中山佐知子 2008年6月27日



僕の言葉が雨になったら
                 
                
ストーリー 中山佐知子                   
出演 大川泰樹

僕の言葉が雨になったら
蝶はジグザグに飛んで森へ隠れる。
僕の言葉は捕虫網ではないのに
蝶はどうしても雨が嫌いだ。

僕の言葉が大粒の雨になったら
秒速9メートルの早さであなたを襲う。
ドアをたたくような大きな音を立て
傘の骨をひしぐほど強い力で打ちかかる。
泥水をはね返しサンダルの足に食らいつく。

僕の言葉は拳ではないのに
誰もが身構えようとする。

僕の言葉が雨になったら
僕の言葉が霧のような雨になったら
風にのって空に漂い
隠れた蝶を見つけることができる。
その羽根を湿らせることもできる。
濡れて体温を奪われた蝶は
太陽に温まるまで飛ぶことができない。

縁の下の仔猫の毛も冷えきって
餌を稼げないツバメは巣に帰れずに震えている。

僕の言葉で血を流す人はいないのに
誰もが青ざめた顔になる。

僕の言葉が雨になったら
もし僕の言葉が雨になったら
ピッタリ閉ざした窓も
固く閉まったドアもやすやすと通り抜け
どんなに厚い壁もじわじわと湿らせながら
あなたが逃げ込む小さな家で
きっとあなたをつかまえる。

僕の言葉が雨になったら
耳を塞ぐその指を冷やし、閉じた目の睫毛を震わせ
髪から雫のしたたるまで
きっとあなたを濡らしつづける。

あなたにはもう乾いた明るい場所はどこにもなく
あなたを守る傘もない。
僕の言葉はきっとそんな雨になる。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2008年5月30日



雪しろの水がトクトクと

                                         
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

雪しろの水がトクトクと音を立てて水路を流れています。
野の土も畑の土は湿って黒く
うっかり踏み込むとずぶずぶと足が沈んで水が滲み出します。
その泥の中で、緑のはこべが潰れているのを
僕は知っていました。

その足にもっと力を入れてはどうだろう。
僕が風を真似てささやくと
田んぼに踏み込んだ人はぐっと踵に力を加えたけれど
それでもはこべの息の根は止まらず
雪国の5月は
日を追うごとにあたりの緑が増えていきます。
山の頂はまだ雪のままですが
麓の木々は芽吹いてもやもやと霞のようになってきました。

あなたが開く春
僕はいつもはこべやタンポポが嫌いになります。
あなたがいつも僕を置いていってしまうからです。

それでも、うそのように雪の舞う日があると
あなたはまた躯を閉じようとするのですが
ふたりで丸く眠りつづけた
大雪の冬に戻ることはできません。

あんなに冬中一緒に過ごしたのに
どうして僕はいつも置き去りにされるんだろう。
僕たちはクローンだから。
僕たちは人の手で改良されたから。
人は花の開く姿だけを見たがって
緑の葉の開くのを邪魔だと思ったから。

僕たちは1本のソメイヨシノの木に生まれた
ひとつの花と1枚の葉だから。

雪国の山に自然に芽生えた桜は
花と葉が手を取り合って開くのに
人の手で植えられたソメイヨシノは
満開の花の散るころにやっと葉が開く宿命です。
僕はいつもあなたに追いつけず
あなたが空に舞って雲になるのか
土に落ちて雫になるのか
あれだけ咲いてあれだけ散った花はいったいどこへ消えるのか
知ることもできません。

雪しろの水が音を立てて水路を流れています。
ずぶずぶと湿った土にまた小さな緑の芽が出ました。
僕がどれだけはこべやタンポポを憎んでも
雪国の5月はやってきます。
桜が開き、桃が開き、林檎が開き
それから、桃の葉は桃の実を守り
林檎の葉は林檎の実を守って夏を過ごしますが
子孫を残すことのないソメイヨシノの緑の葉は
守るべきものもないままに孤独な夏を迎えます。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2008年4月25日



「あいうえお」の「あ」と「い」の間に
                    
                                          ストーリー 中山佐知子
   出演 大川泰樹

あいうえおの「あ」と「い」の間はからっぽだ、と
あなたは言う。
ピアノの鍵盤のドとレの間に隙間があるように。

だから僕たちがどんなにロケットを飛ばしても
水星の「す」から金星の「き」までたどり着く前に
光も音もないからぽの宇宙に落込んでしまうのだと
あなたは思っている。

それで、あなたは
あいうえおの「あ」と「い」を僕が語ろうとしても
決して聞こうとはしない。

でも、あなたは知らないだけなんだ。

この宇宙がはじまった最初の光が歌になって
宇宙の隅々まで広がっていることを。
その歌はマイクロウエーブとして観察されているし
絶対零度から3度もあたたかい。

すべての星は
宇宙の歌のなかに浮かんでいる。
水星の「す」と金星の「き」の隙間だって
あたたかい歌で満たされている。
そして、星は星でまた自分の歌を持っているんだ。

多分あなたは知らないだけなんだ。
すべての温度は歌になり
すべての振動は歌になることを。
マイナス130度の木星は木星の歌をうたい
土星の輪っかもひとつの楽譜として
宇宙のメロディの一端を担っていることを。

マイナス210度で凍った窒素も
揺らぐ原子のひと粒も
みんな自分の歌をもっている。

すべての温度は歌になり
すべての振動は歌になる。
あいうえおの「あ」と「い」は
人の体温と鼓動から生まれている。

明日、太陽から風が吹いて
地球の磁気圏をかき鳴らしたら
僕はそのメロディにのせて
「あ」と「い」の歌をうたってあげるよ。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2008年3月28日



死んだ女の右腕と

                   
ストーリー 中山佐知子                      
出演 大川泰樹

死んだ女の右腕と男は暮らしていた。
女の腕は風を読むことができた。
それは季節を知ることであり、魚の群れを見つけることであり
鹿や猪の居場所を知り木の実の落ちる時期を知ることでもあった。
それは、男の単純な暮らしのすべてともいえた。
毎年、女の腕は誰よりも早く春を聞きつけ
ヒューッと口笛のような声で歌った。
それがどんなに寒い夜でも
何日か過ぎると本当に南の風が吹きはじめた。
男はその風に乗って
黒い川の流れを超えようと思っていた。
男の島をとりまく海には
遠い沖に黒潮が川のように流れ
晴れた日に丘に登ると
水平線を縁取るようにキラキラと光の帯になった。
光の帯の遥か向こうには小さな島があり
そこでは黒い石がとれる。
黒い石はたいへん貴重なもので
鋭いナイフになり、獲物をひといきで仕留める矢じりになったが
この島で黒い石を持つものは数えるほどもいなかった。
あの海に流れる黒い川を超えて
黒い石の島に渡り、望み通りの石を持って帰れたら、と
男は言った。
一日で三日分の獲物を仕留めることができる。
たとえ雨や風の機嫌が悪い日があっても…
雨や風の機嫌が悪い日があっても、と女の右腕も考えていた。
男はもう自分を必要としないだろう。
そうして、女の腕が春の歌をうたった数日後
男は本当に黒い川を渡って行ってしまった。
黒潮は北赤道海流からはじまり
伊豆七島では八丈島の沖を通過する。
黒潮は幅100kmに及ぶ海の大河であり
一秒に5000万トンの海水を運ぶ激流でもある。
黒潮にのって漁をする漁船は
現在でも強い風に遭うと八丈の港に避難する。
その春は南の風が吹いたかと思うと北風にもどり
やっと男が島にもどったのは花も終わろうとする時期だった。
女の腕は黒い石を自慢する男に言った。
石に頼るものは風の歌を聴くことはない。
男は答えた。
それでもいま自分は両方手に入れている。
女の腕は、男の話をききながら
しばらく黒い石をなでまわしていたが
やがて石をナイフの形に割ると、春の歌をうたいながら
ひと息に男の胸を刺して殺してしまった。
その女の腕は1977年、
八丈島の縄文の遺跡の中から発見されている。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP

Photo by (c)Tomo.Yun http://www.yunphoto.net

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中山佐知子 2008年2月29日



海山の間には一本の川が

                      
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

海山のあいだには一本の川が流れ
山の思いを海にとどけていた。

海は太古の秘密を隠すために
1万メートルの深みに暗闇の場所を抱いていたが
山は自分のすべてを与えても
その深さを埋めることはなかったので
山の男はある日海の女をとらえて
自分の領土に封じてしまった。

それは海のすべてではなく
ほんの一部にしか過ぎなかったが
山の男は日々海の女を愛おしんで暮らした。

山に封じられた海は
1万メートルの暗闇の底を失ったかわりに
自分の秘密をすべてその瞳に隠して
二度と目を開けることはなかった。

そこで山の男は瞳を閉じた女のために
新しい名前を考えることにした。
女はもう海ではなく
「みずうみ」という名前で呼ばれるようになっていた。
断崖に噛み付く波もなく
硫化水素の毒を吐き出す洞窟も火山もなく
ただおだやかに静まった水があるだけだった。
山の男がそのまわりに
そびえ立つ樹々を牢獄のようにめぐらせると
男の思いをとどけるためにまた新しく川が流れ
水辺に咲く花や赤や黄色に色づいた木の葉を
女のもとに運んだ。

それは湖の底に堆積し
女は少しづつ自分の場所を男に明け渡していくことになった。

海は40億年という時間の堆積を持ち  
この星に生命が生まれた秘密をかかえて
いまも生きつづけているが
湖は通常数千年でその生涯を終える。
山の思いに埋め尽くされ干上がった湖は
木が生え草が茂って
ついには山に呑み尽くされてしまうのだ。

そうして
山の男は自分のものになった湖を
どれだけ滅ぼしてきたかしれないが
それでも山は海に向って
繰り返し繰り返し思いをとどけずにはいられない。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2008年1月25日



あなたは人差し指と中指を
                      

ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

                   
あなたはあなたの人差し指と中指を
付け根から僕に握らせた。
あなたの指はまっすぐに長く
僕の手の幅からふたつの爪がのぞく。
その指を僕は
はじめて玩具を持たされた子供のようにそっと握り
やがて力をくわえる。
それが合図のようにあなたは僕の手を振りほどくと
こんどは自分で僕の人差し指と中指を握った。
あなたの白い手から僕のふたつの爪が顔を出した。

ふたりの手は
爪の形をのぞくと双子のように似ていた。
僕たちは毎日それを儀式のように確かめ合い
お互いの変化を見逃さないようにした。

ひとつのポットに植えられたふた粒の種のように
僕たちはふたりでひとつの未来しかなかった。
つまり先に変化したものが生き延びて成長し
遅れたものは枯れてその養分になるのだった。

だから、ふたりの未来が決まる前に最初の雪が降ったとき
僕たちはお互いの指を握ることやめ
自分の指と指を組み合わせて
この生命が閉じる季節に感謝の言葉を捧げた。

春まで変化はやってこないと思われた。
草が枯れ、樹々が眠る冬になると
僕たちの体は、血液の流れがゆっくりになる。
新しい細胞は生まれにくく
カラダが変化することもないはずだった。

僕たちは指を握り合う儀式のかわりに
手をつなぐようになった。
あなたの指と指の谷間を僕の指で埋めることは
ふたりでひとつのことを祈るカタチだと思った。

その朝は、起き抜けから青空で
夜のうちにうっすらと積もった雪がポタポタと溶けていた。
樹々の枝が雨のように雫を降らし
ポタポタが音楽になって世界にあふれていた。

その朝の僕は
何度も深呼吸をして新しい空気を細胞に取り込むと
勝つために競技場へ向う選手のような晴れやかな気分で
あなたに片手を差し出した。

なのにあなたは僕の手をとらず
自分の人差し指と中指を付け根から僕に握らせた。
あなたの顔は少し青ざめ
あなたの爪は僕の手にすっぽり隠れた。

今日がその日だった。
この美しい日がその日だったんだとぼんやり思った。
それから僕は
あなたの未来を僕のものにするときは
あなたの躯の嫌いな部分も残すことはしないと約束をした。
それしか思いつくことができなかった。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

*携帯の動画は下記の画面で見られると思います。
5d914973583fa901d3ccc74f3d44f92e.3gp

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