中村直史 2024年6月23日「44歳主婦ダンボール育ち」

「44歳主婦ダンボール育ち」

    ストーリー 中村直史
       出演 山田キヌヲ

44歳、主婦です。ふたりの子どもがいます。
犬が1匹。あと夫が一人。夫は一人か(笑)。
自分のことを話すのはあまり得意じゃないので、
ちゃんと話せますかね・・・。
あと家族からもいつも説明がわけわからないと言われるので
わけわからなかったらごめんなさい。
そうですね、、、「なぜ雨が好きか」ですよね?

雨が好きの前にまずダンボールが好きという話をしてもいいですか?
私の親は私が小さいころに離婚というか
お父さんが家を出たっきり帰ってこなくて、
もともと貧乏だったから、お母さんが昼も夜も働いて
私とお姉ちゃんのふたりを育てたんです。
小さいお好み焼き屋さんをやってて。
お昼前11時から、深夜、というか
朝の4時くらいまでやってるようなお店でした。
お母さん一人で切り盛りしてました。
記憶にあるのは私がたぶん2歳か3歳で、
お好み焼き屋の厨房の床にダンボールに入って座ってました。

お店と家はつながってて、
厨房の仕切りを開けたら狭い私たちの家の居間で、
そこにいることもあったんですが、
少しでもお母さんの近くにいたかったんでしょうね、
いつも厨房にいたんです。ダンボールの箱に入って。
ダンボールに入っていると安心して、厨房がガチャガチャしてても、
酔っ払いのお客さんがワイワイしてても安心して眠れました。
箱の中に小さくなって寝てたんです。
おねしょのクセが治らなくて
小3くらいまではダンボールの中でおねしょしてた覚えがあります。
お好み焼きに使う「天かす」わかりますか?
天かすを入れたダンボールがいちばん大きくて、その中に入ってたんです。

もうちょっと大きくなってからは、
さすがにダンボールの中に眠るのはやめたんですけど、
よく押し入れで寝てました。
中学生くらいまでは押し入れで寝たんじゃないですかね。
ずっとお母さんが働いていて、
歳の離れたお姉ちゃんもお母さんのお手伝いをしてることが多くて、
だからさみしいというか、
でもダンボールの中と押し入れの中はなんかさみしくなかったんです。
守られている感じがして。なんだろう?あの狭い感じですかね。
そこにいるとお母さんやお姉ちゃんに守られてる感じがしてました。

大人になって田舎を離れて都会に住み始めてからは
アパートとかマンションに住むようになるじゃないですか。
古いアパートの3階に住んだことがあって、
それは建物のいちばん上の階だったんですけど、
そこが落ち着いたんですよ。とくに雨の夜が好きだったんですよね。
古いアパートだったから
屋根にあたる雨音がうるさいくらい部屋の中で聞こえて、
でも、当たり前ですけど部屋の中には雨は落ちてこなくて、
こんなに音がするのに
自分は濡れずに布団に入っている感じがすごく安心して、
なぜか小さい時のダンボールを思い出して、
それから雨の夜はお母さんやお姉ちゃんといっしょにいる気がして、
だから雨の日はうれしかったです。

結婚して、だんなさんが家を建てたいって言いだしたとき、
私はとくに家にあこがれもなくてこだわりも全くなかったんですけど、
家は大事だから要望をちゃんと言っておいた方がいいよって言われて、
私は工務店の人に「できるだけ安っぽい屋根にしてください」って
お願いをしました。
要望を言ったのはその一個だけです。
きょとんとしてましたね、工務店の人もだんなも、みんな。
雨の音が聞きたいっていうのが理由だとわかってからも、
みんな不思議そうでしたけど、
最終的には、じゃあ瓦の屋根じゃなくてガルバリウムの屋根がいいねって
だれかがいってくれて。
あと家の中の天井板もなくして吹き抜けの空間にしました。
屋根からの音が響くんです、そうすると。
デザイン的にもなんか今っぽいおしゃれな感じになるかも、
ということで工務店の人も夫も前向きに聞き入れてくれたようです。
要望を一個しか言わなかったのでさすがに聞かないわけには、って
思ったんだと思います。
結果すごく雨の音が聞こえる家になりました。
ちょっと響きすぎかなっても思うんですが、でもうれしかったです。
いまも雨の夜はわくわくしますね。

人生の目標とか夢とかもったことがなくて、
子どもたちもいい学校にいってほしいとか、
えらくなってほしいとか一度も思ったことなくて、
そんな感じだから子どもたちが勉強しないんだって
だんなさんに言われたこともあったんですけど、
そう思えないことはそう思えないので、ずっとそのままでした。
子どもたちは成功とかよりも、
ただただ安心して生きていってほしいです。
いろいろあっても雨の音を聞いたら安心するよって
私から言えることはそれだけです。
心配しないでって言いたいです。

長生きはしたいですね。
おばあちゃんになっていろいろやることがなくなったら、
ていうか今もそんなにやることないんですけど、、、
でももっとやることがなくなったら、
ふとんにくるまって漫画の本をたくさん横に置いて、
屋根にあたる雨の音を聞きながら過ごしたいです。
そうなるのが待ち遠しいです。
夢はないっていいましたけどそれが夢ですかね。

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出演者情報:山田キヌヲ  連絡先:ノックアウト https://www.knockoutinc.net/

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中村直史 2022年11月27日「どうして今ここでお皿を拭いているかと言いますと」

「どうして今ここでお皿を拭いているかと言いますと」

ストーリー 中村直史
   出演 平間美貴

どうして私がこの山小屋にいて、
今このテラスでお皿を拭いているのかについて、
私は考えていました。

私が働いている山小屋は、
北アルプスの最奥地といわれるような場所にあります。
どの登山口からも山道を歩いて最低二日はかかる、
まあ大変な場所なのです。
だから若い女性が働いていると登山客たちはよく
「どうしてこの山小屋で働くことになったの?」と聞いてきます。
「もともと山登りが好きで」とか
「前の仕事をやめてどうしようかなと思っていたときに
スタッフ募集を見つけたので」とか
一応それらしい答えを都度言うのですが、
正直なことを言えば、正確な理由はたぶん違っていまして。

いちばんの理由と言われれば、
きっと140億年前にこの宇宙が生まれたことが大きいと思います。
あれがなかったら、こうはなっていなかったし、
かなり決定的な原因だと思うんです。
で、それから、いろんなドタバタがありました。
いろんなものができたり、光りはじめたり、引き寄せあったり。
そんなようなことです。
そしてさらに100億年くらい経って、
二つ目の大きなきっかけがありました。地球ができました。
それからがまた大変な日々で。ぶつかったり、爆発したり、
とけたり、かたまったり。そのうち雨なんか降りだしたりもしたようです。
で、生き物が生まれました。
正直そのへんのことはくわしくわからないのですが、
とにかく、生まれたそうです。
それからもまた大変で。生きたり死んだり。
食べたり食べられたり。
そういうことをえんえんとやって、
で、これはわりと最近の話なんですが、
キミちゃんがこの世に生をうけました。
キミちゃんはいま私のとなりでいっしょに皿をフキフキしている女性です。
キミちゃんが生まれてちょっと後に、私もなぜかこの地球の、
今は日本とよばれる場所に人間として生まれました。
まあ、ほんとにたまたま、長い長い時間の末に生まれてしまいました。
キミちゃんと私は知り合いでもなんでもなかったけれど、
この夏シーズンのはじまりにこの山小屋で出会いました。
この超山奥の、山々に囲まれた台地に立つ山小屋で。

で、話は15分前にさかのぼります。
キッチンで登山客の夕食の皿洗いをしていたとき、
キミちゃんが私に言ったのです。「ねえ外見て、夕焼けすごいよ」と。
私は窓の外を見ました。
南側に連なる山々と、山小屋が立つ台地の間の谷に雲海が広がっていて、
その雲海に西からの夕日があたって、
赤と言ったらいいのか、紫と言ったらいいのか、
不思議な色をしていました。
キミちゃんが、山小屋のオーナーに言いました。
「お皿拭き、テラスでしてもいいですか?」
オーナーはもちろんと言いました。
そしてキミちゃんは、私に「外でやろう」と言いました。
というわけで、今なのです。

テラスに出ると、まだ9月だというのに空気はキンと冷たくて、
皿を持つ手もひんやりしました。
西の方を見たら、山々の向こうにちょうど太陽が沈んでいこうとしています。
キミちゃんは手を休めずお皿を一枚一枚拭きながら
黙って太陽のほうを見ています。
私がふと後ろを振り返ったら
東にそびえる水晶岳が西日を真正面に受けて真っ赤になっていました。
私はキミちゃんの肩をたたいて「水晶岳、見て」と言いました。
キミちゃんが振り返り、
昼間はあんなに青々としていた山肌を見上げています。
黒部川が流れる南側の谷に広がった雲海はどんどん色を変えていて
今は青い紫とでも言えばいいのか、そんな色をしています。
皿は拭き終えました。キッチンからほかの仲間たちも出てきて、
太陽が沈んだ西の空をみんなでしばし眺めました。
宇宙が始まってから140億年ほどたった今のことでした。



出演者情報:平間美貴 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

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中村直史 2020年8月9日「鼻ドア人」

「鼻ドア人」

   ストーリー 中村直史
      出演 遠藤守哉

アフリカ南西部の小さな共和国で、
まだ幼い男児が、母親に連れられて病院を訪れていた。
今日はどうしましたか?と尋ねる医師に、母はこう言った。

「今から私がくしゃみをしますので、息子の鼻を見ていてください。」

そしてくしゃみを一つした。
子どもの鼻を覗き込んでいた医師は、目を疑った。
母親がくしゃみをした瞬間、いや、正確には、
くしゃみをするほんの直前に、その子の鼻の穴が閉じたのだ。

「・・・もう一度、いいですか?」と医師が言った。

くしゃみをする母。すると子どもの鼻の両方の穴が瞬時に閉じる。
一瞬のことでわかりづらいのだが、よく見ていると、
鼻の穴の入り口の皮膚が瞬時に伸びて、自動ドアのように、
鼻の入り口に蓋をしていた。

「鼻の穴に・・・ドアがある」医師はつぶやいた。

時を遡ること数年前。
世界は、重篤な肺炎を引き起こすウィルスの蔓延に悩まされていた。
そんな時に、奇抜な発明をすることで有名な日本のDrシゲマツ氏が発表したのが
「スーパー鼻ふさぎゴム」だった。

空気は通すが、ウィルスなどの微小の粒子は通さない特殊加工をほどこした
シリコンゴムを鼻の中に押し込み、
ウィルスの侵入をシャットアウトするという画期的なものだった。

けれど「スーパー鼻ふさぎゴム」が広まることはなかった。
なにせ息苦しいのだ。
空気を通すとはいうものの、息をするには強い力が必要で、
Drシゲマツ氏は「慣れます」の一点張りだったが、
なかなか慣れることは難しかった。

ウイルスに感染しないようにと、
満員電車の中で「スーパー鼻ふさぎゴム」を装着していた人が
がんばって息をしていたら、ゴムが勢いよく鼻から飛び出し、
その様子があまりに可笑しくて、本人もまわりの人も腹をかかえて笑ってしまい、
密集の中で爆笑が連鎖したため、
クラスター感染が発生するという事態まで起こった。

こうして「スーパー鼻ふさぎゴム」は、世の中に定着することなく
存在を忘れられていったかに見えた。

しかし、海外のとある国で、この日本の奇妙な発明品に
一生忘れない衝撃を受けた人物がいた。
再生医療の専門家であったその博士は、皮膚や臓器など
あらゆる人間の器官に変化するIPS細胞の研究を続けていたが、
彼のひそかなテーマは、IPS細胞を、
「人間がそもそも持っていない新しい器官」へ変化させ、
人類を進化させることだった。
そしてもし、その新たな器官が、
人類をこの蔓延するウイルスから守るものだとしたら?
それこそが、新たな人類の進化した姿になるはず。
考え続けていたことのヒントが、日本の変な発明品にあったのだ。

博士は叫んだ。「人類は、鼻を閉じなければならない」

博士は、細胞が、人間の鼻の穴をふさぐものへと変化するための「司令」を
細胞の中に書き込んだ。危険な瞬間を察知し、穴をふさぐメカニズムは、
獲物を捕らえる際、一瞬にして目が硬い膜で保護される
サメの目の司令系統を参考にした。

そうして完成した細胞を欲しがる国は、もちろん、たくさんあった。
ウイルス感染の増加を止められずにいた国々の政府だ。

経済をとめることなく、密かにウイルスの蔓延を止めたい国々の思惑。
そして、人類という種を進化させたいと願った科学者の思惑。
重なって生まれたのが、鼻に自動でしまるドアを持つ「鼻ドア人」だった。

突然変異と自然淘汰で起こる進化ではない、
人類の手による人類の進化が始まった瞬間だった。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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中村直史 2016年5月8日

nakamura1604

「第103代宇宙人司令官による地球侵略作戦」

     ストーリー 中村直史
        出演 大川泰樹

宇宙人による地球侵略計画が進んでいることは、
一部の人間の間では、長い間常識だった。
ただ、宇宙人が地球を侵略している、なんてことを言う人間は、
ほとんどの場合変人扱いされてしまうのと、
それ以上に、宇宙人たちの地球侵略計画が伝統的に「ゆるい」ために、
いまだほとんどの人間は宇宙人を空想的な存在としか考えていなかった。
しかし宇宙人はいたるところにいて、地球の侵略を進めていた。
問題は「伝統的なゆるさ」だ。
宇宙人が最初に地球侵略を始めたのは、およそ10万年前にさかのぼる。
初代の地球侵略担当司令官は、地球征服に必要な時間を
およそ3日とみつもった。最初の見通しから、ゆるかった。
それから、はや10万年である。
宇宙人の侵略作戦の「ゆるさ」は、宇宙人たちの性格によるところが大きい。すぐにワイワイ盛り上がって「それおもしろいじゃーん」で作戦を決めるのだ。たとえば「火の作戦」というものがあった。
無知な人間に「火」というものを与える。
その暖かさに人類は狂喜乱舞して火を使うだろう。
そのうち、人間の住むところだけ火事が多発。
人類は滅び、ほかの地球の資源は保たれたまま、宇宙人の物になる。
「サイコーじゃーん」宇宙人たちは言った。
が、言うほど火事は起こらなかった。
むしろ、人間はうまいこと火を使いこなし、活動領域を広げ進化した。
その後も「気候を変えてみる」やら「隕石をぶつけてみる」という
本格的なものから、「酒を覚えさせる」「不倫を流行らせる」という、
いかにも宇宙人ノリな作戦までいろんな作戦が遂行された。
98代目の宇宙人司令官は、史上初の「ゆるくない」司令官だった。
おかげで宇宙人の間では人気がなかったが、作戦はとっておきだった。
戦争を人類に覚えさせたのだ。
ただの戦争ではない。大量殺戮兵器による世界戦争だ。
これはやばかった。いよいよ人類は滅びそうになった。
が、それも結果的には失敗に終わった。
なんとか人間たちは切り抜けたのだ。宇宙人たちは会議をひらいた。
なぜこんなにも地球侵略を失敗するのか。ゆるい会議だった。
活発なゆるい議論の中で生まれた、ゆるめの結論としては、
「地球の人間っていうのは、宇宙人みたいにゆるくないよねえ」
ということだった。いざというとき、ゆるくない。
なんかこうまじめにがんばっちゃう。それがしぶとい。
宇宙人たちは口々に言った。「かもねえ〜」。
現在、地球侵略計画は第103代地球侵略司令官のもとに進行中である。
これまでの教訓から、宇宙人たちは、
人間たちにゆるくなってもらおうという作戦を立てた。
まじめにがんばっちゃう人間を滅びやすくするためには、
ちょっと「ゆるく」させたほうがいい。
作戦名は「ベンチ作戦」。お気づきの人もいるだろう。
この20年で世界中の街にベンチが増えたことを。
あくせくがんばって困難を乗り切ろうとする人間に、
すぐ座って、すぐ休んで「まあ、てきとうでいいや」という精神を
植え付けるための作戦だ。宇宙人たちは手応えを感じている。
「てきとうでいいや」がいずれ「滅んじゃってもいいかな」という
気分に変わる手応えを。まあそれも、ゆるい手応えなのだが。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中村直史 2014年8月24日

「夢のパスワード」

     ストーリー 中村直史
        出演 遠藤守哉

現実の社会が、ハイパー電脳フィールドに満たされてしまった
22世紀の社会では、
リアルとバーチャルの境目は完全になくなっていた。
毎朝目が覚めると、私は家族におはようを言う前に、
家族それぞれの電脳フィールドにジャックインする必要があった。
まず妻フィールドに、そして娘フィールド、最後に息子フィールドに。
私は自らの電脳フィールドを通じて、ジャックインする。

電脳フィールドにジャックインするためには、
私しか知りえないパスワードが必要だった。
そしてパスワードは、安全のために毎日変更する必要もあった。
22世紀のハイパー電脳社会では、
ウイルスメイカーや国際的なサギ集団による
ありとあらゆるパスワード探査装置が開発済みであり、
自分の属性に付随するパスワード、つまり生い立ち、家族関係、
友人関係、趣味、好きなもの、嫌いなもの、
DNAの塩基配列にいたるまで・・・・
自分の肉体と歴史に関わるいかなるものも、
それを用いたパスワードにしてしまえば、
24時間以内にほぼ100パーセント見破られるのだった。
生きていく上で欠かせない日々のパスワードを
どのように用意するのかは、21世紀の終わりごろから、
最大の社会問題のひとつとなっていた。

問題解決の糸口となったのが、
今から約40年前の2102年に
カンボジアン・ナショナル・アカデミーの
ヴィエン・シュッツ・パーリ博士が提唱した、
パスワード制作プロセスだった。
博士の提唱はさまざまな実験段階を経て、
世界中で実践されることとなった。
その制作プロセスは、眠っている間に見る「夢」に着目していた。
人間が見る夢は、現実で起こった出来事を情報源としている。
けれど、夢となってあらわれる映像には脈絡がなく、
その脈絡のなさが、希望の光となった。
誰も知りえない脈絡のないものを毎日準備する。
現段階では、個々人の夢が最適かつ最強の脈絡のなさだった。

人々は、国家的な取り組みとして、
幼いころから夢を覚えておく訓練を、徹底的に行わされた。
3歳の誕生日から、国の施設に通い始め、
夢にあらわれたことを記憶にとどめておくこと、
また、見た夢を決してだれにも話さないことを完全に習慣化するよう、
くりかえし行わされた。
法律上定められた、電脳フィールドにジャックインしてもよい
6歳という年齢に達するときには、だれもが、
昨夜見た夢の映像をパスワード化することを習得していた。

今朝もまたいつものように、昨夜の夢をパスワード化した私は、
自分の電脳フィールドでパスワードの変更を行うと、
家族の電脳フィールドにジャックインした。
電脳フィールドに入ってしまえば、
わざわざ息子の部屋まで行くことも、わざわざ実際に声を出すこともなく、
まだ眠っている息子の背中をゆすりながら
「朝だぞ」と声をかけることが可能だった。
家族が朝食のテーブルにそろうときには、
もちろん、家族のそれぞれが、自分の電脳フィールドで
新しいパスワードを設定済みだった。
相互ジャックインされた電脳フィールドのおかげで、
今日もこれから一日、家族のだれがどこにいようと、
私たちは見るもの、聞くものを共有し、
物理的にいっしょにいるかのように、過ごすことができる。
それは21世紀の行きすぎた資本主義社会で崩壊した
家族の絆を取り戻す力があった。
ただし、家庭の会話の中から「あのね、昨日こんな夢を見たよ」
という会話が消えてしまったことが、どんな影響を及ぼすのか、
それを想像できる人間はだれもいなかった。
             

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/


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中村直史 2013年8月11日

花火男

    ストーリー 中村直史
       出演 遠藤守哉

気づいたときには、男は火薬の詰まった真っ黒い玉になっていた。
というのも男は眠りに落ちる前、どうせならでっかい打ち上げ花火のように、
バーンと輝いてパッといなくなりたい、と神様に願ったからだった。
自分がでっかい打ち上げ花火になってしまったと気づいた男は
「いやいや神様、花火って言ったのは比喩だから」と叫んだのだけれど、
その声を聞いた神様は雲の上から
「いやいや男よ、時すでに遅しだから」と叫び返したのだった。

時すでに遅し。ずっとそういう人生だった。
自分の人生を決めるのはいつも自分ではなく状況だった。
なんの覚悟もできないまま何十年も状況に従い、
一個の黒い花火玉になったのだ。ただこんな姿になって
「時すでに遅し」と言われるのは気分が良かった。
生まれたときからずっと、時はすでに遅しでよかったのだと
ようやく気づいたのだった。

それから幾日もたたない夏の夜、男は
花火師の手によって漆黒の夜空へ打ち上げられた。
長年自分がべったりはりついてきた地上はぐんぐん小さくなった。
すばらしい気分だった。重力に逆らって飛ぶのが、ではなかった。
重力が自分を地上につなぎとめていたことの意味を知ったからだった。
ずっと解放されたいと思いつづけた地上の
つながりやしがらみの意味を理解したからだった。
自分とともにあったものは、ぜんぶあってよかったのだった。

男はこれ以上重力に逆らうことができないという地点にたどりついた。
男はもうすぐ死ぬのだった。
もうすぐ死ぬ、ということが、
こんなに晴々とした気分にさせるとは考えてもみなかった。

体の真ん中に小さな火がともった。
小さな火は、そのまわりにある無数の小さな火種のひとつひとつに、
つぎつぎと火をともしていった。体中に力がみなぎった。
こんなに生きたことはなかった。死ぬから生きているのだった。
本当はこんな姿になるずっと前から、死ぬから生きているはずなのだった。
本当はだれもが、生まれたときから時すでに遅しなのだった。
時すでに遅く、死をめがけて、空を駆けあがっているのだった。
火が体中のすみずみにいき渡り、玉は炸裂した。
男はもはや何者でもなく、さまざまな光となって地上にふりそそいだ。
夜の闇へ消えさってしまうその瞬間、
男は「時すでに遅し」と歓喜の声をあげたのだった。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

  

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