木星からのメールが届く頃には
ストーリー 一倉宏
出演 一倉宏
僕たちの船が旅立ってから ずいぶん長い時がたちました
それ以上に いまの君と僕との距離は 気が遠くなるほどです
まだ火星のあたりにいた頃は まいにちメールしましたね
僕たちは 人類史上いちばんの長距離恋愛だ と笑って
ときどき
地球のなんでもないことを 懐かしく思い出します
たとえば 風です
木立やカーテンを揺らしたり
頬や髪 からだで感じる あの風
雨の降り出す前ぶれの かすかに湿った風の匂い
はじめて半袖のシャツにした朝の 風の肌ざわり
寒がりの僕があんなに悪態をついてた
刃のような木枯らしでさえ いまは懐かしい
春のある日 公園で あなたの前髪を揺らした
そよ風ならば よけいに
僕たちの乗った宇宙船では 風を感じることはなく
ただ 二酸化炭素を吸収して 酸素を補給する空気が
ダクトから しずかに流れるだけです
個人専用のハードディスクに 図書館ひとつぶんも
貯め込んできた本も それから映画も 音楽も
なんだかもう 飽きてきてしまいました
それにくらべて カプセルの窓から見える宇宙は
まいにちでも見飽きない美しさです
あなたに見せたかった
ひとつひとつの星が どんなにちいさく見えても
ちゃんとそこにある それぞれに光ってる
なんていうのか 宇宙を実際に見ていると 信じられる
宇宙という存在が はっきりとある そのすべてが
ああ なんて伝えたらいいのか わかりません
だからやっぱり 美しい としかいえない
あなたの好きだった星 シリウスは手の届きそうなほど
僕の好きな星 アルデバランも ほら そこにある
木星に近づく頃にもらった あのメールは
たしかに僕を驚かせ どうしようもなく悲しませたけれど
いまは すべてを理解できると思っています
宇宙のみごとなパノラマ以外は なんにもないここで
まいにちまいにち同じように流れる この時間でさえ
それは 気の遠くなるような長さだったのだから
一日一日の 太陽が沈み 月が浮かび
風が違い 光が違い 雲が動き 色が変わり
日付けが変わり 季節が変わり 街のショウウインドウが変わり
春が去り 夏にめぐり会い 秋を感じて 冬を迎え
さまざまなひとに会い 数えきれないエピソードがあり
まいにちまいにちが 目のまわるほどに動く
その 地球の日々で あなたが
どんなにどんなに 長い時間を過ごしたのか ということを
だからいまは 理解できました
ごめんなさいを 言わなければならないのは 僕のほうだった
あまりに遠く あまりに長すぎる この旅に出た
そろそろ木星も遠ざかる航路に就きました
僕の撮った 木星の写真を送ります
射手座生まれのあなたには 幸運の星だから
どうぞお元気で みなさんによろしく
それから
結婚おめでとう