2011年10月28日、ホテルニューオータニで開催された
TCC授賞式のパーティの写真です。
写真はクリックすると大きくなります。
写っているかた、どうぞお持ち帰りください。
2011年10月28日、ホテルニューオータニで開催された
TCC授賞式のパーティの写真です。
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エデンから放たれた男と女は
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹
エデンから放たれた男と女は
すぐに一緒に暮らしはじめた。
女はまだ若くあどけなかったし
男も女よりひとつ年上なだけで
ふたりともエデンの外のことについては
何もわかっていなかった。
男には9号という認識番号があった。
女は15号だった。
エデンの外に暮らす人々は
この美しいふたりが自分の土地で暮らすことを喜び
ことあるごとにカメラを向けた。
ある日、黒い大きな翼を持った鳥が女を襲った。
女はやっと逃げたが
動くのが不自由になるほどの怪我をして
誰の目も届かない山のなかに隠れてしまった。
土地の人々は心配して女をさがしたが見つからず
やっと追いついた男を女は追い払った。
私のそばにいると一緒に食べられてしまう….
男は女を守る手段をなにも授かっていなかったし
女もそれを承知で運命に従うしかなかった。
いままで自分たちを傷つけるものがいるなどと
考えたこともなかったが
このときはじめてふたりは
エデンの外で生きることの意味を知ったのだ。
そこでの自由は常に命の危険と引き換えだった。
男は女に追い払われても
木の枝に隠れるようにして近くに潜んでいたが
やがて冬の山の静寂の中で
女の骨が噛み砕かれる音を聞いた。
こうして、ニッポニア・ニッポン
この国で朱鷺と呼ばれる鳥がまた一羽死んだ。
その朱鷺の最後の写真は
捜索した人々がやっと見つけて撮影した
白い羽根と骨のカケラだった。
出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP
「3分の1の写真」
そう思った瞬間、とつぜん空気がキュッと冴えてきた。
新宿から特急に乗って、甲府へ向かう途中。
この青い匂い。しん、と澄み渡る感じ。実家がぐっと近くなる。
甲府で生まれ、高校まで過ごした。
ひとりっこの私は、小さい頃はいつも、1つ年上の幼なじみにくっついて遊んでいた。
亜美ちゃんと、沙耶香(さやか)ちゃん。
亜美ちゃんは、双子の弟を持つお姉さん。しっかりもので、ちゃきちゃきと明るい。
沙耶香ちゃんは、私と同じく、ひとりっこ。
女の子らしくて、お人形をたくさんもっている。
だけど、3人でいると、1つ年下の私はどうしても、
2人にちょっとだけ追いつかない。
亜美ちゃんと沙耶香ちゃんと、そして私。
2人と1人。どうしてもそういう単位。
アネゴ肌の亜美ちゃんが好きだったから、
「沙耶香ちゃん、私も亜美ちゃんと遊びたい。」
心の中でそうつぶやいていた。2人に間に合わない自分が、もどかしかった。
そんな、幼いコドモなりの、心の葛藤の表れだったのだろう。
私は、ある時、写真に思いをぶつけた。
3人で並んで写っている、1枚の写真。
それを3分の1だけ切り離してしまったのだ。
私、亜美ちゃん。そして・・・・切り離された方に、沙耶香ちゃん。
なんとまあ・・・。やっぱりコドモのやることだなあ。
そんな、可笑しくも愚かで切ない出来事も、
実はもうすっかり忘れてしまっていて、
実家へ向かう匂いや気配の気まぐれで、たまたま思い出したのだった。
私は、あれから東京の大学に進み、商社に8年勤めたのち、
友人の小さな輸入食材店を手伝っている。
亜美ちゃんは、もう、この世にいない。15歳の夏、交通事故だった。
沙耶香ちゃんは・・・。
そこで電車が甲府に着いた。夕暮れの駅前ロータリーに降り立つと、
停まっていた赤いミニの窓が開いて、沙耶香ちゃんが顔をだした。
「おかえり。ラデュレのマカロン買ってきた?」
もちろんだよ、と言って、私は助手席に乗り込んだ。
「ごめんね、明日結婚する花嫁さんに迎えに来させちゃってさ。」
すると沙耶香ちゃんは、
「おお、バツイチの再婚につきそってくれる、貴重な幼なじみよ!」
と、はじけるように笑った。
あれから時がたち、いろいろあっても、
3分の1の沙耶香ちゃんと私は今、こうして会って笑っている。
そういうことが、いちばん強い。と、私は思う。
連写一眼だった私たち
ストーリー 安藤隆
出演 浅野和之
休みの日、私はトイカメラで近所の写真をよく撮る。とるにたらぬ
ものを写真に撮るのがすきだ。
ブロック塀にカタカナと平仮名だけの子供のような字で「カベにボ
ールをあてないで」と書いてある。声まで聞こえてきそうなその様
子がこの上なくチャーミングに見える。私はトイカメラの狭い視界
に頭を悩ませながら、文字の全体を何とかレンズにおさめて撮る。
道路脇の冬の百日紅の寒そうな裸の並木、バス停の小さな青いベン
チも撮らないではいられないものだ。
写真に撮った途端、現在はつぎつぎ過去になり、つぎつぎ思い出の
アルバムへと貼り付けられる気がして私は好きだ。過去はすべて記
念写真に変えたい。
トイカメラは60歳の誕生日に妻からプレゼントされた。なぜトイ
カメラかわからなかったが、昔のカメラみたいなデザインが気に入
った。デジカメや携帯は画面で構図を確かめながら撮るから、姿勢
がそっくり返る。歳をとると、そっくり返りがひどくなりみっとも
ない。男は前傾姿勢をとってファインダーを覗き、世界を被写体と
してハンティングすべきものだ。狩りの対象はささやかであろうと
も。
バス停の正面にラブホテルがある。
ラブホテルが建ったのは5年前で、建つ前は建設反対運動が激しか
った。子供が汚染されてダメになる、と親たちがヒステリックな悲
鳴をあげていた。
だがいったん出来てしまうと、なにやら不思議に馴染んでしまうよ
うでみんな何も言わなくなった。それどころか当の親たちもいまで
はこっそり利用しているらしい。
ラブホテルの名前は「ホテル鯨の骨」という一風変わったものだが、
近くの多摩川ぞいで鯨の化石が発見されて以来、鯨が町のシンボル
になっていると知れば納得されるだろう。
ここも私の撮影の恰好の標的で、入り口の椿の植え込み、休憩いく
ら、宿泊いくらといった字は興味深いものだ。
私が看板の、鯨の漫画を撮っていると、事件が起こった。
非常に若いカップルが車でなく、歩いて出てきた。
二人は私に気づき、ひどくハンサムな男の子の方は赤くなるようで
目をそらしたが、可愛い感じの女の子の方は私と目が合った。
すると、フワリと笑った。たしかに。
これらのご近所撮影の結果としてのトイカメラ写真は、あまり出来
の良いものではない。
私にとっての撮影は、もしかしたらフィルムは入っていなくても成
立すると思っている。
モンゴル草原の六月
ストーリー 小野田隆雄
出演 坂東工
小説家の開高健さんが
幻(まぼろし)の魚、イトウを求めて、最後に
モンゴル人民共和国を訪れたのは、
一九八七年の五月だった。
それから二年後の一九八九年、
まるで神様に奪い取られるように
開高さんは、天国へ行ってしまった。
一九九一年の六月下旬、
開高さんをしのんで、私たちは
モンゴルを訪れた。
彼が釣りをした川や湖に
そっと、釣り糸をたらしてみよう、
という計画だった。
そして、ツァカン・ノールという
広い草原で、数日を過ごした。
モンゴル草原の六月は、
わすれなぐさは青く、
きじむしろの花は黄色に
さくらそうはピンクに咲き、
パステルカラーのじゅうたんを
一面にしきつめて、
私たちを迎えてくれた。
明日は、首都ウランバートルへ
戻るという日の午後、私たちは、
開高さんが、最後のポイントにした湖に
静かにルアーを投げた。すると、突然、
空が曇り、風が吹いて、雨になった。
雨はすぐに、あられに変り、
あられは、またたくまに、ひょうとなり、
ひょうは、すぐに雪に変った。
そして草原は、白い冷たい砂嵐のような
吹雪になった。
私たちは、ころがり込んでジープに乗り、
草原の宿舎へと、逃げていった。
翌日の早朝、みごとに空は晴れていた。
宿舎を出て、草原を歩いた。
残り雪のなかに、わすれなぐさの花が、
咲いたまま、凍りついている。
指に触れると、そのちいさな青い花は、
カチッと、かすかな、
陶器がこわれるような音をたてて
指のなかで、くだけてしまった。
手のひらにひかる、宝石の破片のような
青いわすれなぐさの凍った花を
私は、写真に撮りたいと思った。
手のひらをかかえるようにして、
宿舎に走って戻った。
けれど、凍っていた青い破片は
手のぬくもりで、みるみる溶けていく。
宿舎の入口にたどりついたときには、
もとのままの、花びらに戻っていた。
写真機を持たずに、散歩に出たことを、
私は、くやしい、と思った。
そして、なぜだか、わからないが、
「さようなら、開高さん」
と、つぶやいていた。
出演者情報:坂東工 http://blog.livedoor.jp/bandomusha/