中山佐知子 2016年8月28日

1608nakayama

遠い先祖が寒さに追われて

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

遠い先祖が寒さに追われて
カムチャツカから海を渡り
千島列島を飛び石伝いに南へ下ったらしい。
およそ2万年ほど昔、
最終氷河期のもっとも寒かった時期のことだ。

陸伝いの移動はもっと簡単だった。
当時、大陸とサハリンと北海道は陸続きだったからだ。

流れは南へ向いていた。
氷河期の空気は気持ちよく乾き
氷が真水の貯蔵庫として機能したので
地面はいつも適度な湿り気があった。
気温さえ条件を満たせば生きやすい時代だった。

そうして、日本列島で1万年ほど暮らしていたら
突然暖かくなってきた。
空気がじめじめする。
そのせいで冬になると雪まで降った。
雪は一年の半分地面を覆い、
草が食べられなくなったマンモスが死んだ。

北へ、という言葉が囁かれるようになった。
北へ帰ろう。
北のふるさとへ帰ろう。

ところがだった。
地球の緯度を100km北へ上ると0.6℃気温は下がるが
山の標高を100メートル登っても同じだけ気温は下がる。
氷河が溶けて海の面積が広がっていた。
北へ帰るのは容易ではない。
北を目指すより山を登ろうと考える連中がいたのも
当然のことだっただろう。
単純に計算すると
標高2500メートルの高山地帯は平地より15℃涼しい。

チョウノスケもチドリもベンケイも山を登った。
ワタスゲは標高の高い湿原を住処に定め
サハリンの黒百合も居場所を見つけた。
いま日本で高山植物と呼ばれる草花は
こうして生きのびた種族だ。

例えばカムチャツカへ行くと
日本の高山植物がありふれた花として咲いている。
絶滅が心配されている花々がたくましく繁殖している姿を
見ることもできる。

それらを目にして、はじめて気づくことがある。
もともと貴重な種族などは存在しなかった。
貴重なのは、彼らが生きた知恵でありその歴史だったのだ。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2016年7月31日

1607nakayama

映画館のある島で

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

映画館のある南の島で夏休みを暮らしたことがある。
島は母の島だった。正しくは母の故郷だった。
母は僕が小さいときに死んだと聞かされていたが、
母の親戚が島のそこここにいた。

僕がお世話になった家には女の子がふたり。
姉は僕よりひとつ年上で、妹はひとつ下だった。
姉は癇性な上に年上だからと威張り
命令に従わないとすぐに癇癪を起こしたし、
怯えた妹が僕の手のなかに自分の手をそっと滑り込ませたときも
荒れ狂ってあたりのものを投げ散らかした。

飛んできたお盆や座布団を投げ返しながら
僕は不思議でたまらなかった。
女の子を相手に野生動物のようなケンカをする自分が
どうしてこんなに心地よいのだろう。
裸足で走るのも人前で泣くのもいい気持ちだった。
ケンカは最高に楽しかった。
あの夏、僕は子供時代をもう一度やりなおしていたのだと思う。

昼間、僕たちは近くの浜辺で泳ぎ
日暮れになると映画館へ行った。
同じ映画を何度も見て、同じシーンで笑い
同じシーンで泣いて怒った。
泣くときはどういうわけか三人しっかり手をつないで泣いた。

映画館を出ると、空のてっぺんには天の川が流れ
西の空には木星が光った。
町の灯りより星明かりがにぎやかな島だった。
僕は姉と妹に星の知識を教え、姉は島のことを僕に語った。
島は精霊に守られ、
精霊の声を聞く特別な人がいることを知ったのも
映画の帰り道だった。
精霊ってなんだろう。
問いかけた僕に、妹が小さな声で「おかあさん」と答えた。

島の最後の日は、昼間から映画館へ行った。
明日はもうここにいないのだと思うと
胸がつまるようだった。
出て行くのは僕なのに
仲間はずれにされたような痛みがあった。

開演のベルが鳴って灯りが消えると
じわっと涙が出てきた。
妹がそっと僕の手に触れた。
姉が僕の手をぎゅっと握った。
ああ、これだと僕は思った。これが精霊だ。
精霊は共感するチカラなのだ。
誰かの心に寄り添い、共に悩み共に悲しむ心が精霊であり
妹にとってはおかあさんだったのだ。

手をつないでいると
川が合流するように僕たちの気持ちはひとつになって
あふれはじめた。
香港のアクション映画の音楽に埋もれて
その日、僕たちはずっと泣いていた。

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中山佐知子 2016年6月26日

1606nakayama

沈みかけた太陽の光が

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

沈みかけた太陽の最後の光が
足元に射し込んでいた。
オレンジ色の光だった。
光は下へ行くほど赤に近く
上は黄色みを帯びたグラデーションだった。

空中には舞い踊る光の粒が浮いていた。
ここがいつもの公園だとしたら
それは無数の羽虫のはずだった。
殺して手のひらに乗せると
ただ黒いだけの小さな昆虫が
逆光の効果で金色に輝くことを私は知っていた。
しかし、ここは公園ではないようだった。
キャッチボールをする子供の声もなかった。

6月の夕暮れだった。
それも夏至の日だった。
そこにあるはずの木も草も
夕陽に溶けてしまっていた。
たぶん自分もそうなのだろう。
溶けているというより、
夕陽に酔っているのかもしれなかった。
太陽はなかなか沈まなかった。

それから声が聞こえた。
遠くで「お時間です」と言っていた。
気がつくとバーの止まり木にいて
目の前にはカクテルが置かれていた。
さっきの夕陽と同じ色のカクテルだった。
グラスの底は赤に近く
上に行くほど淡く黄色になっていくグラデーションだった。
そうか、自分はカクテルの中を旅していたんだなと思ったが、
それについてバーテンダーに尋ねる勇気がなかった。

カクテルはごく普通の値段だった。
勘定を払うときにバーテンダーが小さな声で
「夏至だけの限定サービスはいかがでしたか」ときいた。
不意を突かれて言葉にならず、
ただありがとうとだけ言って外に出た。

まだ夕陽は沈んでおらず
サンセットという名前の
あのカクテルの色をした光があたりをつつんでいた。

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中山佐知子 2016年5月22日

1605nakayama

遺言

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

遺言
私の全財産は、使用人に遺す一部をのぞいて
これから遺言
設立する世界ベンチプロジェクトとその活動に
残すことをここに記す。
世界ベンチプロジェクトは世界中の景勝地、
つまり眺めのいい絶景ポイントに
ベンチを設置するプロジェクトとして活動する。

このプロジェクトが発足すれば
人々はデスバレーを見下ろす断崖の上に、
地中海の樹齢千年のオリーブの木の下に、
カトマンズの桜並木に
楼蘭のさまよえる湖の岸辺に
ベンチを見出すようになる。

パタゴニアでは
1日2メートルの速度で湖に流れ込む氷河の上に
ベンチが置かれる。
ホワイトサンズの白い砂漠では
人々は砂に埋もれかけたベンチをさがすことになる。
北欧のフィヨルドの海にせり出した絶壁でも
ギアナ高地の979メートルを落下する滝の下でも
ベンチははるばるやってきた人々を迎える。

やがて、みんなは誰でもわかる簡単なことに気づくはずだ。
絶景だからベンチがあるのではない。
私のベンチがあるからそこが絶景なのだ。
ベンチが風景に評価を下しているのだと。

人々は風景を見に旅をするのではなく
ベンチを見つけに旅をするようになる。
見つけたベンチの数を自慢し、
ベンチがなかった旅は誰も羨ましがらない。

そして10年もすると
ベンチのない場所には誰も行かなくなるだろう。
そのときが来たら
私の愛するあの土地に私の遺骨を埋葬するよう
ここに遺言するものである。

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中村直史 2016年5月8日

nakamura1604

「第103代宇宙人司令官による地球侵略作戦」

     ストーリー 中村直史
        出演 大川泰樹

宇宙人による地球侵略計画が進んでいることは、
一部の人間の間では、長い間常識だった。
ただ、宇宙人が地球を侵略している、なんてことを言う人間は、
ほとんどの場合変人扱いされてしまうのと、
それ以上に、宇宙人たちの地球侵略計画が伝統的に「ゆるい」ために、
いまだほとんどの人間は宇宙人を空想的な存在としか考えていなかった。
しかし宇宙人はいたるところにいて、地球の侵略を進めていた。
問題は「伝統的なゆるさ」だ。
宇宙人が最初に地球侵略を始めたのは、およそ10万年前にさかのぼる。
初代の地球侵略担当司令官は、地球征服に必要な時間を
およそ3日とみつもった。最初の見通しから、ゆるかった。
それから、はや10万年である。
宇宙人の侵略作戦の「ゆるさ」は、宇宙人たちの性格によるところが大きい。すぐにワイワイ盛り上がって「それおもしろいじゃーん」で作戦を決めるのだ。たとえば「火の作戦」というものがあった。
無知な人間に「火」というものを与える。
その暖かさに人類は狂喜乱舞して火を使うだろう。
そのうち、人間の住むところだけ火事が多発。
人類は滅び、ほかの地球の資源は保たれたまま、宇宙人の物になる。
「サイコーじゃーん」宇宙人たちは言った。
が、言うほど火事は起こらなかった。
むしろ、人間はうまいこと火を使いこなし、活動領域を広げ進化した。
その後も「気候を変えてみる」やら「隕石をぶつけてみる」という
本格的なものから、「酒を覚えさせる」「不倫を流行らせる」という、
いかにも宇宙人ノリな作戦までいろんな作戦が遂行された。
98代目の宇宙人司令官は、史上初の「ゆるくない」司令官だった。
おかげで宇宙人の間では人気がなかったが、作戦はとっておきだった。
戦争を人類に覚えさせたのだ。
ただの戦争ではない。大量殺戮兵器による世界戦争だ。
これはやばかった。いよいよ人類は滅びそうになった。
が、それも結果的には失敗に終わった。
なんとか人間たちは切り抜けたのだ。宇宙人たちは会議をひらいた。
なぜこんなにも地球侵略を失敗するのか。ゆるい会議だった。
活発なゆるい議論の中で生まれた、ゆるめの結論としては、
「地球の人間っていうのは、宇宙人みたいにゆるくないよねえ」
ということだった。いざというとき、ゆるくない。
なんかこうまじめにがんばっちゃう。それがしぶとい。
宇宙人たちは口々に言った。「かもねえ〜」。
現在、地球侵略計画は第103代地球侵略司令官のもとに進行中である。
これまでの教訓から、宇宙人たちは、
人間たちにゆるくなってもらおうという作戦を立てた。
まじめにがんばっちゃう人間を滅びやすくするためには、
ちょっと「ゆるく」させたほうがいい。
作戦名は「ベンチ作戦」。お気づきの人もいるだろう。
この20年で世界中の街にベンチが増えたことを。
あくせくがんばって困難を乗り切ろうとする人間に、
すぐ座って、すぐ休んで「まあ、てきとうでいいや」という精神を
植え付けるための作戦だ。宇宙人たちは手応えを感じている。
「てきとうでいいや」がいずれ「滅んじゃってもいいかな」という
気分に変わる手応えを。まあそれも、ゆるい手応えなのだが。

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中山佐知子 2016年4月24日

1604nakayama

ウイーンの春は木に咲く花

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

ウイーンの春は木に咲く花からはじまる。
桜が咲き、レンギョウの枝が黄色の花でいっぱいになると
もう4月だ。
木蓮の大きな蕾も膨らむ。

マリー・アントワネットの結婚式も4月だった。
1770年の4月、
花嫁は14歳と6ヶ月、
花婿は婚約者のフランス皇太子ではなく
皇太子と同い年の兄、フェルディナンドが
代理をつとめていた。
王宮の庭ではリラの花が咲いていた。

こうしてフランス王妃になったアントワネットは
迎えの馬車に乗り、フランスに向かった。

57台の馬車と367頭の馬が
まだ少女だったフランス王妃につき従った。
3日目に国境に来た。
国境はライン川の真ん中だった。
その見えない国境を越えて向こう岸に渡ると
フランス領ストラスブールの街だった。

ストラスブールの大学に学んでいたゲーテは
マリー・アントワネットの婚礼の行列が街を行くのを目撃し
馬車の窓越しにアントワネットの姿もかいま見ることができた。
真っ直ぐ前を向いて姿勢正しく座る14歳の少女の姿は
ゲーテの心をとらえ、一生忘れることがなかった。

揺れる馬車の中で
身を固くして座っていた14歳の少女は
こうしてフランス王妃になった。

誰よりも先にフリルとリボンのドレスをやめて
簡素なスリップドレスを着たアントワネット。
濃厚な香りを嫌って
ナチュラルな香水をつけたアントワネット。
コーヒーとクロワッサンを好んだアントワネット。
やがて彼女の好みはヨーロッパ中の貴族が
真似をするようになる。

その中にハンカチーフがあった。
当時のハンカチは形が決まっておらず
四角や三角や、中には丸い形のものもあったが、
このハンカチを正方形の規格に統一したのが
アントワネットだった。

フランスで、ハンカチーフは正方形にすべしという法令が
布告されたのは1785年。
アントワネットがフランスに嫁いで15年めであり、
偶然だが、彼女の愛人と噂されるスウェーデンの貴族、
フェルゼン伯爵がパリに戻ってきた年でもあった。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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