福里真一 2014年1月13日

外国からのお客さまのために

        ストーリー 福里真一
           出演 大川泰樹

東京が、他の海外の大都市と似たような近代都市だと、
外国から来たお客さまが、
がっかりするのではないか。
という議論は、
すごい勢いで、盛り上がりを見せた。

2014年、江戸復活法案、可決。

多額の国家予算をつぎこんで、
東京に、江戸の街並みを大規模に復元することが、決まった。

6年後に向けて、
急ピッチで、ビルが倒され、高速道路が破壊された。

まるで、戦後の焼け跡のように、
何もなくなった東京に、
今度は、木造の江戸の町が、
信じられないスピードで復元されていく。

もちろん、各競技場は、超現代的なデザインだったから、
背の低い家が立ち並ぶ江戸の街並みと、
突然ところどころで姿を現す、巨大競技場の対比は新鮮で、
これなら、外国からのお客さまたちも、
感嘆の声をあげてくれるだろう、と思われた。

忘れられていたのは、
江戸の名物は、火事だ、ということ。

2020年、世界的イベントを半年後に控えた、
2月のある日、
一軒の家の火の不始末から燃え広がった火事は、
おりからの北西の風にのって、
瞬く間に、
新しい江戸の町を、焼き払った。

その翌日、
黒こげになり、
何もなくなった、東京、あるいは、江戸の町の向こうには、
富士山が、
かつてないほど、くっきりと見えたという。(おわり)

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

  

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中山佐知子 2013年12月29日

10月の秋山郷は

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

10月の秋山郷は青い宝石のような空が広がっていた。
その宝石の下に赤や黄色の紅葉があった。

秋山郷は、新潟県と長野県にまたがる山里で、
頂上に湿原をいただく苗場山と
ノコギリの歯のような厳しい姿の鳥甲山にはさまれた谷間に
現在では13の集落が散らばっている。

なぜこんな土地に人が住み着いたのかわからない。
平地はほとんどなく、一年の半分は雪に埋もれている。
山の急斜面の木を伐って、粟や稗、蕎麦や大豆を育ててはいるが
食料が足りたことはなく、飢饉の年は多くの餓死者がでて
集落がまるごと滅びることさえあった。

北越雪譜を書いた鈴木牧之が秋山郷を旅したのは1828年のことで、
宿がないので民家に頼み込んで宿泊を重ねていた。
どの集落にも米がなく、人々は粟や稗や栃の実を食い
木の皮を煮出したような渋茶を飲んでいる。
持って行った米を渡しても炊きかたを知らないし
お茶はとても飲めたものではない。
どこの家でも寝るときになると着の身着のままごろりと横になる。
布団というものもないから、夜が寒くて寝られない

そんな愚痴をこまかく書き連ねながら旅をつづけていた三日め、
女に会った。
そこは和山という集落で、女は昼食のために立ち寄った家にいた。
集落といっても5軒の家がまばらに点在するだけで
その一軒に上がって火を借り、お湯をもらって
持参の焼き米を流し込むだけの昼食である。

女は年のころ三十前後、
髪は無造作に結わえただけで
膝までしかない丈足らずの着物を着ており
その着物さえ綻びて白い肌がのぞくような身なりだったが
美しさは雨に濡れて匂い立つ芍薬のように思えた。

もしもあなたが、と
牧之は女に言わずにはおられない。
もしもあなたがこの紅葉のような錦に身を包み
髪には玉の簪を飾れば
妃の位を望んでもおかしくはないでしょう。

しかし女は自分の姿を見ることさえできない。
鏡というものを持つ女は秋山郷全体で5人しかいない。
女は外からの人も滅多に来ない深山幽谷に生まれ
その美しさを誰にも知られることなく
この山中で年を取り朽ち果ててしまうのだ。

それがわかっていてもできることはなにもない。
女に心を動かしてもどうすることもできない。
それでも鈴木牧之の秋山記行には女との出会いが詳しく描かれ
我々はいまそれを読んで、
秘境秋山郷の美しい人を想像することができる。

鈴木牧之の秋山記行から9年めに女は死んだ。
天保の大飢饉の最後の年だった。
和山の集落にあった5軒の家ではほとんどの人が餓死してしまい
生き残ったのはわずかに男女ひとりづつだけだったという。

それにしても、匂い立つ芍薬にたとえられた女が飢えて死ぬとき
どんな姿を見せたのだろう。
山の芍薬は身を投げるような姿で白い花びらを散らす。

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中山佐知子 2013年10月27日

私はいろはが嫌いです。

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

私は「いろは」が嫌いです。

すみません。
いきなりこんなことを言う私は「あいうえお」です。
私は「あいうえお」、あちらは「いろは」または「いろは歌」
いつもとは限りませんが、なぜあちらだけ「いろは歌」と
「歌」までつけて呼ばれるのか、
ちょっと癪にさわります。

ひとりで由緒あり気な雰囲気を漂わせているのも
嫌いです。
由緒っていっても七五調になっているだけのことです。
七五七五の繰り返しです。

色は匂えど 散りぬるを
わが世誰そ 常ならむ

ほらね、七五七五でしょう。
ま、それだけのことです。
ついでにお教えしますとね、
これ、今様っていう歌の形式を踏んでいるんです。
文字数だけですよ、曲がついているわけじゃない。
あくまでも、形だけ。

今様というのは、平安時代の流行歌です。
白拍子という遊び女、まあ遊女ですね、
その遊女が舞いながらうたっていた歌なんです。
遊女は男のいでたちをしていまして
今様は、いわば美少年に扮した美少女が歌い踊る流行歌、
きゃーきゃー人気は出そうですが
どこにも由緒など感じられません。

そういえば、「いろは」は弘法大師がつくったという
無謀な意見が広まったこともあるようですが
さきほどの今様の形式を考えると
200年くらいは時代が合わないですからね、
そんな意見に耳を貸してはいけません。

さて、その由緒も何もない「いろは」と
同じころに生まれたのが「あいうえお」です。
みなさん、「あいうえお」は
明治とか昭和だと思っていたでしょうけど、それは大間違い。
古い文献にはじめてあらわれるのも、
「いろは」と「あいうえお」は同じ11世紀。
厳密に言わせていただけば、
「あいうえお」が50年ばかり古いです。

呼び名だって単なる「あいうえお」じゃなかった。
「五音(ごいん)」とか「五十聯音(いつらのこゑ)」とか
「仮名反(かながえし)とか
古い時代はいい名前がたくさんありました。

しかし、過去の栄光にこだわることはありません。
「あいうえお」は
日本語の平仮名を学ぶとき、たいへん優れた機能を発揮します。
日本語が日本語である限り、いつも新しい「あいうえお」
時代を超えて役に立つ「あいうえお」
これからもよろしくお願いしますね。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2013年9月29日

屋根

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

茅葺き屋根のふるさとで
春になったらススキを焼いた。
ススキの原っぱを焼いた。
野焼き、火入れ、その土地土地で呼びかたは違うが
茅葺き屋根の茅は山里ならススキのことで
姿の良いススキが育つための野焼きは
雪が溶けた最初の祭りのような、村中総出の行事だった。

ススキの原に火が入ると
早くに芽を出していた草や灌木が焼ける。
去年の枯れ草に生み付けられたカマキリの卵も
名前を知っている花も、虫も、たぶんネズミも
野焼きは地上にあるものをすべて灰にする。

この殺戮でススキの原を守るのは
いつの時代の知恵だろう。
野焼きをしなくなったススキの原は
何年もしないうちに藪になるのを
僕はいくつも見てきている。

ある年の春、火がおさまったススキの原に
焼け焦げたイタチの死骸を見つけた。
これほど火の勢いが強くても、
地中深く眠るススキには何の影響もなく
まだ焦げた色の残る焼け野原にツンツンと緑の葉を伸ばし、
夏には大人の背丈より高く育つ。

ススキの原のススキは美しいと思う。
土手のススキのように曲がったり折れたりせず、
何の心配もなく暮らしている人のような素直さで
長い茎を空に向かって真っ直ぐ立てている。
僕はその姿を見るたびに
茅葺き屋根のきっぱりとした直線を思った。

そしてある風の強い晩に
月明かりのススキの原を見たことがある。
風にちぎれたススキの穂がキラキラと上空を舞い
その下には海原にも似たまるいうねりがあった。
僕はそのときはじめて
茅葺き屋根のやさしい丸い曲線の秘密を見たと思った。

ススキの刈り取りは
山の紅葉が散るころにはじまる。

去年葺き替えたアラキダさんの屋根は
6000束のススキを使った。
トラックで運べば4トントラック20台分だが
昔はトラックがなかったので
遠くから運ばなくても済むように、
どこのでも村のなかにススキの原っぱがあった。
春の野焼きも、秋の刈り取りも
屋根を葺くのも、みんな村の共同の仕事だった。

茅葺きの屋根は呼吸をしている。
夏は暑さを締め出し、冬はぬくもりを抱きかかえてくれる。

茅葺き屋根の下にいると、外の騒音が聞こえない。
小さな声も聞き取れる静かな家では
そういえば大声を出す人がいなかった。

茅葺きの断熱、保温、通気、吸音
どれをとっても、これほどの優れた屋根を
現代の材料と技術でつくることができないのは
その家のある土地の生きた材料を
使わなくなったからではないかと思うことがある。

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中山佐知子 2013年8月25日

ミサトさんが僕と結婚するにあたって

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

ミサトさんが僕と結婚するにあたって
まずはっきりさせておきたいと言ったのは花火の一件だった。

花火というのはあの川っぷちのチンケな花火大会だ。
いかにもご近所だけの花火という雰囲気を漂わせているので
これならミサトさんを誘っても
「わざわざ」とか「あらたまって」という感じはしない。
単に近所に住む幼なじみが連れだって
ちょっとそこまで花火を見に行くだけなのだから
ミサトさんは警戒心をあまり抱かないだろうし
防御力も弱くなっていると思ったのだった。

案の定、ミサトさんは油断していた。
青味の強い藍染めに大きな葡萄の葉を白く抜き出した浴衣に
白っぽい帯を文庫ではなく貝の口に締めて
いつも通りのキリリとした姿だったが
顔はすっぴんだったし、帯の間にハンカチと小銭入れと
千円札を何枚か挟んだ以外は手ぶらだったからだ。

僕は女の人が化粧をしないとこれだけ持ち物が減るのかと
驚きながらミサトさんを眺めていたが
ミサトさんの右の眉毛が釣り上がったのを見て、あわてて歩き出した。

どーん、どーんと音がして夜空に大きな花がいくつも咲いた。
今年の呼び物は
駅前のショッピングセンターが提供する尺玉10連発で
尺玉10発と二尺玉1発の値段がほぼ同じだというので
どちらにするかずいぶん揉めたときいている。
その尺玉10連発の打ち上げの最中、
どーんどーんの音と観客の声が最高潮に達したとき
僕はミサトさんの耳元に近づいて
可能な限りの早口で結婚を申し込んでみた。

もちろん僕の小さな声はミサトさんの耳の奥まで達していなかった。
しかしそんなことは問題ではない。
僕はちゃんと申し込んだのだし、多少曖昧な表情だったとはいえ
そのときミサトさんは僕に笑顔を向けたのだ。

ミサトさんの両親は早くから僕の申し込みを待っていたので
それからはコトが迅速に進んだ。
僕はミサトさんが留守のときにミサトさんの両親に報告をし
仲人を選び結納の日を決めた。
ミサトさんは男らしい性格なので、たとえ自分の結婚とはいえ
ここまで事態が進展してしまったからには腹をくくるだろうし、
よもやあのときよく聞こえないまま笑ったなんて白状するくらいなら
舌を噛み切って死んだ方がマシだと思うに決まっている。
そこが僕の作戦だった。

ただ、ミサトさんは
あの花火のときに結婚を申し込まれたとは思わなかったし、
承諾した覚えもないといまでも主張している。
僕としても、結婚が決まったいまとなっては、
それを認めるのにやぶさかではない。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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夏の須賀川

「夏の須賀川」

       ストーリー 関根寿大(東北芸術工科大学)
          出演 大川泰樹

福島県須賀川市。僕が生まれ育った町だ。
福島のほぼ中央に位置し人口は8万人ほどしかいない。
主な特産物はきゅうりだ。もとい、きゅうりしかない。
夏になると最盛期を迎え、
灼熱のビニールハウスの中できゅうりはぐんぐん大きくなって
朝昼晩と収穫しないと間に合わない。

子供の頃、
収穫に行く祖母について畑に行った。
むしむしする暑さ。土と干からびた草の匂い。
近くの空港から真っ青な空へ飛んでいく大きな飛行機。
そのうち仕事を終えた両親も収穫に加わる。

やっときゅうりの収穫を終える頃には、
僕はとっくに飽きてしまっている。
歩いてきた道を軽トラックの荷台に乗って帰る。
周りはもう暗く、風も涼しくなった。
外灯に反射して田んぼが光り、暗がりには蛍が飛ぶ。
家に帰ったら、きっと父は
プロ野球中継を見ながらビールをのんで
母が作ったきゅうりの浅漬けをつまみにするのだ。

思い出のなかで、須賀川はいつも夏の匂いがする。
東北へ行こう


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