか。

しかし、
カメルーン北部のサバンナで焼畑農業を営むある民族の暦は、
毎日雨が降る4月、畑の草をむしる6月、
トウモロコシ が実ったら8月、夜が寒くなったら9月。
一年を12の月に分けてはいるが、
ひと月は30日でも29日でもよく、その都度変わる。
一年が365日でなくても日々の暮らしに差し支えはない。

わたしはこんな国で暮らしたい。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2020年12月27日「閏月」

閏月

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

明治になるまで日本は月の運行をもとにした暦を使っていた。
毎月1日は新月で月がなく、15日は満月だった。
月の形を見れば今日が何日かわかるのが便利だった。
ひと月は29日か30日で、
一年365日にはおよそ11日足りなかった。
そこで3年に一度、閏月をもうけた。
一年が13ヶ月になるのである。

13ヶ月になるといっても
12月の次に単純に13月を挿入すると
季節があまりにもズレてしまうため、
なるたけ季節に沿う形にしようと努力していたようだ。
それでも閏月のある年は12月に立春が来たりした。

さて、そんな旧暦によると
今年2020年は閏4月があった。
5月22日が旧暦の4月30日に当たり、
翌日の5月23日がもう一度4月1日になったのだ。

明治になるまで
日本人はそんな具合に閏月と付き合ってきたのだが、
明治6年、ついに政府は西洋式の太陽暦を採用し、
明治5年12月3日が明治6年の元旦と決まった。
12月はたった2日しかなかった。
役人はこの二日分の給料をもらえなかった。
あまりに急いで決めたので、
すでに発売されていた来年の暦は紙屑になり
出版元は甚大な損害を被った。
12月は忙しい月だ。
挨拶まわり、大掃除、正月の準備。
スポーツや様々なイベント。
すでに決まっていた予定はどうなったのだろう。
2日しかなかった12月の
残り29日分の予定はどうやって辻褄を合わせたのだろう。
私はそれが知りたい。

Tokyo Copywriters’ Street
来年もよろしくお願いいたします。

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中山佐知子 2020年11月29日「たくさんのベンチ」

たくさんのベンチ

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

久しぶりに田舎に帰ったら
駅前のデパートが今月限りで店じまいすると聞かされた。
そのデパートができたおかげで潰れた地元のデパートは
ピカピカの建物の銀行になっていた。
その銀行は地元の銀行だ。
少しホッとした気持ちになったが、
資金繰りの厳しいデパートと地元の銀行の関係を思うと
それ以上のことを考える気になれない。
地元のデパートで、僕はいつも母の日の贈り物を買っていた。

賑やかだった商店街は半ばシャッターがしまっていた。
商店街を抜けると橋のたもとに公園があった。
公園は橋の左右にあった。
どちらの公園にもベンチがたくさんあった。
用もなく佇むのにちょうどよかった。

橋を渡るとまた公園があった。
向こうの橋まで続く川沿いの細長い公園で
ここにもベンチがたくさんあった。
背もたれのある木のベンチに石のベンチ。
木陰のベンチ、川を見晴らすベンチ、
日当たりのいいベンチ、
道路から見えにくいシャイなベンチ。
ベンチとベンチの間を鴨がヨタヨタ歩いていた。
鴨はまったく人を怖がらず、むしろ近づいてきた。
風が強くなって
頭の上で乾いた木の葉がカサカサ音を立てた。
久しぶりの生まれ故郷だった。
駅前のロータリー以外は人が少なかった。
笹掻き牛蒡のうどんを食べさせる店も
おばちゃんひとりで頑張っていたステーキ屋もなくなって、
お好み焼き屋だけが奇跡的に残っていた。
そして、ベンチがやたらと増えていた。

駅へ戻る途中の道に歩道橋があった。
歩道橋の下には信号のある横断歩道があるから
誰もが横断歩道を渡る。
歩道橋を渡ったところには小さな花壇があって
そこにまたベンチがあった。
すぐそばのバス停にもまたベンチだ。

僕はやっと理解した。
どうやらこの街は年寄りが多いのだ。

ベンチはやさしい存在だと思う。
ベンチは疲れた足を休ませてくれる。
向き合う相手がいないことを目立たなくしてくれる。
目的のない散歩の終点にもなってくれる。
ベンチはやさしい。
ベンチには未来をあきらめた穏やかさがある。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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