一倉宏 2019年1月6日「愛について」

愛について

    ストーリー 一倉宏
       出演 大川泰樹

NHK Eテレの特集で それを見た
釜ヶ崎 ドヤ街の おっちゃんたちが
詩を書き 絵を描いている

家族と生き別れてしまった おっちゃんが
とうに 大人になっているだろう
娘たちの 幼い頃の思い出を
そこにあったはずの幸せを 書いている
それは 回想なのか それとも 幻想なのか
いずれにしても 書いている

思えば 詩を書くことも
ラインやメール 電話をすることも 
嫁さんをもらうことも 離婚することも
喧嘩することも 焼酎を飲むことも
みんな 同じかもしれない

笑うことも 泣くことも 怒ることも
同じこと だったかもしれない

それらはぜんぶ 愛について

おっちゃんのノートには
こんな言葉も 書いてある

テレビのニュースを見た
5才の女の子のノートが流れた

ママ もうパパとママにいわれなくても
しっかりとじぶんから きょうよりかもっと
あしたはもっとできるようにするから
もうおねがいゆるして ゆるしてください
おねがいします

おっちゃんのノートに 
書き写された 女の子のノート それは

なんて哀しい ラブレターだろう
なんて胸えぐる ラブソングだろう

おっちゃんはいう
だって僕みたいな しょうもない人間

なんで この子は こんな 
誰も助けて あげること 
できひんかったやろかなあ・・・ と

そういって おっちゃんは泣いた 
なんていうか ごく 自然に

僕はテレビを消して 自分の部屋に行く
いつものように 眠くなるまで
お酒を飲んで 音楽を聴く

その音楽は すてきな歌で
あまいメロディに わるくない歌詞

一人称が 二人称を どれほど愛しているか
一人称が どれほどいま 幸せを感じているか

その歌は その歌詞は なかなかいいと
感じていたのだけれど いつもは

でも そんなことなど 
どうでもいいじゃないかと
思えてしかたなかったのだ その夜は

そして 亡くなった母の夢を
ひさしぶりに見た 
夢の中の 母と話した
母もまた 泣いていた

そうだよね 泣くよね 
誰だって

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中山佐知子 2018年12月30日「山の奥の奥」

山の奥の奥

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

山の奥の奥のどん詰まりの村があった。
村人はここより奥によもや人が住んでいるとは思ってなかったが、
あるとき川の上流からお椀が流れてきて、
もっと奥にも人が住むことを知ったという。
そんなことがきっかけで
上流の村と下流の村は様子を尋ね合うようになった。

昭和のはじめの冬のことだった。
常なら4メートル積もる雪が6メートルの深さになり
ついに10メートルに達した。
もう二十日あまりも道が塞がれ行き来が絶えていた。
そんなところへ下流の村には
県の役人と赤十字の医者がやってきた。
大雪に閉じ込められると怪我人と病人が増えるので
雪を侵して村々を巡回するのである。

下流の村の村長さんは
ここより上流にまだ村があることを役人に伝え、
自ら道案内をして雪の山を登った。

上流の村へ行ってみると
家々はすっぽり雪に埋もれていた。
玄関も窓も雪に塞がれ、
外に用事のあるときは床からハシゴを登り、
屋根につけてある小さな出入り口を使うのだ。
家の中は真っ暗で、チョロチョロ燃える囲炉裏の火だけが
灯りの役割を果たしていた。
結局この冬は、いくつかの村で百人ほどの人が死んだ。
上流の村はそんなこともあって
数年後には住む人もいなくなり、廃墟になってしまった。

それからまたしばらくして、
ある年のお盆に
下流の村の村長さんが上流の村の供養を思い立った。
守る人もいなくなった墓にせめて香華を手向けようと
考えたのである。

下流の村から10人余りの人が酒と線香を携えて
草に埋もれた道をたどり、山を登った。
おおかたの場所はわかった。
上流の村は炭焼きの村だったので
炭に使う樫の木や楢の木の林が目印になる。
ところが、墓のありかが見えない。
墓どころか、家も見えない。あったはずの石垣も見えない。
人の背丈より高い草が視界をさえぎり
歩くのさえ苦労するほどだった。

これではどうしようもない。
村長さんとその一行はそこからさらに山を登り、
峠の上から村があったはずの谷に向かって酒を撒いた。
村は夏草の海に沈み、影も形も見えなかった。
みんなはしばらく手を合わせ、それから山を下った。
誰も口をきかなかった。
草や木のたくましさに較べて
人の営みの何と脆くてはかないことだろう。
それでも人は草を刈り木を伐って家を建て村を作り
その日その日を生きようとする。

帰り道、村長さんは海原を漂う小舟のような心細さにおそわれて
ぽろっと涙をこぼし、
あわててクシャミでごまかした。

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小野田隆雄 2018年12月9日「雑木林の思い出」

雑木林の思い出

     ストーリー 小野田隆雄
       出演 大川泰樹

20年ほど昔のことである。
調布市の深大寺に近い植物園に行った。
そこのバラ園で白いバラを撮影し、
化粧品の広告に使用するためである。
五月の中旬、よく晴れた日だった。
撮影が終わったとき、カメラマンが言った。
「雑木林を通って帰りませんか」
私とデザイナーの彼は、
カメラマンの彼女について歩き始めた。
広いバラ園の隣りは、
ちょっと奥深い雑木林になっている。
その中を細い道が続いている。
静かだった。若葉をゆらして風が吹く。
彼女は私の前を、ゆっくりと歩いていく。
ときおり、何かを捜すように、林の中を見る。
細い道は植物園の裏門で終っていた。
バラの撮影をしてから10日ほどあと、
私は彼女と、別の仕事のことで、
バーボンソーダを飲みながら、
新宿三丁目のバーで打ち合わせをした。
そのとき、私は彼女に聞いてみた。
雑木林で何か捜していたのか、と。
すると彼女は次のような思い出を話した。
彼女は小学生時代を調布ですごした。
父は大学の農学部の先生だった。
父は休日になると、ひとり娘の彼女を
あの植物園に連れていった。
そして草花や樹木の名前を教えてくれた。
五月の中旬、やはり、よく晴れた日曜日、
父と彼女は雑木林の中で、ひっそりと咲く、
かわいい黄色い花を見つけた。
「キンランの花だよ」と父がいった。
「黄色く咲くのがキンラン。
白く咲くのがギンラン。
数少ない野生のラン。
こんなところで、この花に会えるなんて」
少女だった彼女の記憶に、
珍しく興奮している父の言葉と
あざやかな花の姿が焼きついた。
そんなことがあったので、撮影の帰り道、
思わず林の中を見てしまったのだ。
と、彼女は言った。
キンランの花について、私にも思い出がある。
あれは30代の始めの頃。
ひとりの女性と別れた。
私はひとりで京都方面へ旅に出た。
スケッチブックを持って行った。
寂しさから逃れるために、
風景や自分の気持をスケッチしたかったのだ。
バーボンソーダを飲んで帰った夜、
その古いスケッチブックを出してみた。
そこに短い文章が、乱暴に書いてあった。
山陰本線で北に行き、保津川の駅から
歩いたときの記録である。

「洛北西、雨(らくほくせい、あめ)
保津川峡を越える雑木林の道で、
ふいに雨が激しくふり出した。
ネムノキ、カツラ、ヤマボウシ、
ホオ、イタビカズラ、シラフジ、
タカオカエデ、コナラ、クヌギ。
緑の匂いが濡れた全身をつつみ込む。
ひとにひとりも合わず、
あだし野の念仏寺まで歩いた。
無縁仏の石塔がつきるあたり、
おぼろに明るく、たった一輪、
キンランの花を見た。
雨のまま、夕闇がせまっていた」

念仏寺から帰った翌日、
京都の図書館で野草図鑑を調べた。
それから落葉樹の図鑑も見た。
そして図書館の机で、あの文章を書いたのだった。
古いスケッチをながめながら私は思った。
ひとつのことや、ひとりのひとを、
思い出にしてくれるのは時間である。
そうやって思い出の雑木林を胸に抱いて、
私たちは歩いていくのだろうな。
北原白秋の詩が聞えてくる。
「からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。」

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中山佐知子 2018年11月25日「三人の未亡人が」

三人の未亡人が

    ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

三人の未亡人が落ち葉を掃いている。

そこは片側に六軒づつ家が並ぶ坂道で
未亡人通りと呼ばれている。
もちろん正式な名前ではないし、
古い地元の人しかその名前を知らない。

未亡人通りと呼ばれるだけに
多いときは5人の未亡人がいた。
6軒と6軒で12軒、
奥まった家を入れても15軒で5人というのは
未亡人率がかなり高い。

いちばんしっかりものの未亡人はもと学校の先生で
戦争でご主人を亡くした。
年金のほかに戦没者の遺族がもらえる恩給があって
暮し向きの心配もせずに済み、
80歳を過ぎても毎朝元気にプールに通っている。
ただひとつ寂しいのは
結婚した娘がスウェーデンに行ってしまったことだ。

そのお向かいに住む未亡人は
いつも笑顔のおっとりとした人だが
人の話を正しく聞いて間違いがない。
なのに、なぜ
あんな早とちりばかりする息子ができたのだろうと、
これはご近所の噂である。

三人めの未亡人はもとオペラ歌手で、
若い頃は海外公演にもよく行ったらしい。
お天気のいい朝は
ソプラノの発声練習が聞こえることもある。
三人の中ではいちばんお出かけが多く、
白髪のおかっぱに赤いセーターがよく似合う。
ある日、この未亡人がいつも使っている箒と塵取りが
道端に置いたままになっていて
掃除の最中に気分でも悪くなったのかと
ご近所さんが集まってヒソヒソと心配したことがあった。
けれども、インターホンからはけろっとした元気な声が聞こえ、
はやまって救急車を呼ばなくてよかったと
みんなでホッとしたそうだ。
箒と塵取りがなぜ道端にあったかは謎のままである。

桜の葉、梅の葉、ハナミズキに木蓮、アブラチャン。
ケヤキの葉は少し離れた佐藤さんのお屋敷から飛んでくる。
イチョウの黄色い葉はさらに遠くの公園からだ。

三人の未亡人が落ち葉を掃いている。

おっとりした未亡人の息子は
また早とちりしてご近所の家の奥さんを怒鳴りつけ、
未亡人に叱られて謝りに行った。
しっかりものの未亡人の娘は1か月の予定でもうすぐ帰国する。
オペラ歌手の未亡人はホームパーティの案内状に
「駅を降りたら地元のタクシーに乗って、
お化け屋敷通りから未亡人通りに入ってください」と
道案内を書いた。

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中山佐知子 2018年10月28日「欲望という名の電車に乗って」

欲望という名の電車に乗って

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

「欲望という名の電車に乗って墓場に乗り換え…」
というセリフから始まるテネシー・ウイリアムズの戯曲は
ニューオリンズを舞台にしている。
「欲望ストリート」という道路が本当にあって
そこを走る電車の表示板に「欲望」と記されていた。
テネシー・ウイリアムズがこの戯曲を書いた頃は電車だったが
蒸気で走ったりロバが牽いた時代もあったそうだ。

ニューオリンズはその土地の70%が海抜0メートル地帯で
まわりを湿地に囲まれている。
だいたいがジメジメと暑い気候で嫌な臭いもする。
3センチ足らずの雨が降ると水害が起きる。
台風が来ようものならえらいことになる。
昔は夏が来ると疫病が流行り、湿った墓場と呼ばれた。
過去1年以内に移住したアメリカ人の3分の1が死んだ年があった。
ヨーロッパから来た人々がほとんど死んだ夏もあった。

あまりに死が身近にあったので
ニューオリンズでは、死ぬことは生きることからの解放と
考えるようになった。
低賃金の生活苦から解放され、疫病の心配からも解放され
死んでめたしめでたしというわけだ。

葬式はだんだん盛大になった。
ジャズを演奏しながらパレードをする。
まるでカーニバルだ。
その一方で、死人を埋葬しても洪水になるとプカプカ浮かんで
どこかへ流されてしまったりもした。
まあ、仕方がない。そういう町なのだ。

「欲望という名の電車」には
メキシコ人の花売りが登場する。
Flores. Flores. Flores para los muertos
フロレス パラ ロス モエタス
死者に手向けるお花はいかが。

そのスペイン語を聞くと、
ニューオリンズはメキシコ人が母国語で商売ができるくらい
移民が多いのだなと思う。

ところで、
メキシコの死者に捧げる花はマリーゴールドで
死者を導く花といわれる。
コスモスと同じキク科の花で、コスモスと共にメキシコ原産だが、
ニューオリンズの花売りが売るのはけばけばしい造花だ。

Flores para los muertos
Flores para los muertos

低所得者が住むこの区画では
本物の花を買う余裕のある人がいないのかもしれない。
ニューオリンズの狂気のような暑さが
花を枯らしてしまうのかもしれない。

Flores para los muertos

欲望という電車に乗って墓場に乗り換え天国通りに行くと
テネシー・ウイリアムズが戯曲を執筆した家があるそうだ。

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宗形英作 2018年9月15日「初雪が降ったら(2018」

初雪が降ったら

         ストーリー 宗形英作
            出演 大川泰樹

初雪が降ったら、と少年は空を見上げた。
初雪が降ったら、初雪が降ったら、告白をしよう。
少年は空を見上げたまま、憧れの人を想った。

なぜ告白という言葉を使ったのだろう。
なぜ初雪の日を思い浮かべたのだろう。
なぜ初雪という一年に一度の時に、告白を、と思ったのだろう。
少年は、とても初々しい気持ちになっていた。
少年は、初雪と告白、この二つの言葉に相性のよさを感じていた。

水分が結晶となって、そして雪になる。
もとあるものが、形を変える。別のものになる。
液体が固体になる。透明が白色となる。
掴みどころのないものが、
手の中にしっかりと握りしめることができるものになる。
その変化、変容、変幻を望んだのかもしれない、と少年は思う。
告白することによって、明日が変わるかもしれない。
今の自分とは違った自分に会えるかもしれない。
少年は、その思いに満足しながら、再び空を見上げた。

果たして、少年が決意してから一か月、雪が降ることはなかった。
少年は、告白の文面を考え、手直しをし、そのために長くなってしまった文面を削り、
削ったことで言葉足らずになった文面に言葉を足した。
少年は、何度も何度も言葉探しの旅に出かけて行った。
そして、初雪が降った。
しかし、手直しに手直しを重ねるばかりで、告白文は未完成のままだった。
少年は、告白の、最初の機会を失った。

そして、2年目の冬が来た。
明日の朝方には、今年初めての雪が降るでしょう。
少年は、その夜長いこと星のない空を見上げていた。
闇に包まれながらも、空は凛として透明な気配を漂わせていた。
息は白く、頬は張りつめ、手は凍てついて、しかし心は熱かった。
そして翌日、少年は高熱を出し、医者から外出を禁止された。
予報通り、その年の初雪は降り、少年は暖房の効いた部屋の窓から、
ひらひらと舞い落ちる雪を眺めていた。
少年は、またも告白の機会を失った。

そして、3年目の冬が来た。
町から色を奪うように、雪がしんしんと降り注いでいる。
その年の初雪だった。
少年は、憧れの人へ電話をかけた。
すっかり暗記している数字を震える手で押した。
憧れの人をコールする、その音が波打つように揺れていた。
留守録に切り替わることを覚悟したとき、彼女の声が揺れながら届いた。
ごめんなさい、気づかなくて。少年の喉が渇いた。
今日会いたいのだけれど。少年は渇きを鎮めるように喉を鳴らした。
ごめんなさい、今ね。と一度区切ってから、南の島の名が聞こえてきた。
その年の初雪が降った日、憧れの人は日本にはいなかった。
少年は、降り注いでくる雪を見上げながら、電話を切った。
少年は、またしても告白の機会を失い、
その翌年、憧れの人が遠い地へと引越していくのを遠くから見送った。

そしてまた、その季節がやってきた。
少年はもう諦めかけていた。自分には運がないのだと。
冬が来ても、天気予報が寒さを告げても、少年はこころを動かさなかった。
初雪という言葉も告白という言葉も遠くなっていくことを感じた。
そしてその日がやってきた。
目覚めると、そこは一面の雪だった。
一晩で積もるほどの雪が、その年の初雪だった。
少年は、その初雪にこころの奥に仕舞ったはずの言葉が
浮き上がってくるのを感じた。
告白しなければ。
憧れの人を想い、会いたいと思い、伝えたいと思った。
伝えたい、その逸る気持ちを抱えながら、
しかし少年は、数日の間じっとこころの中と向き合っていた。

初雪。
年に一度の機会に賭ける、その愚かさに少年は気付いた。
初雪と告白。
そのふたつを関連づけることで、わざと可能性を小さなものにしてしまった。
少年は、そのことに気が付いた。
勇気のない、臆病な自分を正当化するために、
初雪が降ったら、と自分への言い訳を用意していたのではないか。
告白できない自分のふがいなさを隠そうとしていたのではないか。

少年は、思った。
初雪が降ったら、告白しよう、ではなく、
ただ一言、告白しよう、その一言で十分だと。

少年は、遠い地に暮らす憧れの人を目指して、列車に乗った。
いくつもの駅を過ぎ、いくつかのターミナルで乗り換え、
山を、谷を、川を、町を、村を越えて、そして憧れの人の住む駅に着く。
ゆっくりと列車の扉が開く。風がひんやりと頬を過ぎた。
ホームで待っているから。憧れの人は、遠目にもその人だと分かった。
少年は一度立ち止まってから、
一歩一歩確かめるように憧れの人へと向かった。
こんにちは。こんにちは。
憧れの人がほほ笑んだ。少年の固い口元にも微笑みが浮かんだ。
あ、雪よ。憧れの人が言った。あ、雪だ。少年がつぶやいた。
憧れの人だけを見つめて、少年は雪の気配に気づかなかった。
初雪よ。憧れの人がささやいた。初雪か。少年は心の中でささやいた。



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