中山佐知子 2018年8月26日

三国街道は中山道の

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

三国街道は中山道の高崎から分岐し
北陸街道の寺泊に至る道である。

江戸時代後期の戯作者、山東京山が
三国峠を越えて浅貝の宿場に宿を取り
そこからさらに二居嶺(ふたいとうげ)を越えて
三俣という山の宿場に泊まった。
平坦な道はひとつもなく、登り降りの激しい道で、
三俣からは芝原嶺を下って湯沢を目指していた。
いまでいう新潟県南魚沼郡の山の中である。
土用も近い夏のことで、
山を下るにつれて暑さも激しく
汗を拭き拭きふと見ると道の向こうに茶店が見えた。

地獄に仏とばかりよろめく足で駆け込むと
深さ15センチほどの箱に
雪でできた氷を入れてあった。
茶店の親父に勧められるままにそれを頼むと
包丁でさらさらと氷を削り
きな粉をかけて出してくれた。
おかわりをして、今度は手持ちの砂糖をかけた。
ひんやりと暑さを忘れた。

このあたりは、初雪から200日あまりも雪に埋もれる。
冬の雪は家より高く積もり、
春になるとその雪が石のように固まる。
夏のいちばん暑いさかりでも
日が当たらない山の陰や谷間では雪が消えることがない。

この時代
冬に蓄えた氷を真夏に手にすることができるのは
都の帝か江戸の将軍さまか
また、そのお裾分けにあずかれる家臣だろうか。
清少納言の枕草子、藤原定家の明月記にも
貴重な真夏の氷が出てくるが、
汗をかきながら峠を下って
山陰の消え残った雪の氷を食べる涼しさは
尊い人々には決して味わえない快感だったろうと思う。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2018年7月22日

クロムイエロー

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

窓の外で挨拶を交わす声で目が覚めた。
この町では音の響きが鋭く明るく、屈託がない。
音は石の家と石を畳んだ道路にはじかれて
まっすぐに空へ昇っていく。

この明るさだ、と彼は思う。
アルルの街は希望そのものだった。
乾いた夏とあたたかい冬、黄金色に輝く麦畑、
色とりどりの果実が実る果樹園を彼は愛した。
プロヴァンスの透明な光を彼は愛した。
できればこの光を、太陽の光を絵に取り込みたかった。
そのための絵の具も考えてあった。

クロムイエローがその色の名前であり絵の具の名前だった。
クロムイエローは黄金から輝きだけを取り去ったような色だった。
鮮烈で明るく、濃厚で、一度見たら忘れられない。
彼はその絵の具を使って黄金色の麦畑を描き、太陽を描き
ガス灯に照らされたカフェテラスを描いた。
花瓶に挿したひまわりを描いた。
彼は黒猫を描く際にも
クロムイエローにブルーを混ぜ合わせて色をつくった。

彼がクロムイエローに喜びを見いだしたアルル時代から
亡くなるまでの2年余りで描いた絵は400点近くになり
それは彼の油絵のおよそ半分を占める。

ところが、クロムイエローは六価クロムと鉛を含み、
人体に害を与えるが、実はそれだけではなかった。

21世紀になって、4カ国から集められた専門家チームが
彼の「ひまわり」の絵が変色している理由を調べはじめた。
まず当時の絵の具を取り寄せ紫外線を当てた。
さらにアムステルダム美術館所蔵のふたつの絵から
絵の具の粒子を採取し、加速器にかけてみると
クロムイエローの化学変化が認められた。
クロムイエローは太陽光線に含まれる紫外線で
褐色に変化してしまうのだった。

彼はプロヴァンスの光を愛し
アルルの街を愛したが
アルルの人々は彼を気違いと呼んで石を投げた。

彼が、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホがアルルで描いた
クロムイエローの麦畑も太陽もひまわりも
やがて褐色に変わって滅びていくのだ。



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安藤隆 2018年7月8日

お気に入りの家
    
   ストーリー 安藤隆
      出演 大川泰樹

朝、その遊歩道を通って出勤する。
遠回りになるが遊歩道は家々の裏手にあたる
ので人通りがすくなく気分がいい。
途中一軒の白い板壁の平屋が建っていて、わ
たしはきまって歩をゆるめる。
遊歩道との境目の白い木の柵にバラがからま
っている。
とくに手入れが行き届いているようでもない
裏庭にはバラのアーチもつくられている。
どういう品種か知らないが花のちいさなバラ
である。
その家のバラが妙にすきだった。
バラなのに控えめなたたずまいがすきなのだ。

三日前のことだ。
いつものように横目で鑑賞して通りすぎよう
とすると、バラの間から誰かがわたしをみた。
この家の老人夫婦かと振りむくと顔ではなか
った。ヒマワリだった。
まだ夏でないのにと思ったがおきまりの異常
気象かもしれない。
問題はそれが嫌な感じだったことだ。
ヒマワリのどぎつさはどうみてもちいさなバ
ラたちのたたずまいと調和しない。
この庭が嫌いになっちゃうじゃないかと思っ
た。

夜中、遊歩道を歩いている。
街灯のまわりだけ雨が照らされている。
わたしは黒い傘をさしゴム靴をはいて黒いウ
インドブレーカーを着ている。
雨を待っていたのだ。

夜目にも白い家の電気はひっそり消えていた。
わたしは断固たる決意でひくい柵を乗り越え
た。雨が音を消してくれる。そのうえ雨が土
を掘り起こしやすくしてくれる。
わたしはバラの茂みにしゃがみこみ、用意
してきたちっちゃなスコップでヒマワリの根の
まわりを掘り起こした。
土はやわらかく三十センチかそこら掘るのに
二十分とかからなかった。
根が張っていた。このときだけ傘を閉じ両手
で慎重に根っこを抱えた。
それからヒマワリを遊歩道とは逆向きに植え
直した。要はヒマワリの顔がみえなきゃいいのだ。

翌朝、快晴である。
できるだけなに食わぬ顔して遊歩道を会社へ
むかっている。
白い家にさしかかる。
ドキドキを悟られないよう横目で通りすぎる。
その刹那また視線を感じた。
思わず振りむくとソイツがわたしをみていた。
お日様にむかって半回転し、前とおなじ向き
になってわたしをみていた。



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中山佐知子 2018年6月24日

祖母の嫁入り

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

祖母の嫁入りは雨の日だったそうだ。
朝からパラパラ降っていた雨が上がって
雲の切れ間から日が差しはじめた頃、
花嫁行列はやっと出発した。

祖母は黒い紋付の大振袖で
昨日まで三つ編みにしていた髪を島田に結い、
初めてさした紅に緊張していたと笑う。

ご近所の人に見送られ、人力を連ねて峠を越えたが
初めて乗ったその人力が恐ろしく
歩くと言って叱られたそうだ。

そのうちまわりを見渡す余裕ができると
雨に洗われた山道の様子が目に入ってきた。
ホタルブクロの花は揺れてシャラシャラ鳴りそうで、
山法師は風車になって飛んで行きそうで、   (かざぐるま)
くるくると丸まったシダの若い芽は歌の音符のようで、
まだ少女の花嫁はすっかり嬉しくなってしまった。

茂みの中からはヤマユリが頭ひとつ背伸びをしていたし、
少し開けた場所には
イチヤクソウが小さな金平糖のような花をぶら下げていた。

山もそういう時期なんだ、と祖母は思ったそうだ。
自分の身に引き換えてのことだった。
山の木も草も秋の実りの準備をはじめている。
自分も同じだ。
今日がそのはじめの日なのだろう。

湿った崖に岩タバコの花があった。
ところどころにミツバツツジの花が散っていた。
いい日だった。美しい日だった。

やがて峠の道は尽き、
ひらけた村里に大きな門構えの家があった。
ずっしりと重みのある家だったが
玄関も庭に面した座敷の障子もすべて開け放たれ
笑顔でやってきた花嫁をこころよく受け入れた。

それから70年余り、祖母はまだその家で暮らしている。
ほがらかで孫たちに人気があり
いまでも一輪挿しに山の花をいけている。



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中山佐知子 2018年5月27日

勝負

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

彼にはもともと浪費癖があった。
不自由のない暮らしができるほどの収入はあったが
金が入るとすぐに使ってしまう。そして借金をする。
次の収入は借金の返済にあてられ、
生活のためにまた借金をする、そして浪費をするという
借金と浪費のスパイラルだった。

40歳を過ぎて若い女と駆け落ちをした。
いや、駆け落ちをするつもりだった。
女を先にパリへ向けて立たせ自分は後から行くつもりだったが
途中で立ち寄ったドイツの町でルーレットにのめり込んでしまった。
ビギナーズラックで最初に1万フラン儲けたのが原因だった。
彼が4日間ルーレットばかりやっている間に
女はパリで新しい恋人をつくっていた。

その後も彼はギャンブルをやめなかった。
相変わらず借金の返済に追われていた。
悪質な出版社ととんでもなく不利な契約を結んで借りた金まで
ギャンブルですってしまった。
もう後がない。そんな状態で彼は長編小説を1本書いた。
2本めは口述筆記で仕上げた。
そのとき彼の言葉を文字にした20歳の女学生は
彼のプロポーズを受け入れたが、
新生活がはじまると間もなく、
花嫁は自分の道具をすべて質に入れる羽目になった。

結婚しても彼は相変わらずギャンブルに耽っていた。
無一文になっては、これが最後と言いながら妻に金をせびった。
そして妻からもらった金は当然のようにギャンブルに消えた。
彼がいつものように一文なしになったとき、
妻に書き送った手紙がある。
 
 わたしは自分の仕事、つまりこの勝負について、
 少し詳しく説明する。わたしはもうこれで二十度も、
 ルーレット台に近寄るたびに、こういう実験をしたものだ。
 もし冷静に、落ちついて、はっきり胸算用しながら勝負をしたら、
 負けるなんてことは絶対にあり得ない!

しかし彼は負け続けた。
最初は勝つことがあっても負けるまでやめないのだから
最後には一文無しになるに決まっている。
若い妻はそんな彼のギャンブル狂いを
手のほどこしようがない病気だとあきらめて彼を支えた。

彼は手紙で勝負が仕事だなどといっているが、
偉大な作家でもあった。
彼の名前は
フョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーという。



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中山佐知子 2018年4月22日

最後の歌

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

この村では
人は死ぬときに最後の歌を聴くと言い伝えられている。
それがどんな歌だか誰も知らない。
そういえばあの家のばあちゃんが死んだときは
ウミツバメがずいぶんと鳴いていたなあとか、
灯台守の家の小さな女の子が死んだときは
母親がずっと子守唄を歌っていたらしいとか
たまにそういう話が出るくらいで
普段はみんな歌のことなんか忘れている。

ああ、でも
あの女の子のときは霧の夜だった。
涙に滲んだような灯台の明かりが一度だけまたたいて、
いま連れて行かれたんだとみんなが知った。
日ごろ遊んでいた砂丘には
ピンクのスコップが置き忘れたままになっていて
まだ誰も片付けようとはしない。
砂丘からは沖を流れる黒潮がキラキラ光って見えた。

その砂丘のそばの古い家には
身内のいない爺ちゃんが長い一人暮らしを続けていて、
俺は絶対に歌なんか聞かない、
絶対に死なないと言い張っていたが、
ある朝、何とも言えない幸福そうな顔で死んでいるのが見つかった。
偏屈な爺ちゃんだったが、よっぽどいい歌を聴いたに違いないと
みんなが口々に言いながら葬式を出した。

最後の歌ってどんな歌だろう。
僕はそれが気になりはじめた。
恐ろしいのか、懐かしいのか。
悲しいのか、心地よいのか。

ある年のまだ寒い頃、親戚に病人が出た。
若い頃は村を出てマグロ船に乗っていたおっちゃんで、
ほかにもいろいろ無理をしたらしい。
僕はいそいそと見舞いに行った。

おっちゃんは思ったより元気そうで
「春になったら」と言った。
「春になったら俺の葬式に来いよ」と言って寝返りを打った。

おっちゃんは本当に春に死んだ。
おっちゃんは僕に小さなモーター付きの舟を残してくれたので
僕は葬式の翌朝早く海に出た。
沖には藍色の黒潮が流れていた。
その流れに乗って、春にはクジラがやってくる。

黒い背ビレが水面にいくつも立ち、
水が盛り上がったと思ったらすぐそばに背中が見えた。
白い飛沫を飛ばしながらクジラの群れが遊んでいた。
僕はクジラが歌うという話を思い出した。

クジラは歌う。道に迷わないように。
クジラは歌で道を見つける。
だから孤独を恐れない。

空は晴れ、海は青く、あたりには船の影もなかった。
おっちゃんは歌になって黒潮を超えたんだなと思った。
   


出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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