中山佐知子 2018年4月22日

最後の歌

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

この村では
人は死ぬときに最後の歌を聴くと言い伝えられている。
それがどんな歌だか誰も知らない。
そういえばあの家のばあちゃんが死んだときは
ウミツバメがずいぶんと鳴いていたなあとか、
灯台守の家の小さな女の子が死んだときは
母親がずっと子守唄を歌っていたらしいとか
たまにそういう話が出るくらいで
普段はみんな歌のことなんか忘れている。

ああ、でも
あの女の子のときは霧の夜だった。
涙に滲んだような灯台の明かりが一度だけまたたいて、
いま連れて行かれたんだとみんなが知った。
日ごろ遊んでいた砂丘には
ピンクのスコップが置き忘れたままになっていて
まだ誰も片付けようとはしない。
砂丘からは沖を流れる黒潮がキラキラ光って見えた。

その砂丘のそばの古い家には
身内のいない爺ちゃんが長い一人暮らしを続けていて、
俺は絶対に歌なんか聞かない、
絶対に死なないと言い張っていたが、
ある朝、何とも言えない幸福そうな顔で死んでいるのが見つかった。
偏屈な爺ちゃんだったが、よっぽどいい歌を聴いたに違いないと
みんなが口々に言いながら葬式を出した。

最後の歌ってどんな歌だろう。
僕はそれが気になりはじめた。
恐ろしいのか、懐かしいのか。
悲しいのか、心地よいのか。

ある年のまだ寒い頃、親戚に病人が出た。
若い頃は村を出てマグロ船に乗っていたおっちゃんで、
ほかにもいろいろ無理をしたらしい。
僕はいそいそと見舞いに行った。

おっちゃんは思ったより元気そうで
「春になったら」と言った。
「春になったら俺の葬式に来いよ」と言って寝返りを打った。

おっちゃんは本当に春に死んだ。
おっちゃんは僕に小さなモーター付きの舟を残してくれたので
僕は葬式の翌朝早く海に出た。
沖には藍色の黒潮が流れていた。
その流れに乗って、春にはクジラがやってくる。

黒い背ビレが水面にいくつも立ち、
水が盛り上がったと思ったらすぐそばに背中が見えた。
白い飛沫を飛ばしながらクジラの群れが遊んでいた。
僕はクジラが歌うという話を思い出した。

クジラは歌う。道に迷わないように。
クジラは歌で道を見つける。
だから孤独を恐れない。

空は晴れ、海は青く、あたりには船の影もなかった。
おっちゃんは歌になって黒潮を超えたんだなと思った。
   


出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2018年3月11日

セーヌ川のある島で

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

21歳のボードレールが
その島のアンジュー通り17番地に落ち着き
「悪の華」を執筆したのは1842年のことだった。

1858年になると
のちに大作家になるエミール・ゾラが島の学校に通いはじめた。
ゾラはそのとき18歳だった。
ゾラの親友だったポール・セザンヌも
やがてアンジュー通り15番地に住むようになった。

1912年、ベチュヌ通り36番地には
物理学者のマリー・キュリーが娘たちと引越してきた。
二度めのノーベル賞を受賞した翌年のことだった。

彫刻家カミーユ・クローデルのアトリエは
ブルボン通り19番地にあった。
クローデルは類い稀な美貌と才能に恵まれていたが
ロダンとの愛情問題に悩み
1913年には家族によって精神病院に送られた。

1931年、探偵小説「メグレ警部」で成功をおさめたシムノンが
アンジュー河岸に浮かべた船で大騒ぎの祝賀会を開いた。
そのすぐそばのローザン館には
1948年にフランスを訪問したエリザベス女王が滞在している。

オルレアン通りの16番地には
映画監督のロジェ・バディムと
女優のブリジット・バルドーが一緒に住み、
さらに無名時代のマーロン・ブランドが居候をしていた。

ジョルジュ・ポンピドー元大統領は
ベチュヌ通り24番地の貴族の館を改造した賃貸アパートに住み、
1974年にそこで亡くなった。
同じアパートには
ノーベル文学賞のフランソワ・モーリアックも住んでいた。

2013年、歌手のジョルジュ・ムスタキが79歳で亡くなると、
彼が住んでいた島のアパートには
「ジョルジュ・ムスタキ通り」というプレートが掛けられた。
ムスタキは20代の頃から半世紀以上も島の住民だった。

その島はセーヌ川に浮かんでいる。
地図で見るとパリのほぼ真ん中にあり、名前をサン・ルイ島という。
島を貫くいちばん長い道路でも540mしかない。
エミール・ゾラがこの島に来た頃は1万人の住民がいたが、
金持ちの外国人が由緒ある建物を買い取っては
別宅にしてしまうので
いまでは4分の1の住民しか残っていない。

それでも島には学校があり、教会があり、商店があり、
医者もいるから不自由がない。
生粋の島民はパリを外国だと思っているから
滅多に橋を渡って島の外に出ない。

1924年、サン・ルイ島は住民による独立宣言をしたが、
未だに国連に認められてはいないようだ。



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中山佐知子 2018年2月25日

バミューダ諸島の珊瑚礁の海域に

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

バミューダ諸島の珊瑚礁の海域に突然隆起した新しい小島には
吹き抜けの大きな洞窟があった。
洞窟には海水が浸入していたが
両脇の壁際に並ぶ岩が通路の役目を果たし、
そこを伝って行けば向こう側へ抜けることができた。
天井に穿たれた無数の小さな穴から差し込む光が
道案内をつとめ、
その光が暗い海面をスポットライトのように照らすさまは
海に沈む星のように美しかったので
やがて観光客が訪れるようになった。

ある年、バミューダ島の港町ハミルトンから
舟を仕立てて洞窟を訪れた観光客のひとりが
スポットライトに照らされた海の底から
金色に輝くレコードを発見し、引き揚げたことがあった。
レコードの写真はSNSで公開され、
あれはボイジャーのゴールデンレコードだという噂が
囁かれるようになった。
ゴールデンレコードとは
まだ見ぬ宇宙人に宛てたメッセージを録音したレコードであり、
惑星探査機ボイジャーはそのレコードを背負って
はるか宇宙を旅しているはずだった。

宇宙を飛んでいるはずのレコードがなぜここに?
さまざまな説や憶測が飛び交った。
その中に時間ループ説というのがあった。
過去と未来はループしているという説である。
遠い未来に宇宙人がボイジャーを発見し、レコードを回収する。
やがて宇宙人はレコードの意味を解析し
レコードを携えて地球を訪れる。
その未来が過去につながったとしたら
二十数億年前のバミューダの地層から
ゴールデンレコードが発見されても不思議ではない。
あくまでも素人考えに過ぎないが、
時間ループ説は、宇宙は膨張と収縮を繰り返すという
アインシュタイン方程式にも整合しているように思えた。

そうしていっときの宇宙ブームがやってきた。
時間ループ説はまた宗教的な話題も呼んだ。
キリストの復活、釈迦の復活の可能性である。

さて、バミューダの漁師町に住むマシュー爺さんは
正式に登録された300人余りの漁師のひとりで
普段は海に出てタラなどを獲ったりしているが、
ときどき観光船に乗りそこなった観光客を島に運んで
小遣いを稼ぐ。
あの洞窟の島が有名になって以来、マシュー爺さんの稼ぎは増え、
好きな酒も十分飲めるし、旅行の貯金もできた。
爺さんは聞き覚えた知識をときどきお客に披露し、
そこに疑問を挟む。
「過去は未来、未来は過去だ、とすると
 現在ってのはどこへ消えちまったのかね?」
 
多くの観光客がこの問いに答えたが
爺さんはまだ納得していない。



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小野田隆雄 2018年1月14日

 平成時代の終りに

     ストーリー 小野田隆雄
       出演 大川泰樹

平成二九年の十二月上旬のある日、
北島三郎のキタサンブラックは
有馬記念に勝てるだろうか、
そんなことを思いながら
カラオケのマイクを握っていた。
歌っていたのはもちろん
「函館のひと」である。
次に歌う曲も決まっていた。
千晶夫のヒットナンバー「北国の春」である。
その次に予約しているのは、
小林旭の二曲、「北帰行」と「北へ」。
そこでひと休みして
バーボンソーダを飲む予定となっている。
今日もまた午後のサービスタイムに
ひとりでカラオケボックスにやって来た。
そして北の歌を、ひっそり歌う。
いつのまにか、好きな歌は、
タイトルに北が入っているか、
北国の匂いがするものばかりになっていた。

昭和時代に生れて、人生の大半を
その時代の中を泳いできた。
浮いたり沈んだりしているうち、
平成という時代になっていた。
それどころか、二一世紀にもなった。
だんだん時の流れが、
見知らぬ国を走る列車から眺める
風景のように、見知らぬものになってくる。
そして、その平成も終るそうだ。

北という言葉を聞くと、
振り返るという行為が浮んでくる。
南という言葉を聞くと
前に行くというイメージが浮んでくる。
太平洋戦争が終ったあとの日本を、
復興させたいちばんの力は、
東北地方の中学校を卒業して、
東京を始めとする都会に就職した、
金の卵と呼ばれた少年少女の働きだった。
彼はみんな南に向かう夜汽車に乗った。
そして彼らがふるさとを思うとき
北を振り返って生きてきた。
そういうイメージが昭和時代には
あったように思う。

「俺は今日もまた北へ流れる」
小林旭の「北へ」を歌い終えて、
阿久悠さんが作詞した
「津軽海峡冬景色」を予約する。
昔、仕事で南の島に行き、
日本の歌謡曲について
阿久さんの話を聞いた。
そのとき、阿久さんが言った。
「日本人の心を打つ歌は、ほとんど
北が舞台になっています。なぜか、
みんな北に向かうと、やさしくなるんです」
彼は津軽海峡冬景色を作詞したとき、
青函連絡船の船着き場に出入りする人々を
一日中見ていたそうだ。
船着場には行かなかった。
なぜなのか。それはわからない。
この歌を歌っているとき、
突然、中原中也の詩のフレーズが浮んできた。
「北の海」という詩である。
「海にいるのは
あれは人魚ではないのです。
海にいるのは、
あれは波ばかり。」
北の海はとてつもなく寒い。
それでも人は北へ行く。
心の底に触れる何かを求めて。
きっと平成の世が終っても、
いつの世になっても。



出演者情報:大川泰樹(フリー)

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ひとり (東北へ行こう2018)

「ひとり」

      ストーリー 田口真緒(東北芸術工科大学)
         出演 大川泰樹

ひとりになりたい。
ときにあなたはひとりの時間を求める。

孤独ではなく、自分と向き合うひとり。

それはどこで手に入るのか。
図書館で、喫茶店で、自分の部屋で。

でも、ひとりにはなれない。
孤独になるのは簡単なのに
どうしてひとりになれないのだろう。

旅をしよう。
電車に乗っていくつかのトンネルを抜ければ、
そこには知らない景色がある。
知らない暮らしがある。
知らない人がいる。
知らない空がある。
知らない色がある。
知らない幸福がある。
そして、知らないあなたがいる。

もうひとりのあなた。
いままで知らないふりをしていたあなた。
閉じ込めていたあなた。
後回しにしていたあなた。
あなたという、ひとりが待っている。

ひとりになろう。
東北へ行こう。


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磯島拓矢 2017年12月10日

「ゲーム」

       ストーリー 磯島拓也
          出演 大川泰樹

若者と大人の境界線はどこにあるか。様々な説があるが、
僕は、目の前のゲームに夢中になれるかどうか、をあげたい。
ここで言うゲームとは、テレビゲームのことではなく
勝ち負けの要素を含んだ日常の出来事を指している。
仕事でいえば、ライバル社とのコンペとか、
恋愛でいえば、狙った彼や彼女を落とせるかどうか、とか。
言うまでもなく、目の前のゲームに夢中になれるのが若者である。

若者はがむしゃらだ。
ライバル社とのコンペなら、勝とうと思う。勝つことに必死になる。
それはもちろん正しい。
しかし、大人は考えてしまうのだ。ゲームの後のことを。

勝利の喜びは一瞬だ。
その後には、長く苦しい「日常の作業」が待っている。
とある学者が「終わりなき日常」という言葉を発明したけれど、まさにそれだ。
大人はそれを予想する。一瞬の勝利の後に必ず訪れる日常を想像する。
ゲームの勝利は、終わりなき日常を増やすだけ。
大人はそんなことを考える。
だからゲームに夢中になれない。

恋愛も同様、若者はがむしゃらだ。
目の前の彼を、彼女を落とそうと思う。
恋愛というゲームに勝とうと思う。
大人は違う。ゲームの前から後のことを考えしまう。
彼が落ちた。彼女が落ちた。ゲームに勝った。で、どうする?
毎週末デートするか?つきあうのか?結婚するのか?まさか!
大人はそこまで考える。
ゲーム後の後悔まで想像する…。

僕は僕の部屋にいて、隣りで眠る女性を見ながら。
そんなことを考えていた。
昨夜残業後いっしょに食事をし、酒を飲み、視線が絡み合い、
ゲームが始まった。
ゲームに勝ちたいと思い、がんばった結果、
こうしてともに朝を迎えているのだから、
結構自分は若者なんだなと思う。
しかし今はこうして、ゲームの後のことを考えている。
ここから始まる日常を考え、ややうんざりしている。
やっぱり自分は、大人に片足つっこんでいる。

彼女が動く。起きたようだ。
顔を上げた彼女と目が合う。
あ、と思った。
その目に浮かんでいたのは、乙女チックなロマンではなく、
ある種の怯えだった。
目の前のこの男と日常を生きられるのだろうか、という怯え。

僕らはそのまま見つめ合った。
ここから始まる日常への怯えを互いに読み取った。
それは不思議な体験だった。
ゲームの終わりを、女性と共有するのは初めてかもしれない。
「飯、食う?」と言ってみる。
「食う」と彼女は答えた。
そして僕らはいっしょにベッドを降りた。
ゲームの後の日常へ、歩み始めた。
ふたりで。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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