古田彰一 2010年6月26日ライブ


『月とコピーライター』

ストーリー 古田彰一
出演 坂東工

月が明るい。

と書けば、何が伝わるのだろう。
月が明るいことはもちろん、
そこに書かれてないことまでも人は読み取る。

たとえば時間は夜であること。
雲が月を覆い隠してない天気であること。
明るいというからには、
もしかしたら満月かそれに近いカタチであること。
そして今日は月が明るいと感じている「人」がそこにいること。

月を見上げているのが、山間(やまあい)の村の人であれば、
夜は墨を流したように暗く、それで煌々と眩しく感じるのかもしれない。
反対に、ビルの谷間であれば、都会の明かりに負けそうになりながらも、
けなげに輝いて見えるのかもしれない。

遠く離れた人のことを想う、その心をおぼろに照らす月明かりもある。
仕事帰りのささやかな開放感を、ほっと照らす月明かりもある。

月が明るい。
という一行はただの情報だけど、読んだ人がいる場所や、気持ちによっては
それ以上の意味が与えられる。

そう。何かを書くということは、書かなかった部分を読む人と共有することなのだ。
書き手が「行」を書き、読み手が「行間」を読むことなのだ。

「アイ・ラブ・ユー」と言わずに愛を伝える、
その奥ゆかしさと美しさを忘れたくない。
1行の言葉ですべてを語り尽くそうとする、
コピーライターという職業が、いまふたたび、尊い。

出演者情報:坂東工 http://www.takumibando.com/

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古田彰一 2010年2月20日ライブ


VOICE LOVE.
             ストーリー 古田彰一
                出演 清水理沙

そう。私はいつもそう。
声で、人を好きになる。

「あ、ごめんなさい。間違えました。」
いつも間違い電話をかけてくる男の人。
タイプの声だった。
白馬の王子様の声って、こんな声なんだと思った。

「あ、ごめんなさい。間違えました。」
いつのまにか、間違い電話を心待ちにしている私がいた。
そう、私は、恋に落ちていた。
ていうか、声に墜ちていた。

「あ、ごめんなさい。間違えました。」
いつもの短い台詞。もっと彼の声が聴きたいのに。
違う言葉を聞いてみたいのに。

チャンスは、相手のミスで訪れた。
今日に限って、彼は発信者表示を残した。
彼の電話番号。ここに折り返すだけでいい。

でも、なんて言えばいいの?
彼と同じく「あ、ごめんなさい。間違えました。」とか?
それじゃ話が広がらないし、
下手したらこれきりになっちゃうし。

ケータイを握りしめたまま固まっていると、
とつぜん着信音が鳴った。彼からだった。

「あ、ごめんなさい。いつも間違えてごめんなさい。
でも、どうしてもあなたの声が聴きたくて…」

波長ぴったりの、
声人(こえびと)ができました。

出演者情報:清水理沙 フリー

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古田彰一 2010年1月21日



気持を塗り重ねてみる
                    
ストーリー 古田彰一
出演 水下きよし

日本人は悲しい時に悲しい歌を聴くという。
悲しい気分に悲しい歌を重ねれば、
もっと悲しくなるだけではないのか。
ところが意外にそうではないらしい。

より大きな悲しみに抱かれることで、
人は気持ちを癒すことが出来るのだという。

悲しい色に、悲しい絵の具を塗り重ねることで、
ひとりの悲しみは人間の普遍的な悲しみのパレットに、
混ざり、薄まり、溶けてゆくのだ。

喜怒哀楽とは言うけれど。
赤、青、白、黒といった、原色のような
気持ちで過ごしている時間は、ほとんど無い。

私たちのいまの気持ちは、さまざまな気持ちの
足し算でできあがっている。

想像してみよう。
宝くじで十万円当たったとしよう。とても嬉しい。
さらに十万円当たったとしよう。めちゃくちゃ嬉しい。
さらに十万円当たったとしよう。嬉しさはこの世の頂点に達する。

しかし、その瞬間から、嬉しさは物たりなさにとって変わる。
次も当たるべきだ。もっともっと当たるべきだ、と。

嬉しい気持ちに嬉しい気持ちを塗り重ねると、
意外にもその色は濁り、汚れ、澱んでいく。

「嬉しい」という色の絵の具は、
チューブからしぼり出しすぎると、
貪欲で下品な絵に仕上がるようだ。

では、嬉しい気持ちと悲しい気持ち、
反対の気持ちを混ぜ合わせるとどうなるのだろう。

想像してみよう。
庭の梅の木が美しく咲きほころんだ後に、
家の金魚鉢の金魚が死んでいるのを発見したとしたら。

紅梅白梅の華やかさとかぐわしい芳香の喜びは忽ちのうちに消え失せ、
水面に浮かび出た白い腹が、妙に切なくぷかぷかと漂うことだろう。
萎えた気分がその日一日、自らにまとわり付くのみである。

では逆に、金魚鉢の中の哀れな死骸を見つけたあとに、
庭で咲き誇る梅の花を目にしたとしたら、どうだろう。

赤々と鮮やかな金魚を失った悲しみこそ変わることはないが、
そのあとに眺める梅の花には、少し複雑な感情が生まれる。

まるで失われた小さな命が、花々の芽吹きに乗り移ったかのような、
美しい錯覚。魚と梅の木という、何の関係もないものに
命のつながりがあるかのような、森羅万象への想い。

私たちは、ただ美しいものよりも、哀しげに美しいものに
より澄み切った美しさを感じてしまう民族だ。
「美しいものを見たかったら、目をつむれ」という言葉を思い出す。

黒に白を混ぜた灰色と、白に黒を混ぜた灰色は違うのだと画家は言う。
気持ちの足し算も、またしかり。
嬉しい気持ちのあとに訪れる悲しい気持ちと、
悲しい気持ちのあとに訪れる嬉しい気持ちは、確かに違う。

しかし、私たちはその順序を支配することは出来ない。
うれしくて、腹立たしくて、やがてかなしかったら、どんな気分になるのか。
希望のあとの絶望のあとの希望は、どんな希望なのか。

スイカに少量の塩を振ると甘みが増すように。

しんどい経験も積まなければ、人生の味わいは深くならない。
私たちが知っているのは、せいぜいその程度のことだ。

いつの日か、気持ちの絵の具を自由自在に
混ぜ合わせることができるようになったとき。

混ぜ合わせの黄金比を発見して、
まだ人類の誰も経験していない、
まったく新しい幸せな気持ちが生まれる日を夢見る。

*出演者情報:水下きよし 03-3709-9430 花組芝居所属

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古田彰一 2009年5月16日ライブ



VOICE LOVE.

              
ストーリー 古田彰一
出演 西尾まり

オバマ大統領って、声がいいから
大統領になれたのだと思う。

スピーチの中身はよく覚えていないけど、
そのハリのある声を聴いたとき、
私はオバマさんを支持してしまった。

そう。私はいつもそう。
声で、人を好きになる。

「あ、ごめんなさい。間違えました。」
いつも間違い電話をかけてくる男の人。
タイプの声だった。
白馬の王子様の声って、こんな声なんだと思った。

「あ、ごめんなさい。間違えました。」
いつのまにか、間違い電話を心待ちにしている私がいた。
そう、私は、恋に落ちていた。
ていうか、声に墜ちていた。

「あ、ごめんなさい。間違えました。」
いつもの短い台詞。もっと彼の声が聴きたいのに。
違う言葉を聞いてみたいのに。

チャンスは、相手のミスで訪れた。
今日に限って、彼は発信者表示を残した。
彼の電話番号。ここに折り返すだけでいい。

でも、なんて言えばいいの?
彼と同じく「あ、ごめんなさい。間違えました。」とか?
それじゃ話が広がらないし、
下手したらこれきりになっちゃうし。

ケータイを握りしめたまま固まっていると、
とつぜん着信音が鳴った。彼からだった。

「あ、ごめんなさい。いつも間違えてごめんなさい。
でも、どうしてもあなたの声が聴きたくて…」

波長ぴったりの、
声人(こえびと)ができました。

*出演者情報 西尾まり  03-5423-5904 シスカンパニー

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古田彰一 2008年5月16日



緑色の恋

                  
ストーリー 古田彰一
出演 坂東工

「緑色の恋をしようよ」
いつものように、唐突に彼女が言った。
ふたりに運ばれてきた熱々のカレーうどんに、
ちょうど口を付けたときだった。

緑色の恋って、なんだろう。
情熱の赤い恋とか、未成熟な青い恋とかならわかるけど。
僕が話を拾えずに戸惑っていると、
彼女はお構いなく話題を前に進めた。

「キミ、共感覚って、知ってる?」
まただ。B型の彼女はいつも話題がとっ散らかる。
共感覚? 緑色の恋の話はどこへ行った?
「音を聞くと色が見える人や、
何かに触ると匂いを感じる人が、世の中にはいるの。
視覚とか、嗅覚とか、そういった五感が脳の中で交じり合うのね。
そういうのを共感覚って言うんだけど、素敵な体験よね。」

素敵な体験? 大変な体験の間違いだろうと僕は思った。
共感覚についてはテレビで見て知っている。
アルファベットの「A」がいつもオレンジ色に見えるとか、
木琴の「ラ」の音を聞くとハンバーグの匂いがするとか。
それって、案外うんざりするまいにちじゃなかろうか。

「じつは私にも共感覚があるんだ。どんなのか、知りたい?」
なるほど。きっとここで緑色の恋の話につながるのだろう。
どう返事をしようか戸惑っていると、彼女は意表を突く展開に出た。

「キスして」
え、いや、だってここうどん屋だし、という間もなく、
彼女はテーブル越しに乗り出してきて、いきなり唇を重ねた。
やわらかな感触と、カレーの香り。

とつぜん、まわりの世界が緑色に包まれた。
うどん屋の壁は鮮やかな若葉色に染まり、すすけた天井が新緑に彩られる。
店内の喧噪は木々のざわめきに変わり、カレーの匂いすら
草原の風となってふたりをやわらかく包みこんだ。

それは、以前付き合った女の子と、いつも訪れた風景に似ていた。
あったかくて、おだやかで、すべてが癒される、僕が大好きだった場所。
あの子はいま、どうしているんだろう…。

「わたし、唇に触れられると、緑色が見えるの。
キスをすると、緑色の世界に飛ぶの。」
その言葉で、僕は我に返った。たしかに緑色の恋の意味はわかった。
けど、どうして彼女が見ている世界が僕にも見えたのか。
しかも、どうしてそれが昔好きだった子との思い出の風景なのか。

彼女は何事もなかったようにうどんを食べている。
僕は気を落ち着かせるためにコップの水を飲み干すと、
ゆっくりとカレーうどんの残りをすすった。
そのタイミングで、彼女は席を立った。

店の奥に消えたきり、彼女は戻ってこなかった。
僕はすべてを悟ると、ひとり分の支払いを済ませて店を出た。

10万人にひとりの割合で、不思議な共感覚体験を持つ人がいる。
僕は、カレーの味覚で、いつも同じ女の子を感じる。
幻想でも、思い出でもなく、彼女は確かに僕の前に現れる。
そして、僕はいつも緑色の恋におちる。

出演者情報 坂東工

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