小野田隆雄 2010年4月11日

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踊子草(おどりこそう)

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

木下淑子(よしこ)は天城湯ヶ島町の

ちいさな旅館に下宿している。

狩野川(かのがわ)に面した二階の、

八畳ほどの部屋で、彼女はそこから

門野原(かどのはら)にある小学校に通っている。

先生になって、この春でちょうど

三年目を迎えた。

いまは四月の中頃で、

伊豆は若葉でうずまるようだ。


淑子の部屋の窓の下から、

絶え間なく狩野川のせせらぎが、

ビバルディの春みたいに聞え、

晴れた日には、空気がぜんぶ、

さわやかな香りに包まれているみたいに

思えるほどである。
ところで、木下淑子は、いつかは

小説家になりたいと思っている。

黙ってひっそりと書き続けている。

ある文芸誌の新人賞で、

最終選考まで残ったこともある。

けれど、そのことは

ほんとうに、少しの友人しか知らない。

世田谷生れの彼女が、

静岡県の小学校の先生になったとき、

実は、だれも驚かなかった。

明るくて、子供が好きで、

どこかいつまでも高校生みたいな、

淑子がそういう女性だったからである。

彼女は、川端康成が好きだった。

「雪国」と「伊豆の踊子」。

だから、湯ヶ島で小学校の先生に

なれたとき、あまりうれしくて

そっと、自分のほおに

触れてみたほどだった。
淑子は、この小学校に赴任してきた年、

三年生のクラスの担任になった。

そしてこの春、そのクラスが

六年生になる。三十五人の生徒みんなと

仲良く、ここまでやってきた。

「弱いものいじめは止そうね。誰でも、
 
 自分が弱いものになることだって、
 
 あるんだよ」

いままで、いつも、一生けん命、

そう言いながら、先生をやってきた。

初めて学校に来た日、

近所の小川で、彼女は初めて

メダカを見た。きれいな水の中を、

メダカがいっぱい泳いでいた。

「メダカの学校は 川の中、
 
 誰が生徒か先生か、誰が生徒か先生か」

そうか、と、あのとき彼女は思った。

先生と生徒じゃなくて、人間同士で

やってみようと。

天城峠でバスを降りて、

五キロほどの山道を、八丁池まで歩く。

この頃、晴れた日曜日の、

淑子の習慣になっている。

彼女は、小説のことを考えている。

SKDで踊って、恋をして、くたびれて、

いまは、ひっそり生きている、

ひとりの女性の話である。

淑子が「伊豆の踊子」を初めて読んだのは

中学三年の頃だったけれど、

恋のときめきよりも、なぜか、

女性であることの透明な悲しみの色が

心に広がるのを感じた。

それから、いつのまにか、淑子の胸に

ひとりの踊子が生き続けている。

その彼女へのレクイエムを書きたいと、

思うようになっていた。

「書けるの、淑子?まだ、恋もしてないよ。
 
 それとも、書くのを止めて
 
 ずっと、先生のままでいる?」

八丁池への道を、ゆっくり歩きながら、

今日も淑子はひとりつぶやく。
道端のヤマザクラの根本に、

白いかわいい花が、

淑子を迎えるように咲いて

ゆっくり風にゆれている。

けれど、淑子は気づかないで通り過ぎる。

咲く花の形が踊る少女に似ている春の花、

踊子草の花だった。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904 シスカンパニー 所属

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動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


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小野田隆雄 2010年3月18日


Photo by (c)Tomo.Yun


お千代さんの思い出
            

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

お千代さんというママが銀座にいました。

バブルがふくらみ始めた、

一九八〇年代半ばのお話です。

「私は十九歳の時、このお仕事を

 始めました。最初のお店は

 五丁目の裏通りにある

 ホームズというカウンターバーでした。

 このお店は、いまもございます。

 近頃では、とても高級なお店に

 なりましたけれど。
 
亡くなる前の太宰(だざい)さんが

 よくお見えになりました。
 
いつもウイスキーを

 ストレートグラスでお飲みでした」
太宰さんとは、太宰(だざい)治(おさむ)のことです。


ところで、あのバブルの頃には、

お千代さんは、ほんとうはもう、

五十代に入っていたと思います。

いつも和服姿でした。

面長(おもなが)の、竹久夢二の描く女性のように、

美しい横顔をしていました。
お店の名前は「まあま」。

並木通りの八丁目にありました。

「まあま」とは中国語で、

お母さんという意味です。
私が「まあま」を知ったのは三十歳の頃。

テレビドラマの脚本を書いていましたが

まだまだ駆け出しでした。

あるテレビ局のディレクターの男性に

食事に誘われ、その帰り道に

「まあま」に寄ったのでした。
正直にお話ししすると、当時の私は

そのディレクターとの、

恋というよりも、ただの不倫な関係を

終りにしようと考えていたのですが、

初めて会ったのにお千代さんは、

すぐに私の悩みを

感じとってくれたのです。

彼女のまなざしが、

「だいじょうぶよ。ご自分を大切にね」

そう、ささやいてくれたと、

思えたのです。


それから私は、「まあま」にひとりで

訪れるようになりました。

そして、気づきました。

いつもカウンターのいちばん奥に、

赤いスイートピーが、十四、五本、

細いガラスの花びんに

活(い)けられていることに。

それは、ある風の冷たい

冬の夕暮れのことでした。

開店したばかりのお店に

お客は私ひとりでした。

そのとき、ドアを静かにおして

上品な黒いスーツを着た、

若き日の石坂浩次のような青年が

赤いスイートピーの花束をもって

入ってきたのです。

彼はニッコリしながら、

花束をお千代さんに渡す。

お千代さんは、その花束を、

ガラスの花びんのスイートピーと

ていねいに入れ替える。

そして、つぶやくように、
青年にたずねる。

「お父さまは、お元気?」

青年がやさしい声で、答える。

「いま、カナダです。来月にもどります」

ハイボールを二杯飲むと、

彼が立ち上がる。

お千代さんが、ドアの外まで送っていく。

「雪になるかしらねぇ」

ドアの外から彼女の声が聞こえてきました。


結局、青年が何者かを知らないままで、

私は、大阪のテレビ局の仕事が
中心になって、
東京を離れました。

五、六年が過ぎて、バブルもはじけた頃、

まだ肌寒い早春に、私は東京に戻りました。

そして、白とピンクの花だけで作った
スイートピーの花束をもって、

お千代さんを尋ねたのです。

二階への階段を昇り、ドアの前に立つ。

けれど、そこには、もう

「まあま」の文字はありませんでした。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸

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小野田隆雄 2010年2月ライブ



雪の絵日記

           ストーリー 小野田隆雄
              出演 西尾まり     

絵日記の白いページに、
黄色い色が、あちらこちら、
こちょこちょと塗ってあるのは、
雪をかぶって咲き残る菊の花。

絵日記の白いページに、
緑色の、ほそ長い雲みたいな形が
互いちがいに書いてあるのは
雪の山のヒマラヤ杉。

絵日記の白いページに、
うすい灰色の足跡が、
消えそうに書いてあるのは、
出ていったまま、帰ってこない
忘れっぽい男の、長靴のあと。

この絵日記を、船に乗って南の島へ
行ったあなたに、船便で送ります。
もしも、受け取って返送しても、
絵日記は、私の所へは戻らない。
あなたは、わからないでしょうけど、
番地がちょっと違っているのです。
受け取って、読んでくださったら、
細かく切って、海にバラバラと
まいてください。
南の魚たちが、たわむれに
つまんで食べて、北国の風邪でも
ひいてくれないかな、と思っています。

絵日記の白いページに
ふんわりと水色の煙が書いてあるのは、
ふたりで飲んだ、マツリカ茶の湯気。
あの時は、
カップの中に、ふたりとも
マツリカの花がひらいたのにね。

絵日記の白いページのまんなかに、
赤い丸が書いてあるのは、
わたしの心。
ずいぶん恋もしてきたし、
だまされたり、だましたり、
もう慣れっこになっているから、
センチメンタル・ジャーニーなんて
ワインに酔った、そのときだけの、
つかのまの気まぐれ、それだけのこと。
私は、しっかり、生きていきます。
では、あなた、さようなら。
外では、雪もやみました。
凍りつくような、星空になりました。
さようなら。

出演者情報:西尾まり 03-5423-5904 シスカンパニー所属

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小野田隆雄 2010年2月11日



イースター島の風
            

ストーリー 小野田隆雄
出演  坂東工          

タヒチのパペーテから
東へ約四〇〇〇キロ、
チリーのサンチアゴから
西へ約三七〇〇キロ。
イースター島は南太平洋に
ぽつんと浮かぶ絶海の孤島である。
はるか五世紀の昔、
インドシナ半島から南太平洋を東へ、
長い長い航海のすえに、
大きなヤシの木におおわれた
この島を発見した人々がいた。
彼らはこの島をラパヌイと呼び、
定住するようになった。
ラパヌイとは、
「広い大地」という意味である。
やがて、彼らは大きな石像をつくり、
自分たちの神様にするようになった。
その石像(せきぞう)はモアイと呼ばれた。
彼らはモアイに祈り、タロイモを栽培し、
魚を捕って、平和な日々を重ねた。
しかし、生き変り、死に変り、長い歳月が
流れた頃、この島は環境破壊に襲われた。
ヤシの森は、乱伐で消え、豊かな土地は
海に流され、島はやせ衰えた。
そこへ、西洋人の船がやってきた。
一七二二年のイースター、
復活祭の日だった。そしてその日から
彼らはラパヌイの島をイースター島と名づけた。
やがて、島の人々を奴隷として売り払った。
十九世紀末、この島が
チリー領となった時、島民の数は
二〇〇名を割っていた。

さらに時が流れて、一九六七年
イースター島に旅客機が
着陸するようになった。少しずつ
観光客が増え始めたこの島に、
私たちが訪れたのは一九七八年だった。
「ホテルが一軒、民宿が十五、六軒。
 人口は、チリー政府の役人と軍人
 そして、住民をあわせて約七〇〇名。
 野生の馬が八〇〇頭。教会がひとつ」
あの当時、この島の現実について
知っていた知識は、それだけだった。
小さな空港には、強い風が吹いていた。
夜店(よみせ)の屋台(やたい)のような、トタン屋根の
吹きさらしの税関でチェックを受け、
古いジープのタクシーで民宿に向かう。
砂利(じゃり)道(みち)が、起伏のある草原の中に
続いている。草原は丈高い草ばかりで
樹木の姿は見えなかった。
民宿の灯(ともしび)は、ほの暗く、簡易ベッドに
入って眼を閉じる。窓ガラスに風の音。
その音に雨の音が混じり始める。
「ふけゆく秋の夜、旅の空の」
そんな歌を思い出しながら、眠りについた。

翌朝、雨は止んでいた。風の中を
ひとり、村はずれの海岸にある
モアイまで歩いた。五メートルほどの高さの、
少し岩が崩れかけた、薄墨(うすずみ)色(いろ)のモアイ。
巨大な顔、高い鼻。しゃくれたあご。
空を見あげる大きな眼。その眼のくぼみに
昨夜の雨が、涙のように光っていた。
風が止むこともなく、吹いている。
ずっと南から吹いてくる。
イースター島の南には、
南極大陸まで、ひとつの島もない。
あるのは海と空だけである。
ふと、思った。
この島には季節風は吹いてこない。
いつも風は南極から吹くのだと。
この島をラパヌイと呼んだ人々も
イースター島と名づけた人々も
すでにいない。モアイだけが
南の風を受け続けてきたのだ。
季節は十月、この島は春だった。

二十一世紀の今日(きょう)、イースター島は
樹木の緑も復活し、明るい現代の
観光施設もととのっている。
けれど、モアイに当たる風の匂いは
きっと変っていないのだと思う。

出演者情報:坂東工 http://blog.livedoor.jp/bandomusha/

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動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


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小野田隆雄 2010年1月14日



夢を、いつまでも
            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

古今和歌集の、恋の歌には

夢と恋について歌った作品が

数多くあるようです。

小野小町は、次のように歌いました。
いとせめて 恋しきときは

むばたまの 夜(よる)の衣(ころも)を

反(かえ)してぞ着(き)る
「あのひとのことが、恋しくて、

恋しくてならない夜は
せめて夢でもいいから
 
会いたいと思って、
 
夜の着物を裏返(うらがえ)しに着て
 
寝るのです。」
平安時代の頃、京の都の女たちは

寝(ね)間着(まき)を裏表(うらおもて)にして着て寝ると

夢の中で、恋人に会えると、

信じていたのだそうです。

なんだか、いじらしいような……

自分の望む夢を見たい。

そういう願いは誰にでもあって、

それが初夢、という習慣を

作ったのでしょうか。

新しい年の仕事始めは、

昔は一月二日でした。

それで、二日の夜に見る夢を、

今年の運を占う、という気持ちから

初夢と呼んだのでしょう。

けれど、どうせ見るのなら、

縁起の良(よ)い夢を見たい。

誰でも、そう思います。

それで、寝るまえに枕の下に

縁起の良い絵を敷いて

寝るようになったそうです。例えば、

一(いち) 富士(ふじ)、二(に) 鷹(たか)、三(さん) 茄子(なすび)。この三つを

初夢に見ると、縁起が良いそうです。

それで、この絵を枕の下に敷く。

でも、なぜ、この三つが縁起が良いのか、

いまでは、もう、わかりません。

それから、宝船の絵。金銀サンゴなど、

お宝をいっぱい積んだ船の絵です。

これは、いかにも縁起が良い。

もっとおめでたくて、もっと景気よく、

この宝船に七福神が、にぎやかに

乗り込んでいる絵もありました。

これは、日本のお話ではなくて、

アラビア半島の昔話だった

と思います。すこし記憶が、

あいまいなのですが。

さみしくて、恋がしたくて

たまらない男は、夜寝るときに

ベッドの下に、自分の好きな

花束を置いて寝ろ、というのです。

貧しくて正直なパン屋の青年は

匂いスミレの花束を、

ベッドの下に置いて寝ました。

すると、夢に、それはそれは

美しい少女が現われたのです。

青年は、なんだか、本当はいない妹に

めぐりあえたような気持になりました。

アラビアタバコを作る家の、

五人兄弟の長男は、ケシの花束を

ベッドの下に置いて寝ました。

とても、大人びて、セクシーな

美しい女性が夢に現われました。

でも、タバコ作りの長男は、

とても純情なので困ってしまいました。

シルクロードを旅する商人の男は、

ダマスクバラの花束を置いて寝ました。

やさしくて、あでやかな、

すばらしい女性が夢に現われました。

ああ、私は、あなたのような女性を

シルクロードで、きっと捜し出します。

男は、夢の中で、それこそ夢中で

彼女を抱きしめ、キスしようとしました。

あっ、痛い、と男は叫んで眼がさめました。

そう、ご想像のとおり、

ダマスクバラは美しいけれど、

それは、それは、たくさんのトゲを

持っているのでした。

美しい花を無事に咲かせるために、

そのトゲはあるのですね。

それでは、みなさま、
良い夢のある年を。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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動画制作:庄司輝秋・浜野隆幸


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小野田隆雄 2009年12月10日



カノープス
            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

星の写真と文章で構成された、

「カラーアルバム星座の四季」という本を、

私が初めて手にしたのは

一九九六年、高校三年生の夏休みだった。

当時、私は大学受験のために

お茶の水にある予備校の、

夏期集中講座に通(かよ)っていた。

ある日の帰り道、突然の夕立に会い、

雨やどりに入った古本屋さんで

この本を見つけた。

私の家は静岡市にあり、

そのとき、姉の下宿に泊っていた。

姉は東大の理学部の三年である。

そして、私も来年、東大を

受験することになっていた。

私の母も、東大医学部卒業で、
静岡県の国立病院で働いていた。

「我が家は、女三人、東大。
 
別に意味ないけど、

 わるくないでしょ」
それが、母のくちぐせだった。

私たちの父は、いまは、いない。

芸大を出て、油絵を描いていたが、

なぜか家(いえ)を出て、いまは、

タヒチにいるらしい。
「ゴーギャンでもないのにねぇ」

そういって、母は、ときおり笑った。

古本屋さんで「星空の四季」を、

パラパラとめくって見るうち、

「春の夜明け、北西の空に沈む北斗七星」

という題名の写真に、なぜか、

気の遠くなるような、

なつかしさを憶えた。

その夜、私は、
サイン・コサイン・タンジェントを

片隅に追いやって、夜の更けるまで、

「星空の四季」を、眺め、文章を読んだ。

そして、冬の星座のページで、

カノープスという星の存在を知った。

この星は、大犬座(おおいぬざ)のシリウスについで、

全天で二番目に明るい星だけれど、

南半球の星なので、日本では、

南の地平線にかすかに見えるだけ。

オレンジ色に、あたたかく

ひかる星だという。

本のページには、まるで遠い灯(ともしび)のように、

地平線すれすれに光る、

カノープスが写(うつ)っていた。

私は、ふと、思った。

南半球の星だったら、

タヒチなら、よく見えるだろうか。

私は、行ったこともない、

見たこともない、タヒチの海岸に、

ひとり立って星を見上げている

男性の後姿を、思い浮べてみた。

まだ、私が幼稚園の頃に、

いなくなった父。

「星空の四季」という本は、一九七三年

誠文堂新光社から発刊された。
写真と文章と、両方とも
、
藤井(ふじい)旭(あきら)さんという方(かた)が作者である。

一九四一年生れ、山口県出身

多摩美術大学卒。そして彼は
、
星の世界に魅せられて、

とうとう、星空がよく見える福島県の

郡山市(こおりやまし)に移住してしまったと、

巻末の筆者紹介に書いてあった。

私は、そのとき、父に会いたいと思った。

藤井さんにもお目にかかりたいと思った。

カノープスも、この目で見たいと思った。

なんとなく、涙が出てきた。

けれども、なにか、すがすがしかった。

私は東大に入り、国文学を専攻した。

中世の説話文学を研究して、

いまは、仙台の大学の研究室にいる。

去年の冬、グァム島に行って、

ヤシの木陰に、初めてカノープスを見た。

じっと見つめていると

オレンジ色に、ゆっくりひかる

カノープスに向かって

大きな流れ星がふたつ、流れて消えた。


母は、すでに亡く、
父にも、結局、会っていない。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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