安藤隆 2017年3月5日

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冬の陽炎

    ストーリー 安藤たかし
       出演 村木仁

 その駅の、線路をまたぐ跨線橋(こせんきょう)の窓には、
必ず四、五人の人影があって、
東京とは反対方向の線路の彼方を眺めています。
東京へ向かう電車が姿をみせるのを、見張っているとみせて、
そのじつ人々の目は、さらに遠くの、奥多摩の山並みを眺めているのかもしれません。
そのような、遠くを眺める人の、どこか茫然たる佇まいをしています。

 西新宿の会社に勤める川瀬さんも、そのなかのひとりです。
ただし電車がやってきて、ほかの人たちが寒いホームへ降りたのに、
川瀬さんはひとり残っていました。
すこしして、反対方向へ向かう電車がの真下から頭を覗かせたとき、
あわてて、そっちのホームへ駆け降りてゆきました。

 川瀬さん、じつは二日連続です。
きのう山並みをみているうち、「東京でないほう行き」に乗ってしまったのです。
そんなこと、はじめてでした。
すると、一駅一駅「なにか」から遠去かるのが、心配でなりませんでした。
電車がいったん乗り換えになる「青梅駅」で、もう限界とばかり降りました。
なのに時計をみると、たかだか三十分しかたっていません。
いったいなにから遠去かったというのだろう。
これから出社しても遅刻ですむくらいです。
わかることは、ひどくドキドキしたことだけ。
癖になりそうだと微かに予感しました。
そうして、きょうです。案の定です。二日連続で「青梅駅」です。

 川瀬さんは迷わず、街道の、きのうとおなじレトロな喫茶店に入りました。
店主が、顔を覚えていたらしく、「あ、どうも」とちょっと笑いました。
川瀬さんは「暇なんでアハハハ」と言い訳しました。

 コーヒーを頼むと、リュックからノートパソコンを出して、
いつもの、ドラゴンズファンの集まるサイトを開きました。
そこはブログをまとめたページで、川瀬さんも、じぶんのブログを載せているのです。

 あゝ今月から、沖縄キャンプがはじまっています。
おとといはフリーバッティング、きのうはシートバッティングでした。
川瀬さんは、CS放送を録画してチェックしています。
贔屓にしている二人の選手が、二人とも気掛かりな出来で、
そのことを書こうと思っていました。
ピッチャーの伊藤と、ショートの堂上(どのうえ)です。
 きょうは準規(じゅんき)と直倫(なおみち)について書く、
というタイトルにしました。
ファンにはそれだけで通じます。
書き出しは「準規は相変わらずであった」

 「つづけて「ストライクをとる自信が、みるからにない。
私の目には投げることそのものを怯えている、としかみえなかった。
ストライクどころか、球を投げることに汲々としている。
フォアボール、ヒット、フォアボール、ホームランという結果は、
ある意味予想どおりであった。思い出すのは去年のキャンプである。
まったくおなじ成りゆきで、シートバッティング途中で投球を禁止され、
即二軍行きを命じられた。
指令したのは去年のピッチングコーチで今年の新監督、森繁和氏その人である。
準規は去年の経験がトラウマとなり、
突然のイップスを発症したのではないか、と心配している。
きのうはそれほど尋常でないピッチングであった。
意外と評判の良い新監督であり、応援するにやぶさかでないが、
なにか恐ろしいところもあるような男かもしれない」とここまで書いて、
最後の行に「よい意味でも」とつけ加えました。
「よい意味でも、なにか恐ろしいところもあるような男かもしれないてんてん(‥)」

 なんだかいつもより疲れたけど、やめると書けなくなるので、
まずいコーヒーをおかわりして、つづけます。

「直倫も相変わらずであった」書き出しはとおなじにしました。
「直倫は美男である。人の良い美男である。
去年苦労してやっととったレギュラーなのに、
ライバルのルーキー京田や、眠い目をして虎視眈々の阿部とニコニコしている。
その笑顔が、いい人丸出しなのだ。
もちろん、打席にそれが出なければ、いい人でいい。出るから問題なのだ。
ライバルの京田と阿部が、抜け目なくヒットをったのに、直倫は中途半端な三振。
どこかまだ本気でないのである。
森新監督は、を意識して「足の速い選手を使う」と公言している。
阿部については去年、代理監督をやったとき、レギュラーの直倫をなぜか外して、
阿部を起用していた。それらはを評価していない、という新監督のメッセージと考えねばなるまい。
直倫よ、笑っている場合ではないのだ」
と書きました。読み返して、もうひとこと、最後につけ加えました。
「私は 心配です」と。

 勘定のとき、レジで、店主が、お近くですかとちょっと怪しむ目をしました。
「あっ、あっ、近いですアハハハ」川瀬さんは答えました。
 外は冬晴れで、暗い店内から出た川瀬さんは、
道の明るさに、一瞬目眩(めまい)に襲われました。
もうやることはありません。そのことにも目眩がします。
駅前のコンビニで、好物のメロンパンを買いました。
時間があるという言い方は、いまの場合変だよなあと考えながら、
駅の反対側へ行ってみることにしました。
そっちは山の斜面で、急な坂道になっていました。
途中、無人のテニスコートに陽が当たっていました。
桜の木がたくさん植わっていて、
春はきれいなのかなと想像しました。

 上まで登ると、グラウンドがひらけていました。
茶色く枯れた、高い樹木たちを背に、野球のネットが立っています。
サッカーのゴールもあって、斜面を利用した観客席が設けられています。
川瀬さんは近くのベンチに座り、コンビニで買ったメロンパンを、
袋からごそごそ出して齧りました。
人っ子ひとりいない広いグラウンドに、尖った透明な光があたっています。
明るすぎます。

 川瀬さんは、これからどうしようと思いました。
家へ帰って、早退き(はやびき)してきたよと妻に告げようか。それとも‥
ここより先にも‥「きょう」はつづいてるんだよな。
ふいに線路がみえます。山へ延びています。
明るすぎます。
なにかが行方を隠しています。
メラメラと陽炎がたっています。
陽炎が逃げてゆきます。
川瀬さんは追いかけます。

出演者情報:村木仁 劇団新感線所属
          (ヴィレッヂ:http://www.village-artist.jp/

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安藤隆 2015年7月5日

1507ando

甘いトマトはよけい嫌

     ストーリー 安藤隆
        出演 内田慈

 ミナさんは、川のこちら側の町に住んでいます。坂と
並木の多い町です。町中のこぎれいなマーケットには、
外国の食べ物や果物が並んでいます。
 町のどの坂も、くだると、川に突きあたります。おお
きな橋を渡ると、川向こうの町です。このごろは、毎日
川向こうの町を訪れます。きょうも、じぶんの黄色い軽
自動車で、橋を渡って川向こうへ来ています。いつもお
昼まえです。
 こちらは坂のない、平べったい町です。橋を渡ると、
じきに、広く明るい住宅展示場があります。世界各国の
小旗を、ひもに吊ったのが、空を飾っています。熊の人
形が、旗を持った機械仕掛けの腕を上下に動かして、
人々を呼びこんでいます。
 住宅展示場の先に、パチンコ屋「百歳の孤独」があり
ます。黄色い壁にパチンコ、スロット、ジャックポット
と英語で書いてあります。駐車場に、開店したときのの
ぼりが、色あせたままはためいているのが、通りからみ
えます。以前はこうした風景を、恐ろしく感じていまし
たが、このごろはむしろ惹かれています。駐車場に入っ
て、ちょっとだけいて、店には入らず出ていったら、
怒られるのかなと思って、どきどきします。
 パチンコ屋をすぎると、平べったい大きなスーパーが
あります。ミナさんはスーパーの駐車場へ入ってゆきま
す‥。わたしってあまりにも平凡かなと、ときどき、た
まに思います。
 スーパーでは晩ごはんのおかずとお昼の弁当と、ワイ
ンと日本酒と焼酎を買って帰ります。買い物の最後に、
トマトの売り場にやってきます。
 ミナさんは、母親が人見知りで、たぶんそのせいで、
小さいときトマトを食べたことがありませんでした。初
めて食べたのは、お兄ちゃんに連れられて、トマトの畑
へ盗みに行ったときです。お兄ちゃんは、友達といっし
ょに、盗み食いをよくしていたようです。
 畑にふたりでしゃがんで隠れて‥お兄ちゃんが、トマ
トを、大人みたいにもいだのでびっくりしました。一口
かじって食べやすくしてくれたのを、どきどきして口に
入れました。厚い皮の中の、どろっとした実を食べて‥
ぎょっとして、吐きだしました。想像とは違う、ただた
だ気味の悪い味がしました。お兄ちゃんは怒って、ミナ
さんの口をこじあけました‥。
 ミナさんは、いまもトマトは嫌いですが、いまではた
いしたことではありません。食べることもできます。生
のトマトも、料理したトマトも、ミナさんには同じ味が
します。つまり、あの畑の味がします。嫌いですが、食
べられます。ただフルーツトマトは、普通のトマトより、
もうちょっと嫌いです。甘いとか、小さいとか、フルー
ツとかいう噓をついているからです。
 ミナさんは夫のことも、ちょっと嫌いです。夫はトマ
トが好きで、トマトのおいしさを説きます。夫とセック
スしたとき、ふとトマトの生臭さがしたので、それ以来
しません。
 ミナさんは売り場のトマトに、内緒の儀式をします。
ほんとにどっちでもいいようなことです。トマトのヘタ
って、ありますね‥ヒトデか、大きな蜘蛛みたいに、頭
にへばりついているあれ。トマトの気味悪さのあらわれ
です。そのヘタを、ほんの先っぽだけちぎるのです。1
ミリか、5ミリくらい。ちいさなことだけど、とてもど
きどきします。破裂しそうです。ミナさんは見つからな
いように、体で隠して、親指と人差し指をのばします。
 片手だけの作業なので、かなり難儀します。二本の爪
の先でキキキッとこすって、切りにかかります。視線は
あらぬ方へ向けて。でも心はヘタにあるので、目にはな
にも映りません。するうち、やっと先端のちぎれた手応
えがあります。盗みみると、たしかにちぎれています。
皮に傷がついて、汁が滲んでいます。
 ミナさんは、その場をすばやく離れます。
「婆さん、なにしたんだよ」と言うような声が、近くで
したような気がします。でもわかりません。ミナさんは、
聞こえない振りをして急ぎます。
「婆ぁ、待てよ」の声が、こんどはたしかに、後ろから
追いかけてきます。

出演者情報:内田慈 03-5827-0632 吉住モータース

youtubeが表示されにくい場合は下のリンクからどうぞ ↓
https://www.youtube.com/watch?v=UsiGvmemEas

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安藤隆 2014年7月5日

ファーストタイム

     ストーリー 安藤隆
        出演 大川泰樹

原っぱの定義はむずかしい。空き地というだけでは足りない。
原っぱというからには、まず草が全面的に生えている、
かつ浅く生えているのがよい。あまり草深くてもいけない。
それでは子供が自由に遊べない。これはだいじな点だ。
つぎに所有者を示す立て看板や柵がない。
誰でも出入り自由である。むしろ人を誘いこむ風情がある。
もうひとつ肝心なことは、都市にあるということだ。
都市との釣り合い、もしくは不釣り合いのなかに
原っぱは浮かんでいる。

そんな諸条件を、その原っぱは満たしていた。
正しい原っぱであった。
ちなみに住所は、南豊島郡内藤新宿町大字内藤新宿三丁目である。

草は大葉子(おおばこ)に馬肥(うまごやし)が生えている。
遠巻きに羊蹄(ぎしぎし)と酸模(すかんぽ)も生えている。

三人の少年が遊んでいる。みたことのない遊びをしている。
じつは当の少年たちも、その遊びのほんとの名前を知らない。
なんでも近ごろ外国からきた遊びらしかった。
「林(りん)さん、ここですよー、ここ!」
そう声を張りあげたのは、棒を担いだ少年である。
その棒で「ここ、ここ」と体の前を指し示す。
竹の棒のようだ。地面に当たると竹の音がする。

少年の名前は升(のぼる)。
林(りん)さんと呼ばれた少年は、年長の林太郎(りんたろう)。
林太郎は手に、なにやらお手玉のようなものを握っている。
白い布(きれ)はしが、手からちょびっと垂れている。
それを升(のぼる)の言うとおり、山なりに放(ほう)る。
待ち構えた升が竹の棒でぶつ。
林太郎の後方に、隠れるように、もうひとり小柄な少年がいて、
あちこち転がるお手玉を拾う。
小柄な少年は金之助(きんのすけ)。

この遊びを言い出したのは升(のぼる)だった。
升は学校で先生から、横浜で流行(はや)る外国の遊びと聞いた。
外国と聞いて血が騒いだ。
白い玉を母親にせがんで作ってもらった。
中味をかちかちに詰めたお手玉のまわりを手ぬぐいで包み、
糸を固く何重にも巻き、外側を白いふんどしで二重に包んで縫った。
升さん、どうせよごすだけならば使い古しで我慢なさいと、
黄色まじりの白玉(しろだま)ができた。
そんな白玉と竹の棒であっても、
道具を持ってきた升が、いちばん面白そうな役をやるのを、
金之助も林太郎も承知するしかなかった。

 升(のぼる)は玉を力一杯ぶたないように我慢していた。
コワレテシマッタラタイヘン困ル。
だけど我慢の掛金がそのときふいにはずれた。
律儀だがそそることのない林太郎の放る玉が、珍しくそそってきた。
升は思わず我を忘れて思いきりぶった。
玉は金之助の頭上はるか、
原っぱの周りの鬱蒼たる叢(くさむら)まで飛んだ。
そのへんの草は背が高く、性悪(しょうわる)である。
玉を探しに分け入った金之助は、当然のように見失った。
升も、しまいには年上の林太郎もきて、手伝ったが、
玉はどこかに隠された。

 そのときだった。三人より年端(としは)のいかない、
汚いなりをした男の子供が、
髪文字草(かもじぐさ)のあいだからぬっと顔を出した。
「これ‥」と、玉を差し出した。
心底たまげたことへの照れかくしで、
升は奪うように玉をとりあげ、点検した。
玉は傷んでほどけていたが、でも無事だ。
「おまえ、名前はなんという?」林太郎が言った。
「公之(ひろゆき)‥」

その怯えた様子からも、汚いなりからも、
このあたりのいかがわしい家の子供だろうと三人は思った。
「みつけてくれたのだ。礼をいうべきである」
林太郎が率先して「ありがとう」と言った。
ありがとうはハイカラすぎると思いながら、他の二人も追随した。
子供が照れたように笑った。歯は白かった。

「林(りん)さん、この遊びの感想はいかが?」
升が林太郎に言った。
玉を拾ってばかりですこしも面白くない、と金之助は思った。
なのに林太郎は「うむ、欧米的の面白みがある」と答えた。
林太郎だって私よりよほど面白いに違いないのだ、
あんな真ん中で玉を放るんだもの、と金之助は気づいた。
「キンちゃんは、どうだい?」
升が金之助に向き直った。
升はいつになく強い目をしていた。
その目に気圧されて金之助は「私も面白い‥」と答えてしまった。

「よし、決まった」升が叫んだ。
「明日もやる! 公之(ひろゆき)、おまえもきていい!」

いつのまにか夕暮れである。西の空に夕焼けが広がっている。
夏の盛りとみえるのに、空には秋(あき)茜(あかね)が舞っている。
秋茜の寂しい朱色(あかいろ)は、夕焼けを染めた朱色である。
「ぜんたい、この遊びはなんという名前だ?」
と林太郎が言った。
野原で玉遊びだから野玉(のだま)だ、と升はひそかに考えていたが、
まだ黙っていた。
その考えは明日言おう、と思った。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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安藤隆 2013年6月2日

ドロドロドロンかよ

     ストーリー 安藤隆
        出演 原金太郎

 炭の煙がけむたいという話になったとき、
「煙が目にしみる」という歌が頭に浮かんで、
離れなくなった。
 煙が目にしみるって、煙突から煙が出てい
る風景をいつも思い浮かべていた。スモッグ
に覆われた街の空が、心の曇った風景と重な
って涙がでる、とかいうことかなと思ってい
た。歌詞はどうなってるんだろう。そしたら
手伝いの桜ちゃんが調べてくれた。スマート
フォンで。煙突じゃなかった。
 一番では「気持ちが燃えあがったその煙で
目がかすんでるだけさと、人は言う」
 二番では「燃えつきちまった恋の炎の煙が
目にしみるのさと、おいらは言う」
 恋の煙というわけだった。な〜んだ。
「柴田さんねえ、プラターズだもん、恋の煙
だよ」カウンターの向こうから、鳥平親父が
言っている。
「恋の煙ってなんだよ。恋は炎まででしょう。
恋と煙は結びつかないよ。ねえ中日さん」
「大将に一票だね」プロ野球スカウトの中田
さんが、にやにやしながら答えた。「とうぜ
ん恋と結びつくよ。プラターズだもん」
「恋の煙だと思った」桜ちゃんまで言う。
「返事おそいすね。あらんドロン! で決ま
りすよね」若手の滑田くんがぼそっと口にだ
した。きょうは先日の提案の結果がでるはず
で、いくらか楽観しながら、連絡を待ってい
た。
「どうせ目にしみるなら、備長炭の煙がいい
わ」滑田くんには答えないで、もともとの炭
の話にもどした。
「備長炭は、あんまり煙でないんだよ。ね大
将」中田さんが言う。
「そんなら鳥平は備長炭じゃないんだ、煙も
うもうで」とわたし。
「うちは備長炭使ってるなんて、一言も言っ
てないもん。あんなの、ニセモンばっかり」
鳥平親父が言った。
「このごろ無煙ロースターの焼き鳥屋、あり
ますよね」滑田くんが横入りする。
「多いよ」と鳥平親父。
「地元の駅前にできた焼き鳥屋、無煙ロース
ターでした。おいしかったすよ」と無煙ロー
スターなど持ちだして、話に水をさす滑田く
ん。
「煙がでないなんて、焼き鳥屋の風上にもお
けないなあ」いつも微妙に軽視されている若
手に微妙に反発する。
「だからあ、備長炭も煙はでないんだって」
と中田さん。桜ちゃんがくすっと笑った。
「なんだよビンチョウタンって。ビチョウタ
ンでいいじゃねえかよ」みんなグルのような
気がした。
「ことし中日だめだねえ」
 鳥平親父が中田さんに言っている。
「今シーズンは、負けりゃいいんです。負け
て総取っ替えすりゃ。地元選手ばっかりとっ
てるから、こういうことになる」
「テレビでみたけどベンチが暗いやね。あれ
じゃ勝てっこない。わるいけど」
 滑田くんが、携帯でなにか話しはじめた。
話しながら席を立って店の外に出る。でもぜ
んぜん別の電話かもしれないし。
「桜ちゃんは大学何年?」とわたし助平なこ
と聞いている。滑田くんが店内に戻ってきた。
「ちょっと会社もどります」鳥平親父に言う。
「どうしたの」とわたし。
「ドロドロドロンみたいっす」
 後ろも見ずに煙の向こうへヒューと消えた。
「おれも、もどるわ」わたしは言った。なに
しろドロドロドロンじゃたいへんだ。

出演者情報:原金太郎 03-3460-5858 ダックスープ所属

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安藤隆 2012年9月2日

なでしこってどんな花?

       ストーリー 安藤隆
          出演 清水理沙

「なでこ、なでこ、行けー、行けー、なでこー」と監督が叫んでいる。
 行けーというのは、前へ行けという意味のことも、戻れ、守れという意味のこともある。どっちの場合も行けーとしか言わないのだ、監督は。でもいまの場合、なにをすべきかははっきりしていた。わたしは相手フォワードに猛然とタックルに行った‥。
 わたしの名前は鬼瓦(おにがわら)撫子(なでしこ)。屋根の鬼瓦に、撫でる子と書く。撫でる子と書いて、なでしこと読むのは、お花の撫子と同じだ。わたしは小学校四年生の女。四年生だって女だ。
 撫子の名前にこだわったのは母だと聞いている。苗字が怖すぎるから名前は優しくしたいと、父に言い張ったそうだ。母の名前は鬼瓦勝代(かつよ)。もともと強そうなのに、鬼瓦なんて苗字の男と結婚したから、ほんとに迷惑してる、と母はいつも嘆く。
 その母が、寝物語に、教えてくれた。撫子はね、別名大和撫子という花で、控えめだけど芯が強い日本女性のたとえなんだよ。色はね、ピンクがいちばん多くて、白もあって‥。わたしは途中で、寝てしまう。
 母ががんばった撫子という名前が、わたしは好きではない。控えめだけど芯が強い、というのがひどく苦手だ。撫でる子という字もいやだ。母もわたしが「なでこ」とあだ名されることになるとは、想像してなかっただろう。
 それでもわたしがなでしこジャパンに憧れて、女子サッカーチームに入ることになったのは、自分の名前のせいだった。はじめて自分の名前が許せたから。体は小さいけどすばしこいわたしに、監督ははじめから目をかけてくれた。いまではチームのフォワードだ。
 土曜日は多摩川の川原で練習か、試合がある。今日は試合だ。
 グラウンドは、川原の草花に囲まれているけど、中は芝が禿げて、タックルすると土が舞う。わたしが体当たり気味にボールを奪ったら、相手の、体も学年も上の女が、わたしの足を蹴って「この野郎、殺してやる」と言った。
 わたしはなでしこジャパンでは、川澄奈穂美選手がすきだ。母から聞いた撫子の花のイメージと比べると、派手で、白い花というより、ピンクの花という感じだけど。
 といっても、わたしは、実物の撫子の花を見たことがない。控えめだけど芯が強い、と母から聞いて、頭に描いた撫子のイメージが、小さな白い花だった。かすみ草か何かのような。それからずっと、白い花だと思っている‥。

「行け、行け、なでこー」と監督の声が聞こえる。わたしは前へ走る。するとキャプテンの宮間(きゅうま)さんが、絶妙のバックパスを、ゴール前に流す。わたしは走り込み、角度のないところからゴールへ蹴る。その角度は、川澄奈穂美選手の得意とする角度だ。ということはわたしも、練習を重ねた角度だ。ディフェンスに倒されながら、ボールを蹴り込む。球がゴールへ向かってゆく。入る前から入ることがわかる。倒されたわたしの目の前に、ピンクの小さな花が、一面咲いている。花びらの先端が、細かく優雅に裂けて、ひらひらしている。あ、この花は前からすきだった。この花はなんという名前の花だろう、とわたしは思う。

出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/


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安藤隆 2011年8月7日


風と監督

     ストーリー 安藤 隆
        出演 水下きよし

僕は25年前、地元の高校から甲子園に出場した。
4番打者だった。
いまは地元の役所に勤め、
毎週日曜に軟式の少年野球の監督をしている。
受け持っているのは、小学校の5年と6年の生徒だ。
チームの名前は富士見町ホエールズ。
50年前に、近くの多摩川の川原から、
鯨の全身の化石が出土したことからホエールズと名づけられた。
チームの練習場も、多摩川べりにある。
きわめて平和なチームだが、問題はある。
軟式だから引き受けたのに、勝負やレギュラーにこだわる親が多い。
子供をプロ野球選手にするという夢を見始める者さえ、出てくる。
もっとスパルタで鍛えてさあ、勝つ野球やってよ監督、と
小声で言う親が出てくると、そらきたと僕は思う。
高校野球の経験から、プロ野球のレベルは想像できる。
やり方を変えることは絶対にない、と僕は宣言する。

僕は基本的な練習を重視する。
ゆるいゴロを正面でとる。
ゆるいタマをピッチャーがえしに打つ。
変化球を投げさせない。
試合で40球以上は投げさせない。
決して子供たちを怒らない。
そんな風だから、
僕が監督を引き受けてからチームはたいてい弱い。

そして、きょうの日曜日だ。
秋晴れの美しい天気だった。
チームはいつものように練習をしていた。
するとにわかに、風が吹きはじめた。
グラウンドの土が、竜巻のように空を覆い、
富士山が見えなくなった。
僕らは練習を中断して屈みこんだ。
風が止んで、顔を上げた。
するとそこに中年の男が一人立っていた。
男はこう言った。
「君のチームは、とてもよい練習をしている」と。
そしてネクタイ姿のまま、股を割って、
子供達にゴロの取り方を見せてくれた。
それからボールの打ち方も見せてくれた。
強く打っても、タマは子供達の正面にゆるく飛ぶ。
いつもは騒ぎまくる子供達が、
このときは神妙な顔で聞き入っているのが不思議だった。
中年男は優しく教えるだけなのに。
だが、いちばん魔法にかかっていたのは、僕自身だろう。
男が「きょうはありがとう」と言って去るまで、
なにも言えない有様だった。
なにせ男は、落合監督だったのだ。
1985年、打率3割6分7厘。
得点圏打率4割9分2厘。
打点146。
僕が高校の4番だった年の落合。
僕の知っているほんとうの四番打者。
どうして落合監督が、ここにいたのかはわからない。
近所の大きなスーパーの駐車場で、
落合監督来たると書かれたのぼりが、
風に吹かれてちぎれていたのを見た。ような気がする。
それともそれは、10年前のことだったろうか。

ゆっくり歩いているのに、
落合監督の姿はまたたく間に見えなくなった。

出演者情報:水下きよし 花組芝居 http://hanagumi.ne.jp/

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