小野田隆雄 2009年5月16日ライブ



アメリカン

                
ストーリー 小野田隆雄
出演 小野田隆雄

アメリカンと呼ばれる
うすいコーヒーを飲むときは
マグカップを使う。そして
受け皿であるソーサーは使用しない。
その理由について、
次のような話を聞いたことがある。
ここに、ひとりの右利きのカウボーイが
いて、西部の草原で牛を追って
移動中である。彼は、
なるべくなま水を飲まないように
している。大平原に医者はいない。
そして、のどが渇いたときは、
うすいコーヒーを大きめのカップに
いっぱいそそいで飲む。
そのとき、左手にカップを持つ。
そして、右手は、ソーサーを持たずに
手ぶらにしておく。なぜか。
ピストルのために、あけておくのである。
こうして、アメリカンタイプの
うすいコーヒーの飲み方が定まった、
という話である。もちろん、
ほんとうか、どうか、私は知らない。

アメリカン、といえば、
こんな話もある。
これも、昔のことだが。
照明マンのチーフであるSさんが、
コマーシャルの仕事で、
ニューヨークに滞在していたことがあった。
ある朝、彼は、若いスタッフたちと、
ホテルのティールームにいった。
さっそく、グラマーなウエイトレスが、
ニコニコしながら、近づいてきた。
「いらっしゃいませ。
 なにを召し上がりますか」
Sさんは、東京にいるときと同じように、
ボソボソした調子でいった。
「アメリカン」
すると、若いスタッフたちが、
後を追うように、Sさんに続いた。
「ぼくも、アメリカン」
「わたしも、アメリカン」
コーヒーを省略したのが
いけなかったようである。
ウエイトレスは、両手をひろげ、
しばらく、Sさんたちを見つめていたが、
「え?、うそみたい」と英語でいうと、
背中を向けていってしまった。
アメリカンコーヒーから、
コーヒーをとれば、アメリカン。
この言葉には、アメリカ人という
意味もある。
Sさんたちが、このことに気づくのには、
だいぶ時間がかかった、そうである。

なんだか、このごろ、アメリカ合衆国が
元気がない。アメリカンコーヒーの
どこか、ひとの好いうす味が、
そこはなとなく、なつかしい、
今日このごろである。

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小野田隆雄 2009年5月14日



   波

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

「波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。
陽の照らないこの入江(いりえ)に。
波はよせ。
波はかへし。」

私は三十年前、十九歳のときに、
ヨシノリを、タエコから奪い取った。
タエコの母が亡くなって
九州の実家に帰っているとき、
ふたりが同棲している
アパートの部屋で
私はヨシノリをタエコから奪い取った。
東京に戻ってきたタエコは
涙ひとつ見せずに出ていった。
けれど、ひとこと、私にいった。
「トモコ、おまえ、バカだね」
ヨシノリは大田区役所につとめ、
売れない詩を書いていた。二十五歳だった。
タエコは大森駅前のバーで働いていた。
あの頃、三十歳くらいだった。
私は、あの頃も、いまも、
大井競馬場の、馬券売り場で働いている。

「波はよせ。
波はかへし。
下駄(げた)や藁屑(わらくず)や。
油のすぢ。
波は古びた石垣をなめ。
波はよせ。
波はかへし。」

草野心平の、「窓」という題名の詩が
原稿用紙に万年筆で書かれて、
ヨシノリのアパートの北側の壁に
貼りつけてあった。
「波はよせ。波はかへし。」
私とヨシノリは一年ほど続いたが、
そのうち彼は、鮫洲の居酒屋の女と
暮し始めて、帰ってこなくなった。
私は十日ほど、「窓」という詩と、
にらめっこをしていたが、
その詩を壁からはがし取って、
そのアパートを出た。
それから数年が過ぎた。
馬券売り場で、ひとりの男が
私を好きになった。すこし交際して
結婚した。まじめな男だった。
京浜急行の青物(あおもの)横丁(よこちょう)の駅員だった。
きちんと結婚式もあげた。
けれど、六、七年すぎた頃、
彼の職場が、横浜の黄金(こがね)町(ちょう)の駅に変り、
一月(ひとつき)もしないうちに、
チンピラのケンカを止めようとして、
ナイフに刺されて、死んでしまった。

「波はよせ。
波はかへし。
波は涯(はて)知らぬ外海(そとうみ)にもどり。
雪や。
霙(みぞれ)や。
晴天や。
億(おく)萬(まん)の年をつかれもなく。
波はよせ。
波はかへし。」

 私は、いつもひとりだった。
羽田空港に近い、
穴(あな)守(もり)稲荷(いなり)のある町で生れ育ち、
ひとりっこだった。父と母は、
小さな町工場(まちこうば)で、朝から晩(ばん)まで
働いていた。
私が高校に入る頃に父が死に、
高校を卒業する頃に母が死んだ。
私たちの家は、小さなマンションの
十一階にあり、
南の窓から海が見えた。
沖のほうから、白い波が走ってきて
消えていく。そして、また、走ってくる。
父は工場で事故で死に、
母は高血圧で死んだ。
どちらのときも、私は海を見つめた。
聞えるはずのない、波の音を聞いていた。
波はよみがえる。ひとは死ぬ。
私は、今日まで、しあわせだった。
さびしかったけど、しあわせだった。
きっと誰かが帰ってくる。
波が、帰ってくるように。

「波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。」

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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小野田隆雄 2009年4月9日



みちくさ、ものがたり

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

十年ほど昔のことである。
四月の初めに、京都で、
お芝居の仕事が終って、
ある日の午後、
嵐山に近いあたりを散歩した。
人力車が誘いかけてくる
渡月橋の付近は避けて
静かなお屋敷町を歩いた。

すこし汗ばむほどによい天気だった。
曲がりくねって、生垣が両側に続く道を、
ぶらりぶらりとゆくと、
一軒の喫茶店に出会った。
古びた木の板の看板(かんばん)に、
かざりけのない、ひらがなで
「みちくさ」と書いてある。
その玄関先の、小さなお花畑に、
白い、目立たない花が咲いている。
「タンポポに似ているけれど、
 白いタンポポって、あったかしら?」
そう思いつつ、私は「みちくさ」の
ドアを押した。ちょっと、
コーヒーブレイクも欲しかったし。
中は、七、八人ほどかけられるカウンター。
ちょうど、お客さまは誰もいなくて。
カウンターの奥に、五十歳前後の、
抑えたウグイス色の和服を着た、
美しい女性が立っている。
女優の藤村志保さんと似ていると思った。

いらっしゃいませ、和服のママさんが
きれいな東京弁で、ほほえんで言った。
私は、コーヒーを注文するまえに
玄関先の白い花について聞いてしまった。
ママさんが、すぐに答えてくれた。
「シロバナタンポポ、というんですよ。
 昔から、日本にあったタンポポです。
 でも、この頃はアメリカうまれの
 黄色いタンポポに押されてしまって、
 だんだん少なくなっています。
 わたし、すこし、同情しているの。
 あっ、そうそう、あなた、
 なぜ、タンポポをタンポポっていうか
 ご存知?」
そういって、すぐに、あわてながら、
和服のママは言いなおした。
「あっ、そうそう、あなた、ご注文は?」
私は、ハワイのコナを注文した。
注文しながら、私は、なんだか自分が
京都の映画スタヂオの、
セットにいるような気分になってきた。
私と和服のママが、喫茶店で出会うシーンを
撮影しているのである。
そして私は、ママに聞く役である。
「なぜ、東京を捨てたの?」……

けれど、現実には、ママは、
私から離れると、カウンターの奥で
ゆっくり、ゆっくり、
コーヒーを入れ始めた。そして、
よく透る声で、話し始めた。
「鼓って、楽器があるでしょう?
あの鼓の、手で打つ丸い革張りの部分、
あの丸い形がね、
タンポポの花の形と似ているって、
昔、京都の子供たちが
思ったのですって。
鼓をタンと打つと、ポポンと鳴る。
そうや、この花、タンポポや。
それから、タンポポはタンポポに
なったのだそうですよ。
すてきな、オトギバナシでしょう?
でも、わたくしは、信じています」

ハワイのコナは、おいしかった。
なんだか、春の昼さがりに、
オトギバナシに出会ったような。……
あのときから、数年たって、
やはり、京都を訪れたとき、ふたたび、
「みちくさ」を訪ねてみた。
けれど、「たしか、このあたり」と、
思った場所は、空地(あきち)になっていて
黄色いタンポポの花が、一面に咲き、
春の光を、ぼんやりと吸っていた。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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小野田隆雄 2009年3月13日



   約束
            

ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳

          
空のどこかで、

ヒバリが鳴いている。

菜の花畑の中の一本道を、

少女が遠ざかっていく。

長い髪に赤いリボンをつけて。

ちょっと少女が立ち停る。

そして、右手を大きく振る。

それから、小鹿(こじか)のワッペンのついた

木綿のカバンを右手に持ち替えると

また、トコトコ歩き始める。

もうすぐ、少女の後姿は、

菜の花にうずもれてしまうだろう。

三浦半島の高台の、

どこまでも畑が続く田園地帯に、

その小学校はあった。

学校の敷地の南のはずれにある、

体育館の壁に寄りかかって、

少年がひとり、

ほとんど菜の花に隠れてしまった

少女の後姿を見送っている。

いまは、小学校の昼休み。

さっき、四時限が終ったとき

少女はクラスメイト全員と

サヨナラの握手をして

早退していった。

明日、横浜の桜木町の小学校へ

転校していくのである。

でも、ほんとうは、少年と少女は

一週間まえに、もう、握手していた。

一週間まえ、

夕暮れに近い小学校の校庭で、

少年と少女は

ドッジボールを使って

キャッチボールをしていた。

しばらくして、ボールを投げながら

少女がいった。

「世界でいちばん寂しい木があるんだよ」

「どこに?」と少年が聞いた。

「えーとね、ずーっと遠い国に」

と少女がいった。そして

ボールを投げるのをやめて、

少年に近づいてきて、いった。

「大きな、大きな、木なんだけど、
 
 その木のまわり、どこまで見渡しても、
 
 ほかに一本も、木はないんだって。
 
 ススキみたいな草原しかなくてね、
 
 夜になると、強い風が吹いてくるの。
 
 そうすると、その木は一生けん命、
 
 葉音をサラサラ立てるのだけれど、
 
 返ってくる音は、なにもなくて、
 
 お星さまばかり、空の遠くで、
 
 じっと、その木を見つめているの」

少女は、そういうと、少年を見ながら

すっと右手を差し出した。

「あのね、わたし、転校するの。
 
 まだ、誰にも内緒だよ。

 転校したら、お手紙ちょうだい。

 まさるくん、
 約束よ、握手して」

ひんやりと小さい、その右手は

かわいい爪がそろっていた。

まさるは、のびたままの自分の爪が

とても恥ずかしいと思った。

握手した手を、上下に振りながら、

少女は、くり返していった。

「約束だよ、お手紙ちょうだい」

図画の時間にスライドで見た

ルノアールの少女みたいな、

ゆりみちゃんの大きな目が

まさるをじっと見つめていた。

春の夕暮れの風が、吹いてきた。


あれから、三十数年が過ぎた。

まさるとゆりみは、

結局、会うこともなかった。

それでも、まさるは、

いまも、ときおり、夢をみる。

いっぱいの菜の花の中で、

まさるとゆりみが握手している。

約束だよ、とゆりみがいう。

けれど、突然、すべてが消える。

そして、闇の中に大きな木がひともと、

誰かを呼ぶように、

風に葉ずれの音を、たてるのだった。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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小野田隆雄 2009年2月13日



少女とリボン
            

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

リボンというのは、細い幅に織られた
ひものことなんですね。などと、
あらためて言うのも、変なのですが、
私の場合、リボンといわれると、
ひもの状態ではなくて、
飾りとして、かわいい形に結ばれた姿を、
まず、イメージしてしまいます。
中学生時代の
スポーツ大会で胸につけた
シンプルなリボン。
蝶ネクタイと呼ばれる
リボン結びにしたネクタイは、
ずいぶん何度も
舞台でタキシード姿になったとき、
身につけました。
それから、すっかり、
二月の年中行事になった
バレンタインデー。
その日に贈られるチョコレートを
飾るのもリボンですね。
もっとも、私には、残念ながら、
リボンをつけたチョコレートを
どなたかにお贈りした記憶は
いままでのところ、ありませんが。

三好達治という詩人が、
昭和時代の初めに、
「測量船」という詩集を発表しました。
そのなかに、「村」という詩が
ふたつあります。
そのひとつに、リボンが登場します。
高校生の頃に読んで、
こころが、動きました。
三好達治の詩集は、いまも
本棚の奥に、しまってあります。
短い詩ですので、
ご紹介したいと思います。

鹿は角に麻縄をしばられて、
暗い物置小屋にいられてゐた。
何も見えないところで、
その青い瞳はすみ、
きちんと風雅に坐ってゐた。
芋が一つころがってゐた。
そとでは桜の花が散り、
山の方から、
ひとすじそれを
自転車がひいていった。
背中を見せて、
少女は藪を眺めてゐた。
羽織の肩に、
黒いリボンをとめて。

この村はたぶん、猟師(りょうし)さんのいる
山奥の村なのでしょう。
鹿がとらえられて、物置小屋に
入れられています。
おりから、季節は春の終り、
物置小屋の外では、
桜の花びらが音もなく風に舞い、
坂道をくだる自転車を
追いかけるように、
散っていくのでした。
そのとき、少女はひとり、
竹藪を眺めて立っていたのです。
その羽織の肩に、黒いリボン……

さりげない、静かな村の風景なのですが、
私は、この詩を読むたび、
澄みきった、哀しさを含んだ春の風が、
心に届くのを感じました。
そして、いまも次のことを
信じています。
少女は、声も出さずに、
泣いていたのだろうと。
きっともう、明日は生きていない
鹿のために、黒いリボンを
つけたのだろうと。

私のリボンの思い出は、
ちょっと、メランコリックに
なってしまいました。
三月になったら、軽いブラウスを着て、
明るい色のリボンを、
つけたいと思います。
それでは、お元気で。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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小野田隆雄 2009年1月16日



カモシカのように

            
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳  

奈良県の興福寺の、阿修羅像を
ごらんになったことは、ありますか。
ほんとうは、とてもこわい三面六臂の
仏さまなのですが、
正面の顔も、右のお顔も、左のお顔も
すこし怒っている少女のように
りりしく、かわいらしいのです。
六本ある腕の、しなやかに
のびた曲線も愛らしさに
あふれています。
そのすんなり長い脚をつつむ衣装は
なんだか、三宅一生さんの
パンタロンみたいに軽やかです。  

いつの頃からでしょうか。
私は興福寺の阿修羅さんを、
勝手に、お友だちにしてしまいました。
かなり年下の少女の友だちとして。
でも、いつも会えるわけではありません。
けれど、夢のなかで、私の所へ
遊びにきてくれるのです。
すると、私は明るい気持ちになるのです。
そして今年は、はやばやと、
一月二日の初夢に登場してくれました。
その夢のことを、
お話ししたいと思います。

興福寺の北の方角に、
若草山がありますね。
おだやかに丸い、低い草原の山です。
春が近づくと、
枯草におおわれた山肌は、
炎で、きれいに焼かれます。
やがて春になると、
いっせいに若草が芽吹いて
美しい緑の山肌に変わります。
でも、夢のなかで、若草山は
まだまだ冬のままで、
黄色い枯草に冷たい風が
吹いていました。
その枯草のなかに、阿修羅さんが
ぼんやり立っているのです。
ちょっと、さびしそうな感じです。
「どうしたの?」私が尋ねました。
「あのね」、阿修羅さんが、
眉をしかめていいました。
「天子さまが、私のことを
そなたは、近江の子牛のように
かわいいのう、っておっしゃったの。
でも、やだわ、わたし。
牛はきらいじゃないけど、
自分が牛にたとえられるのは、いや」
なるほど、それはわかると、私は、
夢のなかで思いました。
たしかに、子牛は、かわいいけれど。
女の子としては、ちょっと、ねえ。
すこし、考えて私は阿修羅さんに
いいました。
「あのね、近江の国の、すこし北の
飛騨の山奥に住んでいる、
カモシカを知っているでしょう?
あのきれいな脚で飛びまわる。
カモシカはね、ほんとうは、
シカの仲間じゃなくて、
牛の仲間なのよ。
だから、天子さまにお願いしたら?
私を、カモシカのようにかわいいと、
いってください。って」
すると、阿修羅さんの顔色が
パッと明るくなって、
枯草のなかを、カモシカのように
走り出しました。
そして、三本ある左手を、
私に向かって振りながら
「ありがとうっ!」と
なんども、なんども、叫びました。
その後姿は、だんだん小さくなって、
やがて、若草山の向こうへ消えました。

「ああ、よかった」、私は夢のなかで
つぶやいていました。
阿修羅さんの声は、しばらくのあいだ、
こだまになって聞えていましたが、
やがて、その声は、窓ガラスにあたる
北風の音に変わり、
私の初夢は終りました。なんだか今年は
いいことがありそうだなと、私は思いました。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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